第3話 夢を現実にするのは……
大学入学共通テストの会場。ここに来るのは去年ぶり二度目だった。一年前、志望校のレベルに対して、己の努力は足りていなかった。去年は英語が足を引っ張った。得意の数学も思うほど得点しきれなかった。しかし、今年の僕は違うはずだった。
一日目午前。地歴公民から始まる。うん、悪くない手ごたえだ。母が作ってくれた弁当を食べながら次の国語に備える。これも大丈夫。しっかり内容が頭に入ってくる。なんなら正答が光って見える。
異変はこの次、外国語の試験時間に起こる。大丈夫、大丈夫。そう自分に言い聞かせるが、ダメ。英文の上を視線が滑っていく。心臓が早鐘を打ち、冬だというのに体温がどんどん上がる。マスクのせいでメガネが曇る。これでは去年の二の舞だ。
筆記試験が終了した時、ふと気が付く。ははん、また悪夢か。テストに失敗する夢は何度も経験済みだ。僕としたことが、あまりのリアリティに我を忘れてしまっていた。こういう時は覚醒パスポート……が、ポケットに入っていない!
リスニング試験の内容はほとんど記憶に残っていない。僕は茫然自失の状態で試験会場を後にした。場面は都合よく転換してくれず、普通にJRと私鉄を乗り継いで自宅まで帰る。
「覚醒パスポートが盗まれたら……」
不意にあの男との会話が思い出される。何者かが僕の覚醒パスポートを使って覚醒する。つまりそいつは、僕の代わりに僕の身体で目覚めるということだ。そして帰るべき身体を失った悪夢の中の僕は、永久に……。
「あなたの覚醒パスポートは、盗まれてなどいませんよ」
不意に、あの声がした。顔面が目覚まし時計みたいな、あの男の声だ。
「盗まれていないなら、いったいどこに?」
体中のポケット、バッグの中をまさぐるが、あの手帳は出てこない。
「あなたはとっくに目覚めておられる。そして、覚醒パスポートの有効期限が来てしまったのです」
僕は予備校に通う浪人生。人生二度目の大学入試共通テスト一日目を終えて、今帰宅したのだ。やり直そうにもやり直せない。これは紛れもない現実。
「そんなの聞いてないぞ、この悪魔め!」
僕は虚空に向かって叫んでいた。
「悪魔……ですか。言い得て妙ですな。しかしパスポートには有効期限があるものなのです。発行がお手軽である代わりに、有効期限はきっかり五か月でございます。それをはじめに説明しなかったのは、私の悪魔的部分のせいなのではありましょうが」
胡散臭い優しさが、悪魔っぽいとは思っていたのだ。
「私はただ、毎晩悪夢に苦しむあなた様を、本当にお助けしたかった一心なのです」
だとしたら、どうしてここに来て梯子を外すような真似をするのか。
「しかし覚醒パスポートの手軽さに慣れてしまうと、リセット癖がついてしまう。それではいけません」
「じゃあ、どうしろって言うんだ……」
「私はずっとあなた様とともにありました。したがって、あなた様が誰より努力なさっていることを存じ上げております。夢を現実にするのは……」
翌朝。僕は小学生の頃から愛用しているジリリとうるさい目覚まし時計を止めて、試験の二日目に出かけた。ちょっと失敗したから何だというのだ。ほかの科目がまだ残っているし、二次試験もある。勝負はこれからだ。
カバンの中には覚醒パスポートの代わりに、古びた目覚まし時計を入れてきた。もちろん試験中に鳴り出さないよう電池は抜いてある。それでもその目覚まし時計は長針と短針をキュッと吊り上げ、何事かしゃべりだしそうだった。
「夢を現実にするのは、覚醒パスポートなどではなく、あなた自身なのです」
覚醒パスポート 美崎あらた @misaki_arata
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます