君の歌が聴こえる
リュウ
第1話 君の歌が聴こえる
これは、近未来の話。
世界中の国が戦争をやめ、平和になった頃の話。
僕は、旧市街へと向かっていた。
今日から僕は、旧市街にある養護施設に入所する。
もう働かなくてよい歳になったからだ。
新市街にある養護施設でもよかったけど……
電子的でキラキラとした今の新市街は、僕に似合わないと思ったからだった。
これからは、独り身で気楽な生活を楽しもうとしている。
なぜか、結婚をしたいとは思わなかった。
いつも心の底に沈んでいる何かに引き留められていた。
それが、何か?
なかなか思い出せないのでそのままにした。
僕は、旧市街に向かうボンネットバスに乗った。
旧式のデザイン。
自動車の前が出っ張っていて、丸みを帯びたフォルムは、可愛くてつい微笑んでしまう。
厚みのあるペンキの塗装がいい。
このボンネットバスは、内燃機関で動くが、二酸化炭素は出ない。
環境に優しくというヤツだ。
旧市街と新市街を結ぶ交通機関は、このバスしかない。
発車時刻がきたのか、バスのエンジンがかかった。
体に伝わるエンジンの振動と音。
実に心地よい。
やっぱり、僕は古い人間なのかなと思った。
ドアが閉まり、カチカチと言うウインカーの音。
短いクラクションの音がすると、ゆっくりと走り出した。
電飾で飾られた街なみ。
忙しないデジタルサイネージ。
統一性のない服装の人なみ。
そんな新世界を進んでいく。
しばらく行くと、風景はガラリと変わる。
廃墟が続いている。
戦争による破壊された街なみ。
市街と旧市街の間には、このような空間あった。
それは、新市街と旧市街を隔てるものだった。
気持ちをリセットするために、この空間が造られていた。
その廃墟から、徐々に復興した旧市街につながる。
石畳の道、石造りの建物の街、旧市街。
ガス灯が道の脇に点々と続いている。
ここの住人の姿が見える。
ここで生きることを選んだ人たち。
ここから新市街へ行った者も多いが、戻ってきた者も多いと聞いている。
戦争が終わり復興へと向かう時代は、貧しかったが、物以外の多くのモノを人間に与えた。
それは、夢であり、芸術であり、愛だった。
現在は、それを忘れたとは言わないが、造られるものは、明らかにその時代より劣っている。
贅沢が出来、個々の主張が認められようとしている時代が作るものは、生ぬるく旧市街の時代が生み出すモノを超えることはないだろう。
実は……僕は、ここに来たことがある。
旧市街の施設で老後を過ごしたいと祖父が願った時に来ている。
小学生の僕は、祖父とここに来た。
正確には、祖父に付き添った父についてきた。
僕は、興味本位でついてきたのだ。
だから、僕はこの街を知っていた。
街の中をウロウロと歩きまわっていた。
あまり、変わっていなかった。
店のウインドウのデスプレィも前のままだった。
僕は、なにやらうれしくなり、画廊やらいろいろな店を見て歩いた。
懐かしい物や見たことのない物も多かったので興奮してしまう。
新市街の店では、売れ筋のものばかり置いていて、つまらなかった。
欲しいものは、通販で買うしかなかった。
でもここは違う。
新市街が忘れてしまったモノがあるのだ。
僕は、食事ができる酒場に入った。
そこは、生演奏が聴くことができる。
生演奏が聴けるとは、なんて贅沢なことだろう。
店の入口で、薔薇の花を渡された。
気に入った演奏者に渡すのだという。
チップの代わりらしい。
薄暗い店内で演奏を聴きながら食事をしていた。
最後の演奏が始まったようだ。
この曲を知っている。
思わず演奏者に眼をやった。
それは、痩せた小さな女だった。
長袖で膝下丈の黒のワンピース。
胸でクロスのペンダントが揺れている。
暗い店内に彼女の白い顔と手が浮き上がる。
歌が始まる。
魂が揺さぶられる歌声。
1945年
エディット・ピアフ作詞
マルセル・ルイギ作曲
「薔薇色の人生」が聴こえる。
遥か遠い過去から聴こえる。
薔薇色の人生を送りかったと。
あなたが私のすべて人生だったと語りかける。
私があなたのすべて人生だったと語りかける。
他には何もいらない。
純粋な二人の想い。
旋律が、僕を遠い過去へと連れて行く。
記憶が鮮明に蘇る。
初めてこの旧市街を訪れた時、祖父と来た時だった。
石畳の街角で歌っている少女を見つけた。
僕より歳下だろうと思った。
それは、身長と体形からそう思った。
黒いワンピースを着ていた。
眼だけが力強く輝いていた。
僕は、彼女に引き付けられた。
どうやら、歌うことで稼いでいたようだ。
身体全体から絞り出すような大きな声。
とても小さな身体から出ているとは信じられない程の。
僕は、その声に惹きつけられる。
寂しそうではあるが、底に夢があると感じさせる声。
僕は、聴き入ってしまう。
時を忘れてしまう程、彼女を見つめていた。
歌い終わったとき、僕は大きく拍手していた。
素晴らしく、まるで魂が揺さぶられるような歌だった。
僕は、彼女にこの気持ちを伝えたいと強く思ったが、どうしていいかわからなかった。
そんな僕に気づいた祖父が、「これを渡しなさい」と一本の薔薇をくれた。
僕は、そのバラを掴むと彼女のところまで走って行き、薔薇を差し出した。
何と言っていいかわからず、無言で薔薇をただ突き出した。
彼女は、それがわかったようで、”ありがとう”と薔薇を受け取った。
黒のワンピースの胸に白くか細い手が赤い薔薇を持った姿。
それは、エゴンシーレの絵画の様に眼の刻まれた。
僕はそれだけで満足できずに、ポケットを探り、お小遣いを渡した。
それでも、気が済まない僕は、首から下げていたクロスのペンダントを外し、彼女の首にかけた。
彼女は、微笑んでいた。
僕は、その笑顔を見ることができて満足だった。
それから、旧市街に滞在中は毎日、彼女の歌を聴きに行った。
そして、その度に一本の薔薇を渡した。
新市街に戻る時、勇気をふり絞って彼女に言った。
「また、来るよ。君の歌を聴きに……君に会いに」
彼女は、ただ、微笑んでいた。
彼女の歌が終わった。
僕は立ち上がり、一本の薔薇を持って彼女に歩み寄った。
彼女の前に立ち、顔を見て、瞳を見つめながら、そっと薔薇を差し出した。
「君に会いにきたよ」
彼女は、微笑んで薔薇を受け取った。
あの時と同じように。
僕は、彼女を壊れないように優しく抱きしめた。
君の歌が聴こえる リュウ @ryu_labo
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