おおむね初恋(続編) 割となんでも初めてなふたり
たこ
第1話 恋人としてはじめての来店
都心のオフィス街にある、地下鉄の駅を降りて七番出口から徒歩二分。雑居ビル一階に居酒屋「ポチ」はちんまりと店を構えている。
扉を開けるとまずカウンター席が六席、カウンターに座るお客の後ろを通り抜けた先には二人用テーブルが五つ。満席でも二十人に満たない小さな居酒屋だ。一応串焼きを売りにしている。
「シュウちゃん、テーブル準備大丈夫?」
カウンターの中から店長がよく通る声で尋ねた。年の頃は五十を越えたばかり、最近白髪が増えて老けて見えると嘆く一方で愛犬ポチとよく似た毛色になってきたことを喜んでいる、気のいいおじさんである。
ちなみにカウンターに座った客はもれなく店長の背後に貼られた何枚かの写真──店長と愛犬のシュナウザーが戯れる大きな写真達──を見ながら酒を飲む定めになっている。店名の由来を説明なしで察することが出来る仕組みだ。
「はーい、やりまーす」
シュウちゃんと呼ばれた男、柊平(しゅうへい)は軽く返事をすると厨房から奥のテーブル席に出た。余分なぜい肉はないが筋肉も大してない健康な三十路の男。まあ離れて配置されているテーブルを移動させくっ付けるなど勿論どうということはない。確か四人、四人、二人で合っていたはずと今日の予約を思い出しながらテーブルを、椅子を動かしていく。
柊平がこの居酒屋「ポチ」でアルバイトを始めて一年半が過ぎた。それまで二年ほど無職だったが募集を見かけて接客業が好きだったことを思い出し、なんとなく応募してみた。
店長と二人で店を切り回すのは忙しいが、新装開店に向けて回し方を考えるところからさせてもらったおかげで案外ストレスなく過ごせている。常連客とも仲良くなったし、料理好きの腕を見込まれてある程度の調理も任されているし、美味しい賄いを食べられるし、様々な人間模様をじっくり観察できるし……いいことずくめで給料までもらえるなんて素晴らしい仕事だ。経営のスキルがあるわけでもない柊平を採用し、オープニングスタッフとしてあれこれ教えながらも頼ってくれた店長には感謝しかない。
強いて問題があるとすれば、三十にもなってアルバイトだなんて、と眉を顰める親ぐらいのものである。まあ放っておいてほしいのが本音だ。
十二月第三週の月曜日。世は忘年会シーズン、居酒屋が一年で最も繁盛する週が始まった。普段の「ポチ」は店長と柊平の二人、もしくは店長と大学生である店長の甥っ子、和也の二人という体制だが今週に限り店長、柊平、和也の三人体制で月曜から金曜の五日間に臨むことになっている。フルメンバー、フルシフト。ちなみに土日は店自体が休みだ。
テーブルをくっつけ終えた柊平は、和也がカウンター周りを掃除しているのを目端に見届けながら厨房へ戻った。やりかけていた突き出しの準備を再開する。自作きんぴらを小鉢に盛ってはトレイに並べるという単純作業をしていると、休んでいる脳がすぐに邪念でいっぱいになってしまった。今日はずっとこんな感じだ。
心を占めるのは目立たない雰囲気の大人しいサラリーマン。ああ、いや、もう目立つ人になってしまったかもしれない。今まで黒髪をきっちりセットしているせいで良い顔がまるで垢抜けなかったが、一昨日髪を切って見違えるような「しごできイケメン」の風貌になったのだった。
毎週月曜日の十八時を過ぎる頃、彼は来る。店長の「いらっしゃい、タツキくん」という声に厨房から出てみればそこにいる無表情。愛想はないし口数も少ないのに、柊平だけでなく店長や常連達、主に年上にやたらと愛される不思議な二十五歳の男。先週は仕事が忙し過ぎて来られなかったが、ピークを過ぎたと言っていたので今日は来てくれるだろう。
そんな彼、達樹は昨日柊平の恋人になった。好きで好きでしょうがなかったけれど多分同性愛者ではない。そう思って抑えていた柊平は不意に達樹からキスされて爆発して、まあ色々あってついに昨日気持ちを確かめ合ったのだ。
昨日の今日で果たしてどんな顔をして会えばいいのだろう。さっきから柊平はそんなことばかり考えている。浮かれ過ぎだ。
◇◇
「お待たせしました! こちらがゆずサワー、これはレモンサワーです」
月曜日の夜、十八時半を過ぎた居酒屋「ポチ」で柊平はテーブル席の対応に追われていた。とても忙しい。
おかげで達樹が既に来ていて、メグママといつものようにカウンター席でお喋りをしていることに今の今まで気が付かなかった。
居酒屋「ポチ」と同じビルの四階にスナック「メグミ」を構える美人ママは皆にメグママと呼ばれ慕われている。早い時間はお客が来ないと言っていつも「ポチ」でビールを飲んで談笑している楽しいママだ。最近メグママは達樹のことを大層気に入っていて、月曜日はもっぱら彼を相手に他愛のない話をしては短い反応を得て目を細めている。頭まで撫でる様子はまるで親子のようで微笑ましい。頭を撫でられても表情が変わらない二十五歳は、しかし手を払うこともなくされるがままでいるからこそメグママに可愛がられているのかもしれない。決して人を拒まない男、それが達樹だ。
でも今日はなんだか様子が違うと、ふたりを見た柊平は思った。普段は言葉少ない達樹が明らかにたくさん喋っていて、メグママが聞き役になっている。うんうんと頷く傍らビールを飲む姿が奥からよく見えているが、こちらに背を向けている達樹が何を話しているのか窺い知ることは出来ない。そう、カウンターに並んで座っているのに椅子を回転させ体ごと向かい合って、膝を突き合わせるようにして喋っているのだ。
かつて見たことがないほど深く話し込んでいる、それもあのお喋り好きなメグママが口を開く機会がないほど達樹が喋っているらしいとなれば気になって仕方ない。何故なら達樹はメグママに複雑な家庭環境等のディープな話もするぐらい心を許しているからだ。もしかしたら今、自分とのことを話しているのかもしれないと思ってしまうのは自惚れ過ぎだろうか。
知りたい。話を聞きたい。しかし確かめようにもこちらは店員で、店は最高潮に忙しく、いつものように自らも座って一緒に話す時間も空席もない。
「すいませーん」
お客の声で我に返る。もどかしさでパンパンになった頭から煩悩を放出するように息を吐き、柊平は仕事に意識を戻した。何しろ最繁忙期だ。余計なことを考えている場合ではない。
「はーい!」
笑顔を作ってテーブル席に向かう直前にもう一度だけ、横目でちらとカウンター席を見やる。メグママが達樹の頭を撫でていた。いつものこと、いつものこと。気になるけど。とてもものすごく気になるけれども。
次に柊平がカウンター席に意識を向けた時、既にメグママの姿はなかった。店に呼ばれて四階に戻って行ったのだろう。
達樹はひとりハイボールを飲み串焼きを食べている。店長がカウンター越しに何か話しかけ、頷く達樹に店長が微笑む。その横顔は全くいつもどおりで、それはそれで昨日何事もなかったかのように見えて面白くない。あんなに色んなことがあったのに。たっぷりキスだってしたのに。
「注文いいですかー?」
テーブル席から声が響き、また煩悩に塗れていた自分に気が付いた。
せっかく来てくれたのになかなか達樹と話せない。まるでそれが柊平ひとりの不満であるかの如く、達樹があまりに通常運転でこちらを見向きもしないことが最も不満なのかもしれなかった。
店の中で急に飛びつかれても困るのだけど、でも例えば声を掛けてくれるとか、あるいは手を振ってくれるとか、何かしら注意を向けてくれてもいいのにと思ってしまう。果たしてそれが達樹らしい行動かどうかはこの際置いておく。
「はーい、お待ちください!」
お客の声に応えながら、内心いちいち子どもみたいな感情に見舞われる自分がちょっと不安でもあった。
恋愛を十年も封印したツケが回ってきたのかもしれない。五歳も下の新しい恋人の一挙手一投足が気になって目で追うなんて、構って欲しいと思うなんて三十歳の標準的な行動なのだろうか。
◇◇
「あーりがとうございましたあ!」
かつて聞いたことがないほどの大声で店長が言ったので、柊平は驚いて顔を上げた。厨房で皿をガチャガチャと食洗機に突っ込んでいる時のことだ。厨房とカウンターの中は地続きになっていて、見れば向こうから店長もこちらを見ていた。顎で前方を示したのは達樹が帰ると言うことだと咄嗟に察し柊平は厨房を飛び出す。見れば達樹が四角いリュックを重そうに背負っているところだった。
和也が達樹にレシートを渡すのを見て漸く柊平は気が付いた。どうも達樹と話すチャンスがないと思ったら、和也が一生懸命カウンター席のお客を捌いていたのだ。柊平は声をかけた。
「和也くん、あっちのテーブルに氷持ってってくれる?」
「あっ、はい!」
柊平と入れ違いでフットワーク軽く厨房に入って行く和也の様子は、別にテーブル席の仕事を嫌がっている訳ではなさそうだった。おそらく柊平がテーブル席のお客に対応するのを見て、自分はカウンター担当になればいいと思ったのだろう。テーブル席の方が圧倒的に忙しいのでちょっと仕事量がアンバランスだ。最初にもう少し詳細な役割分担を話し合っておくべきだった。おかげで達樹に声も掛けられないまま帰してしまうところだったじゃないか。危ない危ない。
「タツキくん!」
満を持して、と言わんばかりの気合いが声にこもってしまったが、出入口に向かって一歩踏み出した達樹を呼べば足を止め振り向いてくれた。隣に並んだ柊平を無表情で、ぼやんと見る。あまりにもいつもどおりすぎてまた小さな不満が積み上がった瞬間、酒を飲んでも変わらないその顔がぱあっと赤くなった。
「あっ、ええと、ご、ちそうさまでした」
「ありがとうございましたー。そこまでお見送りしますよ?」
うわかわいい、と思ったが柊平も人のことは言えないぐらい顔が熱い。あんなに話したいと思っていたのに急に巡ってきたチャンスを前に一気に高揚してしまっている。上手く笑えているかどうかよく分からないままひとまず出入口の扉を開け、達樹を送り出し自らも外に出た。カラン、とベルが鳴る。
「あの、忙しいのに押しかけてすみませ、っ」
言いかけた達樹の肩に柊平は手をかける。非常階段に繋がる鉄扉までそのまま一気に押しやった。ゴン、と鈍い音がしたが構うことなく目の前にある唇を喰む。この一時間余りで溜まった鬱憤みたいなものが行き場をなくして達樹の言葉すら飲み込んでいく。アルコールと、少しの塩味。居酒屋「ポチ」の匂い。
どうしよう、彼を好きでたまらない。どうしてしれっと帰ろうとしたのか問い詰めたいほどに。
唇を離すと息を切らせた達樹がしきりに柊平の背中を叩いていた。
「待っ、あの、息が、」
その一言で柊平は我に返り、これほど制御できずがっついている自分に我ながらドン引きした。
「うわあ、これ僕ヤバいよね。なにこれ。ごめん」
いくらなんでも余裕がなさ過ぎる。好きな人に好きと言われたら、次はどうするんだったっけ。
「明日は何時に起きる予定ですか」
俯いた柊平は唐突にそう尋ねられて顔を上げる。そこには息を整え終えたらしい達樹が至極真面目な顔でこちらを見ていた。がっついたことへの文句はなさそうでよかったけれど、何故今その質問なのだろう。不思議に思いつつとりあえず答えてみる。
「……昼には起きてるんじゃないかな」
「では正午に電話してもいいですか?」
「うん。メグママに話してた件?」
「明日テレワークなので昼休みまるまる……え? メグママ? メグ……ママ……」
テキパキと喋っていた達樹が急にしどろもどろになってしまった。口をパクパクさせて何か言おうとするも続かない、そんな動きを何度か繰り返した後諦めたように目を逸らす。どうしたのだろう。
「タツキくん?」
呼び掛けながら柊平は頭の中で今の言葉を整理する。明日はテレワークなので昼休みの時間をまるまる使って電話したいと申し出てくれている……。
さっきメグママと真剣に語り合っている姿を見たせいで重要な話をされるのかもしれないと勝手に思ってしまっていたが、違う。問題はそこじゃなさそうだ。
会社員と居酒屋店員。時間が合いにくいふたりがどうしたら話せるのか達樹が一生懸命考えてくれたのだ。なのに自分ときたらなんと無粋なことを聞いてしまったのだろう。重要な話かどうかなんて心の底からどうでもいい。柊平は大慌てでフォローを開始した。
「電話して! 待ってる。あっ、ちょっと待って、テレワークってことは家で仕事するんだよね? そしたらお昼ご飯持ってお邪魔していいかな? 電話しなくてもいっぱい喋れるし一緒にご飯食べられるよ。食べたら帰るから! 仕事邪魔しないから! って言うか僕も二時までには店に来ないと仕込みが間に合わないし」
「そ、そんなにいっぺんに言わないでください……練習したのに」
「練習?」
「いえ、何でもないです。でも、あの、はい」
達樹のキリリとした切れ長の目が、少しだけ細められる。感情表現が分かりにくい彼の顔は、でもどう見てもすごく優しくて、微笑んでくれているのかもしれないと柊平は解釈した。見たことのない表情のまま、達樹がこくりと頷く。
「部屋にテーブル出しておきます」
最後にもう一度だけそっとキスを交わしてから、達樹は帰って行く。四角いリュックを見送りながら柊平は自らの唇に触れ、びっくりするほど幸せな気分を味わっていた。こんな日々をこれから過ごせることがちょっと信じられない思いだ。好きな人に好きと言われると、優しく微笑んでもらえるようになる。
同時に、年下の恋人相手に全然格好良く振る舞えない自分が少し情けないと思った。
でも三十歳の標準がよく分からなくても、自分の基準は達樹にある。彼が嫌がらなければ今はそれでいいのだろう。なにせまだ始まったばかりなのた。ふたりのペースはこれから作らなくてはならない。暫しトライアンドエラーは続く。
まずは明日の昼ごはんを何にするかが最重要課題だなと考えながら柊平は店内に戻る。店に入る直前に振り返ると、こちらを振り返る達樹と目が合った。手をブンブンと振る柊平を見て、ごく控えめに手を上げる姿が本当にかわいい。明日は部屋を訪れると言ってしまったけれど、果たして理性を保てるのか少し不安になってきた。
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