薔薇色のリップをあなたに

大田康湖

薔薇色のリップをあなたに

 1994年(平成6年)1月15日は土曜日だが「成人の日」で休みだ。25歳の村橋むらはしやちよは親友の関本せきもと定子さだこに誘われ、デパートのコスメ売り場に来ていた。

「なかなか土曜に出かけられないからね。チヨの薬局が祝日休みで良かった」

 ベージュのワンピースの上からアイボリーのコートを羽織った定子が言う。

「ダッコこそ、お店の方は大丈夫なの」

 白のニットに紺色のパンツ、黒のショートコート姿のやちよが尋ねる。定子の実家であり、勤め先でもある喫茶店『リッチ』のことを気にしているようだ。

「パパとママとまもるさんがいるから大丈夫。それより、今日は私のわがまま聞いてくれてありがとう」

「こちらこそ先輩の新婚さんとして、結婚式の相談に色々乗ってもらって本当助かったよ」

 やちよは定子に礼を言う。定子はリップ売り場で立ち止まると、試し塗り用のリップを数本取り出した。

「もうすぐチヨとちからくんの結婚式だから、披露宴用に新しいリップを買おうかなって」

 定子は左手の甲にリップを引き、やちよに見せる。

「コーラルピンクにイエローピーチ、ペールピンクか。どれもお似合いだけど、披露宴用の服の色とも合わせた方がいいね」

 やちよは定子に話しかけながら、二人が初めて一緒にリップを買った日を思い出していた。


 1987年春。やちよが東京の医大に合格したため、陽光原ようこうばらで調理師学校に通うことを決めた定子とは離ればなれになることが決まっていた。デパートのコスメ売り場に来た二人がサンプルを眺めていると、ビューティーアドバイザーが声をかけてきた。

「コスメデビューですか。折角ですからお似合いの色が分かる無料パーソナルカラー診断をしてみませんか」

 瞳や肌の色のチェック、様々な色の布を体に当てた後、定子はイエローベースのスプリングタイプ、やちよはブルーベースのウインタータイプと診断された。

「私はローズのリップが欲しかったのに、スプリングタイプにはおすすめしないって書いてあるの」

 渡されたチラシとサンプル化粧品を見ながら、定子は肩を落としている。

「私は派手な色は苦手だと思ってたけど、ウインタータイプにはビビットなローズ系がおすすめって書いてある」

 チラシに目を落とすやちよの眼前に、すっと一本のリップが差し出された。

「私が気になってたローズレッドのリップ。プレゼントしてもいいかな」

 戸惑うやちよに、定子は目を上げると話しかけてきた。

「チヨは東京に行ったらしばらく会えないけど、これを私の代わりに持ってて欲しいなって」

「そっか」

 やちよはリップを握りしめると、そっと蓋を開けた。深紅の薔薇ばらを固めた色の口紅がのぞいている。やちよの胸に、言いようのない寂しさがこみ上げてきた。

「ありがとう。それじゃ私も、ダッコにつけてほしいリップをプレゼントするよ」

 やちよは「スプリングタイプにおすすめ」と書かれた化粧品の棚から、アプリコット色のリップを取り出した。


「ありがとうございました」

 店員に見送られ、二人はコスメ売り場を後にした。

「結局、ラメが入ったパールピンクにしたんだ」

 やちよは定子に話しかけながらバッグに紙袋をしまう。

「折角のお祝いだし、派手でもいいかなって。チヨこそローズブラウンでいいの?」

 定子の問いに、やちよは笑顔で答えた。

「これはお仕事用だから。結婚式は式場のメイクさんに任せるよ。それじゃ、『リッチ』に行ってランチにしようか」

 二人はデパートを出ると新流川しんながれがわ駅に向かって歩き出した。


終わり

 

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