幸せの味

幸まる

誰かの為に

「ねえ菜生なお、今度あれ作ってよ」


菜生の部屋に泊まりに来ていた和喜かずきが、朝の情報番組を見て言った。

テレビ画面に映っているのは、ティラミスというイタリアンデザートだ。


「えー、そんなの作ったことないけど……」

「菜生は料理上手じゃん。俺、菜生が作ったの食べたい」


「ね、お願い」と愛嬌のある笑顔で両手を合わされると、無理とは言えない。


まあ、無料の料理サイトをみれば、大体のレシピは手に入る時代だ。

なんとかなるでしょと思って、一応了承しておいたのは先週のことだった。




金曜日。

仕事終わりに、菜生は近所のスーパーで買い物をする。


和喜は出張で県外に行っているが、高速バスで今日中に帰って来て、部屋に来ると言っていた。

毎週どちらかの家に泊まりに行っているとはいえ、絶対の約束事ではないのだから、出張の時くらい無理しなくても良いのに。

そう思いつつ、実は今日が付き合い初めて一年目の記念日だと覚えていて、なんとか今日中に会おうと思っているのではないかと想像し、頬が緩んだ。



「なにこれ、高っ!」


乳製品の売り場で思わず声を出し、菜生は慌てて口を押さえた。


ティラミスのレシピを見て、必要な材料はメモしてきた。

必須材料の内、マスカルポーネチーズと生クリームを探してここに来たが、その値段に目を丸くする。


最近の物価高はここまで来たか!

マスカルポーネチーズなんか、100gしか入ってないのにこの値段!?


いっそ何かの材料で代用してやろうか、そう考えたが、代用するにも菜生にそんな知識はない。

そもそも、料理上手な人がお菓子作りも上手だという保証はないのに、和喜はよくも簡単におねだりしたものだ。

事実、菜生はお菓子作りは好きではない。

昨今はコンビニだって美味しいスイーツを売っているのに、面倒くさい工程を経てそこそこのものを作るのに、なんの意味があるだろう。


頭の中でそんなことをブツブツと考えながらも、カゴの中にはしっかり高価な材料を突っ込んだ。

別に今日作ると約束したわけでもないが、今日は記念日なのだし、なんだかんだで、菜生は和喜の喜ぶ顔が見たいのだった。




スーパーの外に出れば、夕方の空は曇り空だった。

風も強く、暗い雲がどんどん流れて来ている。

そういえば、今季最強寒波がやって来るって言ってたっけ。


寒風に震えながら急ぎ足でマンションに帰った菜生は、身支度を整えて早速ティラミスを作ることにした。

冷蔵庫に入れておいてから、夕食のシチューを作ろう。

寒い中、菜生に会う為に帰って来る和喜に、遅い夕食は温かいものを用意してあげたい。


少し浮ついた気分でマスカルポーネチーズの蓋を開け、内蓋のフィルムを捲った時、スマホの着信音が鳴った。


それは和喜からの連絡で、雪で高速道路が通行止めとなり、バスが出なくなったのだという。

他の交通手段で帰ろうと試みたが、同じような人が多すぎて、身動き出来ないらしい。

菜生は窓から外を見た。

こちらは相変わらずの曇り空で、雪は降っていなかったが、出張先では大雪なのだろう。


天候が原因なら仕方がない。

いつまでも外にいたら風邪を引いてしまう。

今夜はそちらに泊まって、明日別の手段で帰って来たら良い。

そう話して、電話を切った。



「なによ、もう。期待させて……」


電話では冷静に話していたのに、切った途端にムカムカした。

勝手に期待したのだから責める権利もないが、感情は別物だ。


菜生は蓋を開けたマスカルポーネチーズを見下ろした。

ラップをして冷蔵庫に仕舞おうかと思った時、蓋の裏に書かれたオススメレシピが目に入った。


『りんごと胡桃くるみのハニーマスカルポーネクリーム添え』


何、そのお洒落な感じ。


菜生はゴクリと唾を飲んで、よしっ!と冷蔵庫の野菜室からりんごを取り出した。

代わりとばかりに、シチューを作る為に買って来たブロッコリーとカリフラワーを放り込む。


胡桃は確か、おつまみ用に買っていたものがまだあるから、トースターに入れてローストしようか。

香ばしさがアップして美味しいはず。

りんごは皮付きのまま薄くスライスして、皿にずらして並べる。

その上に、マスカルポーネチーズと蜂蜜を混ぜたものを乗せ、ローストした胡桃を砕いて散らして完成。


美味おいし!」


味見をして、これはビスケットと一緒でも良さそうだと思い、ティラミスに使うはずだったビスケットの袋を開ける。

ついでにグラスにワインを注ぎ、ソファに深く腰を下ろして、ふぅと息を吐くと、菜生はお一人様の寛ぎモードに入った。




テレビをつけて、しばらくゆっくりしていた菜生は、空になった皿を見つめた。

結構お腹は満たされたが、夕飯は食べていなかったことに気付いた。

台所を見れば、どうせ一人だしと、さっきの片付けもしていない。

そんな乱れた様を見れば、今から料理をする気にもなれなかった。


いや、そもそも、自分の為だけに料理をするのは億劫だ。

誰かの為に……、和喜と一緒に食べる為だから、夕食を作るつもりだったのだ。



菜生はふと、父を思い出した。



菜生が小学生の時に母が亡くなり、男手一つで兄と菜生を育ててくれた父。

どんなに疲れていても、欠かさず夕食だけは作って三人で食べてくれた。

冷凍食品やレトルトだってあるのに、必ず、何かを手作りするのだ。


一度、菜生は言ったことがある。

『疲れてるなら、無理して作らなくても良いよ』と。

すると父は笑って言った。


『お前達が美味しいと笑ってくれるから、作りたくなるんだよ』


実際は、父はあまり料理が得意ではなく、それ程美味しい料理は食卓に並ばなかった。

それでも、その気持ちが嬉しくて、夕食の場に笑顔は絶えなかったように思う。

中学生になってからは、菜生が少しずつ料理をするようになって、いつの間にか夕食を作る係を父と交代したが、誕生日やクリスマスには、やっぱり父が張り切って腕を振るったものだった。


「……父さん、元気にしてるかな」


菜生はポツリと呟いた。


今は実家とそう遠くない所に兄夫婦が住んでいて、料理上手な義姉が、時々父を夕食に誘ってくれるらしい。

もしかしたら、その内同居も有りかもしれない。

かわいい孫もいて仲も良いようで、菜生がしょっちゅう会いに行ける距離にいなくても安心なのは有り難い。



菜生はスマホを手に取った。

メールしようとして、思い直して連絡帳から通話ボタンを押した。


「もしもし、父さん? うん、元気だよ……」




しばらく他愛もない話をして、菜生は電話を切った。

三分くらいなものだと思ったが、時計を見たら十分も喋っていて驚いた。

わざわざ電話をして話すようなことでもなかったのだが、昔のことを思い出したから電話したのだと言ったら、父は殊の外喜んで言った。


『今度また、帰っておいで。菜生の好きなシチューを作るから』


父のシチューは、いつもじゃが芋じゃなく、ブロッコリーとカリフラワーが入っていた。

今日、菜生が和喜に作ってあげようとしたシチュー、そのままだ。


そうか。

私のシチューは、父のシチューを継いでたんだな。


そう思った時、スマホにメッセージか届いた。

開けば、それは和喜からで、菜生は画面を見て微笑む。



  記念日に会えなくてゴメン。

  明日はきっと会いに行くから。

  二年目もよろしく。



菜生は立ち上がり、空の皿とグラスを持って、台所を片付けに向かう。


明日、スーパーが開いたら、マスカルポーネチーズを買いに行こう。

そして、料理をして和喜を待とう。

父に教えてもらったシチューと、和喜が食べたいと言ったティラミスを用意して。



大切な人の笑顔を想って作る料理は、きっと、幸せの味がするから。




《 終 》

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