洗脳術【悪用厳禁】

加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】

⚠️洗脳を開始します。防御態勢をおとりください⚠️

 突然だが……


 私は、他人に対して、自分は正しいと思い込ませたり、言いくるめたりするすべに、長けている。


 しかし、その術を、私腹を肥やすためであったり、他人に不利益を与えるために使おうと思ったことはないし、したことはないつもりである。


 と同時に、洗脳術を使って、人を不幸に陥れようとするやからが、残念ながらこの世には蔓延はびこっているのもまた、事実である。


 だからこそ……


 私は、私の得意とする洗脳術を、皆様に、授けたいのである。


 ちなみに、それを使えというのではない。


 あくまで、敵(誰やねん)の出方を知り、「防衛術」の一環として、戦う(誰とやねん)知恵を授ける、という意味である。



 ***



 意見、考え、論というのは、脆弱である。


 そこでまず、自分の意見が否定されない方法、について論じる。


 そうするにあたって、次の前提を押さえていただきたい。



 ──人は、自分がする場合においては「否定」を好む生き物である。



 なので、自分が他人に吹き込みたいことがある時に、最も効果的なのは……


 自分の論の対立意見(自分の意見を否定する意見)を、先に否定してしまうことである。


 すると、相手が自分の論に反論を持っている場合の、説得力というのは、面白いことに、下がる。


 話の煮詰まっていない、議論の最初期において、同じ意見を繰り返すことは、「稚拙」な印象や「繰り返しているだけで話が進んでいない」印象を与える。


 あくまで"印象"を与えるだけなので、実際には、言葉の反復は、効果的になる場面も多々ある。


 だが、効果的にするには、高い換言能力を用いたり、反復するタイミングが肝心である。


 議論の序盤で、これを強いられるのは、なかなかに苦しいことであると考える。


 そうして、自らが持ち出した、自身の論に対する否定的考えを、自ら否定することにより、本来自分が主張したかった論を、マイナス×マイナス=プラスの要領で、肯定にしてしまえば、切り返しの文言という名の"手札"を消費することなく、自分の論理を強固にすることが可能である。


 遊戯王で言うところの「1-2交換」的なものに近いと思う(急なカードゲーム)。


 換言して繰り返す。


 自分の言うことを、相手に納得させたい時というのは、新たな論で追加攻撃することで補強していくというよりも、自分の言うことに対する攻撃になりうる論というのを潰してしまう、つまりは攻撃的防御を行うことが得策である。



 ***



 また、人は、他人を否定したい生き物である。


 しかもおかしなことに、人は他人を否定したいが、自分が他人から否定されると、極めて不快に思う生き物である。


 なので、自分が肯定したいことがあったら、一旦それに類似する、がしかしレッテルとしては全く別の何かを、相手に肯定させてしまえばよいのである。


 その類似する何かというのは、相手のこよなく愛するものであったり、性格や境遇上肯定的に捉えているであろうものを採用するのが良い。


 ということは、相手に何かを吹き込もうとするよりも前に、相手に関する事前のリサーチをしておくのが、好ましい。


 洗脳は、洗脳する前から始まっているのである。


 そして相手に、囮の類似品デコイを肯定させた後で、それに似た、自分が肯定したいものについて肯定すると、「自分が肯定したいもの」と「相手に肯定させたもの」という二者の類似性から、相手はこちらの肯定したい論を否定できなくなる。


 この構造を利用して、相手をがんじがらめにして、自分の論を納得させるのである。


 個人的に、これは最も悪質で強力な洗脳手段の一要素であると考える。


 人は、自分の大好きなものを、自ら否定できるほど、自らに対して厳しく冷徹で強かになれる生き物ではない。



 ***



 次は、洗脳の際に使う語彙の難易度についてである。


 洗脳において、対象者の知らないことを自分の言葉の中に盛り込むのは、当然効果的である。 


 対象者の知らないことというのは、例えば、専門用語や、日常会話で使わないような珍しいワードなどのことを指す。


 それらを聞いた時、洗脳の対象者は、多かれ少なかれ、話の本題には関係のない領域において、劣等感を感じる。


 もちろん、知らないことを押し付けて相手に劣等感を感じさせるには、自分の語彙力が特定の分野で部分的にでも、相手よりも上回っていることが必要である。


 これにはもちろん、相手の苦手そうな分野を把握しておくという、事前のリサーチが効果的である。


 リサーチしきれなくても、相手の知っていなさそうな言葉を、所持品や格好や口調などから見抜く努力をすれば、ある程度は、相手の知らない領域を突くことができる。


 そのような能力を、誰しも多かれ少なかれ、持っているように、私は思う。


 勘、というやつである。


 なければ、それは生きる中で養われていくはずだ。 


 そして、肝心の、用意した難しい語彙の利用方法について。


 それは、相手にその意味を知らせずに、ただマウント取りのためだけに使われるべきではない。


 難しい語彙は、その易化、その意味の解説を伴って、相手に伝えられるべきである。


 が、それは親切心によるものではない。


 理由はこうだ。



 ──人は学ぶと、学ばせてくれた相手のことを、自分よりも上に見てしまう。



 学ばせると言っても、それには、順序というものが重要である。


 流れは、こうだ。


 まず、突発的に、用語・難しい語彙を浴びせる。

 それから、それを易しく言い換える。


 この順番は、逆、つまり「易→難」ではいけない。


 なぜか。


 人は未知のものと対峙すると、その脳をひどく混乱させる。


 場合によっては、脳の回路は焼け焦げショートして(比喩である)、思考停止する。


 そんなところに、簡単な言葉での言い換えという、救済の手を差し伸べる。


 すると、相手は知らず知らずのうちに、感謝する。


 と同時に、わからなかったことが、わかるようになる。


 この時、「脳が開ける」という感覚が生じる。


 この脳の開きという感覚を、自分が相手に刷り込みたい論の展開の中に紛れ込ませると、相手は、こちらの論に対して自身が肯定的な姿勢を持ち始めていると、錯覚する。


 それはちょうど、鶏の卵を割った後で、殻ではなく中身の黄身と白身をゴミ箱へと捨ててしまう感覚と似ている。


 そのような錯覚を引き起こすと、いっそう、相手に自分の論を信じてもらいやすい。


 完全にこちらの論を理解する、取り込む、とまではいかなかくとも、理解しようという姿勢、モチベーションの維持をする程度には、効果があるだろう。


 同じ「易」と「難」を突きつけられるとしても、「易→難」より「難→易」の方が効果的なのは、始まりよりも終わりの状態において理解を得られた方が感覚的に心地が良い、一定の納得をする、からである。


 「終わりよければすべてよし」というのに近いかもしれない。


 繰り返しになるが、「簡単→難しい」では脳が開けない。


 気持ち良くない。


 「終わりよければすべてよし」の原則に当てはまらない。



 ***



 アメムチは、便利な洗脳ツールである。


 最も、私の場合は、アメは本物の美味しいもの、それも粗悪な上白糖やグラニュー糖のような精製砂糖ではなく、ミネラル分の豊富な粗糖などの良質な材料からできたものを使うのだが、一方でムチの方は、一切殺傷能力を持たない、玩具オモチャの鞭を使う。


 それはなぜか。


 本物の鞭は、当然、相手を傷つけうる。


 人は他者によって傷つけられた時、その加害者を、当然敵とみなす。


 だが、洗脳においては、自分が相手に敵と見なされることは、最もいけないことである。


 洗脳するには、相手に、自分のことを、味方であると認識してもらう必要がある。


 信じてもらう必要がある。


 だから、本物の鞭、本物の殺傷能力を持った武器を使ってはならない。


 だが、とある工夫スパイスを加える、この手間を惜しんではならない。


 スパイスというのは……



 ──この鞭がもし本物だったらどうだろうか、と、対象者にさせること、である。



 するとどうなるか。


 相手は、偽物の鞭を使い、本物の殺傷武器を使わないでやっている自分のことを、優しい人間であると、錯覚するのである。


 つまり、自分の持つ「0」を、敢えて「−1」を持ち出すことによって、「+1」に見せるという、詐欺を働くわけである。


 ときに人間の想像力というのは、自分で自分を洗脳する、諸刃の剣となりかねない。



 ***



 駄洒落ダジャレは、こちらが対象者に物量戦を仕掛ける決心さえあれば、最も簡単で、隠密的な洗脳ツールとなる。


 例えば、今、私は、この文章にありがたくもお目通しくださっている読者の皆様に対して、「私は洗脳術が得意だからこそ手の内を明かすのです」と、本当はそうではないのに、そうであると洗脳せんと試みている、とする。


 そう考えた時に、次のような駄洒落を、夥しい数、無尽蔵とも思える量を、忍び込ませるのである。



・私は、洗脳術が、得意だから、こそ、手の内を、明かすのです。

・渡すわ、千本のジュース、特売だったから。もう、手持ちは、スカスカです。



 非常に無理やりである。


 だが、韻を踏んではいるし、なんとなく、意味は通る。


 この、「なんとなく」という塩梅が、重要である。


 わかるような、わからないような、微妙なラインというのは、「もっとわかりたい」という人間の本能的好奇心を、ひっそりと、刺激する。


 そして、駄洒落が腑に落ちた時、それが意識的でも無意識的でも、一定の度合いで、その駄洒落自体とは全く別問題の、こちらが洗脳したい内容というのも、腑に落ちるのである。


 駄洒落は、なんでもいい。


 なんとなく、それっぽければ、それでいいのである。


 もっと言えば、親和性がありさえすれば、駄洒落になっていなくてもいい。


 これは、手数が足りないと、対象者には響かないが、水面下で、相当量を浴びせられると、グラスに水を注げば中身がいずれ溢れ落ちるように、効いてくる。


 駄洒落が、耳心地が良くて、癖になるのである。



 ***



 恋は、洗脳である。


 この物言いには、異論を持つ方々が、多いかもしれない。


 が私がそう考える理由はこうだ。


 恋というのは、言葉という知的ツールを得た人類が、異性に好意的言動を寄せること、手を繋ぐこと、抱きしめ合うこと、キスをすること、性行為をすること、生殖活動をすること、生物の基本的目的である繁殖をすることの口実として、後付けした概念に過ぎないからである。


 繁殖をプログラムされた人類が、自らで自らを繁殖の方向へと掻き立てるために、相応の年になれば恋をするのが普通であると自らに信じ込ませ、そのようにする、それすなわち、自己洗脳しているのである。


 言い換えれば、恋は、繁殖という生物としての目的を果たすまでは、娯楽であるとも言えるだろう。


 だが面白いことに、恋は……



 ──愛。



 これに、進化する可能性を秘めている。


 愛に変わる恋。


 それはちょうど、磨けばきらりつやめく、泥団子のようである。


 注意すべきは、このようにわけのわからないことを急にぶっ込んで、読み手を混乱させるのも、洗脳のいち過程である、ということである。

 


 ***



 ナルシシズムや、自己暗示も、洗脳の一種である。


 洗脳の対象が、己なのか他なのかの違いがあるだけである。


 この類の洗脳の、最たる例は、あれだろう。



 ──厨二病。



 厨二病は、言い換えるならば、擬似的天才病、である。


 自分はすごい、特別だ、かっこいい、強い、選ばれし者だ、そう演じることによって、理想の自分が明確化され、そこに突き進んでいく。


 そうすることが使命である、天啓を得たとさえ、錯覚する。


 これは、ちょっと痛いヤツ、レベルだと単なる社会不適合者のように見えてしまうのだが、突き詰めると、ある境界線を越えると、「天才」に進化する。


 精神的ドーピングと言ってもいいかもしれない、この、厨二病というのは、やらないと損である。


 多くの者にとっては、厨二病になることは、恥ずかしいと感じるだろう。


 だが、才能は、恥じらいによって、抑圧、隠匿されている。


 性行為の際、恥ずかしがって無口マグロになるのではなく、羞恥心を解放して、全力で喘いだ方が、全力で感じ、暴れた方が気持ちがいいのを考えれば、恥じらいがあらゆるもののブレーキになってしまっていることに、気づくことができるだろう。


 成功者ほど、できる人間ほど、とんでもない性的な不祥事を起こしたりするが、あれは、気持ちよくなる方法、つまりは恥じらいという制御装置を外して己を解放、才能を開花させる術を、知っているからこそ、それが行き過ぎて、羽目を外してしまう、という仕組みである、と私は理解している。


 己を洗脳、解放して、真の力を得ないのは、損である。



 ***



 最後に、もっとわかりやすい洗脳の方法を。


 何かしらの圧倒的な実力を誇示し、強制的に相手を黙らせる。


 これははっきり言って、ゴリ押しの手法であるし、途方もない努力が必要であるから、小手先の洗脳「術」というよりも、長い道のりを経て得た強者の気迫オーラ、すなわち絶対的影響力のようなもの、と表現するべきかもしれない。


 だが、御託を並べるよりも、実力でわからせた方が、洗脳が手っ取り早いのは事実である。


 圧倒的強者の前では、手を触れずして、直接言葉をかけずして、誰もが怯み、狼狽うろたえ、ひざまずく。


 これは、れっきとした、洗脳の一種である。


 最も、実力を偽る、というのも一つの手法ではあるが、ボロが出た時は、おしまいだ。


 だから、私はその手法は、用いない。



 ***



 こうして手の内を明かすのには、二つの意図、ねらいがある。


 自分はあなたをおとしいれようなどとは考えていない、と伝えられる。


 つまり私は、あなたの味方であると信じてもらえる。


 悪質で知能の高い人間は、私の示したような洗脳手法を用いて、巧妙に騙してくるので、防衛術として、奴らの罠を掻い潜る術が必要となる。


 それをあなたたちは享受できる。


 つまりこの場は、〈ウィン─ウィン〉なのである。



↓『洗脳術2』を投稿しました(2025.01.17)

https://kakuyomu.jp/works/16818093092332952829

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