サボテン

栗山カレン

サボテン

僕は最後の業務日誌をFAXし、かたい椅子に深く座り天を仰いだ。

長い戦いだった、そう思った。2009年から2015年まで、僕はこの場所で苦しみながらも生きてきた。

7人いた同僚はみんな去り、僕ひとりだけが残された。牢獄に閉ざされたような日々の中でもがき、もだえ、人も世も信じられなくなりながらも、懸命に生きた。

しかしそれも終わりだ。

朝、出社し、枯れないサボテンに水をやる。これは僕が初めてここへ来た時からあった。面接のとき、向かいに座った院長氏の後ろに、このサボテンが見え、僕はそこを見ながら、受け答えをした。

社員になってから、サボテンは僕のパソコンのななめ前の机に置かれた。そこにはメガネをかけた背の高い同僚の女性Dさんが座っていて、仲のよい僕らは、サボテン越しに他愛ない会話を交わしたものだった。


2011年になると、同僚の人数は3人に減っていた。

「Kくん、私もやめるの。いろいろありがとう。楽しかったよ」

Dさんも、ある日唐突に実家に帰ると言って、退職願を出した。

「あ、サボテンに水はやらないでね。数か月に1回ぐらいでいいよ」

そう言い残して彼女は去っていった。僕は彼女のいいつけを守り、水をやらずに置いておいた。時々くもの巣がトゲとトゲの間を縫うように張られているのを見つけ、ふき取る。

人が少なくなり、空いた机の上にほこりがたまるようになった。段々と要らない荷物が増えていって、小さな段ボールやら、紙の束などが、だれもいない机に置かれた。残った同僚たちは、みんな少しずつ心ここにあらずという感じになり、転職の話もおおっぴらに言うようになった。互いのパソコンにはみんな同じ求人サイトのブック

マークが登録されていた。


震災のあと、実家が東北の同僚がひとりやめた。ここぞとばかりのタイミングだったと思う。誰にも文句を言われず、同情の中、惜しまれて去っていった。

「ついに2人ですね」

「そうだな」

僕とOさんはとりたてて仲がいいわけではなかった。年齢も離れてたし、Oさんは生粋の大阪人で、関東からきた僕をうとましく思っていたようだった。口にこそださなかったが、強い対抗意識を僕に持っていた。

「事務所、片付けましょうか」

「そうだな」

僕とOさんの間には事務的な会話しかない。くだらない世間話もしたかったが、一体何を話せばいいというのだろう?

「うわっ、こいつの机の中、まだお菓子が入ってるぞ」

机を整理していると、同僚の置いていった品々が顔を出す。お菓子好きだったFさんの机からは、大量の飴が出てきた。

「食べるか?」

「いえ、結構です」

無造作にゴミ箱に捨てられていく。おおかた片付いた時、Oさんがサボテンに手を伸ばした。

「これはどうする?」

僕は、捨ててもいいと思ったから、自ら手を伸ばしてごみ袋に入れた。

「じゃ、捨ててきます」

僕は外にあるごみ置き場まで、ごみを持って行った。玄関で靴にはきかえ、外に出る。

とその時、足をすべらせ、ごみ袋を地面にぶちまけてしまった。幸い生ものは何も入ってなかったから、片付けは簡単だったが、紙が風にあおられて飛んでいってしまい、全部回収するのに時間がかかった。全部のごみを拾い集め、ごみ置き場にごみを投げ込む。ひと仕事終え、事務所に帰ろうと思ったとき、サボテンが転がっているのが目に入った。

プラスチックの植木鉢は横倒しになり、風に揺られコロコロと、振り子のように地面を行ったり来たりしている。

僕はサボテンを手に取り、事務所に持って帰った。

「これだけ残しとこうと思うんですが、いいですか」

「別にいいよ。君の好きなようにしたら」

サボテンは、今度は僕の机の前に置かれた。本当のことを言うと、僕は正直サボテンがあまり好きではなかった。第一に形状がグロテスクだ。トゲが生えているのもかわいくない。しかも表情が見えず、影人間みたいで不気味だと思う。じゃあどうしてサボテンを机の上に置いたのかと言われれば、理由も特にない。ごみ箱から脱出できた幸運なサボテンに、不思議なパワーを感じた、わけでもない。

2人になってから、会話はほとんどなくなった。船長と操縦士が違う方向を向いている船は、遅かれ早かれ沈む運命だ。対立が決定的になった時、僕はOさんに冷たい言葉を何度も投げた。(今思うと、上の立場も知らずよくあんなことを言ったなと思うんだけど、そのときは仕方なかった。と自己弁護してみる)Oさんは、

「そうだ。おれが悪かった。君には辛い思いをさせた」

と言って、僕の前から姿を消した。僕は、Oさんが反論してくれるものと信じていたのだ。反論して、理解し合って組織として強くなる。それを期待して言ったのに、Oさんは僕と争うことを避け、静かに去っていった。

そしてついに僕はひとりになってしまった!2012年の夏ごろのことだ。


ゆりかごにひとり残され、出かけた母を待つ子のように、ただ「ばぶばぶ」言う日々が始まった。話し相手もなく、手足も自由にならず、ゆりかごと言う名の監獄につながれる日々。誰かの帰りをひたすら待ち、そして誰かの到来

をひたすら恐れた日々。「ばぶばぶ」。

「サボテンちゃん、お水あげましょうね」

僕はひとりになった日から、サボテンにたっぷりと水をあげるようになった。僕の目の前に居座って、いつも涼しい顔でいるサボテンが憎らしくなったのだ。さっさと枯れてしまえ。枯れたら捨ててやる。

「早く枯れな」

来る日も来る日も水をあげ続けた。しかし一向にサボテンは枯れない。

「強情な奴だな。もう枯れてもいいんだぞ」

水を吸い込んだ土は、黒く濡れている。サボテンはぴんぴんしていたが、土はがぶがぶ水を飲まされ、少し苦しそうだった。サボテンに水をやっていると、侘しい気持ちになる。

「なあサボテン、僕はさびしいよ。折角外国まで行って仕事もできるようなって、これからやるぞって気持ちでここに来たのに、いつの間にかひとりぼっちだよ。僕なんか悪いことしたのかなあ。ずいぶんとひどいと思わないかい」

僕がそうサボテンに話しかけると、なんとサボテンの体から、1滴水がこぼれ落ちた。サボテンの表面は乾いていて、水気などないのに、僕の言葉に反応したのか、ぽとりと滴が土に落ちた。

「泣くなよ、サボテン。泣きたいのは僕のほうさ。君もひとりぼっちでさびしいのかい」

すると、また1滴、トゲとトゲの間を伝って、水が流れた。水のやりすぎで、いよいよ体にためこんだ水を外に放出しなければならなかったのか、はたまた僕の言葉に反応して涙を流したのか、それはわからない。しかし僕には、サボテンが泣いているように見えたのだ。

それから僕は度々サボテンに話しかけるようになった。枯らすのはもったいないから、水はほとんどあげないようにした。

サボテンに話しかけることで、僕の乾いた心に、幾ばくかの潤いが生まれた。枯れた花に心を潤されるなんて、皮肉もいいところだなと、僕はひとり事務所で誰にも聞かれないように笑った。



今、時計は午後5時を回った。もうここを出ていかなくては。荷物はもう車に積んでしまった。あとはパソコンの電源を落とし、玄関の鍵をかけて会社を出るだけだ。サボテンは持っていかないことにする。

「バイバイ」

僕は最後にサボテンのトゲをゆっくりと撫でた。そして僕は事務所の電気を消す。

夕日の届かない部屋の中で、サボテンの影が小さく僕に向かって延びていた。

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サボテン 栗山カレン @Karintou0930

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