美しき青きうるおい号
増田朋美
美しき青きうるおい号
寒い日であった。もう正月も終わり、どこかではどんどん焼きとか、15日粥と言った、新しい行事への準備が始まっている。杉ちゃんたちはいつもと変わらず、製鉄所で、着物を縫う作業をしたり、水穂さんの世話をしたりしているのであった。新年を迎えるに当たり、多くの利用者は自宅へ帰るので、製鉄所を利用する人は減少するのであるが、今年はなぜか、新年早々、利用したいという人がやってきた。
「えーと、佐藤瞳さんですね。年齢38歳。ご家族はお父様とお母様と3人暮らし。お父様は製紙会社を経営。そしてお母様は。」
ジョチさんは、言葉にここで詰まってしまった。
「えーと、佐藤みゆきさんと言うことは、もしかしたらよくテレビに出ていらっしゃる、」
「そうです。その佐藤みゆきです。」
と、女性の隣に座っていたお母さんが言った。
「わかりました。それではこれからは、お母さんではなく佐藤瞳さんにお話を伺います。佐藤瞳さん、あなたは現在38歳ですが、学校生活に疲れてしまって、引きこもるようになったそうですね。それで自宅内ではどんな生活をしていらしたのですか?」
ジョチさんはそう女性に聞いてみたのであるが、
「はい今までは、自宅で過ごしておりましたが、少し外へ出るきっかけを作ってほしいと思って連れてきました。」
代わりにみゆきさんが答えるのであった。
「そうではなくて、瞳さんに話を伺いたいのです。」
ジョチさんが言うと、
「この子は答えられませんから、代わりに話は私がします。」
と、みゆきさんは言うのである。
「そうですが、僕は、瞳さんから話を聞きたいと言っているのです。」
ジョチさんは、もう一回言うと、
「ですから、この子はそんなことはできないので、代わりに私がします。」
と、みゆきさんは言うのであった。いくら言っても平行線だ。ジョチさんとしてみれば、瞳さんの方から話を聞きたいと思うのに、母親のみゆきさんのほうが何でも答えてしまう。これでは本人からの話は得られなかった。
「もうさあ、そういうことなら母ちゃんには帰ってもらえや。そしてこれからのことはそれから話そうぜ。」
不意にどこからか、車椅子の杉ちゃんが出てきて、ジョチさんにそういった。
「お母さん、いや、佐藤みゆきさん、今日のところは帰ってください。」
ジョチさんはきっぱりと言うと、佐藤みゆきさんは、
「でもこの子が帰る手段も用意させなければなりませんよね。」
というのであった。
「そういうことなら、僕らが用意いたします。とりあえず、今日のところは帰ってください!」
ジョチさんはきっぱりと言った。
「わかりました。なにかありましたら、すぐ教えてくださいね。」
そう言ってやっと、佐藤みゆきさんは席を立ってくれたのであった。杉ちゃんがでかい声で、
「当分来なくていいぜ!」
と言っても、また来ますと言い張り、いかにも娘のことを心配している母親という感じの顔をして、製鉄所を出ていった。
「変な女性だな。まあ、佐藤みゆきさんといえば、派手な男性遍歴で知られる女郎のような女優であることは、よく知られているが。」
「ええ、確か、昨年の12月に結婚したそうですが、今回の結婚もこれで五回目。相手は一応製紙会社をやっている男性だそうですが、これも何時まで持つのかわからないと、報道で知りました。みな、短期間のうちに離婚したり死別したりしています。」
「はあ、五回も男を捨てたのか。恐ろしい女だな。それで娘さんである、佐藤瞳さんが生まれたのは?」
「本人の前で言うのもなんですが、二番目の夫である、山崎明さんとのお子さんだと報道されていました。」
ジョチさんがそう言うと、
「実はそうなんです。父は離婚するとき私を引き取るつもりだったようですが、母がどうしてもそれを許さなくて、結局一人で家を出ていきました。その後母と別れて3年後になくなったと聞いています。母はその後二度結婚して、いずれも別れてはいるんですけど、どの人も、みんな母と別れたあとに、自殺したり、鬱になったりしていると聞いています。」
と、佐藤瞳さんが言った。
「はああ。結婚と離婚を繰り返した上に、男は自殺かあ。本当に怖い女だな。それでは瞳さんも落ち着かないでしょう。」
杉ちゃんが言うと、瞳さんはハイと言った。
「早く自立してしまえと言いたいところですが、そういうわけにもいかないということもあるでしょうね。特にあのようなお母さんだと、出ていきたいと言っても難しいのでは?」
ジョチさんも杉ちゃんの話にあわせた。
「それよりももうちょっと安定した生活ができるといいのにね。男を五回も変えるお母さんでは、大変でしょうからね。」
杉ちゃんがそう言うと、
「生活するのも不自由というか、肩身が狭いですよね。再婚を繰り返してすぐに別れてしまうようでは、それぞれの男性だって、それぞれの性格があるでしょうから。それよりも、母子関係が長く続くほうが、あなたも情緒が安定するのではないかと思いますよ。」
ジョチさんがそう話を続けた。
「まあとりあえずだな。そんな恐ろしい女から、早く逃れてだな。少しでも気持ちが安定するような場所を見つけることが大事だよ。簡単ではないと思うけど、頑張れよ。」
杉ちゃんが座っている彼女の肩を叩いた。それで佐藤瞳さんは、製鉄所を利用させてもらうことになった。
佐藤瞳さんは、その日から製鉄所へ通所することになったが、他の利用者のように、通信制高校に通うとか、仕事に行っているわけではないので、時間を持て余してしまい、そうなるとどうしても自分のことばかり口にするのであった。自分は学生時代、友達がなくて、ずっと一人ぼっちであったとか、担任の教師がひどい人であったとか、そんなことを暇さえあれば口にしていた。
流石に、こういう事情がある人に慣れているはずの杉ちゃんや、ジョチさんも、そんなに自分のことを話して何を得するんだと聞いてしまいたくなるほど、彼女は自分の事を話した。ジョチさんは、そういうことなら人のためになにかしてみろと提案してみたが、彼女は自分のことばかり言うだけで、人の事をかまっている余裕はないようであった。
今日も彼女は自分の武勇伝を話したがった。今日は、母の佐藤みゆきさんに連れられていった、支援施設の話を繰り返した。彼女の話によると、そこはひどいところで、食事もまずいし、支援してくれる人の態度が悪い。何よりも、自分たちだけがお前の面倒を見てくれるからありがたく思えという態度で接してくるのだと言うのである。その真偽は不明だが、同じことばかり繰り返し喋るのだ。きっと彼女の中では、何年たっても、その時のままなのだろう。杉ちゃんもジョチさんも、彼女には本当に困ってしまった。他の製鉄所の利用者も同じだった。確かに、佐藤みゆきさんは、容姿もきれいだし、テレビに出れば、高視聴率を叩き出せるほど演技力もある人であることは確かなのだが、こんなふうに、周りの人への態度を変えない娘さんがいるとなると、果たしてどんな生活をさせていたのか疑いたくなるくらいだ、と、製鉄所の利用者たちはみないった。そしてそれを感じ取る、佐藤瞳さんも、その能力は極めて高かった。つまり一言で言えば過敏なのだった。だから佐藤瞳さんは、結果として誰からも相手にされなくなり、他の利用者たちも彼女には話しかけないし、杉ちゃんもジョチさんも、彼女に声を掛けるにはちょっと閉口してしまうようになった。
しかし彼女は、毎日のように製鉄所へやってくる。一度も欠席をした日はなかった。それにちゃんと利用料もきちんと持ってきてくれるし、そういう面では確かに、ありがたい存在ではあった。しかし、通りがかった人を捕まえて自分がこうされたああされたを話しかける態度はまるで改めなかった。
佐藤瞳さんは、利用者の一人に自分の話を聞いてほしいと言った。もう彼女の話を聞くのにうんざりしていた利用者は、
「もう、あなたの話はうんざりだわ!いつも同じことしかしないじゃないの!いつも学校の話か、無理やり支援施設へ入らされただけのことでしょ!他に話題はないものなの!」
と、佐藤瞳さんに、きつく言ってしまった。それが、佐藤瞳さんにとっては強烈な傷になってしまったらしい。彼女は、縁側に座り込んでワッと泣き出してしまったのであった。それを眺めていた利用者たちは、年齢を詐称しているのではないかとか、噂しあった。
すると、佐藤瞳さんの前に、芋の切り干しが一枚差し出された。
「皆さんお疲れのようですから、僕とお話しませんか?」
水穂さんが、佐藤瞳さんの隣に座った。利用者たちは、水穂さんを動かしてはだめなのにといったが、水穂さんは一向に構わないと言った。でも、痩せて窶れた水穂さんを見て、佐藤瞳さんもなんだか申し訳ないという気持ちが湧いてしまったようで、
「あ、あ、あの。」
と思わず言ってしまう。
「いえ、皆さんお疲れだと思いますので、僕が代わりにお話聞きます。僕みたいな布団にずっと寝ているしかない人間なら、いくらでも話せると思います。」
水穂さんは、窶れた体であっても口調はしっかりしていて、どこか不思議な雰囲気もあった。これでは、佐藤瞳さんも、覚悟を決めてくれたようで、
「私、お母さんがいるようでいなかった。ずっと一人だった。」
と話し始めてくれた。その内容が、今までと違う、学校のことではなく、お母さんのことを話し始めたので、他の利用者たちもその場を離れないで聞いていた。
「そうなんですね。確かに、いるようでいないというのは、本当に辛いものがありますよね。表沙汰では、いるように見えるけど、お母さんがいないということほど、不幸なことはないですよ。」
水穂さんは、そう彼女の話にあわせた。
「そうなの?」
佐藤瞳さんはそう聞き返す。
「ええ僕はそう思いますけどね。」
水穂さんがそう返すと、
「そうなんだ、今までの人と違いますね。みんなそれは間違いだとか、私が求めすぎてるとか、そういうこと言ったのにね。あなたは、そういうことは言わないんだ。」
瞳さんは、そういった。利用者たちはじゃああたしたちがしたことはなに、という顔をしたが、
「いえ、確かに、一度言ったことは誰かに肯定してもらわなければ、そこから先へ進めませんよね。それは確かにそうですよ。聞いてもらうことはできても、間違っているとか言われたら悲しくなるでしょう。事実は事実で変えることのできないことでもあるんだし。まず、それをそうなんだねと一度受け止めることが大事なんじゃないですか?」
水穂さんはそういうことを言った。
「じゃあ私が、お母さんがいなくて寂しかったことも、あなたは受け取ってくれる?それで、私が悪いんだって、求めすぎてるんだって言わないでくれる?」
瞳さんがそう言うと、
「ええ、決していたしません。だってあなたに甘えだとか言ったとしてもあなたは辛いことばかりで、前に進むことはできないでしょう。それなら、まず受け止めることが大事なんですよ。」
と、水穂さんは言った。瞳さんは、水穂さんの顔を見て、この人なら信用できると思ったのだろうか、こういうことを話し始めた。
「お母さんはね。ものすごい大女優で、テレビなんかで活躍している人だけど、私のことが邪魔なのよ。私のお父さんと結婚したのは、私が、できて、父親なしでは困るからってお母さんのお母さんが言ったから仕方なくそうしたのよ。私が大きくなって、手のかからない年になったら、お母さんはお父さんのことがじゃまになって、それで離婚したの。だから、お母さんはもともと一人で居たい人なのよ。私のことが邪魔なのよ。」
利用者たちは驚いた顔をする。だって、お母さんである佐藤みゆきさんは、瞳さんを預けたときに彼女の代わりに何でも話してしまうなど、彼女を溺愛しているように見えたのに。
「そうなんですか。わかりました。確かに、佐藤みゆきさんといえば、テレビドラマなどで大活躍の女優ですから、そう思ってしまうこともあるのかもしれません。僕もそうだったんですよ。僕の家は、店をやっていたけど、ある日突然、学校から帰ったら、親が店を畳んで、家を出ていった。だから僕は、村の有力な方に育ててもらったのですが、やっぱり実の親がいてくれないので、不自由なことは今まで何度もあった。」
水穂さんは、そう細い声で言った。
「そうなんだ。おじさんのご両親も、おじさんのことを邪魔だと思って生きていたのかな?」
瞳さんは水穂さんに言った。
「どうですかね。本人から話を聞いたわけではないので、よくわかりません。」
水穂さんはそういったのであるが、
「そうなんだ。でも、おじさんは少なくとも愛されていたと思うわよ。だって、みんなから人気者でもあるわけでしょ。それってやっぱり、愛されているからだと思う。それができるって人は、やはり幸せよ。」
瞳さんはそういうのだった。
「それはどうですかね。あなたのお母さんだって確かにものすごい人気のある女性ですが、きっと人間性とかそういうものではなくて、容姿にだけ惹かれているという人は何百人もいるのではないかな。そしてお母さん自身も、それはすごく感じていると思いますよ。だから、あなたがいるんじゃありませんか?お母さんも、あれだけの大スターといえる人物ですけど、心のそこでは、心から愛してくれている人を見つけられないで、悲しい思いをしていると思います。そうでなかったら、5回も結婚と離婚を繰り返したりすることはないと思います。」
水穂さんが静かにそう言うと、佐藤瞳さんの表情が変わった。
「じゃあ母のために私が、強くならなければなりませんか?母はあれだけ私の事をないがしろにして、男ばかり作っていた人だから、到底母を許す気にはなれません。それなのに何で私が母になんとかしなければならないんです?」
「精神めちゃくちゃだわ。」
と、話を聞いていた利用者がそう呟いた。
「いえ、そう言っているわけではありません。お母さんのためとか、自分のためとかそういうことは今考えなくていいです。それより、怒りの感情を手放すことが一番必要なんだと思う。お母さんがいなくてずっと寂しかったのもまた事実ですが、その反面であなたはお母さんに自分の方を向いてほしいと願ってる。それはあなたの態度を見ればわかりますよ。あなたは、そのために人に聞いてほしいと求めたのでしょう?」
水穂さんはできるだけ優しく言った。
「よく、水穂さんもそういうところが見えるなあ。」
別の利用者がそういった。
「きっと、あたしたちには見えてないことが、水穂さんには見えるのよ。」
と始めに発言した利用者が言った。
「今日中に解決しなくてもいいんです。もしかしたら一生かかっても解決できないかもしれない。それはね、多分あなたが許してあげるということでしかないと思いますよ。お母さんだって、悪気があってあなたにそうしたわけではないと思うから。お母様がしたことは悪いことだったかもしれないけど、それを許してあげようって、考え直せるといいですね。」
水穂さんはそう言ってくれた。覗いていた利用者たちも、大きなため息を付いた。
「多分きっと、お母さんに直接話しても解決できないと思うから、まずは、カウンセリングみたいな、専門的なことができる人に話をして、少し自分を整理してみると良いと思います。せっかく、こちらに来ることもできたわけですし、それなら、ここでそういう人を紹介することもできますよ。決してそういう人たちは悪い人ではないですから、どうでしょう。トライして見ませんか?」
「よし!水穂さんよく言ってくれた。此処から先は涼さんみたいな人の出番かな?」
と、はじめに発言した利用者が言った。利用者たちは、佐藤瞳さんの前に現れて、
「瞳さん私が紹介してあげる。私も、その人に手伝ってもらって、今は学校に行けるようになった。」
と言って、涼さんの電話番号を書いて、彼女に渡した。
「余計なおせっかいのように見えるかもしれないけど、体を手術して理学療法士の人にリハビリしてもらうのも大事なように、心のリハビリとして、そういう人に、話を聞いてもらうことが必要なのよ。」
別の利用者が瞳さんに言った。
「そうなんですか。でも私が、母にそんなこと言ったら、母がなんていうか。母はきっと私がいるのに何で外部の人に頼むんだみたいなことを言うと思います。だって今までずっと自分がなんとかすればいいと考えてきた母なので、外部の人に頼むというのは難しいものですし。」
瞳さんがそう言うと、
「そうですよね。だって、テレビで大活躍してる、佐藤みゆきさんの娘さんだもんなあ。あたしたちとは、違うんか。」
と、初めに発言した利用者が言った。
「そうです。私は、どこへ行っても、母の娘というのが人から言われる。」
瞳さんがそう言うと、
「まあ確かにそうなんだけどさ。でも、オンラインでやってもらうとか、そういうこともできるかもしれないよ。」
と、別の利用者が言った。
「それに、瞳さんもどこか外へ出るきっかけを作らなくちゃ。結局は、家の中では生活できないでしょう。あたしたちはみんな外へ出ていかないと生活できないのよ。それは、お母さんだってわかってくれてるんじゃないの?」
初めに発言した利用者がそう言うと、瞳さんは、そうですねと小さい声でなにか考えてくれたようだ。
「ありがとうございます。私も、母に、カウンセリングを受けたいって、ちょっと話してみます。」
瞳さんは、しばらく考えたあと、小さな小さな声でそういった。それと同時に、どこかで五時を告げる鐘がなった。ああ、もう退所時刻だわと利用者たちも帰り支度を始めた。瞳さんも急いでカバンを手に取った。
「じゃあ、今日はこれで帰ります。水穂さん、私の話を聞いてくれてありがとうございました。」
瞳さんは水穂さんに頭を下げて、そういい、製鉄所の玄関に向かって歩いていった。利用者たちはすぐに、
「瞳さんは今日も、迎えに来てもらうの?」
と彼女に聞く。
「玄関の外で長時間待っているのは辛いわよ。だったら、五時五分にうるおい号というバズが来るわ。それに乗って富士駅まで行ってさ。お母さんには、そこへ迎えに来てもらえば?」
と、初めに発言した利用者が言った。瞳さんがそうねというと、製鉄所近くのバス停に、青色のワンボックスカーが一台止まった。瞳さんは、利用者ふたりと一緒にそれに乗り込んでいった。美しき青きうるおい号に。
美しき青きうるおい号 増田朋美 @masubuchi4996
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