石の形

土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり)

三芳院の遺言

何故なにゆえわしが恥をさらして美濃に帰国せねばならぬのだ。今更いまさら、このめしいたじじいが美濃に帰れば迷惑にこそなれど誰も何の得もあるまいに。今の一鉄殿は押しも押されぬ織田殿の侍大将。儂のような先のない爺にかかわる必要もなかろう」


 両の眼が白くにごったれ枝のような老人、土岐とき頼芸よりのりはそう語る。


「心配は御無用に御座ござる。それがしうに家督は息子に譲り、今や隠居の身に御座る。そもそも、我が稲葉家は御屋形おやかた様には、土岐美濃守みののかみ様には返せぬ恩が御座ござりますれば。それがし若年じゃくねん家督かとくいだのちも、陰に日向ひなたになって稲葉家を御助け頂いたこと、の稲葉一鉄、一日たりとも忘れた事は御座りませぬ」


 もう一人の男、稲葉一鉄が平伏したままで言う。一鉄も老人と言って良い年齢ではあるが先の老人とは違い、身体全体にはまだ精気が満ちている。


「遠い昔の話ぞ。それに、儂は何もしておらぬ」


困窮こんきゅうの折、稲葉家にどれほど武具やら銭やら米を融通ゆうずうして頂けた事か」


「たかが彼式あれしきの事を……牧田のいくさ其方そなたの父や兄が浅井あざい亮政すけまさから儂をまもり、身を犠牲にした事のつぐないにもなって居らぬ。一鉄殿、然様さような事はく忘れよ。そもそも其方そなたは儂の歳をいくつだと思うて居る? 八十と一つぞ。もう長くはないわ。今更いまさら何処どこにもかぬ。儂はこの甲斐の地で骨をうずめる」


ればこそで御座りまする。我が姉が一目御逢おあいしたきと申して居りましたゆえ


 とある事情で長井新九郎、後の斎藤道三にその仲を引き裂かれたのであるが、頼芸よりのりはかつて一鉄の姉の深芳野みよしの愛妾あいしょうとしていた。


「姉だと。まさか三芳院さんほういんが、深芳野みよしのが実は生きて居ったなどと巫山戯ふざけた事を申すのではあるまいな!」


 枯れた老人が声を少しだけあらげた。


 頼芸よりのり深芳野みよしのが、その子斎藤高政たかまさ(後の一色いっしき義龍よしたつ)が斎藤道三と争い、道三を討ち果たした際に出家して三芳院さんほういんと名乗ったことも、一色義龍が病を得て亡くなる直前までその世話をしたために、同じ病を得て亡くなったことも知っていた。


あらず。我が姉三芳院さんほういんは御存知の如くうの昔に亡くなって御座ります。但し姉は今際いまわきわそれがしにのみ聞こえるように斯様かような言葉を残しました。『美濃守様に一目御逢おあいし御伝えしたきあれど最早もはやかなわず。御縁ごえんがあらば我が墓に参られたし。らば御伝えしたき儀も必ずや伝わらん』と」


「深芳野が然様さような事をのう。れどめしいたこの身で深芳野の墓に参りたところで……」


「『仮に万が一、美濃守様がめしいておわすとも、美濃守様にならば必ずや伝わらん』とも申して居りました」


 頼芸の言葉にかぶせるように一鉄が続けて言った。


「……何だと」


 頼芸はしばし考え込んだ。だが、これは考えて分かるような物でもあるまいと気付きぐに決断する。


あいかった。あの深芳野が然様さように申したのであらば儂のついの旅路になろうともかねばなるまい。どうせ先もない身ぞ。深芳野の墓参りをしてからくならば冥途めいどの土産に丁度良かろう。一鉄殿、美濃まで儂の命数が持たねば許せよ」


「ははっ。我が姉の意を御み頂き有難き幸せで御座ござる」


何分なにぶん斯様かような身体だ。よろしく頼む」


 かつて国主だった盲目の老人は、もう一人の老人の声の方に向かって頭を下げた。


 こうして土岐頼芸は甲斐を離れて、生まれ故郷の美濃に三十年ぶりに帰国する。


 

















 美濃国揖斐郡いびぐん谷汲たにぐみ岐礼きれ法雲寺。


「深芳野の墓は何処いずこぞ」


此方こちらで御座りまする」


 稲葉一鉄が土岐頼芸の手を引き、寺の片隅のごく小さく目立たぬ墓の前に立つ。


 いびつな形の白い自然石を無造作に立てた墓石だ。何の文字も刻まれず、何の文字も書かれてはいない。これではいわれを知る人に説明を受けない限り、それが誰の墓石か分かることはけしてないだろう。


美濃守みののかみ様、もそっと前に。然様さようで御座ります。其処そこでしゃがみ頂ければ丁度いい塩梅あんばいで御座ります。まま手を伸ばせば墓石に触れることが出来まする」


「ふむ。おう、届いたぞ。れが深芳野の墓石か」


然様さようで御座りまする」


 頼芸は深芳野の墓石にれゆっくりと、しかしくまなくその全体をなぞっていく。そのうちにあることに気付きより真剣に、かつ慎重に墓石をで回す。白濁してめしいた目からつと一筋の涙が流れた。


然様さようか、然様さようであったか」


「何か御分かり頂けましたか?」


「ああ。一鉄殿、の墓石は白かろう?」


「よく御分かりで。見えておいでなのですか」


「いや。この目は最早もはや明るいか暗いかしか見えぬ。であるが心の目でこそ見える物もある」


然様さようで御座りますか」


「うむ。墓石は深芳野が選んだのだな」


如何いかにも。稲葉山で面白き形をした石を見つけたと申してわざわざそれがしの屋敷まで運ばせて、己が亡くならば必ずこれを墓石とするよう強く念を押されました」


然様さようであったか」


「何か御分かりで」


「ああ。深芳野の伝えんとした事、儂には充分に伝わった。礼を言う。大儀たいぎであった」


滅相めっそうも御座りませぬ」


「迷惑ついでだ。流石さすがに長旅で儂はもう疲れて動きとうのうなった。まぬが、この寺をつい棲家すみかとさせてもらえまいか?」


かしこまりて御座る。然様さように手配させて頂きまする」


かたじけない」


ざざざっ、ざざざっ、ざざざっ、ざざざっ、ざざざっ、ざざざっ


 駆け足の馬の足音が近づいて来る。


「御隠居様! 一鉄様! 一大事で御座りまする!」


 騎乗した馬から飛び降りるとその侍が稲葉一鉄の前で片膝を着いて言上ごんじょうする。


「何事じゃ騒々そうぞうしい!」


右京亮うきょうのすけ様(稲葉貞通さだみち)が曽根そね城にお戻りで御座りまする!」


「何だと! 貞通さだみちめ京に居るはずではなかったのか! 今度は何をしくじりおった!」


 この年の四月、稲葉貞通は信濃国飯山城を守備している際に芋川いもかわ 親正ちかまさの煽動した一揆によって包囲され窮地に陥るという不手際ふてぎわとがめられて更迭されていた。


然様さような仕儀では御座りませぬが……」


 城からの使い番の侍は頼芸がいるためか、続きを話そうとしない。


御方おかたは稲葉家の恩人ぞ! 構わぬ。今すぐ申せ!」


「ははっ。右府うぶ様(織田信長)と左近衛さこんえ中将ちゅうじょう様(織田信忠)、御二方おふたかたとも逆賊明智光秀の謀反むほんにより既にうち取られたよし右京亮うきょうのすけ様、急ぎ曽根にお戻りになりて御家を護るため如何いかがすべきかの評定ひょうじょうを開くゆえに一鉄様にも急ぎお戻り頂きたしとの事に御座りまする」


 本能寺の変であった。このとき稲葉一鉄の嫡子である稲葉貞通は京都にいた。だが明智軍に抵抗することなく大あわてで美濃の領地に逃げ帰ったのだった。


「何だと! あい分かった! ただちに参るぞ! 美野守みののかみ様、誠に申し訳御座りませぬがそれがしれにて失礼つかまつる」


「構わぬ。儂には山本数馬かずまも居るゆえお気になさいますな。はよう行きなされ」


 頼芸はおのれに最後まで付き従っている近習の名前を挙げた。


しからば、御免!」


ざざざっ、ざざざっ、ざざざっ、ざざざっ、ざざざっ、ざざざっ


 稲葉一鉄も騎乗の人となり使い番の武士と共に去った。


「全く、諸行無常しょぎょうむじょう盛者必衰じょうしゃひっすいことわりであるな、数馬よ」


「ははっ」


「才ある者、力ある者、皆、死に急ぐ。儂のように無才の者が生き残っても仕方あるまいに。戦国の世はまだまだ続くのう」


それがしは美濃守様が無才だとは思えませぬ」


「国も愛する者も奪われ流浪るろうの身となったしくじり大名。今はただの厄介者やっかいもの牢人ろうにんで、の上、めしいて余命いくばくもないじじいぞ。世辞などらぬわ」


「ところで美濃守様、三芳院さんほういん様の墓石の形は何か意味がおありなのでしょうか?」


たかである」


「は? 鷹で御座りまするか? れが?」


「とても鷹には見えまい。その昔、儂はたわむれに雪で鷹の像を作って深芳野に見せた事があった。の折に深芳野が’自分も鷹の雪像を作ると言い出しての。れど如何いかに作り直そうとも鷹には見えぬ珍妙な形になってしもうた」


 そこで土岐頼芸はくふふと笑う。


「その時の珍妙な鷹とは見えぬ鷹の形にの石はよう似て居るのよ。目には見えずとも、さわればわかる。例え見えたところで誰かに教えられぬ限りれが鷹だと分かるのはの世で儂と深芳野しか居らぬわい。……ああ、間違まちごうた。もう、儂しか居らぬのだな」


「美濃守様……」


「さてさて、ちとばかり長生きし過ぎた儂であるが、一鉄殿のお陰で良い冥途めいど土産みやげが出来たわい。はようあの世に参り、見たぞと深芳野にうてやりたいものだが如何いかんせんごうの深きの身では深芳野にいたしとねごうも如何いかがなる事やら。神や仏でないと分からぬの。南無南無」


 土岐頼芸は数珠を手にかけて合掌し、墓石に向かいこうべを垂れた。数馬もあわててそれにならった。











 甲斐武田家が滅亡し、また本能寺の変のあった天正十年の十二月四日(1582年12月28日)。元美濃国守護、土岐頼芸は揖斐郡いびぐん谷汲たにぐみ岐礼きれ法雲寺にて静かにその生涯を閉じた。何かに満足したような非常に穏やかな死に顔であったという。

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石の形 土岐三郎頼芸(ときさぶろうよりのり) @TokiYorinori

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