第3話 絡新婦
怪談師をしている私は、友人に誘われて●●峠のとあるトンネルに来ていた。怪談師は話を聞き、解釈し伝えることが生業なのだから、本来心霊スポットなど自ら行くことはないのだが、この日は、友人にどうしても来てくれ、と懇願され、仕方なしにここに赴いたのであった。
ここ●●峠には今は使われていない旧●●トンネルと呼ばれるトンネルがある。どうやら昭和の中期ごろまで使われていたようなのだが、都心に抜ける道が整備されていく中でいつしか使われなくなり、今では崩落の危険があるため立ち入り禁止となっている場所であった。
「
友人が軽い口調で声をかけてくる。言うことはその通りなのだが怖いものは怖いのだ。
私たちは周囲を確認しながら、一人ずつトンネルを抜けることにした。どういう訳か、先陣を切るのは私の役目だった。
恐る恐る暗いトンネルを進んでいく。ごつごつした壁が作る影が人影のように見えたり、声が聞こえたりとそんな噂があったが、心霊トンネルといういわれを差っ引けば、そんなに怖いものでもなかった。思ったよりあっさりとトンネルの終わりは見えてきた。
トンネルが終わり外に出ると、そこは昏くザアザアと木々の騒めく音だけが響く世界が広がっていた。月明かりは木々に阻まれ殆ど暗闇である。しばしの間それを眺めていると、ある事に気がついた。
ただ一点だけ、ボンヤリと灯りが見えたのだ。それは、か細い赤い光だった。光の強度は強弱を繰り返すように小さく点滅していた。目を凝らして見ると、そこにはどうやら小さな小屋があるようだった。背後には巨大な鉄塔のようなものが建っている。
気がつくと私はそちらに向かって歩き出していた。人が整備したものとも獣道ともつかない下り坂を下り終えると、次第に小屋の外観が見えてきた。酷く朽ちて、今にも崩れそうな小さな小屋だった。
その小さな窓から男が顔を出している。臙脂色の和服に細身の男がタバコをふかしている。トンネルの出口から見えたのはこの男のタバコの灯りだった。
「あ、あの、突然すみません。こ、ここで何をされているのですか」
不思議と恐怖は感じなかった。怪しまれる覚悟で話しかけてみた。
「おやおや、こんな所にお客さんとは、珍しいですねぇ。見りゃ分かるじゃないですか、ゆったりと流れる夜の空見ながら一服ですヨ」
男はさして警戒する様子もなく答える。
「し、しかし、こんな山奥で一人で…ここじゃ電気だって通ってないですよね」
「ええ、まあ私も世捨て人みたいなモンですからねぇ、フヒヒ。別に電気なんてなくたって慣れりゃ不便でもないですよ。
どうです、せっかく来たんだしちょっと寄ってかねぇですか?こんな所でも茶ぐらいは出せますよ」
男の思わぬ申し出に一瞬躊躇ったが、同時に、こんなところにいる謎の男に興味も湧いたので話を聞く事にした。
男に案内され、小屋の入り口から中を覗き込む。男は蝋燭に火を灯すと、小屋全体に暖かい光が広がった。小屋の中は意外に広く、片付いていた。
「どうぞお使いくだせぇ」
お世辞にも綺麗とは言えない座布団を差し出されそこに座る。男は小屋の奥に座り込むと再びタバコに火をつける。
「一本どうです?大自然の前で吸う一服は最高ですぜ」
普段タバコは吸わないが、確かにそんな経験もないのでせっかくなので失敬することにした。タバコに火をつけながら口を開く。
軽く自己紹介をしながらここへ来た経緯を語った。
「職業柄、怪異といったものを蒐集することが多く。このあたり、●●峠一帯には不思議な出来事がよく起こるとお聞きしまして。それでここを訪れたという訳でして」
「なるほど、それは物好きなことですね、ヘヘヘ。そうですねぇ、ここは不思議なところのようですねぇ、どうやら現世と隔離世の境界が曖昧になるきらいがある。このあたりで死んだ人間は六道に落ちることもなくこの地に留まり続けるんでさぁ。
言い方変えりゃあダラダラしてるんですよ、こっちが終わりゃあさっさとあっちに行く、そんな理すら守れないような連中ばっかがここにいる。全く迷惑なことで」
「迷惑…ですか」
「そりゃあそうでしょう。勝手にここにいる癖にやれ妬ましいだの口惜しいだの苦しいだの、勝手なことばかり言っている。そんな奴らの溜まり場なんでさぁ。ここじゃなくっても、現世を卒業したってのにウロウロされたんじゃあこっちにいる人間にとっちゃあたまったもんじゃないでしょう」
確かにそうだ。桐谷はそれを怪談に利用させてもらいながら飯を食ってる訳だが、大多数の人にとっては迷惑極まりないだろう。
そんな事を考えていると、窓の外にちらりと動くものが見えた。この小屋の中の灯りが反射したのだろうか。しかし斜めから差し込む蝋燭の灯りとは異なる方向で見えたのでそれはない。見間違いか。
「見間違いじゃございませんよ」
桐谷の心を読んだように男は口を開いた。
「ありゃあねぇ、この辺でオッ死んだ奴が徘徊してるんですよ。毎夜毎夜飽きもせずねぇ。月夜の無い夜にゃあ派手に火ぃついて燃えたりもする」
「そ…それは…」
鬼火ですか?と聞いた。
「まあそんなもんですかね。ああ、そろそろ彼女もやってくる時間だ」
そう男が言った瞬間、ぐわんと何かが鳴る音が聞こえた。鐘の音のような、低く、体の芯に響いてくるような音だ。
「クックックッ、また派手に響きましたねぇ」
「こ…この音は…」
何なのですか、と聞いた。
「そりゃこの裏の鉄塔みりゃあ分かりますよ。行ってみます?」
恐怖よりも好奇心が優った桐谷に、断る理由は無かった。タバコの火を揉み消し小屋を飛び出すように外に出て、裏手の鉄塔に回り込む。
そこに、錆びついた古い鉄塔が佇んでいた。ザアザアと木々の擦れる音だけが響いている。再びぐわんとくぐもった音が鳴った。その音源を目で追うが、鉄塔の上部は昏く、何も見えない。
「ここにはね、恨みを持ったまま出れなくなっちまった哀れな女がいるんでさぁ」
後ろからゆるりと歩いてきた男がそう言った。
「今じゃ古い鉄塔が建ってますがねぇ、その前はとある家がありまして。その女ぁある男の帰りを待ってたんですよ。けれども、待てども待てども帰っちゃこないんでさ。ああ裏切られたんだ、なんて思ってね、次第に頭ぁきて恨むようになった。
それでも明確に裏切られた証拠もねえ。だから憎むに憎みきれねえ、辛抱強く待ってるしかねぇんですよ。そんなんで恨みつらみを募らせた挙句、結局そのまま死んじまいまして」
その女の霊がここにいるという訳か。
「ええ。時々こうして鉄塔を鐘みたいにならして、自分はここにいるんだってことを知らせてるんですよ。そいつのせいで余計なモンもフラフラ呼び寄せられちまうんだから始末が悪い」
呼んでる、のか。
「ええそうですねぇ、隔離世に片足突っ込んでるような不安定なやつがたまに来ちまうんでさぁ。さっきの鬼火もどきもこっちに呼ばれておッ死んであのザマですよ。兄さんも取り込まれないように気をつけて下さいネぇ」
食い入るように鉄塔の先を見る。一瞬、影のようなものが動いた気がする。僅かに月明かりが差し込んだそこに、風を孕んだ艶やかな線が見えた。鉄骨の骨組みの間を跨るように垂れ下り、風に吹かれている。
その先に。蜘蛛のように這い回る大きな影があった。いや、蜘蛛であるはずがない。それ程大きな影であった。
「見えましたかい。
チリン。
遠くで鈴の音が聞こえた。
「おおい桐谷さーん」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。友人が血相を変えてこっちにやってきたのだ。
「ハア、ハア…。もう、何してるんですか。いきなり居なくなったので心配しましたよ」
「ああ、すみません。私なら大丈夫ですよ。こちらの方にお世話になりまして」
「こちらの方…?」
私が振り返ると、そこには誰もいない。無人の小屋と、鉄塔だけがそこにあった。
チリン。
鈴の音と共に男は消えていた。
月明かりの弱い、ある寒い夜のことであった。
(了)
叢原の火 千猫怪談 @senbyo31
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