病岸異譚

あげあげぱん

病岸異譚

 海から吹く風が、酷く冷たい。寒いのは嫌いだ。

 

 病岸と書いてヤンガンと読む。灰色の砂浜から向こうには暗い海がどこまでも続いている。空はいつも厚い雲がかかっていて、日の光が差し込むことは滅多に無い。そんな、気の滅入るような土地に私は住んでいる。


 他に住むところが無かったとか、そういう訳ではない。ただ、ここは人が寄り付かないから、人嫌いの私にとって悪い土地ではない。寒いし、住むのに最も適した場所とは言えないが、あまり贅沢は言えない。遠くに引っ越すのは大変だし、孤独な老人の私には、特に親しい人間も居ない。だからここに住む。


 私はこの岸で、絵を描いている。病岸が、病岸と呼ばれる前の、まだ美しかった頃の岸を描いている。そして、そういう絵はよく売れる。私の描く絵が、お金となって、私の飢えを満たしてくれた。


 病岸はかつて美しかった。この岸には海の神様が姿を現すことがあった。あれは、ジュゴンと言ったかな。土地の人間は、あれを海の神様と言っていた。もうずっと、昔のことだ。


 土地の人間は海の神様を信仰していた。あんな、脂肪の塊のような、私には醜いとしか思えないような生き物を土地の人間たちは崇めていた。私の父や母さえも。


 私は、ただ、父や母に振り向いてほしかった。私がまだ若かったころ、岸に上がった神様を銛で突き殺したのは、両親に相手してもらいたかったからだ。神様は、私が銛で体を突くと、のたうち回る。続けて何度も突くと体中から血を流し、やがて動かなくなった。それで、死んだのだろう。念のため、私は火を起こして、神様を焼いた。脂肪だらけの神様は驚くほどによく燃えた。炎は勢いよく燃え上がり、私は思った。想像していたよりずっと、あっけないな、と。


 神様が死んだ後。両親が構ってくれることを私は期待していた。けれど、私が望んだようなことには、ならなかった。若い私は神様を殺すということが、どういう結果を招くのか分かっていなかった。あの頃の私には思慮というものが足らなかったのだ。それは今も足りていないのかもしれない。私は過去から後悔し続け、きっとこれからも、後悔を続けるのだろう。


 神様を岸で燃やしたあの日から、ずっと長い年月を経て、今に至るまでずっと、岸の火は燃え続けている。神様は燃え続け、燃え尽きるということが無い。何故かは知らないが、神様は燃え尽きない。神とは不滅の存在なのか? いや、そんな、いつまでも答えの出ないことを考えても仕方がない。


 結果だけ言えば、土地の人間たちが死んだ。両親も死んで、美しかった岸は変わり、ここは病岸と呼ばれるようになった。土地の人間たちや、両親の死に様は異様だった。彼らは燃える神様の火に魅せられ、皆が火に飛び込むようにして死んだ。篝火に集まっていく羽虫のようで、恐ろしく不気味だった。


 火に飛び込んだ人間たちは、苦しんでいるようには見えなかった。喉を燃やされた人間たちが声を出すことは無かったが、そうでなくても彼らが苦しみに叫ぶようなことは無かっただろう。そう、今の私は思う。


 両親が他の人間たちと同じように、火に焼かれたあの日から、私は生きる意味を見失った。実を言うと、私も両親を追って、火に飛び込んだ。けれど火は私の皮膚を焦がすだけで、私を殺すことはなかった。これは、私が受けた罰なのか。もしくは、私が神と同じく不滅の存在になったということなのか。神様を殺した、あの日から。私は、死ぬことさえ許されず、ただ岸の小屋で絵を描き続けている。


 酷く冷たいこの岸で、あの火は燃え続けている。その火は見た者の心を狂わせる。それは見た者を火に引き寄せる力を持っているのだ。私も、一度は引き寄せられた。今も体を巻く包帯が、そのことを思い出させてくれる。全身の火傷後が今も私を苛む。私は現実の痛みから逃げるように、絵の世界へ没頭した。私は一時でも非現実の世界へと逃げたかったのだ。


 画家をしていた母から絵の才能を引き継いでいたのだろうか? 私の描く絵はよく売れた。自分でも信じられないほど、あっけなく……私は巨匠と呼ばれる存在になってしまった。私が描いた絵の中でも、ジュゴンの姿を描いたものが、とくに評判が良かったと思う。ここから、いくらか離れた町にある画廊の男に何度もジュゴンの絵を催促される。あの、忌まわしい姿を私は描こうと思わない。なのに、気が付くと、そういう絵を描いている時がある。そして気が付くと、私はジュゴンの絵を持って画廊を尋ねている。気味が悪い。


 何かが、私を操ることがある。私はその力に抵抗することができず、何かのために動いている。そんな気がする。そのことについて、あまり恐ろしくは感じない。何故? それはもっと恐怖を感じなければ、ならないことのように思えるのに。私は、そのことに対しては、あまり恐ろしさを感じない。


 私は、おかしくなってしまったのだと思う。絵を描き始めた頃から? それとも、あの火に焼かれた時から? 神様を殺した時からだろうか? いや、もしかしたら、もっと前、最初から、土地の人間や両親が狂っていたように、私も狂っていたのかもしれない。狂っていたから、私は神様を殺すようなことをしたのだろうか?


 神様はあっけなく殺された。そして私は神様に火をつけ、それは今も燃え続けている。たまに思う。全ては神様が願った通りに進んでいるのではないかと。神様が死んだのも、両親が死んだのも、私が絵を描き続けているのも、絵が売れることすらも、全てが何かの思惑の通りなんじゃないかと。せめて絵を描くことなら、止められそうなものなのに、私は絵を描くことを止められない。それは、私の考えが正しいことの証明ではないのか?


 だからといって、何が変えられられるというのだろう。私ができることは決まっているのだと思う。全ては、運命に委ねるしかない。これも時々思うのだが、人は運命から逃げることはできない。我々は暗がりのような世界を、上位存在が灯す火を頼りに進んでいるのだろう。それが運命や人生というものでは、ないだろうか?


 病というものは、治せるものと、治せないものがある。あの岸の火は、この世界にとって、治せない病なんだと思う。その火を視て狂ってしまった者は末期の患者だ。不治の病にかかった患者だ。


 はあ……悪い想像がぐるぐると頭をめぐっているな。あんな火を見ているからか。あの狂気の火を見ているからか。なんとなく、嫌な気持ちになる。


 私は、ずっと長い間、この岸に住んでいる。酷く冷たい風が吹くこの土地に、住み続けている。その気になれば、こんな土地を離れることはできるかもしれない。でも……私は想像してしまう。この岸に戻ってくる私の姿を。それに、両親への思いが、私をこの土地に縛りつけているのだろうか? それとも、今この瞬間も、私は何かの力で操られているのだろうか?


 私の古い携帯電話に着信があった。電話に出ると画廊の男からだった。国の偉い人が私の絵を求めているという。とくにジュゴンの描かれた作品を希望するという話だった……きっと、神様は求めているのだ。神様への信仰が世界に広まることを。私は絵を描くことで世界に神の信仰を広める。そういう役割を神様は私に求めているのだろう。


 わかりました。


 と、私は画廊の男に伝えた。その直後、私の意識に靄がかかり始め、やがて意識は暗転した。そして気が付いた時に、私は一枚の絵を書き上げていた。病岸に佇むジュゴンと、天まで登るように燃える炎。その炎に集まっていく無数の人。恐ろしい未来を暗示するかのような絵のタイトルは。


 病岸異譚。

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病岸異譚 あげあげぱん @ageage2023

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