第43話 高原の麦畑で【エピローグ】
ヘスティア王国と和平を結んでから約一年後のとある朝。
「今日は……王国から採掘の視察団が来て、働く鉱夫の移住者の挨拶回りと、採掘状況の確認と、……あと、えぇと、そうか商人が来るな。新しい交易の商談を……」
本日の執務を記載した書類に目を通しながら、パンを頬張る。
「朝食くらいよそ見せずに食べろ。そんなことをしているとまた料理をこぼすぞ」
今日も隣りに座る尖った耳の夫に小言を言われる。
「こうでもしないと時間が足らない!」
「レラが段取りまですべてを仕切るからそうなるのだ。ハティやリグに任せればいいだろう」
「いや、そうしたいところだけど、ふたりにも仕事が……」
「なら、俺が」
「……いや、いいんだ。ベルファレスはドラクの首長だ。小間使いのように慌ただしく過ごして欲しくない。いつ如何なる時も威厳を保ち、どっしりと構えて欲しいんだ。そのためにわたしが段取りを……あ」
あっさりと書類を取り上げられてしまう。
「今は俺との時間を優先しろ」
「そう……だな」
これ以上、夫の手を煩わせるのはよろしくない。
それに夫とお揃いに仕立てた藍色のローブを汚してしまっては今度こそ本気で怒られる。服に施された刺繍は集落の職人に教わりながら、首長である夫自らがこさえてくれたものだ。大切に扱わなければならない。
観念したわたしは静かに朝食をとり始めた。
言われてみれば、ふたりきりで過ごせるのは朝食と夜くらい。だから、ベルファレスとこうやって習慣的に食事を取るようになった。それはドラクの住民たちにとっても同じで、食習慣というものが浸透しつつあった。
パンを口に運ぶ。ゆっくり咀嚼し、しっかりと麦の味を味わう。
特に会話はなくてもベルファレスの隣で食べるふわふわのパンは格別だ。
ヘスティア王国と和平を結んでから、ドラクの生活は一変した。
王国から鉱石発掘員が派遣され、鉱夫や作業員が一時的に移住した。ドラクの集落である城壁外に移民集落が建設された。
採掘量の管理はわたしが行なっている。
王国の地質調査団によると冥界の石以外にも原材料になる鉱石や岩塩が豊富であることがわかった。この土地の採石業の未来は明るい。
もちろん、ドラクとしても与えるばかりではなく、ヘスティア王国から流入した人間達から文化や技術を教わった。
王国から入ってくる良質な絹と裁縫技術により、ドラクの人間もヘスティア城下町で暮す人々と変わらない衣服を身につけるようになり、己を着飾る楽しさを知った。
逆にドラクの民族衣装に欠かせない幾何学模様の刺繍は王国の人間にとっては斬新で、流行になった。幾何学模様を縫い込んだタペストリーやテーブルクロス、衣装は有名なドラクの工芸品となった。
最も革命的なことは農耕だった。人間ほど食料も必要としないドラクは狩猟生活が主だった。
土地の耕し方、育て方の技術を教わったことで食生活が豊かになった。現時点で彼らが口にするのは僅かな量であるため、輸出をするために作物を育てている。まだ生産量も質も劣るが、数年経てば市場に送り出すことができる事業に発展するだろう。
日々わたしが食べるパンもドラクの土地で育った小麦から作られている。王国からやってきた職人がパンの焼き方を伝授してくれた。
ヘスティア王に語った『共栄共存』が両民族間で育まれつつあるのだ。
忙しい一日が始まる前に、大事にしている時間がある。
朝食を終えるとベルファレスとふたりで、城外の高原に向かう。
執務の前に、朝日をいっぱいに浴びた麦畑を眺めるのだ。
大きく実った麦の穂が頭を垂れ、風に揺れる様は黄金の絨毯がたなびいているようだった。
初めてこの土地で育った小麦は実りの季節を迎えていた。
「綺麗だな……」
まるで息を吐くように言ったわたしの言葉は風に乗って、ざわざわとなびく麦穂にかき消された。
肩まで伸びたわたしの髪を撫でながら、ベルファレスが言った。
「ああ。レラが和平の架け橋になってくれたおかげだ。お前に出会えて本当によかった」
ベルファレスは何気ない瞬間でも惜しげもなく、特別な言葉を掛け続けてくれた。わたしの胸が暖かいもので満たされていく。
「わたしも」
そう言いかけようとした時、ベルファレスが突然跪き、わたしの手を取った。恭しげに語りかける。
「麗しき人間の姫よ。どうか俺の想いを受け取ってくれないか。そなたに格別の愛を注ぎたい。命の限り、俺の傍にいて欲しい」
一切の曇りもない瞳で、ベルファレスがわたしを見上げていた。
ベルファレスの瞳は情熱に溢れていて、その視線に絡め取られ、心が絆されていく。
この光景はどこかで見たような気がする。
そうだ。初めは誓約の儀式をしたあの洞窟で。
次は和平を結んでからこの地に帰還したすぐ後。それは今から一年前のことだ。
まだ農耕を開始する前、高原だったこの場所で、改めてベルファレスに求愛され、わたし達は恋人から人生の伴侶となった。
あれから時が経っても変わらずに愛を誓い続けてくれている。自然と微笑みがこぼれる。
一年前と同じ言葉でわたしは愛を誓った。
「……もちろんだ。わたしも愛している」
瞳を閉じ待っているとベルファレスが跪いたままわたしの手に口づけた。
その後すぐに彼は立ち上がり、頭上から額、頬と順に口づける。やっとわたしの唇に辿り着き、軽く唇を触れ合わせた後、唇を吸って深く口づけた。
ベルファレスは抱きしめながら、日々形を変えているわたしの腹に優しく触れる。
「また大きくなったな」
「ああ、さすがドラクの血を引く子だ。成長が早い」
わたしはベルファレスの子を宿していた。あと半年も経てば、お腹の子に会えるだろう。
腹の子のことを思うと愛おしさが溢れ出す。背伸びをしてベルファレスの首に腕を回してしがみつく。今度はわたしの方から口づけた。
「またこうやってここで求愛してくれるか?」
「ああ、もちろんだ。いくらでも口説いてやる」
「ふふ……。自信満々だな。よくも歯が浮くような台詞を言えるものだ」
「人は心で繋がっている。心を繋ぎ止める手段は言葉だ。俺はお前を捕まえるためならなんでもする」
「もう、わたしは何度もベルに捕まっているな」
「……最初は牢に繋いでしまったな。すまなかった」
そんなつもりじゃなかったのにベルファレスが気まずそうに謝るから笑ってしまう。
「ははは……そういう意味ではない。ベルに惚れているってことだ」
「そっ、そうか!」
照れ隠しにベルファレスは背中からわたしを抱いた。きっと顔を見られたくないんだろう。
わたしが求愛の言葉を欲しているのは理由がある。
「人間はドラクと違う。わたしはすぐに老いてしまうだろう。だからベルに飽きられないか不安なんだ。だから言葉が欲しくなる」
ドラクは長命。
それは分かっていたが、いざ人生の伴侶となったとき、初めて共に年を重ねられない不安に襲われた。
「気にしすぎだ。俺はレラの虜だ。飽きるなんてあり得ない」
ベルファレスは不安を掻き消すようにわたしの肩を強く抱き、首筋に口づけた。
「俺はすでにレラの倍は生きている。俺とお前の命はきっと釣り合う。死ぬときは一緒だ」
「そうだとありがたいな……」
『死ぬときは一緒』
その根拠は特にないだろう。でも気遣いがとても嬉しかった。
「……レラ」
「ん?」
声をかけられた方に顔を向けると、不意に唇を軽く食まれた。降り注がれるベルファレスの笑みにたまらず顔がほころぶ。
「表情がずいぶん柔らかくなったな。まるで女神のような微笑みだ。……やはりレラは俺の女神だ」
額に雨のような接吻を受けて、ふふっと甘い微笑が溢れ出す。
「だが、最初に出会った時に俺を睨みつてきた勇ましい顔も堪らないがな」
「ふふっ、どんだけ好きなんだよ」
「……これくらいだ」
強く抱き締めてくるのかと思ったが、ふわっとわたしの体を覆い包み込んできた。
優しくわたしを抱くベルファレスの腕から離れられずにいると、リグとハティ夫妻がやってきた。
「邪魔したな」
「申し訳ありません。そろそろ時間ですので」
ふたりはバツが悪そうにしていた。
リグは建設や農耕、鉱石採掘の技術を学び、日々の現場監督をしている。ハティは特殊能力を活かして人間の治療にあたると共に、人間の医療や薬学を王国の人間から教わっている。
「さあ、今日も仕事だ。いくぞっ!」
「ああ」
「ええ、参りましょう」
わたしが気合いを入れると、ベルファレスとハティが呼応し、それぞれの持ち場に向かっていく。
ふと立ち止まって振り返り、黄金に染まった高原を見やる。
この地でベルファレスと出会わなければ見ることができなかった景色だ。
例えわたしが死んでも、この景色が永遠に続くようにと、そう強く願った。
わたしの体に息づく鼓動を感じる。
ベルファレスの他にわたしの大切なものがもうひとつ増える。なんて愛おしいことなのだろうか。
疎まれて育ち、戦闘に明け暮れる世界に飛び込んでから八年が経った。
わたしは世界最強のドラゴン夫と、剣を握ることない平穏な日々を送っている。
今が人生で一番、最高に幸せだ……!
<終>
降伏から始まる女傑英雄譚 ─竜王に溺愛された外敵男装騎士は和平の道を突き進む─ 星川さわ菜 @sa3wa8na7
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