S.M.I.L.E.

飯田太朗

少年院

「当該少年は製菓品の付属玩具の中身が知りたくて窃盗。犯行に気づき追いかけてきた老年の店員を殴打し殺害。その後逃走」

 中央大学文学部人文社会学科心理学専攻。

 それが僕の所属だった。大学三年のあの日。僕は確か「健康・犯罪心理学」という講義を受講していた。健康と犯罪。一見突飛な組み合わせに見えるかもしれないが、意外や意外。この二つには関連性がある。

 例えば、クレプトマニア。病的窃盗と呼ばれるものである。この患者は金銭のためには盗まず「盗むために盗む」。物を盗む、という行為の中にある緊迫感、スリル、そういうものに依存している状態なのだ。いわゆる依存症の一種。緊迫状況下で出るアドレナリンに依存している。この依存症というのは犯罪と関わりが深い。

 アルコール依存症。「酒がない」と暴力を振るえばそれは暴行罪だ。そんなことを言い出せば、と思うかもしれないが、日本の暴行事件の多くは飲酒の状況下で起こっている。無視できる条件ではない。

 他にも、統合失調症などといった病気は犯罪をする側にもされる側にもなる。錯乱状態で人を殴ればそれは犯罪加害者。そして「統合失調症の支援団体」を偽った犯罪組織によって利用されてしまえば犯罪被害者。そうなる。

 さて、僕はそんな「精神衛生と犯罪の関係性」について扱う講義を受けていた。担当教官は上田うえだりょう教授。

 彼は少年犯罪の権威だった。講義の最終日。彼は自分が行なっている研究について簡単に発表していた。そこで扱ったのが「厚木あつぎスーパー強盗殺人事件」だった。

「……以上のことから、当該少年の認知機能には大きな……」

 自慢になるが、はっきり言っておこう。

 僕はこの講義の成績が良かった。実際とても興味を持った分野であったし、ミステリーを書く人間として犯罪に関係する心理学は参考になるを通り越して「生きた取材」になった。

 だから、上田先生がこの募集をした時には迷わず挙手した。

「来月、多摩少年院に定期監察に行きます。この講義の受講者の中から同伴者を募集します。本日の講義で触れた案件と近しいものもあり、また実際に私が少年犯罪者と面接する過程をマジックミラー越しにですが観察することができます。滅多にないオファーなので、この機会を逃さないように。行きたい人は……」

 と、ここで挙手をした。すると上田教授はニヤッと笑ってから「……行きたい人は講義終了後に私のところに来るように」と告げた。しかし先生はすぐに僕を指すと「君は確定だね。名前と学籍番号を」と訊いてきたので僕は答えた。

「22E6365146E。飯田太朗です」



「一人、優秀な子がいてね。今回の面談はその子を対象に行う」

 さて、多摩少年院に行く日。

 僕は先生の車に乗って目的地へと向かっていた。結局のところ応募してきた学生は僕一人。単位取得に関係ない課外授業を受ける酔狂は僕を除いて他にいなかったらしい。

菊永きくなが瑛一えいいちという少年だ。十五歳。来月で十六歳になる。二週間後に釈放。模範囚でね」

 僕という一人が先生の分野に興味を持ったことがよほど嬉しかったのか、道中先生は饒舌だった。先生は今担当している模範囚の話に夢中だった。

「児童誘拐で捕まった子だ。同じアパートに住む男子児童を誘拐。自宅風呂場にて監禁。髪を剃る、顔面に落書きをするなどの虐待行為をしていた」

「なかなかハードなケースですね」

 僕がそうコメントすると先生は笑った。

「いや、この仕事をやっているともっと酷いケースを目にするよ。君もびっくりしてしまうんじゃないかな」

「そうですか」

「人生というのは厄介でね。美しい反面、時折ものすごい残虐性を見せる。見るに耐えないような、ね」

 その言葉を聞いて、僕が曖昧に微笑むと先生はルームミラー越しに僕を見た。

「そういえば君はどうしてこの学問に興味を?」

 一瞬、僕はいろいろ考えたが、すぐに本心を話すことにした。

「人間って、面白いじゃないですか」

 すると先生は笑った。

「違いない」



 少年院に到着して、先生が渡してくれた資料に目を通した。

 今回観察することになった菊永瑛一少年が犯した罪、及びその内容、判決内容などが事細かに記されていた。そこにあるに、いわく。

〈被害者児童(9歳)を誘拐の後、しゃべろうとする度に殴打し、沈黙を強制。『スマイル』と口に割り箸を咥えさせそれを落とさないよう指示。煙草の火を押し付けたり、ライターを改造して作った簡易スタンガンなどを押し付け拷問。割り箸を落とす度に定規で殴打。髪を剃り、頬に赤い油性ペンで『笑っているピエロのような』落書きを施し写真を撮影。ばら撒くぞ、と恫喝〉

〈被害者児童は割り箸を咥えさられ笑顔を強制されたことで笑うことに対し忌避感を覚えるようになる。重度の心的外傷後ストレス障害とパニック障害を併発し、現在児童精神病院にて治療観察中〉

〈菊永瑛一は幼少期より父に『辛気臭い顔が気に入らん』と箸を咥えさせられていた。父はとある情報番組で『箸を咥えて無理矢理にでも笑顔を作るとストレスが軽減される』という情報を断片的に受け止め『箸で笑顔を作らせる』ことを学習。それを息子に実施させた〉

 資料を読んでいてなかなかのものだと思ったが、どうも幼少期に父から受けた虐待を周りの人間に繰り返したケースのようだ。こういうことはままある。何を隠そう僕も、父親との関係が上手くいかなかったからこんな性格になった節はある。

 さて、問題の菊永瑛一少年だったが、マジックミラー越しに見た彼はどうしようもないくらい無表情だった。ただ、上田先生が面談中に砕けた話をすると唇の端をひゅっと歪めた。笑っているらしいことは見てとれた。

「先生」

 面談の終わり。

 僕はノートにびっしりメモを書いており、それだけでとても実りのある実習だったのだが、最後の最後にとてつもないお土産が来た。菊永少年は、上田先生にこう告げた。

「二週間後の釈放なんですが、気になっていることがあります」



 福升ふっしょう村。菊永少年の出身地らしい。

 人口百二十人程度。小さな村だ。東京は青梅おうめ、山の奥にある村で、バスを使って行ける青梅駅が一番近場の「町」だった。

 少年が逮捕前に暮らしていたアパートは村の南西、バス停に近い場所にあり、村の中ではある種の一等地、誰もが羨む場所にできた「新しい住居」だった。菊永少年の父、菊永きくなが慎一しんいちは村出身のエンジニアで、週に四日程青梅市に通って電化製品の修繕業に従事していた。

 非正規雇用だったこともあり収入は少なく、また妻にも不倫の末逃げられたため、菊永少年に母なく、その金銭的余裕のなさと愛情の欠落も事件の発生に一役買ったように思われた。父は釈放後の息子の保護を拒否した。

 釈放の日。僕は先生と菊永少年を迎えにいき、その足で福升村へと向かった。

「別の場所で生活するということもできるんだよ」

 福升村に着いてすぐ。

 硬い表情のままでいる菊永少年に、上田先生は告げた。

「無理にこの村に留まることはないんだ」

 しかし菊永少年は口を開いた。

「いえ」

 短い言葉だった。

「ここがいいんです」

 少年は歩き始めた。

 少年の身元を引き取ってくれる人間は、村の神社にいた。

 神主の池山いけやま二勝にしょう氏は地元への貢献活動として神社施設の一画を利用した児童館の運営を行なっており、そこの裏方スタッフとして菊永少年を迎え入れる予定のようだった。

「村人たちを説得してまわりました」

 菊永少年が荷物を下ろしている間。別室にて、池山神主は上田先生に報告した。

「まだ老人たちは警戒心が強いものの、親御さん世代は『子供に直接接しない業務ならば』とお許しをもらっています」

「ご協力、感謝いたします」

 深々頭を下げる上田先生。僕も倣う。

「菊永くんには住み込みで働いてもらいます。児童館の運営の他にも、境内の清掃なんかも行なってもらうつもりです」

「私の方も定期的に様子を見に来ます。現状、考えているのは半年間ほどは月に一回面談、その後は様子を見つつ二ヶ月に一度、三ヶ月に一度と頻度を減らしていけたらと思っています」

 今後の予定について共有し合う二人。僕は目線を逸らして、窓の外に広がる神社の境内を見た。

 ――フッショウさまが来るんです。

 あの日……僕が多摩少年院に先生の仕事の見学に行ったあの日、菊永少年はそう、先生に相談した。

 ――フッショウさま? 

 先生がそう訊き返すと少年は俯いた。

 ――村のお祭りです。ちょうど二週間後……一月の末にある。

 ――どんなお祭りなんだい。

 菊永少年は、一瞬、ためらった。

 それから、恐る恐る口を開いた。

 ――神様を祀るんです……笑いの……笑いの神様なんです……。

 その言葉で、上田先生は全てを察したようだった。僕の方でも、資料に目を落としつつ、察した。菊永少年は「笑う」行為に対して問題を抱えている。そこに笑いの神様。相性は、悪い。

 ――分かった。釈放後の手続きには私も行く。

 上田先生がそう提案するのはある種当然だった。菊永少年も、頷いた。

 ――ありがとうございます。



「フッショウさま、漢字で書くと『福』に『笑』で『福笑様』ですね。ひょうきん者の、猿の姿をした神様です」

 神社の境内を歩きながら。僕は、池山神主に説明を受けていた。上田先生が菊永少年と面談をしている間、空いた時間で池山神主に境内を案内してもらっていたのだ。

「今夜の『福笑祭り』では、男衆が顔に紅を塗って『福笑踊り』を踊ります。この神社がある福升山の山頂から村の南端にあるバス停まで、舞いながら下山する、そんなお祭りです」

 なるほどなかなか興味深い。

「他所の市町村からも見物客が来たりして、毎年なかなか盛況するんですよ。村の経済を支える一大行事です」

 そう、神主さんが見せてきたスマホの中には、白塗りした顔に紅で「笑顔」を作った男衆が阿波踊りのような舞を踊りながら山道を降りていく様が動画で残されていた。僕は薄寒いものを感じた。

 笑顔。

 菊永少年の父親が笑顔にこだわった理由も、菊永少年にとって笑顔が大敵だった理由も、全てここにある気がしたからだ。

 夕暮れ。遠い西の端が赤くなり始めた頃、上田先生が何だか焦った様子でやってきた。

「すまないね、飯田くん。時間がかかってしまった」

 いえ、と僕は応じる。

「もう帰らないとだね。終バスが十分後に出る。私はもう少し仕事がありそうだからここに泊まっていくことにした。君は帰った方がいい」

 急ぎ足でそう告げられる。僕は一瞬迷った。福笑祭り。今夜ある。

 とはいえ、先生の勧め通り、手早く帰り支度をしてバス停へと向かった。薄暗い闇の中。バスを待っている僕の耳に、祭囃子が聞こえてきた。

 再び、迷う。

 しかし僕は覚悟を決めると、鞄を持った手を強く握り引き返した。それから先生に、スマホでメッセージを送る。

〈バス、行ってしまいました。帰れません〉



「早めに言ってくれてよかった」

 先ほどまでいた、神社の社務所。

 上田先生はここに泊まることにしたらしい。ということは、僕もここに泊まるのだ。

「親御さんは平気かい」

 そう訊かれたので僕は返した。

「息子がアル中に片足突っ込んでも無関心な親ですから」

 上田先生は笑った。

「君も大変なんだな」

 それから、先生は祭りの関係で不在である神主さんの代わりに簡単に施設の案内をしてくれた。泊まる部屋、トイレ、風呂、洗面所、食事をする場所、それらを教えてくれた後、僕に向かって「熱心な学生で嬉しいよ。今年はゼミ生を取らない予定だが、それが惜しいくらいだ」と笑った。そのまま食事の席で心理学の話で盛り上がった。

「あのう」

 社務所の玄関に訪問があったのは、僕たちの食事も終わりかけた頃だった。話はちょうど福笑祭りに及んでいて、先生が本件に関するレポートを適当に書き終えたら行ってみようかと話していた時だった。

「池山さん、いませんか」

 そう、玄関に姿を現したのは、真っ白な顔に耳元まで伸びる赤い唇を描いた「笑顔」の男性だった。僕がぎょっとしていると、上田先生が返した。

「いえ、ここにはいませんが」

 すると男は笑顔を歪めた。

「困りましたな。池山さんがいないことには踊りを始められな……」

 と、言いかけた時だった。

「てっ、てっちゃん、てっちゃん!」

 笑顔の男の背後からもう一人の笑顔の男がやってきた。こちらも笑った顔を歪め、何らかの「笑顔ではない」表情をしていたのだが読み取れなかった。暗闇故か、それとも……。

 しかし男は続けた。

「池山さんが、死んでらぁ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年1月11日 21:00

S.M.I.L.E. 飯田太朗 @taroIda

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画