エピローグ
薄暗い廊下から抜け出した根岸の耳には、遠くで鳴り響くサイレンの音がうっすらと届いていた。
廃墟のように荒れ果てた会場の外では、警察や報道陣が押し寄せ、大混乱になっているらしい。
誰も彼女を止める者はいない。意外にも、根岸の足取りはしっかりとしていた。
「……ふう」
冷たい夜風を浴びながら、根岸は小さく息を吐く。
次の瞬間、スマホの画面には信じられない数の通知が並んでいた。
SNSのトップには彼女の名前を讃えるトレンドが踊り、“デスゲーム文学”と銘打たれたスキャンダル記事が拡散されている。
読者の反応は「この作品に救われた」「こんな恐ろしいゲーム、許せない」の混在だったが、どちらにせよ、世界はもう根岸 千夏の名を見逃せなくなったのだ。
「わたしにしか書けないものがあるのなら……書かなくちゃね」
そう呟いたとき、遠くに倒壊しかけた塀の向こうを人影が横切った気がした。
それは、どこか見覚えのある輪郭。
ひょっとすると、デスゲームで勝ち残れなかった作家かもしれない。
だが暗がりに溶けるように消えてしまい、根岸には確かめようがなかった。
一方、とある場所では、黒い仮面を机の上に置いた主催者が、不敵に笑っているという噂もあった。
法の網をかいくぐったのか、あるいはさらなる企みを水面下で進めているのか。
それを知る者は誰もいない。
ただ、SNSには仮面を模したアイコンがいくつも新規アカウントを作り、「血こそ才能を輝かせる」などと不穏なメッセージを書き込んでいるとも言われる。
まるで、このデスゲームが終わりなどではなく、新しい“惨劇”を予感させるかのように。
根岸はそんな噂に耳を傾ける余裕もないまま、ようやく人通りのある大通りへ足を踏み出した。
スマホが鳴りっぱなしなのを知りつつ、彼女は「ありがと」と静かに画面をなでる。 「誰かが読んでくれてる。だったら、わたしは書く。……それしかないんだから」 数時間前までの恐怖が嘘のように、都市のネオンは輝き、夜空は淡い光を落としている。
血と悲鳴と執筆の地獄をくぐり抜けた女がいま立つのは、いつかの日常とさほど変わらぬ街角だ。
それでも確実に、彼女の世界は変わってしまった。
“世界が震撼したデスゲーム文学”。
そのセンセーショナルな見出しが、新たなる時代の歪んだ幕開けを告げているかもしれない。
けれど根岸は立ち止まることなく歩む。スマホのマイクをオンにし、小さなメモを録音する――きっと、次の作品のために。
「これは終わりなのか、それとも始まりなのか。わたしは知りたい。……全部、書ききってみせるよ」
こうして、夜の街角に溶け込む彼女の姿を見送る者は、いまだに興奮冷めやらぬネットの人々だけだった。
そして誰もが思い知る──まだまだこの物語は終わりではない。
デスゲームの余波が、文学という名の巨大な海をどこまで揺さぶるのか。
根岸が歩み去った道の先で、一瞬だけ仮面の影がきらりと光ったように見えたが、すぐに暗がりへ消えていった。
本当の戦いは、もしかすると、いまここから始まるのかもしれない。
小説家デスゲーム —— 血に染まる筆先 三坂鳴 @strapyoung
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