EP.1
ご機嫌よう、皆様。
私はエブァリーナ・ヴィー・アルムヘイムと申します。
この大帝国にある公爵家に生まれた、所謂公爵令嬢ですわね。
ふふっ、何だかおかしな気持ちですわ。
だって私、異世界転生してしまったんですもの。
前の人生までは日本で暮らしていたんですよ?
平凡で幸せな人生でした。
愛する夫、可愛い子供達に囲まれて、83歳まで生きさせていただきました。
あらあら、ごめんなさい。
異世界転生者がこんなおばぁちゃんで。
本当に申し訳ないわ。
でも私ね、少しだけ異世界転生に詳しいんですのよ。
こんなおばあちゃんだけど。
私には娘がいるのですが、いえ、いたのですが、が正しいのよね。
その娘が漫画やアニメが大好きで、特に異世界転生ものは家に山積みにしていたのよね。
あの子ったら、結婚して子供が出来てもやめられなくて。
ふふっ、仕方ない子ね。
でもね、私、あの子が楽しそうに話す漫画やアニメの話が大好きでした。
夢中になれるものがあるって本当に良い事だもの。
それに年齢は関係ありませんよね?
ですから、神様にこの世界に送られて目を覚ました時に、ここが前にいた世界とは違う場所だとすんなり受け入れられたのです。
……私にはね、神様から与えられた一つの使命がありまして、それにこの人生を捧げる為ここに生まれて来ました。
実はその神様とはもう古い付き合いになりまして。
前の世界でも輪廻を繰り返し、人生を終える度に神様とお会いして自分の輪廻の歴史を思い出す、そんな事を繰り返していましたから。
まぁ、次に生まれ変わってしまえば、その記憶は失っているんですけどね。
でも、そんな事情のある輪廻もこれでどうやら最後のようです。
今回は今まで歩んできた全ての人生の記憶があります。
それはきっと、この特殊な輪廻の終わりを意味しているのでしょう。
この人生で私にはどうしても成し遂げねばならない使命があります。
その使命の為、私は生きる事になるでしょう。
ですから少しでも早く動き出したい所なのですが………困りましたわ。
今の私ったら、自分では移動する事も出来ないのですもの。
うふふ、メイドはどこかしら?
「あらあら、エブァリーナお嬢様、お目覚めでしたのね」
腕が伸びてきて、私を抱き上げてくれたので、私は感謝の意味を込めてニコッと笑い返しました。
「キャッキャッ」
つい声を上げてしまうのは、私が今赤ん坊だからですわ、失礼。
そう、困った事に私ったら、今赤ん坊なのです。
娘の持っていた漫画ではだいたい、この辺はスキップ出来ていた筈ですのに、やっぱり現実は漫画のようにはいきませんね。
「まぁ、ご機嫌ですね、お嬢様。
本当にお可愛らしい」
目を細めて私の顔を覗き込むメイドの気持ちが私には本当によく分かります。
前世で3人の子を産み育てたんですもの。
赤ん坊の可愛らしさに勝るものなど、どの世界にも存在しませんわよね。
まぁ、動物も可愛いですけどね。
前世では常に動物が側にいましたから、今は少し物足りなさを感じます。
「さぁ、お嬢様、奥様に朝のご挨拶に参りましょう?」
そう言って穏やかに微笑むメイドの口元が、微かに緊張で強張っている。
……あの奥様、ですものね、仕方の無い事だわ。
この邸の奥様、つまり私エブァリーナの母親。
私を産んで身体を壊し、自室に寝たきりになってしまった可哀想な女性。
そのお母様へのご挨拶に、毎日メイドが連れて行ってくれているのだけど……。
いえ、私を命懸けで産んでくれた尊い女性だもの、朝のご挨拶くらい当たり前の事よね、当然だわ。
そもそも私、赤ん坊だからされるがままですし。
メイドに抱かれてお母様の自室に連れて行かれると、部屋の前で待っていたお母様付きの侍女がメイドから私を受け取り、代わりに抱いて寝室へと連れて行く。
侍女の顔も強張っているのは、もう仕方の無い事。
「奥様、お嬢様の朝のご挨拶でございます」
侍女の私を抱く腕に力が入り、いつでも私を庇えるようにと身構えているのがそこから伝わってきた。
「それを私に近付けないでっ!」
ベッドから悲鳴のような叫び声と共に、小さな置き時計がこちらに投げつけられてきた。
侍女に緊張が走り、咄嗟に私を抱え込んで背で庇うけれど、投げた力が弱すぎて私達の所にまでは届かない。
「それのせいで私はこんな身体になったのよっ!
それのせいで公爵様は私を見限ってしまったっ!
全部全部っ!それのせいなのよっ!」
ベッドから聞こえる金切り声に、私は思わず眉間に皺を寄せた。
同じ母親ですから、産みの苦しみは分かります。
私も、娘の時は初産で大変な思いを致しましたから。
産むまでに20時間かかり、出血が酷く輸血までしましたからね。
危ない状態だったと主治医にも言われました。
彼女のように産後も寝たきりを余儀なくされて、辛い環境である事も理解出来ます。
ですが、そんな辛さも産まれたばかりの我が子を抱けば、全てが嘘のように吹き飛んでしまうものです。
母親ですもの。
命を賭けて産んだからこそ、尚一層愛しく尊い存在、それが我が子というものです。
………ですが、彼女はそうでは無いようですね。
出産の際に気を失い、そのまま私を産み落としたものだから、赤ん坊の産声も聞いていませんし。
彼女からしたら、死の淵から戻ったと思ったら身体の自由が奪われていて、尚且つ、自分はもう子供が産めない身体になったのだと宣告されてしまったのだから。
それでも、私が男児であれば、まだ望みもあったでしょうけど。
残念ながら私は女児でした。
彼女は絶望の淵に叩き落とされ、自分を嘆き、生きる気力さえ失っているのです。
この世界の貴族社会では、まだまだ男児が家の後継ぎという風習が根強いみたいですわね。
男児を産めないまま、今回の出産で次を望めない身体になってしまった彼女には、本当に心の底から同情はします。
私の力でこっそり心の治癒を施しても良いのだけれど、これだけ拒絶されていては完全に治癒するのは無理ね。
それに何より、彼女自身が越えるべき問題でもあるし。
問題は、この出産だけにある訳では無い、という事です。
……それから、産まれたばかりの可愛い赤ん坊を〝ソレ〟と称するのは感心しないわ。
物を投げるのも同様。
彼女には少し自分の愚かさを知ってもらうべきね。
もちろん、大変な思いをして大切なものを失い傷ついている事は十分に理解出来ます。
だけど、だからって周りに何をしても良いって事では無いのよ?
今の彼女を受け止めてくれている周りの人間にも、そろそろ目を向けるべきね。
「……失礼致しました、奥様。
ではお嬢様には自室に戻っていただきますね」
彼女付きの侍女がそう言って頭を下げ、彼女に背を向けると、彼女は一瞬ピクッと身体を揺らし、微かに手を動かした。
それはこちらに、そう、確かに私に向かって伸ばされた手だった………。
……本当は、抱きたいのね、我が子を。
その腕に抱きしめたいはず。
でも今の彼女には、私に全てを適任転嫁して恨む事で日々を乗り越える力しか残っていないのでしょう。
弱い事は悪い事では無いけれど、母親になったなら、弱いとか強いとかそんな事は言ってられないのよ?
日々全力で我が子を育てるの。
母親が守らなくてどうするの?自分の赤ん坊を。
周りが彼女を労る気持ちも分かるけど、そろそろ彼女には現実に立ち向かってもらわなければいけません。
今世の母親に向かって可愛らしく笑いながら、私は侍女に連れられて自室へと戻された。
定位置であるベビーベッドに寝かされて、侍女がいなくなると、メイドの目を盗んでふむと手を顎にやる。
まだうまく動かせないから、何故か目をバチバチ何回か叩いちゃったけど。
さて、私の未来はどちらかしら?
もちろん、娘の大好きだった異世界転生モノで言えば、という事でね。
産まれてすぐに母親に憎まれ、母の愛を知らずに育つ薄幸の美少女(自分で言う)か、それにより性格が歪み権力をかさに着て周りを傷つける悪役令嬢か………。
なんてね、まぁどちらも無いでしょうけど。
そもそも私には明白な使命があるので、あまり遠回りも出来ません。
母親との不仲によって運命を左右されている暇は無いのです、残念ながら。
もちろん、皇子様だとか攻略対象なんかも謹んでお断り致しますわ。
私の相手はすでに決まっていますから。
前世で何度も愛し合った、ただ1人の人がいますからね。
今までとは違う世界に来てしまったけれど、きっと彼もこの世界に生まれ変わっている。
私には分かるんです。
私達はそのように出来ていますから。
ですから、異世界転生やら悪役令嬢やらに付き合う気はサラサラありませんが、そうですね。
自分が育つ環境はきちんとしたものに整えねばなりません。
幸い、公爵家に産まれた以上、衣食住に困る事は無いでしょう。
人間、どんな困難に陥っても衣食住を最低限、自分の出来うる限り整えておけば、存外落ちるところまで落ちないものです。
ここが整えられるか出来ないかでは雲泥の差ですから。
そんな訳で、薄幸の美少女ルートはあり得ませんね。
母親の事だけをもってして薄幸、だなんて厚顔無恥過ぎてとてもでは無いですけど言えません。
それでは悲劇のヒロインごっこが過ぎる、というものです。
衣食住に問題が無いとすれば、次は家族についてです。
やはりまず整えるべきは、家族ですね。
これから私達は家族として支えあっていかなければいけないのですから。
このままでは母親である彼女も哀れですし。
せっかく両親が揃っているなら、まずはこの夫婦の仲を正常なものに戻さなければ。
家族はいわば一つのチームです、そして父親と母親はそのチームのリーダー。
ここが足並みを揃えない事には、チームは正常に機能しません。
そこを正してあげる事が私の今後に大きく影響するでしょう。
………さて。
生まれ変わって3ヶ月。
赤ん坊の状態で使用人達の噂話に耳をそばだててきましたが。
あの母親のヒステリーの大元の原因は、私を出産して身体を病んだ事だけでは無さそうですね。
………諸悪の根源とでも言いましょうか。
それは………。
「エブァリーナは起きているか?」
その時、ノックもせずに1人の男がズカズカと部屋に入ってきて、私は赤ん坊に似つかわしくない溜息を密かについた。
「まぁっ、公爵閣下っ!
おいでになるなら言ってくださればご用意致しましたのに……」
私の乳母が慌ててその男に駆け寄り頭を深く下げる。
他にいたメイド達も一様に深く頭を下げてその男を迎えた。
「よい、娘に会うのに何の用意も要らぬ。
それよりエブァリーナと2人にしてくれ」
無表情のまま男は乳母を見てそう言い、乳母とメイド達はまた深く頭を下げると早々に部屋から出て行った。
「……イブ、今日もなんて可愛らしいんだ」
男は乳母達が出て行ったのを確認してから、ベビーベッドの中に手を伸ばし、優しく私を抱き上げた。
「ああ、本当に……私の娘は天使のようだ……」
冷徹な顔を途端に崩して、男は私を見て目尻を下げた……。
スペンサー・ヴィー・アルムヘイム。
アルムヘイム公爵であり、エブァリーナこと私の父親。
そして、母親をあそこまで追い詰めた張本人。
………なのだけど、本人にまったく自覚が無いのよね、頭が痛い事に。
はぁっと深い溜息をつきたいところを堪えて、私は父親に向かってキャッキャッと声を上げて笑った。
ペチペチと顔を叩いてしまうのはわざとじゃないのよ?
モロー反射?とにかく、まだ自分の体を制御しきれませんの。
ごめん遊ばせ、お父様。
「ふふ、イブは元気だな。
可愛い手で父を撫でてくれているのか?」
いえ、叩いていますけど?
と伝えたくても出来ないのが赤ん坊の辛いところです。
溶けそうな甘い目で私を見つめる父親。
彼を諸悪の根源と称するのは少し哀れな気もしますが、でも間違いなく、母親にとっては彼こそが全ての元凶なのかも知れません。
人払いをしなければ自分の娘も抱けない彼は、一見威厳があり冷徹な人間に見えますが……その実、もの凄く不器用なだけなのです。
こうして時間さえあれば私の所に通ってきますので、流石に彼の事も何となく理解出来るようになってきました。
そうですね、彼はそう、とんでもない朴念仁、とでも言いましょうか……。
公爵家の跡取りとして、感情を表に出さないよう徹底的に教育されてきたのは分かりますが、額面通りに素直に実行し過ぎですし、オンオフの切り替えさえ出来ていません。
おまけに余計なお喋りなども不必要と教え込まれたのでしょう、恐ろしく無口です。
これでは、実は彼はただ素直なだけなのだと、誰が気付くでしょうか?
それにこの父親は、死ぬ思いをして私を産んだ母親の所には全く通っていません。
それは何故かと言うと、意識を取り戻し、自分の状況を告げられたばかりの彼女の所に間の悪いタイミングで訪問し、ボロボロの状態の彼女に、この部屋には2度と来ないでっ!と言われ、それを律儀に守っているからです。
……呆れてしまいますわよね?
この父親が母親の言う事を無視して、傷ついた彼女を無理矢理にでも抱きしめていれば、心からの労りの言葉をかけていれば、どれだけ拒否されても彼女の部屋に通っていれば………。
彼女はあそこまで病む事はなかったかも知れません。
ペチペチとお父様の顔を叩く手をコントロール出来ないのは、私がまだ赤ん坊だからであって、他に他意はありませんのよ?
ですが、そうですね?
彼が私の息子であれば、こんなものでは済まなかったかも知れませんね?
首根っこひっ捕まえて、引き摺ってでも、大変な思いをして赤ん坊を産んでくれた奥さんの所に連れて行っていたでしょうね。
うふふ、お父様。
私、こう見えて83年間のキャリアが既にありますから。
その前の前世も合わせれば、一体何年になるかしらね?
とにかく、例え自覚は無くとも、出産したばかりの妻への配慮がとことん足りない貴方のような方には、特大の雷を落として差し上げましょう。
どうぞ楽しみになさって下さい、お父様。
仮面公爵と赤髪の魔女 森林 浴 @uru43
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