仮面公爵と赤髪の魔女

森林 浴

EP.0 〜プロローグ〜

「……よく頑張ってくれましたね」


目の前の優しい微笑みに、彼女は少しだけ微笑み返して頷いた。


「いつも不思議ですけど、生きている間は全てを忘れているのに、ここに来ると思い出すんですね」


ふふっと笑いながら首を傾げる彼女の姿がどんどんと若返っていって、やがて20代の頃くらいの容姿に戻った。


「ええ、貴女の輪廻は普通のものとは違いますから。

全てがその魂に深く刻まれてしまうのでしょう。

それは薄れる事はなく、鮮やかに鮮明に残ってしまう……。

申し訳ありません、貴女1人にそのような重荷を背負わせてしまって……」


心底申し訳なさそうに俯く我が主に、彼女、〝ツクヨミ〟は穏やかに微笑んだまま首を横に振った。


「いいえ、私はいつだって1人なんかではありませんでした。

どの人生でもあの人が必ず側にいてくれたし、それにいつも一緒にいる存在だって……」


そう言って微笑むツクヨミの背後に、ガシャンッと音を立て、何重もの鎖で拘束され、白い布に巻かれた人型がズズッと現れる。


その頭の部分の布がパラリと捲れ、その下から白く美しい女性の顔が覗くと、我が主、博愛の神クリケィティア様がグッと喉を詰まらせ、震える指をその顔に伸ばした。


「……かつて、神の摂理に背き、神界から下界に引き摺り堕とされた女神……。

その業と贖罪を貴女1人に背負わせ、何度も辛い輪廻を繰り返させてしまいました……。

貴女には本当に、何と詫びれば良いのか……」


クリケィティア様の目尻に浮かぶ涙に気付いたツクヨミが、まるで幼子にするように指でその涙を拭い、安心させるように朗らかに笑った。


「いいえ、私は今までの人生を辛いと思った事はありませんよ?

いつだってあの人に出逢って、そして一緒にいられたのですから。

それに、女神様とも常に共にあれたのです。

どの人生も、とても幸せでした」


そう言ってニッコリ笑うツクヨミの笑顔には嘘偽りの影など無く、あの過酷で理不尽な人生の数々を本当に心の底から幸せだったと思っている事が伝わってきた。

その強さに目眩を感じたのは僕だけでは無かったのだろう、クリケィティア様も目を細め、その瞳に彼女への畏敬の念を浮かべていた。


『わおんっ!』


僕が我慢出来ずに鳴き声を上げると、ツクヨミはふふっと笑いながら僕の頭を撫でて、優しく笑いかけてくれた。


「そうね、それにタロちゃんもいつも一緒にいてくれたわね。

ありがとう、タロちゃん。

いつも側にいてくれて」


僕は昔とは違う、今のツクヨミの笑い方も大好きだ。

優しく頭を撫でてくれるその手はずっと変わらないけど。


「ああ、そうでしたね、お前ももう、役目を終える頃ですね。

さぁ、私の中に還っておいで」


クリケィティア様にそう言われて、その手が伸びてきた時に、僕は思わずピクッと体を揺らしてしまった。

でもその手が僕の頭に乗った時には、全てを諦められる気がしたんだ。

やっぱり、胸の中から込み上げてくる切ないほどの懐古の念に、僕のいる場所はそこなのだと納得するしか無かった。


………たとえ、ただ一つの望みを捨て去ることになろうとも。


だけどクリケィティア様は、僕の頭に触れるとピクリと指先を震わせて、驚いたように目を見開いた。

そして、何だか嬉しそうに笑ったんだ。


「……おや、お前………もう私とは別のものになったのだね?

そう、それほどに彼女を見護り続けてくれていたんだね。

ありがとう、可愛い我が子よ。

長の務め、本当にご苦労だったね。

お前はもう、私とは一つにはなれないよ。

私とは違う存在になっているからね。

好きな姿になって、好きな所に行かせてあげよう」


クリケィティア様の言葉に不思議に思って首を傾げていると、ツクヨミが僕の顎の下にスッと手を差し入れ、優しくそこを撫でてくれた。


「良かったわね、タロちゃん。

タロちゃんはね、もうずっと前からタロちゃんだったわよ。

他の誰でもない、タロちゃんという唯一の存在。

私は気付いていたの、きっとタロちゃんはいつか自分の人生を手に入れるって。

ねぇ?タロちゃん。

何になりたい?何がしたい?」


ニコニコと笑いながら僕の顔を覗き込んでくるツクヨミの言葉が、僕には理解出来なかった。

だって僕は、クリケィティア様がツクヨミを見護る為に自身の一部を分け与えた存在で、この体も心も、クリケィティア様そのものなのに。

僕は僕という存在になったと言われても、どうしたらいいか分からない。


『………えっと、僕……よく分からない……。

僕はまた、ツクヨミと一緒にいたらダメなの?』


どうしたらいいのか分からない僕に、ツクヨミは腕組みをしてう〜んと首を捻った。


「もちろん、また一緒にいられるなら私は嬉しいわ。

でもねタロちゃん、タロちゃんにはきっと会いたい人が居るはずよ。

目を閉じて、思い浮かぶ顔があるはずだと私は思うの」


ツクヨミにそう言われて、僕はギュッと目を閉じてみた。

白く滲む視界の先に、あの子の笑顔が思い浮かんだ……。


………そうだ、僕、あの子に………。


ゆっくりと目を開けると、僕は真っ直ぐにツクヨミを見上げた。


『ツクヨミ、僕、あの子にまた会いたい。

僕を置いて先にいっちゃったあの子を、今度こそ捕まえたいんだ』


上半身を持ち上げて前足でツクヨに縋り付き、必死にそう訴えると、ツクヨミは本当に嬉しそうに破顔して僕の頬の毛をクシャクシャと撫で回した。


「そう、良かったわね、タロちゃん。

あのお嬢さんがタロちゃんの運命の人なのよ。

次は同じように肩を並べて、きっと一緒に歩けるわ。

私を見護る為だけに存在していたタロちゃんに、自分の意思が生まれて、私、本当に嬉しいの。

タロちゃんにずっと支えてきてもらったんだもの。

タロちゃんには今度こそ、自分の為だけの人生を生きて欲しい」


ツクヨミの目尻にうっすらと浮かぶ涙がキラキラと光って、僕は少し目を細めた。

ツクヨミの魂は穢れないまま、何度も繰り返される過酷な輪廻を超えてきたんだ。

そのツクヨミの1番側で彼女を見護る事が、僕が存在する理由だったのに、本当に良いのかな?

僕は僕の思うがまま、あの子にまた会いたいって思って良いのかな?


戸惑う僕の頭にクリケィティア様の手が優しく触れて、見上げてみると全てが赦されるような慈愛の溢れた微笑みがそこにあった。


「お前はもう、私とは別のものになりましたからね、この中には戻れません。

そして、彼女を見護る役目も、もう終わったのです。

お前の望むように生きなさい」


そう言われて胸の奥から言いようのない喜びが溢れ出してきた。


あの子に、また会える。

僕を置いていったあの子を、追いかける事が出来るんだ。

僕の見てきた中で、1番綺麗で1番大好きなあの子。

ツクヨミの事も大好きだけど、あの子とは違うんだ。

あの子は、そう………。

僕の欲しいものだ。

そして、大事にして、側にいたい。

僕、あの子を僕のものにしたいんだ。


そんな感情を初めて感じた。

だって僕は、生き物の姿を借りた神の化身。

自分が自分だけのものだと感じた事は一度も無くて、何かをこんなに求める気持ちも初めて知ったんだから。


でも、僕はとっくに僕という存在だったみたいだ。

長い時をツクヨミを見護りながら一緒に生きてきたから、知らない間に何か別の存在になってしまっていたんだと思う。


『ありがとう、クリケィティア様、ツクヨミ。

僕、あの子を追いかけるね、地の底までも』


「あ、あら?」


わふわふとキラキラお目目で2人を見つめると、何故か微妙な顔をされたんだけど、きっと気のせいだと思う、うん。


『あっ、僕、呼ばれてる。

もう少しあの子達の側にいてあげなきゃ』


僕を呼ぶ声に気付いてツクヨミにそう言うと、ツクヨミは切なげに目を細めて僕を見つめた。


「そう、ありがとう、タロちゃん。

最後まで私達に寄り添ってくれて。

あの子達をもう少しだけ、お願いね」


ツクヨミはお母さんの顔をして、僕を通り越して可愛いあの子達を見つめているみたいだった。


『うん、任せて。

ねぇ、ツクヨミ?また会えるよね?』


くぅぅぅ〜んと甘えるように喉を鳴らす僕に、ツクヨミは愛し気にその手で頭を撫でながら、優しく微笑んだ。


「ええ、きっと、また会えるわ」


ツクヨミのその言葉に僕は安心して、クルッと2人に背を向けた。


『それじゃ、さよなら、クリケィティア様。

またね、ツクヨミ』


そう言って駆け出す僕を、2人が優しく穏やかに見つめてくれているのが分かった。


僕の僕だけの人生。

きっとあの子を見つけて、捕まえるんだ。

そして僕の気持ちをたくさんたくさん、聞いてもらおう。

あの子がうんざりするくらいにね。






◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 






「あら、タロちゃんいたいたっ!

もぉー、探したんだから」


ホッとしたような顔で僕をギュッと抱きしめたのは、ツクヨミの娘だった。


「なんだ、そんなとこにいたのか」


「おかしいな?さっきここは探しにきたのに」


息子達もこちらにきて、僕の眠っていた縁側によいしょと座った。


「お母さんが亡くなって、もう四九日だなんて、まだ信じられない……。

はぁ、タロちゃんが居なかったらずっと立ち直れなかったかもしれないわね」


ツクヨミによく似た娘が僕の頭にスリスリと頬擦りをして、僕は気持ちよさに目を細めた。


「良い年して母親が死んだからって、犬に支えられたなんてデカい声じゃ言えねーよな」


そう言って、上の息子が僕の顎下を優しく撫でた。


「母親を亡くした喪失感に年齢なんか関係ないよ。

タロは僕らが小さな頃からずっと一緒なんだから、支え合ったっていいだろ?」


下の息子がそう言うと、長女のくせに1番の甘えん坊だった娘がうんうんと頷いた。


「そうよ、タロちゃんは私達と一緒に育ったんだから、一緒に悲しんでくれてるのよ。

お互いお婆ちゃんとお爺ちゃんになっちゃったけど………」


「……おい、ちょっと待て………。

タロって今、何歳だ………?」


上の息子が少し焦った声で聞いて、下の息子も冷や汗を流し始めた。


「……僕らが生まれた頃に一緒だった写真があるよね?

それに、母さんも生まれた頃からタロと一緒だった、って言ってなかった?」


3人で顔を見合わせ、ゴクリと同時に唾を飲み込む。


「ま、まぁ……お母さん自体が普通じゃなかったから……。

異様に感が良くて、何故か先々のことまで予測出来てたし」


「そうだな、普通の母親では無かったな。

勘っていうか、とにかく何でも良く当ててたよな」


「お陰で僕らも、大きな間違いを犯さずにこの年まで生きて来れたんだよね」


顔を見合わせた3人は、それぞれにツクヨミとの想い出を思いだしているのか、目を細めて懐かしそうな優しい顔をしている。


この人生でのツクヨミは、本当にたくさん生きた。

それまでとは比べようも無いほど平凡で、幸せな人生を。

あの人との子供だって3人も産んだんだ。

そして、皆んなが歳を取るまでツクヨミは生きる事が出来た。

永い時をツクヨミを見護り続けてきた僕だから、分かるんだ。

この人生がツクヨミにとって1番の宝物だったって。


ツクヨミの因果は精算された。

次の人生で最後の仕事を終えたら、きっと普通の輪廻の輪に戻れる。

その時まで僕が側にいられないのは心残りだけど、クリケィティア様の言う通り、もう僕の役目は終わったんだ。

役目を終えたらクリケィティア様の一部に戻るはずだった僕に、僕だけの人生が待っているなんて、思ってもみなかったけれど。


そう、人生。

僕は次は人として産まれてみたい。

そして、そうだ、あの子より先に産まれて、あの子を待っていよう。

輪廻の輪には時間の概念が無いんだから、先に行っちゃったあの子より早く産まれて、あの子を待つんだ。

そしたら、あの子の産まれた瞬間からずっと一緒にいられるもんね。

ああ、楽しみだな。

あの子はきっと僕の事なんか忘れてしまっているだろうけど、良いんだ、それで。

僕だけが君を覚えていれば。


たくさん大好きだって伝えよう。

あの子が呆れるくらい、たくさんたくさん。

そして、僕の初めての人生の全てをあの子に捧げよう。


待っていてね、僕のシイナ。

今度はフワフワの毛は無いけど、また僕を撫でてくれるかな?

人の姿になれば、今度は僕が君を抱きしめられるよね?


ああ、本当に楽しみだな。

早く会いたいよ、シイナ。



「タロちゃん、何だかご機嫌みたいね」


僕の頭を優しく撫でながら微笑むツクヨミの娘に、僕はクゥンっと甘えて鳴きながら、その膝に頭を置いた。


今はもう少しだけこの子達の側にいよう。

父親も母親も続けて見送ったばかりなんだから。

赤ん坊の頃から世話してきた可愛い子供達だからね。

僕のフワフワの毛で少しでも慰めてあげるんだ。

僕にとっても大事な家族なんだから。





………ツクヨミのお陰で、僕の存在が生まれて、そして一つの魂に生まれ変わった。

たくさんのツクヨミとのお別れを繰り返して、そして僕に人の魂が宿ったんだ。

僕、きっとまたツクヨミに会いに行くよ。

君の最後の仕事もまた見護るからね。


また絶対に会おうね、ツクヨミ。

今は少しだけ、さようなら………。





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