最愛
Akira Clementi
第1話
僕たちは結婚相手を自分で選べない。でもそれが普通なんだと思っていたから、僕がきみのお婿さんになると教えられたときも、ずっと暮らした家から出る寂しさはあったものの「そういうもんなんだ」とあっさり考えていた。
どんな子が僕の奥さんになるんだろう。
知らない場所へ行く怖さと、ちょっとのワクワクと。
そんなもので胸をドキドキさせながら辿り着いた先で、僕はきみに出会った。
きみってば奇跡みたいに可愛くて、僕の好みドストライク! もう絶対逃しちゃいけないと思った。僕は他の誰でもなくきみと夫婦になりたいって強く願ったんだ。
だから僕は、きみに飛びついた。
「きゃああああああああ飼育員さん! 飼育員さああああああん!」
「はあはあマナちゃん大好き愛してる! 僕の愛しいマナちゃん!」
マリンワールド生まれのラッコ・マナちゃんと、アドベンチャーワールド生まれのラッコである僕ことリロ。
プールを隔てるアクリル板が取り払われて初めて触れ合った僕たちは、あっという間に飼育員さんに引き離された。
でもさ、それくらいマナちゃんは可愛かったんだ。こんな可愛い子が僕の奥さんになってくれるなんて、僕ってば幸せ者だなと心から感謝した。
だから飛びつきはしたけれど、マナちゃんに怪我はさせなかったよ。
だって、僕の大事な奥さんだから。
マナちゃん、愛しているよ。他のどんなラッコよりも、きみが好きだ。
きみも僕のことを一番好きだと思っていてくれたら、とても嬉しい。
***
初回の僕の愛情表現のせいか、マナちゃんの愛情表現もなかなか激しい。マナちゃんはよく僕をガブガブした。僕が寄っていくと、僕の頭を抱えてガブガブするんだ。ぶっちゃけちょっと痛い。
もしかして愛情表現だと思っているのは僕だけなのかと思って、マナちゃんに僕が嫌いなのか訊いてみたことがある。でもその答えはNOだ。
「リロくん、大好き」
そう言ってキュートな笑顔を浮かべる彼女は、天使みたいだった。
「リロくん、ずーっと一緒だよ」
「あががががが痛い痛い歯が刺さってるう」
マナちゃんのガブガブは痛いけど、僕は幸せだった。
***
「ねえマナちゃん。僕ちょっと動きたいなー、なんて」
「だめ」
マナちゃんは僕をよく枕にする。ラッコってモッフモフで気持ちいいもんね。枕にしたい気持ち、わかるよ。僕もぷかぷか浮いているマナちゃんに頭を乗せるのが好きだったから、時間が許すかぎりマナちゃんの枕としての使命を全うした。マナちゃんが素敵な夢を見てくれるのなら、僕も嬉しいから。
「イカ……おっきいイカ……」
うん。たとえマナちゃんが見ている夢に出ているのが僕じゃなくて大きなイカだったとしても、僕は幸せだ。
その大きなイカを二人で食べられたら、もっと幸せだけど。
***
「眠いって言ってるでしょ! ガブガブガブガブ!」
「ぴぎゃー!」
寝ている間に毛繕いが終わっていたら嬉しいかなと思ったんだけど、僕の毛繕いで起きたマナちゃんのご機嫌は超ナナメだった。いつもより強めのガブガブに、僕は悲鳴を上げた。
プンスコしながらも寝直そうとするマナちゃんは可愛い。今度は起こさないように、気をつけて毛繕いしよう。だってマナちゃんは僕を丁寧に毛繕いしてくれる。だから僕も、大好きなマナちゃんに毛繕いしてあげたい。
マナちゃんそろそろ寝ただろうか。
可愛い顔をそっと覗き込めば、目がぱっちり開いて僕をじっとり睨んできた。
そんな感情豊かなマナちゃんが、大好きだ。
***
なんかあんまりいいとこのない僕だけど、僕はもちろんマナちゃんを嫌いにならなかったし、マナちゃんも僕を嫌いにはならなかった。一緒にじゃれながら泳いだり、毛繕いし合ったり。ショーも一緒に頑張った。それから……。
僕たちには、子供ができた。
生まれてくる子は、男の子かな、女の子かな。マナちゃんに似た美人の女の子だったら、とても嬉しい。
僕はのんきに、そう思ってたんだ。
***
ある日、マナちゃんがプールの外で動かなくなった。
飼育員さんたちが大騒ぎして、マナちゃんは病院に連れられていった。
その後、マナちゃんがプールに戻ってくることは、なかった。
マナちゃんの体の中にある赤ちゃんの部屋、子宮が破裂していたらしい。赤ちゃんもマナちゃんも、助からなかった。マナちゃんは僕をよくガブガブしたけど本当はとても優しい性格だったから、天国にひとりで行く赤ちゃんをかわいそうに思ってついて行ったのかもしれない。
だってマナちゃんは、赤ちゃんにとってたったひとりのママだから。
僕は大人だから大丈夫って、マナちゃんは思ったんだろうか。
新しいお嫁さんなんていらない。
僕はただ、マナちゃんに会いたい。
マナちゃん。きみのいない部屋は、とても広くて少し寒い。
***
毛繕いは好きだけど、なんだか最近ちょっとめんどくさい。めんどくさいといえば、ご飯もちょっとめんどくさい。お腹はなんとなく空いている気がするんだけど、食べる気がしない。
そういえば、マナちゃんの夢を見た。僕が近づいていったら、マナちゃんってばガブガブしてきた。痛かったけれどマナちゃんだなって思って、嬉しかった。
でも夢から醒めたら、僕はやっぱりひとりだ。
飼育員さんたちも獣医さんも皆優しいし、水族館のお客さんもたくさん僕に会いに来てくれるけど、僕はひとりきりのラッコなわけで。
なんだかあれもこれも面倒だなあと思ってたある日、プールから上がれなくなった。最近少し体がだるいなあと思ってたんだけど、さすがにびっくりした。助けてくれた飼育員さんには感謝しかない。
眠気が強くて、だるくて。
ご飯を食べる気になれなかったけれど、そばにずっと飼育員さんたちがいてくれて、なんだか心がポカポカして気持ちいい。皆難しそうな顔をしていけれど、僕は一緒に過ごせて幸せだと思っていた。
次に起きたらちゃんとご飯食べないと。皆僕を心配してる。
そう思いながら、何度も寝て、起きて。
もう何度目か分からないウトウトとした心地よさの中で、僕はまたマナちゃんの夢を見た。
僕はマナちゃんのお婿さんになる為に、このマリンワールドへやってきた。びっくりするくらい可愛くてちょっとわがままなマナちゃんとの暮らしは本当に楽しくて、ずっとずっと続けばいいなって思ってたんだ。
だから、もう一度だけあの頃に戻りたい。
マナちゃんに会いたい。
見たことないくらい悲しそうな顔で僕を撫でている飼育員さんに、そっと言葉を伝える。人間とラッコは言葉が通じないなんて思われてるけど、長い時を一緒に過ごしてきたんだから僕の言いたいことを飼育員さんは理解してくれる。
だからさ、飼育員さん。皆に伝えて欲しいんだ。
僕、ちょっと寝るだけだから。
マナちゃんに会ってガブガブされたら、ちゃんと戻ってくるから。
だから、ほんの少しだけ、おやすみなさい。
***
「リロくん。お疲れ様」
住み慣れた部屋に、マナちゃんがいる。アドベンチャーワールドで生まれた僕も、マリンワールドで生まれたマナちゃんも、本当の海を知らない。だからこの部屋が僕たちの知る海に近い場所で、僕たちの大切な家だ。
「ほら、パパ帰ってきたわよ」
「パパァ」
マナちゃんのそばには赤ちゃんラッコがいて、くりくりとした目で僕を見てきた。
ああ、無事に生まれたんだ。マナちゃんがいなくなったなんて、夢だったんだな。ふふ、マナちゃんに似て可愛い女の子だ。マナちゃんがたくさん毛繕いをしてるんだろう。僕たちの愛娘はふかふかしていた。
「マナちゃん、僕」
「おかえりなさい、リロくん」
「ただいま」
近寄っていったけど、マナちゃんは僕をガブガブしなかった。その代わり、すりすりほっぺを擦りつけてくれる。これこれ。愛のガブガブもいいけど、こういう夫婦っぽいのもたまらない。
「パパ、あたちも」
僕たちがイチャイチャしているのを羨ましく思ったのか、娘もスリスリをせがんでくる。顔を擦りつけると、娘は「くすぐったあい」と明るい笑い声を上げた。
マナちゃん。きみがいた頃に戻れたらって、ずっと思ってたんだ。
そしてもしできたら、僕たちの子供とも暮らせたらいいのにって。
だから僕は、今とても幸せだ。
愛しい家族の待つ家に帰れたんだから、世界で一番幸せだ。
最愛 Akira Clementi @daybreak0224
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