第六話「その鏡に映るもの」

 激しい金属音が響く。

 狭山さやまみのりは、倉庫スペースの暗がりから息をんでその光景を見つめていた。資料室の扉の向こうでは、フードをかぶった侵入者と江藤えとう先生が対峙たいじしたかたちになり、わずかな沈黙の後、侵入者が後ずさるように歩を引く。

 やがてフードの奥から聞こえたのは、想像より若い声。ふるえてはいるが、はっきりとした意志を宿やどしている。


「……先生、もういいでしょう。これ以上、真実を隠す理由なんてないんじゃないですか?」


 その声音こわねを聞いた瞬間、みのりの胸に違和感が走る。どこかで聞き覚えのあるトーン。それはどこか、滝川たきがわジュリに通じるものを感じさせた。年齢もそう遠くないのかもしれない。

 一方、江藤先生は、低くしぼり出すような声で返した。


「……そんなことは、おまえには関係ない。今すぐここを去れ。あの鏡に触れるな。あれは……二度と学園の生徒たちの前に出してはいけないんだ」


 その言葉に、フードの人物は悲しげにかぶりを振る。


「鏡のせいで起きた事故だと思っているんでしょう? けれど、あれはただの道具じゃないですか。鏡を隠しても、過去の事件は消えない。大切なのは、それをちゃんと認めて前に進むことじゃないんですか?」


 まるで何かをき伏せるような口調だ。江藤先生の横顔からは苦悩くのうの色が浮かんでいる。ふと、先生の視線が部屋の奥——ガラスケースに収められたゆがんだ鏡に注がれた。

 そこへ、すきを見た侵入者が鏡へ近づく。

 みのりと木原きはらユウタ、そしてジュリは反射的に動いた。物陰から一気に飛び出し、騒ぎを止めようとする。しかし、侵入者も驚いたように振り返り、三人の姿を見て一瞬言葉を失う。


「……やっぱりあなたは誰かだったのね……!」


 ジュリがそう叫ぶと、侵入者は慌ててフードを下げた。その下に現れたのは、意外にも自分たちと同じくらいの学生らしき顔立ちの少年だった。見知らぬ人物……しかし、ジュリとどこか雰囲気が似ている。

 少年は戸惑いながら、か細い声でつぶやく。


「き、君たちは……この鏡のことを探してるのか? ……もしかして、滝川ジュリの仲間……?」


 ジュリは一瞬息を飲んだものの、すぐ冷静さを取り戻すように問いかける。


「私を知ってるの? あなたは誰……いえ、どうしてこんな場所に?」


 すると少年はゆっくりと口を開いた。


「……僕の名前は滝川れい。あなたのおじいさんと、うちの家系は遠い親戚にあたるんだ。昔からこの学園の美術館に関わっていて、例の“鏡”の管理を任されていた一族でもあるって聞いてる。けれど、十数年前の事故をきっかけに、鏡は封印されてしまった。事実を隠すために、記録まで書き換えられたんだ」


 ジュリは思わず目を見開く。遠い親戚……言われてみれば、面差しの端々はしばしに共通点がある気がした。

 一方で、江藤先生は肩を落としながら、深く息をつく。


「……そうだ。昔、あの鏡の前で大きな事故があった。生徒が重傷じゅうしょうを負い、鏡が割れかけた。鏡を寄贈した家の人々も苦しんだんだ。だから、もう二度とあんな危険なことは繰り返したくない。学校側も、一部の記録を消してでも、この鏡を封印すべきだと判断した」


 その苦しげな表情は、単なる隠蔽いんぺいを楽しむ悪意ではなかった。誰かを、そして学園を守りたい——そんな思いからの行動だったのだろう。

 しかし、怜はまっすぐ先生を見つめる。


「鏡そのものが悪いわけじゃない。事故の原因は、鏡に映った自分自身の姿に恐怖を感じてバランスを崩した……とも言われてる。要するに、“歪んだ鏡”だと噂するから、人々が余計に恐怖を募らせ、事故が大きくなったんだ」


 ジュリは静かに一歩踏み出した。彼女もまた、幼いころにあの鏡を見て気を失いかけた記憶がある。だからこそ、怜の言葉に何か大切な真実が含まれている気がしてならない。


「……確かに私は、昔この鏡を見て怖くなった。だけど、あれは鏡が悪いんじゃなくて、そのときの私自身の気持ちが不安定だったから。鏡はただ映すだけ……映すものが歪んでいれば、かげも歪んでしまう。そんな気がするの」


 そう告げるジュリの声に、江藤先生は唇をかみ、苦悩の表情を浮かべる。そして、暗い部屋の片隅にたたずむみのりとユウタも、静かにうなずいた。

 歪んだ鏡はのろいの道具でもなければ、ただの美術品というわけでもない。人の心のありようを映し出し、それを誇張してしまう“特別な存在”なのかもしれない。


「……先生、そろそろ真実を公にしてもいいんじゃないでしょうか。過去を全部さらけ出して、学園に不要な噂が広まらないようにする。それが本当の意味でみんなを守ることになる……そう思うんです」


 そう言う怜に、江藤先生はしばらくの間黙っていたが、やがて深くうなずいた。封印だけでは解決しない、歪みはいつか再び傷を広げる。その事実を悟ったのだろう。

 すると、怜はそっと鏡に触れ、折り畳んでいた管理リストを広げる。そこには、改ざんされる前の“本来の記録”が記されていた。鏡の正式名称、寄贈者、そして事故の詳細。当時苦しんだ人々の履歴りれきまで克明に載っている。


「ありがとう……助けてくれて。君たちが動いてくれなかったら、僕はこの鏡をこっそり持ち出すしかなかった。だけど、こうして先生とも話せたから、最善の道を探せるかもしれない」


 怜はほっとした笑みを浮かべ、ジュリやみのり、ユウタに視線を向ける。まだすべてが解決したわけではないが、少なくとも鏡にまつわる“真実”はやみから引き上げられた。記録の改ざんも、もう必要なくなるだろう。


 気づけば、資料室の扉から差し込むわずかな月明かりが、鏡の表面をあわく照らしていた。そこに映るのは、みのりたちの姿。ほんの少し角度がずれて、どこか頼りなく歪んでいるようにも見える。

 しかし、その歪みこそが彼ら自身の悩みや揺れを映し出しているのだと、今なら理解できる。鏡に映る姿に怯える必要はない。事実を受け止めて、そこから一歩ずつ前へ歩みだせばいいのだから。


 こうして、“歪んだ鏡”をめぐる真実は解き明かされ、学園に隠されていた歴史は新たな幕を開けることになった。たった一枚の鏡が映す歪んだ影は、かえって人間の心の奥底を照らし、道を示す導きにもなり得る——。

 それは、新たな地平。固定観念にとらわれず、真実を丸ごと受け止めようとする勇気こそが、未来を変えていく鍵なのかもしれない。


 夜明けが近づく。静かに息を吸い込んだみのりは、背後にたたずむ鏡をひと振り振り返った。そして心のなかで、小さくつぶやく。

 “ようやく、あなたの本当の姿を知ることができたよ。もう、怖くないよ。”


(完)

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歪んだ鏡 真島こうさく @Majimax

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