第五話「闇を映す者」

 放課後の守端しゅたん学園に、じわじわと夜の気配が忍び寄る。

 校舎のあちこちから聞こえていた部活動の声も徐々に静まり、人影が少なくなるにつれ、古びた階段や廊下の隅に暗がりが深く落ち始める。

 狭山さやまみのりは軽く息をつきながら、図書室の奥から出てきたところだった。例の“美術館”にまつわる資料を探したものの、めぼしい手がかりはほとんど得られなかった。せいぜい、学園主催の芸術展が当時は盛んだったという断片的な情報があっただけだ。


「……結局、有力な情報はほとんどない、か」


 自分の成果の乏しさに落胆しそうになるみのり。しかし同時に、胸の奥には不穏な予感がわき上がっている。いやな圧迫感がまとわりつくのを感じ、急ぎ足で指定された場所へ向かった。

 そこは旧館の正面口を少し外れた裏手。約束どおり、先に潜入を試みる滝川たきがわジュリと木原きはらユウタが、ここを起点に校舎を見回る手はずになっている。念のため、みのりは図書室で待機する役だったが、先ほどジュリから「今すぐ来て」とメッセージが届いたのだ。


 外灯がいとうの下へ急いで駆けつけると、ジュリとユウタが小声で呼びかけてくる。二人ともかなり緊張した面持ちで、その視線は旧館の壁をにらむように注がれていた。


「どうしたの? 何があったの……?」


 みのりが息を切らしながら問うと、ユウタはそっと壁際を指さす。


「……換気口がまた開いてた。しかも、中から何かゴソゴソという物音が聞こえたんだ。でも、俺たちが近づいた途端に静かになって……気配だけが遠ざかっていったみたいなんだよ」


 その言葉を受けて、みのりは思わず背筋を寒くする。夜ごと忍び込む人物――まさか、すぐそこにまで来ていたのか。

 ジュリは表情を引き締めて続ける。


「たぶん、この奥に入り込んだのは一人か、せいぜい二人くらい。……それだけじゃないの。正面入口の扉が微妙に開いていて、資料室の電気がぼんやりいてたの。正規の許可なんて取ってないのに」


「ということは……資料室の鍵を開けられる人間か、その複製を持っている誰かがいる?」


 ユウタの疑問に、みのりも考え込む。資料室を管理しているのは江藤えとう先生だが、あまりに露骨ろこつすぎる手口だ。先生本人がこんな時間に侵入するとは思えないし、あるいは彼が知らないうちに鍵を盗まれた可能性もある。

 ジュリは首を振りながら、苦い表情を浮かべる。


「わからない。けど、いずれにせよ“資料室で何かを探している誰か”がいるのは確かよ。鏡の記録を改ざんした人間と同一かもしれないし……もっと複雑な事情が絡んでいるのかもしれない」


 すると、ふいに旧館のほうから微かな光が揺れた。三人は息をのむ。懐中電灯のようなあかりが、窓越しにちらちらと動いている。もしや、侵入者がまだ中で何かを物色ぶっしょくしているのでは……?

 みのりの心拍数が一気に上がり、体がこわばる。でも、このまま黙って見逃すわけにはいかない。


「……わたしたちも行こう。慎重にね」


 ジュリが小声で促すと、三人は足音を殺しながら旧館の正面口へ回る。薄暗い廊下は奇妙なくらい静まりかえっている。床のきしむ音さえ、まるで何者かに聞かれているようで胸がざわつく。

 そのとき、資料室の扉の向こうに人影が見えた。かすかな懐中電灯の光が壁をかすめ、暗い室内をよぎる。その動きはぎこちなく、物色するように棚や机の周辺を探っている様子だ。


「犯人……なの?」


 みのりが唇をむ。こんなところを目撃されては危険かもしれないが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。

 外から回り込む方法はないかと、扉の位置や奥の構造を頭の中で組み立ててみる。

 思いついたのは、資料室脇にある小さな点検口だ。以前にジュリから、「清掃用の小窓がある」と聞いたことがある。それはまさしく、普通は誰も出入りしない狭い空間。このまま突っ込むより、そちらに回れば“侵入者”の背後を取れるかもしれない。


「……回り道をして裏からのぞこう」


 みのりは二人に合図して、廊下をぐるりと遠回りする。点検口は腰の高さほどに開閉できる小扉だが、運よく鍵はかかっていない。静かにそれを引くと、カビくさい空気が漏れ出てきた。まるで放置された納戸なんどのような匂いだ。

 体を細くしてもぐり込むと、その先にうっすらと資料室の一角が見える。どうやら古い書類が積まれた倉庫スペースと隣接しているようだった。物陰に身を隠しながら、三人はそっと内部をうかがう。

 そこにいたのは、細身の体つきの人物。フードを深くかぶり、顔はよく見えない。だが、その手が一冊のノートらしきものをあさり、ページをめくってはふところ仕舞しまい込むのがわかった。そして――


「……あ……!」


 みのりは息をんだ。視界の端で、部屋の奥に大きなガラスケースらしき影が見える。そこに収められているのは……鏡? いままで物置のように隠されていたのか、あるいはごく最近になってはこびこまれたのか、真相はわからない。

 だが、その鏡のふちには確かに見覚えのある、欠けた傷があった。アルバム写真に残されていたあの鏡と同じもの……!

 思わず身を乗り出しそうになるみのりを、ジュリがそっと制する。あの人物が何をしようとしているのか、まだ油断はできない――。


 次の瞬間、侵入者が警戒するように振り返った。顔はフードの奥に隠れているが、かすかに何かつぶやく声が聞こえる。

 突然、部屋の外から足音が近づき、扉を開け放つ音が響いた。三人は思わず身を縮める。廊下から差し込む明かりに、立ち尽くす侵入者の姿がシルエットになった。

 そして、その足音の主は――


「……江藤えとう先生……?」


 ユウタのかすれた声が耳元に届く。確かに扉のところに立っているのは、あの資料室を管理する江藤先生に見えた。だが、夜の闇の中、先生の顔にはいつもの穏やかさはない。

 その場にいた侵入者と、江藤先生。二人は一瞬、視線を交わしたように見えた。

 息を殺す三人の背後では、ゆがんだ鏡が沈黙したまま、淡く室内のあかりを反射している。闇と光が交差する中、いったい何が起きようとしているのか。

 そして次の瞬間、部屋の奥で鋭い音が鳴り響き――


 みのりは、強烈な戦慄せんりつを胸に感じながら、何か大きな事態が動き出したのを悟った。歪んだ鏡が“闇”を映し始める。そこに刻まれた過去と現在の思惑は、今まさに交錯しようとしているのだ。

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