3.
数日後のこと。
できれば次の日すぐにでもあの中華料理屋に顔を出したかったが、上司というのは本当に都合の悪いことしかもたらさないもので、数日続けて昼食の自由が利かなかった。やっと女将の顔が拝めると、俺が喜び勇んで〈好香亭〉に足を運んだ時には、時刻は既に十三時を回っていた。
あれからあの老け顔のヤクザ者はどうしただろうか。店に通うのをやめているといいのだけれど。
喫茶店での騒々しい別れを思い出しながら〈好香亭〉の引き戸に手を掛けた俺は、ぱったりとそこで動きを止めた。
換気扇を通って漂ってくる、焼けた油の食欲をそそる匂い。それを掻き消すほどの人の話し声と、食器がぶつかる小気味良い音。
扉を開け放った途端、良く言えば威勢のいい、悪く言えばドスの効いた掛け声が、俺を出迎えた。
「いらっしゃあせえええええぇぇぇ! 空ぁいてる席にどうぞおおおぉぉ!」
俺は堪らず耳を塞ぐ。聴覚が戻ってくるのを待ちながら、俺が目の前の光景を理解できないでいると、追撃の怒声が店内に響いた。
「あぁ? 席がねーじゃねえか! おい、シゲ! そこどけっ」
「ええっ、兄貴! オレ、まだ食べ終わってな――」
呆然と立ち尽くす俺の前で、一人分の席が(無理矢理)空けられる。場所を奪われた哀れな若者は店の隅で立ったまま炒飯を食べ続けた。
「あっ、兄貴! あんたはリーマンの兄貴じゃねぇか!」
ガナリ散らす男は大股でカウンターの奥から出て来るなり、武骨な手で俺の肩を掴んだ。にっかり歯を見せた無邪気な笑みは、やはり年相応のものだ。
「き、君は老け顔の……」
「見てくんなせえ、兄貴! どうですか! 名案だと思いやせんか!」
俺は老け顔ヤクザに促されるまま、店内を埋め尽くす客の面を見渡した。
柄が悪い。間違えて『そういう事務所』に来てしまったんじゃないかと本気で自分を疑うほどの、ヤクザ者と、ヤクザ者と、ヤクザ者と、ヤクザ者と、チンピラ。すれ違う人が大回りで避けていきそうな見た目の男たちが、狭い店にすし詰めになっている。それが皆礼儀正しく中華定食を掻き込んでいるのだから、異様な光景であった。
「客が来ねえなら、オレが自分で連れて来りゃあいいんすよ! がっはっは」
老け顔ヤクザは得意げに高笑い。
なるほど。
ヤクザを怖がらない客を呼んで来る方法を考えた結果、ヤクザの客を大勢連れて来たというわけである。これは一本取られたと思わず唸ってしまったが、いや待てよと我に返る。彼らのせいで一般の客足は一層遠退いたのではなかろうか。これは本末転倒というのではないか。どうなんだろう。
強引に席に着かされた俺に向かって、女将は疲れたような、それでいてどこか楽しそうな笑顔を向けた。
「騒がしくてごめんなさいね。毎日この有り様なんですよ」
「あ、あはは……繁盛してますね」
その原因が自分にあるとは口が裂けても言えない。あの老け顔がもう洩らしてしまったかもしれないが。
「Uターンしてしまうお客さんも増えましたけど、でも、おかげで返済も順調ですし。払ってもらったお金を返しているだけのような気はしますが」
俺は愛想笑いを返し、炒飯餃子定食を注文した。
〈好香亭〉がヤクザ御用達料理店として有名になるまでに、そう時間は掛からなかった。
「リーマン野郎、バンッバン金落としていけよ。ほら、紹興酒入れろ、紹興酒」
「ばかやろう。俺はまだ仕事中なんだよ」
現在、老け顔ヤクザは週六で店の手伝いをしているらしい。こうなるとヤクザではなく、ただの老け顔のアルバイターである。
ナポリタンを一食奢っただけで認定された兄貴呼びも、すぐに剝奪されてしまった。今の俺と老け顔ヤクザ男子の関係は、女将を巡る恋敵だ。
ヤクザ男子御用達料理店 祇光瞭咲 @zzzzZz
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