大魔導士ディックと帰るべき場所

異端者

『大魔導士ディックと帰るべき場所』本文

「大魔導士様、なんかとなりませんかねえ……」

 荒々しい風貌の男は、その老人にそう言った。

 剣と魔法の世界、ゼン・ラ。

 老人は、そこでは絶対的な力を持つ大魔導士ディックだった。

 ディックは、余生をのんびりと過ごそうと離れ小島に移り住んできたのだが、早々に相談を受けた。

 荒々しい風貌の男は、島の漁師の長だった。

 彼が言うには島の者が夜に漁に出ると、どこからともなく「連れて帰ってくれ」という声がして幽霊船が現れるという。皆慌てて逃げかえってくるのだそうだ。近頃では、それを恐れて漁に出るのを嫌がる者まで居るらしかった。

「ふむ、一度実物を見てみないことには……」

「それなら、わしらの船に乗ってくだされば――」

 もっとも、毎夜現れる訳ではないと付け加えた。

 こうして、ディックは漁師たちの夜の漁に同行することとなった。


 最初のうち、本当に何もなかった。

 ディックは彼らの漁仕事をぼんやりと眺めていた。

 五日目にして、ようやくそれは現れた。

「連れて帰ってくれ」

 そんな声がどこからともなく聞こえてくる。皆があたりを見渡すと、ぼろぼろの小船、幽霊船が近付いてくるところだった。

「は、早く逃げないと連れて――」

「いや、逃げないでくれ。その者と話がしたい」

 ディックが制止した。

「え!? いや……?」

 舵を握っている者は困惑していた。

「構わん! 大魔導士様に従え!」

 長のその一言で、それも収まった。

 幽霊船は彼らの乗っている脇にピタリと付けると止まった。骸骨と化した亡者が船に乗り込んでくる。

「……して、何の用かな?」

 ディックはその者と相対すると、言った。

 亡者の口からは、途切れ途切れの言葉が紡がれる。

「おお、そうかそうか……」

 船員には分からなかったが、ディックには伝わったようだった。

「この船に、ハリィという者は居るか?」

「ああ、まだこの船では新米ですが……」

「連れてきてくれまいか?」

「はい、承知しました」

 ディックが船員の一人に頼むと、船倉に隠れていた若者、ハリィを連れて戻ってきた。

「あ、あの……何か……」

 ハリィはおどおどした様子で言った。

「ああ、そうか。このままの姿では分かりにくかろう」

 ディックが呪文を唱えると、エメラルドグリーンの光の粒子が亡者に降り注ぎ包み込んだ。それが散り散りになると、その下には中年の男性の姿があった。

「父さん!」

 ハリィはそう叫ぶと、亡者と化していた彼の父にしがみ付いた。

「亡者が……ハリィの親父さんだったなんて……」

 周囲からは驚きの声が上がる。彼とは皆、漁師仲間として面識があったが、亡者と化した姿と声では分からなかったようだ。そもそも、何年も前に海で死んだと思われていた仲間が、今頃こうしてやって来るなど思いもしなかったのだろう。

「父さん! 今頃になってどうして――」

「すまん。どうしてもお前と母さんが気になって……」

 彼が成人した様子を見たいと、こうして帰ってきたのだという。

 それから二人は、延々と話をした。

 ハリィは自分が新米として船で働いていること、母親が島で無事に暮らしていること等を語った。父親は時折相槌を打ちつつ、真剣にそれを聞いていた。

 かつての仲間も、気をつかって話にこそ加わらなかったものの、彼の姿を眺め、思わぬ再会を喜んでいるようだった。

 だが、それも終わりが訪れる。

「さて、そろそろ頃合いとしよう……十分に話せたかな?」

 ディックが落ち着いた声で聞く。

「はい、ありがとうございました!」

 ハリィがそう言う背後で、父親が深々と頭を下げた。

「あの……」

 長が恐る恐る言う。

「このまま陸まで、連れて帰っては駄目でしょうか? 奥さんにも会わせてやってほしいし、せめて一晩ぐらい……」

 船の者は皆、同様に思っているようだった。

「ならん。本来なら死者と生者は共に居るべきではない。死者は死者の、生者は生者の帰る場所がある。それをこれ以上留めておくべきではない」

 それに反論できる者は居なかった。

 ハリィの父親は再び幽霊船に乗ると離れていく。

 それ以来、現れることはなかった。


 それから九年後、今度はハリィの母親が病で亡くなった。初期段階ならディックの魔法でも治療できただろうが、気付いた時には手遅れだった。

 葬儀に参列したディックにハリィは言った。

「正直、寂しいですが悲しくはないんです。死者には死者の帰る場所がある――あなたはそう仰っていた。そこで父と仲良くしているのかと思うと、それはそれで幸せじゃないかと……」

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