不器用な見習い天使は体験しないと気が済まない

いとうみこと

靴ってどんなだろう

 宿舎の広間には大勢の見習い天使たちが集まって車座になっていた。中央にいるのは人間界から戻ったばかりの先輩天使だ。天使は一人前になると人間界での仕事をこなすことがある。多くは女神に願いをかけた人間のサポートだが、メルティが所属する雲を管理する部署では滅多に下界に降り立つ者がいないため、たまにそういう機会があると皆が話を聞きたがって集まってくる。今も見習い天使たちの顔は期待に満ち満ちていた。


 中央の天使は皆の顔をぐるりと見渡すと仰々しく話し始めた。

「今回私はカミエル様のお供として、初めて人の姿になって人間界を見てきた」

 「おおー」っと天使たちがどよめく。それが落ち着くのを待っている先輩天使の顔は得意げだ。

「今回カミエル様は、巨大な建物の建設現場に視察にいらしたのだ。その建物は宮殿にも匹敵するほど大きくて、重い資材でできているようだった。そのうちカミエル様が映像を見せてくださるかもしれないな」

 人間界の生活の様子は授業でも見ることがあるし、先日の雪祭りのように授業外でも見せてもらえることがある。いずれもメルティたちにとっては刺激的で楽しみな時間だ。

「そこでは人間たちがせわしなく働いていた。皆も知っての通り人間は我々と違って飛ぶことができない。そのため乗り物に乗るか、または歩くしかないんだ。建設現場では上下の移動も多くて、それを歩いてこなすのは見ていて気の毒だったなあ。足を保護するためには靴という窮屈な物を履かなければならないんだが、歩くことも靴を履くことも、僅かな時間でも私にとってはとても辛いことだったよ」

 メルティはまじまじと自分の足を見た。天上界では殆どの者が素足だ。暑くも寒くもないし、雲は柔らかくて歩いても痛くない。そもそも天使は殆どの場合飛んで移動するから、足が辛くなるという経験は今までしたことがなかった。


 翌日、メルティは仕事の合間に自分の足を雲でカチカチに固めて歩いてみた。すると、これまで感じたことがなかった足の重さを初めて感じた。柔らかな雲に靴がめり込んでなかなか前に進まないし、同じ距離を進むのにもいつもの十倍くらい疲れる気がする。しかもだんだん足先が痛くなってきた。メルティが座って片方の靴を脱いだとき、同期のリリルが取り巻きを連れてやって来た。

「またなんか変なことやってるわね」

 そう言うと、メルティの足元を見てゲラゲラと笑いだした。 

「何これ、まさか靴のつもり? メルティってばバカじゃないの。あたしたちに靴なんて必要ないじゃない。ほらご覧なさい、つま先が真っ赤よ。こんな痛い思いして何がしたいのよ」

 リリルと取り巻きの蔑むような目に囲まれて、メルティは少し悲しくなった。言い返したところでリリルに自分の考えは伝わらないだろうと思い、メルティは黙っていた。

 反応がないことが面白くなかったのか、リリルは「バッカみたい」という捨て台詞を残して取り巻きと共にその場を去った。メルティはリリルの姿が見えなくなるともう片方の靴を脱いで仕事にもどろうとしたが、酷く疲れていて立ち上がる気になれなかった。確かにリリルの言う通りバカげた試みだったかもしれない。


「仕事サボってるの?」

 突然聞き覚えのある声がして顔を上げると、驚いたことにすぐそばにホルンがいた。メルティが実習で困っていたときに助けてくれた天使だ。メルティは足が痛いのも忘れて飛び上がった。

「ホルン! あなたにずっと会いたいと思ってたの。お礼がしたくて。わたしホルンのお陰で試験に合格できたのよっ! どうして黙っていなくなったの?」

 矢継ぎ早にまくし立てるメルティをにこやかに見つめながら、ホルンはメルティが作った靴を指差した。

「何で靴を履いてみようと思ったの?」

 メルティは答えるのをためらった。リリルの冷たい視線を思い出したからだ。でも、ホルンならわかってくれるかもしれないと思い直した。

「人間たちがしている辛い思いを体験してみたかったの」

 メルティが恐る恐るホルンの顔を見ると、ホルンは相変わらず優しく微笑んでいた。

「なるほど、そういうことか。でもね、メルティ、靴は人間にとって必ずしも辛いものではないんだよ」

「え?」

「靴は人間にとって便利な道具のひとつなんだ。何より足の安全を守る役割がある。何せここと違って地上は危険な物がたくさんあるからね。機能も色々あってね、早く走れる靴や見栄えのいいおしゃれな靴なんてのもある。人間は靴を履くことを楽しんでさえいるんだよ」

 メルティは口をぽかんと開けてホルンを見た。同じ年頃に見えるのに、ホルンは自分の考えのまるで及ばないところを見ている、いったい何者なのだろう。

 ホルンは少しかがんでそんなメルティの顔を覗き込むと言った。

「でもね、そうして体験してみようとするメルティは素敵だと思うよ」


 メルティは自分でも驚くほど顔が熱くなった。ホルンに見られないように両手で顔を覆っていたが、気づくとまたホルンの姿は消えていた。

「せっかく会えたのに、またなんにも聞けなかった……」

 メルティは自分が作った靴をほどいて元の雲にすると、仕事に戻るために歩き出した。やはり靴がない方がずっと歩きやすい。つま先に残る微かな痛みを感じながら、メルティはホルンの最後の言葉を思い出していた。

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