第4話

 こばとと話した次の日は日曜日だった。あたしはというと、部屋で断捨離に勤しんでいた。


 一瞬でも公嗣こうじの思い出がよぎったものは、片っ端からゴミ袋にぶち込んだ。ブランドものの上等な服はたちまちクローゼットから消え去って、部屋着にするのもためらうくたびれたトレーナーと数枚の服だけが残った。


 公嗣に誘われるたびにしぶしぶ履いて、散々あたしのつま先を傷つけてきたハイヒールも捨てることにした。一応できるだけ靴擦れを起こしにくそうなものを探したのにそれでも無駄だったのだから、もうあたしとハイヒールは永遠に和解できないんだろう。


 スッキリしていた部屋をさらにさっぱりさせてから、あたしはふらりと外に出た。


 ださいトレーナーに古びたスニーカーを合わせて、メイクもしないで適当に歩く。夕暮れが近いせいか道行く誰の顔もはっきり見えなくて、きっとあたしのことも大して誰も見てないんだろうと思わせてくれた。




 あたしが一通り泣き終えて、ひどい顔で「ごめんね」なんかも言い終えた後、こばとはふと神妙な顔で言った。


「小さい頃に読んだおとぎ話で、鳩がとある娘たちの結婚に口を挟む話がありました」


 昔々、舞踏会で出会った女性を忘れられなくなってしまった王子が、彼女が落とした靴を使って花嫁探しに乗り出した。


 靴はあまりにも小さくて、普通の女の足には嵌まらない。とある家に暮らす娘も靴を履こうと悪戦苦闘したが、つま先だけが収まらなかった。それで娘の母親は、娘のためにこう言った。


『どうせお城に嫁げば自分の足で歩く必要などないのだから、そのつま先を切り落としてしまえ』


 娘は言われた通りつま先を切って、小さな靴に足を押し込んだ。王子や臣下は喜んで彼女を連れて行こうとしたが、彼らが乗った馬車の後ろで鳩が歌った。


『娘のつま先から血が溢れている。本当の花嫁はそこにはいない』


 見れば確かに、小さな靴からは真っ赤な血が滴り落ちている。王子たちは娘を追い返し、やがて靴の正しい持ち主を見つけた。それは母娘がバカにして虐げてきた、血のつながらない末娘だった。


「でも、思うんです。……あの鳩がつま先の血について王子に教えなかったら、足を切った娘は幸せな結婚ができたんでしょうか」

「無理だろう、ねえ」


 答えたあたしの声に、ふっと笑いが混じった。こんな時に童話を持ち出すこばとのズレた感性が、なんだかすごくおかしかった。




 久しぶりに履くスニーカーは、あたしの身体ごと軽くしてくれるみたいだった。足の向くまま歩いているうちに、あたしは川に沿った遊歩道に辿り着いていた。今までだってその気になればいくらでも歩いて来れたんだろうけど、散歩は公嗣の趣味じゃなかった。


(なんだったんだよ、アイツ)


 さっぱりした頭で振り返ってみると、公嗣の言動一つひとつにからりと腹が立ってくる。でもそれは湿度の高い嫌な怒りじゃなくて、せいせいするような怒りだった。


 公嗣はヤな男だった。

 あたしもヤな女だった。

 こばとは余計なことをする変な女だったし、玲も玲で騙されやすいバカな子だった。


「あは」


 くれなずむ風景の中で、キラキラと輝く川面を見ながら軽くステップを踏む。舞踏会のダンスみたいな上等なもんじゃない。何から何まで適当で、ただあたしが楽しいだけのステップ。


「あはは」


 右のつま先を地面につけて、左足を軽く上げてくるりと回る。誰かが見てればドン引くかもしれないけど、誰も見てないからノーカンのピルエット。


「あははは!」


 幸せになれ、と唐突に思った。


 あたしも玲も、こばとも、何なら公嗣も。



 そのまま日が暮れて何も見えなくなるまで、あたしはくるくると踊り続けていた。

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大きすぎるつま先は邪魔だったから 木月陽 @came1ily_42

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