第3話

「気になっていたんです。どうしてつま先の細いハイヒールを履いてきたんだろうって……どう見ても、靴擦れを起こしているのに」


 目を逸らさないまま、こばとは続ける。


「それで、こうしてお話をして――あなたはそういう無理を、たくさんしてきた人なんじゃないかと、思いました」


 アイラインで大きく見せるやり方すら心得ていない、つぶらな瞳があたしを見る。そこにはあたしを責める目線も品定めする目線もなくて、ただ底抜けにお人好しな心配の感情だけがあった。


(違う。ここにヒールを履いてきたのは、アンタを見おろすためだった)


 こばとみたいにお節介な友人も、相談する相手すらもいない自分が惨めで仕方なくて、今回のきっかけを作った女を腹いせに見くだしてやりたかった。空気の読めないバカ真面目な女より自分の方がまだ上だと確かめて、せめてもの慰めにしたかった。


 あたしはいつもそんなのばっかりだ。自分が誰よりも下にいるような気持ちになっては、下に見られる誰かを見つけて安心する。


 それ以外に息をするやり方なんて、見つけられなかったのだから。


「……あたし、そんなに健気な女じゃないよ」

「それは、感じました。――少し意外でした。写真を見た時には、玲によく似た人だと思っていたので」


 それはそうだろう。こばとが送ってきたツーショットに写っていた玲は、見た目だけなら確かにあたしによく似ていたから。

 あたしは縮毛矯正をかけた髪を黒く染めている。メイクもナチュラルにして、いかにも楚々とした雰囲気を必死に作っている。全部、アイツがそれとなく要求してきたことだった。

 誰が見ても羨む彼氏の隣からあたし以外の全部を見下すために、あたしは何だってやっていたのだ。


 あたしの胸の中で荒れ狂う気持ちなど当然知る由もないこばとは、誰にともなく頷きながらまた見当違いなことを言った。


「でも私は、できることならあなたにも幸せになってもらいたいです」

「バカだね」

「そうかもしれません」

「……はあぁ……」


 この女相手に上だの下だの考えること自体がバカらしくなって、あたしはテーブルに突っ伏した。それと一緒に気を張っていることすらバカらしくなってしまったのか、気づけばあたしはぽろぽろと、言う相手がいなくて溜め込み続けていたものをこばとにぶちまけていた。


 公嗣はあたしを自分が思い描く姿に仕上げるのが好きで、しょっちゅう服をプレゼントしてくれていたこと。


 そう言うと決まって女友達から羨ましがられたけれど、彼がくれる服は「もうちょっと痩せれば着られそうなサイズ」ばかりで、ダイエットが永遠にストップできなかったこと。


 生まれつき足のつま先が大きいから細いハイヒールを履くのはしんどかったのに、見栄を気にするアイツはバカの一つ覚えみたいに高いレストランにあたしを連れて行きたがったから、やむなく見栄えのいいハイヒールを履いていくしかなかったこと。


 一緒に住むようになってからはそういう見えない要求ばっかりで、元々の自分を見失いかけていたこと。


 家族はすっかり玉の輿に期待して、公嗣の悪い癖は見ないふりをすればいいと口を揃えてあたしに言った。何不自由ない暮らしをさせてもらえるなら、細かいところでああだこうだと縛られることなんて必要経費みたいなもんだと。


 あたしもそれを鵜呑みにして、ひたすらに周りを見下しながら自分を殺す努力ばかりしていたのだ。本当にバカだ……そんな話を。


 こばとはただ頷きながら、あたしの話を聞いていた。


 いつの間にかあたしの両目からボロボロと涙が溢れ始めても、ただ頷いていた。

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