第2話

「……はじめまして、あの」

「愛佳でいいよ」

「はい。――愛佳さん」


 申し訳ありませんでした。とテーブルにつくほど深く頭を下げた女は、なんとなく予想していた通りのルックスだった。どこで買ってるのかもよく分からないニットに、一回も染めたことがなさそうな髪、大学生の間に全く試行錯誤をしなかったらしい不器用な化粧。いかにも気弱なくせに正義感ひとつで自分に一ミリも関係のない恋愛事情に首を突っ込んできそうな、変な図太さのありそうな女だった。


「そんな頭下げないでよ。あなたが浮気相手ってわけじゃないんだし」


 口では言ってみたものの、コイツさえいなけりゃ今みたいな状況にはなってなかったんじゃないかという気持ちが、確かにある。


「あなたのお友達は、結局どうするの」

「分かりません。連絡が取れなくなってしまって」


 井上こばとは六日前、突然あたしにアイツの――公嗣こうじの浮気の証拠を送りつけてきた。


 公嗣が手を出した子は、この女の友人だったらしい。同棲までしてる相手がいることは黙ったまま、アイツはのらりくらりと遊んでいたそうだ。そしてすっかり本気にしてしまったその子から話を聞くうちに、おかしいと思った彼女は伝を辿ってあたしを見つけた。


「なんであたしのこと分かったんだっけ」

「妹が、あなたと同じ大学で」

「あーわかった。わかったからいいや」


 大学時代に公嗣と出会ったあたしが後に残したものなんて、悪い噂と調子に乗ったインスタ投稿しかない。それをこの女の妹が拾って、姉の耳に入れたのだろう。


 あたしが会話をぶった切ったせいで、どうしようもない沈黙がテーブルの上にべっとりとのさばった。こばとは落ち着かない様子で、ストレートのアイスティーが入ったグラスを弄っている。この全国どこにでもある安っぽいチェーンの喫茶店に誰かと入ったのは随分久しぶりだと、ふと思った。

 

「……れいには、幸せになってもらいたかったんです」


 沈黙を破ったのはこばとの方だった。玲は公嗣がちょっかいを出した女の子の名前。こばとから送られた写真で顔は知っている。清楚なロングヘアの、正しく綺麗でいる方法を生まれた時から心得ているような子だった。


「小さい頃にお母さんを亡くして、わがままも全然言わずにお父さんの分まで家事もして……大学も奨学金もらいながら通って、頑張っていい会社に入って。それであんな人に騙されるなんて、あんまりだと思ったんです。でも玲には、もう私が何を言っても届かなかった、から」

「そのせいでめちゃくちゃになるあたしの人生は、あんまりだとは思わなかったんだ」

「……」

「実はさ。あたし、公嗣が浮気してるかもってずっと前から思ってた」


 え、と気の抜けた声がこばとの口から漏れる。


「多分、玲ちゃんって子に出会う前にも遊んでたよ、アイツ。でも目瞑ってやってたんだよ。体面が何より大事なアイツは、散々周りに見せびらかした彼女を捨ててまで浮気相手に乗り換えたりしないって分かってたから」


 あたしが黙っていたとしても、アイツは勝手に玲の人生からフェードアウトしていっただろう。そしてあたしもアイツもそれなりの歳になれば、体面のために慌てて結婚なんかもしたんだろう。


「あなたは、それでよかったんですか」

「それもしょうがないなって思ってた。友だちに幸せな恋させてあげたいなんて夢見てるあなたには、分かんないかもしれないけどさ」

「じゃあ、どうして」

「さあ、なんでだろ」


 本当のところ、うっすらと答えは見えていた。

 でも認めたくなかった。


「今までは疑惑止まりのうちに無かった話になってたから、ギリ許せてたのかな。やっぱ本当なんだっていざ目の前に突きつけられたら、ダメだったのかも」


 違う。そんなのじゃなくて。


『この写真とチャットログを見せて、公嗣さんときちんと話をしてくれませんか』なんていうバカみたいに真面目なLINEを見た時に、思っちゃったんだ。


 今の自分が、途方もなく惨めだって。


「……悲しかったんですか。今まで、ずっと」

「はあ?」


 心の中で転がしていた気持ちとまるで違う指摘をされて、思わずキツい声が出た。

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