大きすぎるつま先は邪魔だったから
木月陽
第1話
ダラリと垂らした右手の小指がピクリと動くのが見えたので、あたしはコイツが次に何をするつもりなのかすぐに分かった。
「
「触んないで」
予想通り腰を抱き寄せようとした手を叩き落として、あたしはできるだけ冷ややかに見える半笑いを作る。子供でもあやすみたいにもう一度伸ばされかけた手を、今度は言葉で振り払った。
「『ごめんね、君をこんなに不安にさせてたなんて』でしょ。今あたしの話してないの。アンタが何したか分かってんのって言ってんの」
「だからそれはさ、」
「言い訳? いいよ聞いたげる、一回しか聞いてやんないからちゃんと喋って」
突きつけた言葉をチャンスと勘違いしたのか、目の前の男はここぞとばかりに甘い言葉を並べ立てる。彼女はただの後輩で、少し悩みを聞いてあげていただけで、将来を考えてる相手は君だけで、だから誤解を解くためなら何でもする覚悟で。
こんな状況でも「いつだって彼女を思いやれる優しいヒーロー」面を崩さないのはいっそ凄いと思う。だからあたしは目に涙を溜めて、バカみたいに感激しちゃった風の顔をして――腕を引いてキスしようとした無駄に造りのいいアホ面に、思い切りビンタを食らわせた。
*
「お前がこんなにブスなヒス女だって、別れる前に気づけて良かったよ」が、アイツの捨て台詞だった。
荷物と彼氏――元彼を叩き出して随分スッキリした部屋で、あたしはずるずると座り込んだ。怒りで沸騰してた頭が冷えて、これからの現実が背にのしかかるのを感じる。
(住むとこ、探さなきゃ)
二人で折半していたこのマンションの家賃は、あたし一人の給料じゃ払い続けられない。ちょうど契約満了が近いから解約で揉めることはなさそうだけど、追い出したあたしもいずれこの部屋を追われるのは確定だった。
(荷物整理して、捨てられるもの全部捨てて……あぁ、ダルい)
見上げた時計は午後十時前を示していて、昼から何も食べてないことを重い頭で思い出す。胃の下あたりが変な風に痛くて、食べたいのか吐きたいのかも分からないけどひたすらに気持ち悪かった。
台所に行く気力もないし、外に買いに行く気力もない。というかもう、何もしたくない。とにかく情報で頭を埋めたくて、投げ出していたスマホを拾う。壁紙がアイツと見たイルミネーションだったことに顔を顰めつつ、パッと目についたLINEアプリを適当に起動した。
(どうでもいい企業アカウントばっか)
ずらっと並ぶ「友だち」の上の方にいた【Kouji Takahata】をブロックして、何かにすがるみたいにチャット一覧をスクロールしていく。学生の頃くだらない話をしていた女友達の最終履歴は軒並み何年も前で止まっていて、今のあたしを受け止めるスペースなんてなさそうだ。
(てか、あたしの方から切ったんだよな大体)
東京のエリートを捕まえて、アンタらとは違うステージに立ってやったんだって。無意識どころじゃなく見下して、自分から連絡しなくなった。その挙句このザマだ。浮気されて、カッとなって追い出して、ぼっちでもうすぐ家もなくなる。二人で挨拶に来る日を待ってた実家の親にも、今は連絡を取りたくなかった。
底まで辿り着きそうになったチャット一覧を逆向きにスクロールして、もう一度上まで戻ってくる。そこで不意に、意地悪で捨て鉢な思いつきが浮かんだ。
【井上こばと】
顔を見るどころか声すら聞いたことがないこの女に、会ってやろうと。
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