ゴルフ戦争 〜五感を破壊するゴルフ vs 圧倒的フィジカルゴルフ~

富志悠季

ゴルフ戦争

 昼下がりのゴルフ練習場に、鋭い音が響く。


「カキィーン!」


 力強いスイングで打たれたボールは、空高く舞い上がり、一直線にランディングを決めた。


「よし、300ヤードは軽く飛んだな!」


 フィジカル中心のゴルフコーチ、力山(ちからやま)が満足そうに頷いた。

 しかし、その満足感とは裏腹に、彼の厳しい指導は止まらない。


「だが、まだ足りない! もっとだ、もっと飛ばせ!」


 その低く響く声が練習場中にこだまする。呼応するように、練習を続けるのは、彼の愛弟子、エリカ。

 背筋を伸ばし、無言で次のスイングを準備する彼女は、まるで答えなくてもその言葉を受け止めているかのようだ。


 そんな静かな練習場の空気を裂くように、別の男の声が割り込んだ。


「またそんな、バカの一つ覚えのような指導を――」


 振り返る力山。

 そこに立っていたのは、技術論を重視するゴルフコーチ――手国(てくに)。

 鋭い目と、小馬鹿にしたような口元の笑みを浮かべている。


「手国……貴様、何をしに来た!」


 力山の声が低く響き、場の空気が一瞬でピリつく。


「またパワー一辺倒か?」


 手国が軽く肩をすくめながら言う。


「ふん、俺は世界中のゴルファーを見てきて痛感したんだ。やはり、大事なのはフィジカルだ! 海外勢に負けないような体躯がなければ、世界では勝てん!」


 力山は力強い筋肉の塊を誇示するように両腕を突き出した。その自信と誇りに満ちた姿は、彼の信念そのものだ。


「無駄さ。筋肉には限界がある」


 手国の冷たく鋭い一言は、まるでナイフのように力山の信念を突き刺した。


「限界……だと?」

 

 力山が険しい表情で手国を睨む。


「筋肉に限界があるものか! 貴様の指導する小手先の技術こそ、限界があるだろうが!」


 力山の考えは明確だ。技術がいくらあっても、物理的な力の差を覆すことはできない。それが彼のゴルフ観であり、生き方そのものだった。


 だが、手国は冷たくうなずきながら、あっさりと告げた。


「その通りだ。ゴルフのテクニックにも限界がある。それに気づいたから、私はもう諦めた」

「な……なんだと?」


 力山の目が驚きに見開かれる。

 手国は信じる道こそ違えど、己の信条には真っ直ぐな男であることは認めていた。だからこそ、その手国が技術を諦めたという一言が信じられなかった。


「私は金輪際、ゴルフの技術は教えない。その代わり、プレー以外の技術を極めることにしたのだ」

「ど……どういうことだ?」


 力山が混乱する様子を見て、手国は不敵な笑みを浮かべる。


「見るがいい、これが私の最高傑作だ」


 手国は背後を一瞥し、手招きした。

 すると、一人の華奢な少女が前に出てくる。その振る舞いにはどこかしら優雅さがあり、まばゆい日差しの中で美しく映えていた。


「西園寺 透華(さいおんじ とうか)と申します。お見知り置きを」


 少女はスカートの裾を軽やかに持ち上げると、風に乗るようにふわりと動きをつけて、お辞儀をした。まるで舞台の上のプリマドンナの一幕のようだった。


「こいつが……?」


 驚きの色を隠しきれない力山。

 筋肉とは無縁の細い体つき。ゴルファーとしての風格すら感じさせない、美しい少女だ。


「こんなヒョロヒョロのやつに、ゴルフができるものか!」


 力山が叫ぶと、手国が肩をすくめた。


「ふふん、その通り。こいつのゴルフの腕前は、初心者に耳毛が生えたような程度だ」

「なっ……、鼻毛ですらないのか!」


 困惑する力山に、手国は言い放つ。


「だが、こいつのゴルフ以外の腕前は、紛うことなく一級品だ」

「ゴルフ以外の……腕前だと?」

「そうだ。それを今、見せてやろう。西園寺、打ってみろ!」

「分かりました、手国コーチ」


 手国の指示に頷いた西園寺は、静かに打席に向かった。

 優雅なフォームでスイングを見せたその瞬間――場の空気が一変する。


「くっ……くさいッ!」


 力山は突然、鼻を押さえてむせ返った。


「この異臭は……まさか!?」


 手国は満足げに口元を歪める。


「そうだ、スイングと同時に“屁”を放つことで、相手の嗅覚を封じる。これが西園寺の秘技、五感破壊の第一ステップ、“嗅覚破壊”だ!」

「な、なんだと!? そんな技が……」


 任意のタイミングで放屁をする。それがどれだけ難しいことか、日々の生活で自分の屁を制御しきれたことがない力山にはよくわかる。


「そして次だ、西園寺!」


 手国が声をかけると、西園寺は小さく息を吸った。そして、静けさが場を支配する……が、次の瞬間――


「ヘェックショイ!!!」


 爆弾のようなくしゃみの爆音が練習場を揺らす!


「うおおッ……鼓膜が吹き飛んだかと思った!」


 耳を押さえる力山に、再び手国は得意げに語る。


「これが第二ステップ、“聴覚破壊”だ」

「ぐっ……プレー中の騒音はマナー違反じゃないのか?」


 力山が絞り出すように問いかける。


「マナー違反? とんでもない。ただの生理現象で、無意識で起きるものだ。これを非難できるゴルファーは人の心を失っている」


 力山は反論できず、しばし黙り込む。


「まだ終わらん! 次だ、西園寺!」


 手国の叫び声が練習場に響く。


「はい、手国コーチ!」


 相変わらず礼儀正しい口調で答える西園寺。だが、次の瞬間、彼女が取り出したアイテムに、力山の表情が一気にゆがむ。


「ラ、ラーメンだと!?」


 西園寺は湯気を立てる一杯のラーメンを持ち、その場で堂々とすすり始めた。


「ズルズルッ! ズゾゾゾゾッ!」


 それはただの食事とは呼べない光景だった。完璧に訓練された西園寺のすすり音は、どこまでも旨そうに響く。力山の腹が、思わず鳴った。


「ぐ、ぐおおお! なんということだ……腹が……腹の虫が暴れだしやがった……!」


 手国の口元がまたもニヤリと歪む。


「これが五感破壊の第三ステップ、“味覚破壊”だ。ラウンド中にこれをされたら、他のプレイヤーはプレーを放棄して食堂に向かわざるを得まい。さあ、次のステップへ移るぞ……西園寺!」

「はい!」


 合図と共に、西園寺はコートを華麗に脱ぎ捨てた。その下から現れたのは――


「な、なんだと!? ドレス!?」


 光り輝くゴージャスなドレスが彼女の体を包んでいた。その煌びやかさは、ゴルフ場の太陽の光を浴びて一層まばゆく光っている。力山は思わず目を細め、両手で顔を覆った。


「なんて眩しいんだ! おまけに、そんなドレスを着ながらラーメンをすすっているだと!? ……汚さないかハラハラする!」

「くくく、もはやゴルフボールなど視界に入ることは無いだろう。これが第四ステップ、“視覚破壊”だ」


 手国は悠然と告げた。

 そして、とどめの一撃だと言わんばかりに、次の指令を口にする。


「最後だ。西園寺、握手してやれ」

「握手……? そ、それはどうなんだ、セクハラにならないのか?」


 力山が言葉を詰まらせる。

 しかし、西園寺は柔らかな笑みを浮かべた。


「構いませんわ、それが手国コーチの指導ですもの」


 力山は恐る恐る差し出されたその手に触れた――次の瞬間、力山の顔が激しく歪む。


「なっ、ベタついている! なんだこれ……全然取れないじゃないか!」


 手を引き離しても、タオルで拭いても、その纏わりつくようなベタ付きが手から離れない。


「この握手で触覚も終わりだ。西園寺の手脂(しゅし)は異常だ。粘つきすぎて一度触れれば、日常生活にすら支障をきたすだろう」

「ぐっ……!」

「これが第五ステップ、“触覚破壊”だ!」


 手国が勝ち誇りながらそう言い切ると、力山は膝が崩れそうになるが、かろうじて踏みとどまった。


「な、何という恐るべきゴルファーだ……。お前は一体、何を育ててしまったんだ……!」


 五感破壊――その凄まじいすべてを見せつけられた力山。満身創痍(そうい)状態の彼に、手国が勝ち誇ったように言い放つ。


「どうだ、力山! お前のフィジカル指導など、時代遅れだろう!」


 ――しかし、力山の目には、まだ炎が宿っていた。


「ふん、俺を甘く見るな……おい、エリカ!」


 呼ばれたエリカは、無言で立ち上がる。

 力山の命令を受けると、彼女はぐいと西園寺に歩み寄り、黙って手を握った。


「あら、何を……?」


 西園寺は一瞬動揺する。しかし気にせず、力山の指導は続いた。


「さあ、かっ飛ばせ!」


 エリカは西園寺から手を離すと、何事もなかったかのようにクラブを構え――「ドスン!」 と音を立てるほどの重厚なスイングを見せる。

 そのボールは、風を切り裂きながら300ヤードを軽く超えた。続けざまにもう一球、さらにもう一球!


「どうだ! このフィジカルの前には、貴様の五感破壊など通用しまい!」


 力山が胸を張りながら叫ぶと、手国は歯ぎしりをしながら言い返す。


「バ、バカな! ……こんなゴリラ女、反則だろう!」


 ――言い終わるや否や、力山は怒気を込めて叫んだ。


「貴様ァ! 言っていいことと悪いことがあるだろ!? このご時世、そんな発言はご法度だぞ!」

「あ、いやいや! そういう意味じゃなくて、生物学的に、本当にゴリラっぽいって意味で――」

「アホか! この子はオランウータンだ!」

「似たようなもんじゃねーか!」


 コーチ同士の言い争いがヒートアップする中、無言だったエリカが微笑みを浮かべた。


「ウホホホ?」


 対する西園寺も、それに気づくと、口元に微笑みを浮かべた。


「あらあら……うふふ?」


 微笑み合う二人。その光景に、言い争いを続けていた手国と力山は顔を見合わせた。


「……なんか仲良くなってないか?」

「あ、ああ……。まあいい。次の大会で雌雄を決する! そこで、貴様との完全決着をつけてやる!」


 その宣言と共に、場は熱戦に向けて再びヒートアップする――かに見えたが……



   *



 数週間後、ついにゴルフ大会が開かれた。しかし――


 エリカは「人間ではない」という理由でレギュレーション違反となり、失格。

 対する西園寺は、普通にゴルフが下手という理由で、ぶっちぎりの最下位を記録。


 大会を見届けた手国と力山は、肩を落としたまま空を仰いだ。


「俺たちの指導は……間違っていたのかな……」


 こうして、二人のコーチの教え子によるゴルフ対決に幕が下ろされた――いや、最初から何も始まっていなかったと言えるかもしれない。


 ただ、雲ひとつない青空の下、エリカと西園寺は仲良く並び、「ウホホホ」「うふふ」と笑い合っていた。

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