第4話 書道大好き大作戦 その2(すでに望み薄)
「あ、誠と優。おはよ」
翌朝。
時間も時間だったので、バカップル半紙を畳んだ後、そのまま解散した。
結局何か身についたことは少なかったし、般若心経脱却は無理そうだけど、まあまあ。やらないよりはマシ。
「おはよう小鳥。昨日練習したって聞いたぞ。書道部入れそうか?」
「……努力次第かなあ」
入れそうかと言われれば微妙である。まあ少しは良くなったかもしれないけど。
「それお前が言うセリフじゃなくね? それ教えてる側が言うセリフじゃね?」
「じゃあ私が言う、小鳥は努力次第」
制服姿の優は胸を張ってそう言った。真っ白なカッターシャツ、紺色のチェックスカート、そして学年ごとに違う小ぶりなリボンが、可愛いと人気の我が学校の制服は、ルックスが世界遺産レベルな優に凄まじく似合っていた。この可愛さは紀元前から決まっていたことなのではないかと疑うレベルだ。
私と五反田兄妹は家が隣同士なので、毎朝一緒に登校している。もちろん三人とも自転車通学なので、二人のそばには二台自転車が。もちろん私のところにもギャラクシー雀号がちゃんといる。
「じゃあ行こっか」
私たちは一斉に自転車に乗り込む。私はヘルメットを被ったが、二人はそもそも持っていない。
「前から思ってるけどヘルメットってダサくない?」
「それは俺も思う」
五反田兄妹は私のヘルメットをガン見し始めたと思えば、口を揃えてそんなことを述べた。二人ともこういう時は本当に息ぴったりである。さすが双子。
「ほら、あのお前の戦友である南条も言ってたぞ。『ヘルメットはダサい。あまりにもダサすぎる。もっと格好いいデザインにすべきだ』とな」
「何でそこで南条が出てくるのさ。確かにダサいのは否定しないけど、自分の身を守るためならこれくらいなんぼのもんだって感じだよ。ダサいのは否定しないけど」
「じゃあ辞めればいいだろ。華の女子中学生なんだから、オシャレに気を使う年頃だろ?」
「自転車事故で死にたくない」
本音だ。というかそれ以外理由なくない?
「それは私たちにもあるけどさ、ダサいじゃん。この年代の女子中学生でヘルメット被ってるの小鳥くらいだよ」
「そもそも自転車通学自体少ないんじゃないか? この辺に住んでる子供俺たちくらいだろ」
「まあそれはそうなんだけど……」
そんな世間話をしながら、朝の通学路を走る。お天道様はまだ南にはそりゃ達していない。お天道様も眠気まなこだ。お天道様が眠気まなこなのだから、私も眠気まなこだ。当然である。
「そういえば」
「どうした」
「信濃先輩も自転車通学だよね」
信濃先輩。
私はその言葉に少しドキリとする。
多分今の状態では、信濃川と言われてもこんな反応をしてしまうのではないか。私の脳みそはその言葉でバッチリ覚醒した。脳内に信濃先輩の美しい姿、そして泉のような声が映し出される。あー、今日もいい日かもしれない。
「小鳥ー、信濃先輩ってヘルメット被ってた?」
「え?」
突然話をふられ、私は気が動転する。気づかずトリップしてしまっていた、危ない危ない。こんな調子じゃいつか事故る。
「ヘルメット?」
私はあの日の信濃先輩を思い出す。黒髪が綺麗で、私に手を差し伸べてくれて……。はあ、信濃先輩。
「おーい、聞いてるー? そんなうっとりした顔しないでよ」
「あ、ごめん」
危ない危ない、思い出せ小鳥谷舞子。あの日の情景をくまなく思い出すんだ。
「……つけて、なかったかなあ」
もしつけていたら多分わかる。ヘルメットなんて印象的なものつけていたら、流石に記憶に残っているはずだ。
「そうか、やっぱりヘルメット派って少ないんだな。やっぱうちの学校でお前だけかもしれない」
「何言ってんの、うちのクラスの大山くんだってヘルメットだよ」
「お前相撲部と一緒でいいのか?」
「……ま、別に?」
私のような可憐な(当社比)女子中学生と、相撲部男子が同列に並べられても、別に屈辱は覚えない。
誠よ、知ってるか、大山くんって相撲部のイメージしかないけど結構顔整ってるんだぜ。お前の立ち位置も危ういかもよ?
そんな感じで誠のことを余裕たっぷり(当社比)の大人の笑み(当社比)を浮かべながら見たら、怪訝そうな目を返された。なんでやねん。
そうこうしているうちに、私たちは学校に着いていた。
「あれ、いつもよりちょっと早かった?」
いつもどおりの時間かと思えば、なんだかんだ言っていつもより早かったようだ。昇降口前に生徒がたくさんいる。
この状況……。
私はあの日のことを思い出していた。
信濃先輩との甘酸っぱい思い出の方ではなく、むしろ塩辛い方のお話。いや、雨の日の方も甘酸っぱいかどうかは微妙だけども。
『入部理由が、不純なのは絶対ダメだと思う』
そんな声が頭の中にまた響いた。
また、そんな言葉を聞いてしまうかもしれない。そして、それで絶望してしまうかもしれない。でも、私は人混みの中信濃先輩の黒髪を探していた。
「小鳥……。そんなに気になるなら探してこいよ」
「うん、私たちのことは置いといて、信濃先輩のこと優先していいよ」
自転車を置いた五反田兄妹は、そんなことを口にしてくれていた。なんていい奴らなんだ。
「二人とも、ありがと」
私は感謝の言葉を述べながら、強く頷く。そして五反田兄妹を背中に向け、人混みの中また探し始める。
みんな同じ格好なので、信濃先輩を見つけるのは容易ではなかった。でも、私は信濃先輩と他の生徒のの背中を見分けることくらい、とっくに身につけている。
自分のスキルを頼りに、辺りを見回す。
どこだ?
あの日、あんな早い時間にいたのだから、きっと今日もここにいるはずだ。
でも、なかなか見つからない。背中を向けていたとしても、私だったら信濃先輩だって判別できるのに。
違う、違う、違う、違う。
全然違う。いない。
どこだ、本当にどこにいるんですか、信濃先輩。
「小鳥! 小鳥ー!」
私の名前を呼ぶ声が背中から聞こえた。そしてすぐに、肩に手を置かれる。
「優……! どうしたの、何かあったの?」
優は息を切らしており、どうやら全力で走ってきたらしい。そして必死で言葉を紡ぐ。
「小鳥……っ……自転車置き場に……」
「自転車置き場に?」
「信濃先輩が……!」
「え、マジ?」
優がここまで走るのだから、てっきり誠に何かあったのかと思ったが、まさかの名前が出てきて私は素っ頓狂な声をあげる。
まだ学校に着いてなかったんだ。
「マジで……さっき見た。というかすごいよ、本当に」
優はヘロヘロになりながらそんなことを伝えてくれた。
そんな様子に少し込み上げるものがありつつも、私は駆け足で自転車置き場へと踵を返す。優の手を取りながら、コンクリートの地面を蹴った。持つべきものは幼馴染のクオーター双子だな。
その様はまるでスクープを追う記者のようだったが、私が追いかけているのは恋だ。憧れだ。
そして、自転車置き場へ着いた時。
「……へ⁉︎」
私はまた、素っ頓狂な声をあげていた。
確かに信濃先輩の姿はそこにあったし、信濃先輩が乗っていた自転車や毎度お馴染み椿先輩も一緒だった。
流石に近づくのは怖いので遠巻きながらだが、しっかりとそれを確認したのだが。だが。
「ね、すごいでしょ?」
信濃先輩の頭に。
「小鳥だけじゃなかったんだな」
頭に。
「まあ、それもそうだけど……」
信濃先輩の頭に。
「それにしてもヘルメットかぶってる人少ないわね……みんな自分の命が惜しくないのかしら」
白い、ヘルメットが乗っていた。
しかも、おそらく私と同じ種類の……。
私は呆然とそれを見つめる。
「信濃……先輩」
胸の奥から何かあたたかいものがこみ上げてくるのがわかった。
信濃先輩。
信濃先輩、信濃先輩。
心の中でその名前を呼ぶ。私は遠巻きからだったけど、信濃先輩のことをしっかりと見ていた。
私は周囲を見回した。
その日、この学校でヘルメットをかぶる人間が、私と大山くん、そして信濃先輩になった。
私以外にもいたんだ。大山くんはともかく。
「信濃先輩……! 信濃先輩……」
私は感動でつい先輩の名前を何度も口にしてしまう。
「……信濃? 誰か、私のことを呼んでいる気が?……」
信濃先輩は辺りを見回し始めた。
やばい、先輩に聞こえちゃったみたい。
まずいな、面識ないのに名前連呼してたらそりゃ怪しまれる。
感慨深さにに浸ってる暇もない。私はどうにか打開策を考えなければ。
「わー誠ー! 信濃川と千曲川って何が違うんだろねー!」
私は咄嗟にそんな話を信濃先輩に聞こえるように、誠に振る。
誠は一瞬ポカンとしていたが、私が睨みつけるとすぐに反応してくれた。そういうこところ、嫌いじゃない。
「何言ってんだ小鳥ー! それはナイル川とアマゾン川くらい違いあるに決まってんじゃねえかー!」
「あははー! 誠ってばアホなのー! ナイル川とアマゾン川はまず場所が違うんじゃないのかなー!」
「誰がアホだちくしょー! オメーの方が大アホだわー!」
どうしよう、誠の目が笑ってない。
どうしよう、周りの目が冷たい。
同級生から思いっきり他人の(以下略)
「信濃川と千曲川は確か同じ川なはずじゃなかったっけ……」
優は周囲と同じで呆れた目をしていた。
いつのまにか昇降口は開いていて、ぞろぞろと校舎に入って行く。
やってしまったかもしれないなあ。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
私の字の二つ名は般若心経なんだが。
般若心経を書いた人は多分私よりも字が綺麗だ。どころか、確実に綺麗だ。
般若心経とは一応読める字で書いてあって、いわゆる達筆と呼ばれるものだ。それで字がぎゅうぎゅうだから読みたくなくなるだけ。
だから、私の字とは多分別物で。
般若心経という二つ名は私のとてつもなく汚い、全く読めない字には相応しくない。むしろ般若心経に失礼だ。
私、般若心経という二つ名返上します。
「全然ダメだ……」
これからは、クソ字でいいです。
もう、マジで。
自分の字が汚すぎて辛い……。
「あれ、小鳥。もう挫折しちゃうの?」
「…………もうダメかも」
優は項垂れる私にそう声をかけた。だってさ、もはや個性ってレベルじゃないんだよね。書道で個性的な字って概念があるのはわかるけど、もうそういう次元じゃなくて。
単純に、字が下手。
もう本当単純にド下手。個性ってものが羨ましい。
「小鳥谷舞子、もうダメかもしれません」
そんなレベルの字なので、私は泣き言を吐く。放課後、またもや私は書道の練習を家でしていた。こんなんじゃ信濃先輩にも呆れられちゃうよ、絶対。
「ふーん、信濃先輩のこと、もう諦めるの?」
「いや、別にそういうわけでは……」
諦めたくないんだけど。
でも、部活に入ったりしない限り、信濃先輩と知り合う方法がないんだよなあ。自分が帰宅部だったのが幸いで、せっかくだからこのチャンスを活用したい。
「というかさあ、ウジウジ悩んでないでさっさと決心すりゃいいのに」
優は数学のワークを解きながらそんなことを言った。
「入部理由が不純だから、もっとまともな入部理由を作ろうと今努力してるんだよ」
「じゃあ書道を上手くなりたいから入部します、とかでいいんじゃないの? 誠も言ってたけど、そんな難しく考えなくても」
「確かにその方法だったら入るまでは大丈夫だよ。でも入ってからがダメなんだよ」
ダメとは?
と、優は首を傾げる。
「信濃先輩は書道をおそろかにする人には厳しい人だって聞いたし、何なら字が汚い人は嫌いってのも風の噂で流れてきたもん。だったら、私は入部してから嫌われてしまうかもしれない」
「ああ、そゆこと」
優は呆れた目でこちらを見た。そこ、なぜ呆れる。どこに呆れる要素がある。惚気てないはずだ、というかまだ片想いだ。
「そんなねえ……やってみないとわからないことを案じても」
「案じたくもなるでしょ? あんな優しい人に嫌われちゃったらと思うと、胸が苦しくて自ら琵琶湖に落ちに行きそう」
「その時は私が突き落としに行くよ」
優は満面の笑みだった。何でや。
「でもさ、書道をおろそかにしなければいいんじゃないの? それだったら先輩に嫌われない」
「いや、私は字がゴミすぎて目も当てられないから、初対面の時点で嫌われる」
その辺は何度もシュミレーションした。もう何度も。何度も何度も、書道部の活動を覗きに行ったりしながら、何度も。
「四面楚歌じゃん」
「八方塞がりもいいところだよ。でも、一応一つ道筋があって」
周囲が塞がれていたとしても、必ずどこかしらに小さく隙間がある。
と、おばあちゃんは別に言ってない。
おじいちゃんも言ってない。何ならお兄ちゃんも(存在しない)お母さんも言ってない。お母さんが言うのはテンプレセリフのみ。言ったのは私。今作った。
「それがこれってわけか」
優は私の目の前にある、バカみたいな半紙を見る。
「正解。ま結局今やってるこれなんだけどさ。これ頼りでしかないんだけどさ」
なんだけどさ。
「それも、まあ八方塞がり四面楚歌なわけで」
私は投げやりに答えた。
というか、他の道筋が鬼レベルすぎて、この方法の難易度が霞んじゃっただけで、本来はこれもかなりのハードなわけ。正面突破は無理ゲー中の無理ゲーだし、他にお近づきになる方法なんてないし、そもそもほぼ面識ないし、というかあの雨の日だって名前も言ってないし、残されているのが書道を上手くなるという選択のみで。今まで挙げた中でいえば一番楽だっただけで、単純にイージーというわけではない。ただ、他と比べればという話。
「八方塞がり四面楚歌の中で少し見えた道筋も、八方塞がり四面楚歌だったんだね」
「故事成語とか慣用句とか大好きじゃん」
「小鳥が先に言ったんでしょ。他にも言うなら、どっちを進んでも茨の道とか万事休すとかじゃないの」
「国語は置いといてさ……」
いや、置いといちゃダメなのか。書道って、文部科学省の定めた何たらによると国語科の範囲内なわけだから、私は置いていっちゃダメだ。
「とにかくさ」
さっきまでのは単純な御託合戦で。
御託なんてどんなに並べても、結局は何も変わらない。並べまくって最後にドミノみたいに倒すこともできない。
そんな戯言を言いつつも、私はまた。
「うん」
「やっぱりダメかもしれない……」
今日の格言。
御託を並べても、字は上手くならない。
入部理由が不純すぎる! 理 世羅 @hakusaimoyasi
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