第3話

 ここをラブコメにする?

 こいつはなにを言ってるんだ?

 俺は春梨の肩に手を乗せた。

「あのな。俺達三次元にいる人間は二次元に干渉することができないんだ」

「そんな哀れむような目で見ないでよ」

 春梨はムッとすると俺の手を払って腰に手を当てた。

「べつに二次元に行こうって言ってるわけじゃないわ。ラブコメをしようって言ってるのよ」

「……お前と……誰とで?」

「あんたしかいないでしょ! 言っとくけど消去法で選んであげただけだから。べつに好きとかじゃないからね。そこらへんは勘違いしないで」

「し、しねえよ」

 本当は少し期待したけど、まあ相手は春梨だからな。

「で? どうするんだ? ラブコメとするがいまいちよく分からないんだけど」

「簡単よ。アキラがしたいこととあたしがしたいことを交互にするの。ほら、あるでしょ? 憧れてるシチュエーションとか言われたい台詞とか」

「そりゃあ、まあ。でもいいのか? 転けた拍子に胸を揉むとか、風でスカートがめくれるとか」

 春梨は拳を握って憤る。

「いいわけないでしょうが。そんなことしたらぶっ飛ばすから。やらしいのはなし! なに? そんなことするつもりなの?」

 春梨は恥ずかしそうな顔で自分の体を抱いた。

「いや。お前にするつもりはない。だけどラノベだと定番だからな」

 最近ではそれで済まなかったりするけど、なんて言えるわけがない。

「とにかくエッチなのはなし! 禁止! 絶対ダメ!」

「はいはい。しねえよ。で? お前はなにがしたいんだ?」

 すると急に春梨はもじもじし出した。

「…………言っても笑わない?」

「言われないと分からない」

 春梨はむうっと唸ってから恥ずかしそうに告げた。

「…………どん」

「……カツ丼?」

「この状況で言うわけないでしょ! ラブコメしようって言ってるのになんでカツ丼って言うのよ!」

「いや、ラブ米っていうジョークなのかなって思って」

「うまい! ってちがう! あたしが言ったのは壁ドンよ! 壁ドン!」

「なんだ壁ドンか」

「さすがに知ってるみたいね」

「あれだろ。道路の真ん中で寝てるやつ」

「それはカビゴン。もういいから。早くやるわよ。こっち来て」

 春梨に言われるまま、俺は後ろの壁際までやってきた。

 春梨が左手で右肘に触れて壁に背もたれると恥ずかしそうに言った。

「じゃ、じゃあお願い……」

 う……。ちょっと可愛いと思ってしまった……。

 いかんいかん。

 これはあくまでフリなんだ。

 ラブコメするフリ。

 落ち着けと自分に言い聞かせた俺だったが、緊張で足がもつれてしまった。

 バランスを崩した俺は勢いよく春梨の顔の横に手を突いた。

 ドオンッ!

「ひいっ!」

 春梨は涙目で怖がり、抗議する。

「張り手の練習じゃないんだからもうちょっと優しくしてっ!」

「わ、悪い……。バランスが崩れた。ていうかこれ難しいぞ。お前に当たらないようにしながら壁に体重かけると腕も疲れるし」

「夢のないこと言わないでよ……。男なら常日頃からこうなることを想定して鍛えといて」

「その想定で生きてたら右腕だけムキムキになりそうだな」

 俺は春梨から離れ、改めて壁に手を置いた。

 今度はそーっとすると春梨からクレームが来る。

「弱いのは弱いのでなんか気持ち悪い。自分に挨拶したのかと思ったら横を通り抜けていった人みたい。それが壁にぶつかってる感じ」

「どんな感じだよ。そいつは誰に挨拶してたんだ?」

「いいからもう少し強く」

 俺はさっきより少し強く壁を叩いた。

 すると春梨は満足そうにする。

「そう。そんな感じ。それでこう言うの。『僕から逃げるなよ』って」

 いまいちどういうシチュエーションか分からないけど、俺は口を開いた。

「僕から逃げるなよ」

「なんか違うのよね。その、顔が」

「そりゃそうだろ」

「今だけ格好よくなれない?」

「なれたらなってるよ。これからも永遠に」

「それもそうね。じゃあこっちでどうにかするわ」

「そうしてくれ」

 春梨が目を瞑ると俺はもう一度壁を叩いた。

「僕から逃げるなよ」

「わ、分かってるわよ。ロバート」

「想定がアメリカすぎる」

「今日は三人じゃないのね」

「あ。日本人トリオの方だった」

 春梨はうーんと悩んで目を開けた。

「やっぱり声がアキラのままなのがダメね。もっとイケボでお願い」

「ええ……。俺にできるのは森の木を全部切られた時のプーさんだけなんだけど」

「なんでそれはできるのよ。とにかくもっと格好つけて!」

「分かった。やってみる」

 俺はゴホンと咳払いして言った。

「僕から逃げるなよ」

「もっと高めの声で」

「僕から逃げるなよ」

「もうちょっと高め」

「僕から逃げるなよ」

「なんかプーさんの声が聞こえるんだけど」

 さすがの俺もリテイクが細かすぎて腹が立ってきた。

「だあっ! やってられるかっ!」

「しょうがないわね。じゃあ正解を見せてあげるわよ。代わって」

「やれるもんならやってみろよ」

 俺と春梨は入れ替わった。今度は俺が壁側になり、春川が手を突く。

 こうしてやられると顔が近い。春梨のくせに良い匂いがしてドキドキする。

 春梨は俺のネクタイを引っ張った。

 そして耳元で囁く。

「あたしからは逃げられないわよ」

 妙に色っぽい春梨の顔に思わずドキッとしてしまった。

 やばい。思ってたよりこれはやばい。

 ていうか近い。

 さっきまでのおちゃらけた雰囲気がガラリと変わり、俺はなにもできずにいた。

 緊張で全身が硬直する中、打って変わって春梨ははにかんだ。

「どう? いい感じじゃない?」

「お、おう……。まあまあかな……」

「でしょ? 結構家で練習してるんだから」

 なにやってんだよ。

 俺がそうツッコもうとした時だった。

「わわっ!」

 春梨が足元をずるっと滑らせ、尻餅をつきそうになった。

 そのまま俺のネクタイを引っ張るもんだから、こっちも引きずり込まれる形になる。

「梢!」

 咄嗟に俺は春梨の両肩を抱き、ぐるっと体を回した。

 そのまま俺が下敷きになるように倒れると背中を打つとほぼ同時に決して軽いとは言えない春梨の体が落ちてきた。

「ぐえっ!」

「いたた……」

「だ、大丈夫か? なんで転けたんだよ?」

「知らないわよ……」

 と言って密着させていた体を起こした春梨の頭に保健体育で配られたプリントがひらひらと落ちてきた。

 どうやらそれを踏んでしまったらしい。

 春梨が頭の上に乗っかったプリントを手に取ると俺達はなんだかおかしくなり、互いに笑ってしまった。

 だが少しして気付く。

 これが非常に危ない体勢だと。

 肉体的な危険性じゃない。

 誰かに見られてしまった時に社会的な危機が訪れるであろう体勢だった。

 それに気付いた俺と春梨は顔を赤くして離れようとした。

 その時だった。

 教室のドアが開き、そこからさっき出て行った担任の先生が入ってくる。

 かったるそうな顔でいつもYシャツと黒のスラックスを履いているこの女性は寺地瑞穂と言い、平らな胸にスラッとした足はモデルのようだった。

 ショートヘアの寺地先生は眠そうに俺達を見ると目を見開いてから眉をひそめて首の後ろを右手で触れた。

 そして大きくため息をつく。

「仲が良いのはいいことだけど、ちゃんと避妊はした方がいいぞ? ほら。そのプリントにも書いてるだろ?」

「勘違いです!」

 春梨は俺を押しのけて立ち上がると顔を真っ赤にして否定する。

「ああ。してるならまあいいか」

「そこじゃないしよくもない!」

 それから春梨は涙目になりながらさっきのは偶然だと訴え続けた。

 寺地先生は怪しそうにしながらも面倒さが勝ったみたいだ。

「分かった分かった。でもテスト中にあんまりそういうことするなよ。私の責任問題になるから。それと君。えっと。青井だったっけ?」

 寺地先生は俺を指さした。

「彼女のことは大切にしなよ」

「え? あ、はい」

 つい肯定してしまった俺に春梨が怒る。

「はいじゃない! だから誤解なんですって!」

「はいはい」

 寺地先生は面倒そうにしながらテストを回収して「じゃ」と言うと職員室に帰っていった。

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今からここをラブコメとする! 歌舞伎ねこ @yubiwasyokunin

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