家族の結び目

南砂 碧海

第1話

 修一の家庭は、田舎の地方都市で妻と祖母の3人暮らしだった。3人の子供たちは既に巣立ちして、長男と長女は結婚し東京に暮らしている。次男はタイで起業し、日本食の輸入卸しの小さな会社のCEOをしている。いつも、東京の子供達が家に帰って来ると「ただいま」と言って家に入って来た。子供達と言っても、長男夫婦は、既に結婚して男の子1人の3人家族だ。長男拓也の子は5歳で、もうすぐ小学校に入る年齢。帰省は年に2回程度で、ラインやズームなどを使いながら、お互いの様子をコミュニケーションしているような状況だ。


 最近は、スマホやパソコンを利用して気軽に連絡や写真を見たり、顔見せで話したりも出来るが、修一は会って話せるのは一番良いと思っていた。これから、VRと呼ばれる仮想現実の世界が進んでも、孫を抱いたり一緒に食事やお酒を楽しめる体感が出来るのは、遥か遠い未来の事だろうと思っている。遠い国タイの次男俊介に、連絡が取りあえるのは素晴らしい進歩で、この時代に生まれて良かったと思う。それでも、修一は直接会えることが一番だと思っている。


 娘沙也加の暮らしはというと、東京で中学校の数学教師を、夫は流通関係の商社に勤めている。娘夫婦は、南砂のマンションに住んでいたが、出産予定日の前後を合わせて2ヶ月ほど里帰りした。娘夫婦が孫と一緒に、東京に帰った時は『里帰りロス』が酷かったが、やっと気持ちを立て直したところだった。『ラインやズームじゃ抱っこ出来ないからな……。』なんて、まだ娘が居たころの事を思い出していた。


 出産の5ヶ月前には、娘夫婦とタイで家族9人だけの結婚式を挙げるという家族の大きなイベントがあった。その時は、既に沙也加が妊娠5ヶ月で身体を気遣ったが、タイで家族だけの結婚式を挙げたいと言ってきたのだ。新郎の家族は、仕事や身体的理由などの理由でタイ行きは不参加となった。『タイでの行動は、俊介が全部サポートしてくれるから大丈夫だから。』と娘が言ってきた。私達夫婦が、俊介に8年近く直接会えていないことを思って、娘はタイでの挙式を企画してくれたのだと思う。修一と妻恵美は、海外への旅行は初めてだった。往路は成田から5時間を越える空の旅だった。飛行機は乱気流でかなり激しく揺れた。恵美は、気分が悪くなり機内を楽しむ余裕などはない。修一は、沙也加の体調も気になったが、若い人達はどうやら心配ないようだ。孫もゲームに夢中。修一夫婦は、機体も揺れて狭い機内、おまけに席も通路内の真ん中の席だったので外も見えない。席のモニターの映画もあまり面白くない。退屈で時間はかなり長く感じた。タイのスワンナプーム国際空港に着くと、8年ぶりの俊介が迎えに来ていた。久しぶりに現実の顔を見ると懐かしく、長旅をした甲斐があったなと思っていた。VRでは味わえない感触だと思う。それからの滞在中は、俊介が会社を休んで付き添い、ホテル…観光…挙式と家族をガイドしてくれた。英語もタイ語も流暢に話す俊介を見て頼もしく、タイの数日間を楽しもうと思った。娘夫婦の挙式は、パタヤのホテルにある専用ビーチで行われ、我々家族だけの小さな結婚式は寂しいだろうと心配していたが、パタヤの海岸にいた観光客やタイの人々が温かく賑やかに祝ってくれた。パタヤの海岸を染める夕陽が、沙也加のウェディングドレスを紅く染める。思わずその姿に涙した。そんな流れから、さらに里帰り出産もあり、私たち夫婦には超日常で、目まぐるしい日々が続く半年間だったのだ。


 拓也の妻絵里の時の出産はというと、実家には里帰りしなかった。2人で何とか育児全般を頑張ったらしい。そのせいもあり、長男夫婦の出産時には孫と接する時間も少なく、今回の娘の里帰りロスのような感情は起こらなかった。長男夫婦は学生時代の研究室で知り合い、そのままゴールインした。今は都内の大学で、それぞれに勤務している。2人とも理学部数学科の助教で、『結び目の理論』とやらの幾何学系を研究している。『コーヒーカップとドーナツは同じだ。』とかいう理論だ。合わせて、拓也と絵里は、それぞれの大学で数学の講義も担当しているようだが『家族の結び目も、たまには考えてね。』なんて考えていた。修一は、そんな話を聞いてもサッパリ分からなかったが、『結び目』という言葉には惹かれるものがあった。


 東京のどちらの若夫婦達も、いつも実家に帰って来ると元気良く「ただいま」と言ってくれるので気持ちが良い。やはり、直接会えるのは良いものだと思う。俊介はと言うと、大学の卒業後すぐにタイへ行ってしまったため、娘の挙式でやっと会えたのだ。現地でデング熱に罹って病院に入院したこともある。バイクで走行中に引ったくりに合い転倒し怪我をした事もある。そんな連絡があってもどうにもならない距離なのだ。それからは拓也が気を使って、数ヶ月に1度はネットでの家族ミーティングを開いてくれるようになった。それはそれで楽しいのだが、やはり子供達が帰って来る時の「ただいま」は、いつも魔法のように修一に落ち着きを与えてくれた。今は、それぞれに離れて住んでいるが、拓也夫婦が学んでいる『結び目の理論』とやらで、家族の気持ちや空間も繋いでくれたらなんて勝手に思っていた。修一の勝手な解釈と語呂合わせから来る『結び目』という言葉の連想ゲームだった。


 数年前、まだ父が生きていた頃の話になるが、父は間質性肺炎で入院し「ただいま」とも言えずに家に帰って来た。修一は、父に「お帰り」とだけ言って、いつも寝ていた和室の布団に寝かせ顔にガーゼを被せた。いわゆる死亡退院というやつだ。この頃は、コロナがまさに猛威を振るう最悪な時期で、母は一度の面会も出来ずに、この日を迎えた。「爺ちゃんとは、一度も話が出来なかった。1人で死んでいって可哀想だ……。」と涙を浮かべていた。テレビでは、コロナに感染した芸能人が、火葬前に一度も顔を見られないという報道があったが、家に帰って来れるだけ、まだ良いのかなと思えた。その時の父の葬式でも、俊介は仕事の忙しさから日本に帰る余裕は無かった。


 それでは、修一の人生はどうだったのかと言われると、決して褒められたものではなかった。小学生の頃から挨拶が得意でなく、「おはよう。」「いただきます。」「ごちそうさま。」「こんにちは。」「行って来ます。」「ただいま。」「おやすみなさい。」などの、基本的な日常の挨拶を自分から言えた記憶が無かった。近所の人と挨拶を交わすような場面になると、全力で走って会話をしないように、その場を凌いだりした。人とコミュニケーションをする事が苦手な子だったのだ。


 その頃の修一は、親戚がお盆や正月で家に訪れても自分の部屋から出ようとしなかった。母親から、「出てきて挨拶をしなさい。」と言われると、仕方なく出て行って「こんにちは。」と声を発するだけ。人と接するのが苦手な少年時代で、親戚からも変人だと思われていたようだ。今考えると、あれは今でいう典型的な引き篭もり状態だったに違いない。


 そんな修一にも転機が訪れた。高校3年の受験期12月に肺炎で入院したのだ。入院した病室は6人部屋だった。最初は、状態も良くないため周りを見渡す余裕もない。一日中カーテンが閉められて点滴されているため、病室の周りの様子は分からなかった。だいぶ良くなって来てからはカーテンが全開になり、同じ部屋に入院している人達が、嫌でも話しかけてくるようになった。逃げ場が無いため、何かしかの返事をせざるを得ない状況になったのだ。


 高校3年という事もあり、部屋の同居人達は、興味津々の状態で根掘り葉掘り色んなことを聞いて来る。ある年配の患者が、「お兄ちゃんは、大学どこ受けるの?もうすぐ受験だよね?」なんて聞いて来る。『何、言ってんだ……こいつは。俺は入院してるのに、受験の準備なんか出来る訳ないじゃないか。』と少し頭に来ていたが、「受験日までに退院できないと思うので、今年の受験は無理かと思います。先生には聞いてみるつもりですが。」と返事をした。


 翌日、修一は回診の時に「先生、2月に受験があるのですが、今度の受験は無理ですよね?」と否定的に聞いてみた。驚いたことに主治医は、「まだ、万全ではないですが、受験に行っても良いですよ。ただ、慎重に家族に付き添ってもらって行った方が良いと思います。」と言ってきた。修一はてっきり『まだ、受験は無理ですね。』という言葉を期待していたのだが、主治医に病室の中でこう言われてしまうと行かないといけない空気が漂う。『なんで、…行っても良いですよ…なんて簡単に言うんだよ。人の気も知らないで。』と、主治医の言葉に少しムカついていた。


 その会話は、病室の同居人達の耳に入り餌食になった。「お兄ちゃん良かったね。受験に行けて。発表の日の新聞が楽しみだね。」なんて言っている。『こいつら、人の受験の結果を新聞で見るつもりか。応援なんかしていないくせに。興味本位で嫌になるな……。』と思いながら、主治医に聞いてしまった自分を恨んだ。受験当日は、父が会社を休んで、車で地元大学の試験会場に連れて行ってもらうという一大事になってしまった。修一にとっては、ある意味、人生の重大な分岐点だったが、体調も頭も調子が良い訳はなく、初日で勝負はあっけなく決着した。二日目は試験会場に行っても仕方ないと思い、「今日は、息が苦しくて試験どころではなかったです。」と主治医にやや大袈裟に告げると、「では、明日の試験はやめましょうね。」と言ってくれてホッとした自分がいた。


 受験の発表日になると、同室の患者が朝刊を見ながら、お兄ちゃんの名前無いね。何学部なの?」なんて言っている。「2日目の試験は、行ってないので受かっている筈がありませんけど。」と言って少しすっきりした。『やっぱり、こいつらは、やっぱり興味本位だったんだな。』と思いながら、『人の気持ちなんてこんなもんだよな。他人の事を本気で心配してくれる奴なんている訳ない。』なんて考えている。こんな会話をして冷静に考えられる自分が少し進歩したように思えた。その後、修一がだいぶ回復してきた頃、高校の先輩が、同じ病室に入院してきた。その先輩は、東京の大学の工学部に通う3年生で、受験の準備や学生生活、東京のことなど、色々な話をしてくれた。同年代で近いせいもあり、病室に来る看護師さんや好きなタイプの女性など、同世代の話題をすることもあり入院生活は楽しかった。そんなことが励みになり、修一は受験生活を終わらせるため前向きに頑張る事が出来たのだ。先輩は、腎臓が悪いらしく、修一が退院した後も引き続き入院していた。その後もお見舞いに行きながら、受験のアドバイスしてもらう機会が多くなった。


 修一が退院した日のことだ。家に帰ると気持ちが楽になって「ただいま。」と声を出した。これまでの修一にしては珍しいことだ。別に「ただいま。」を父母に言ったわけではない。心から懐かしくて、家に呼び掛けてみたかったのだ。今回の入院生活では、人と接することに抵抗が無くなり、会話も楽しくコミュニケーション能力も上がったと修一自身が感じていた。翌年、修一は大学に合格し、そこからは大学生活を楽しむことができた。そこで、今の奥さんを見つけたのだから入院生活での変心も悪くなかった。修一の人生には大いに役立っていたのだと思う。その後、修一夫婦は三人の子供に恵まれ、賑やかな子育て世代となっていった。


 今やラインやズームなどコミュニケーション・ツールの時代とは言え、次男が日本にいないのはやはり寂しい。次男は、まだ二十八歳の独身で起業しているため軌道に乗るまでは、まだ結婚する余裕はとてもないらしい。『将来は、VRなどの技術が進み離れた家族とも食卓を囲みながら、お互いの味わいを楽しむ事を体感出来るのだろうか?自分が生きている内には、まあ無理だろうな。やっぱり会うのが一番。』などと考えている。いつか、俊介も日本に戻ってきて欲しいと思いながら、タイで設立した会社もうまくいって欲しいと願っていた。


 ある日の午後、次男俊介からライン電話が入った。国際電話代わりに、ライン通話をいつも使っているのだ。「日本で商談が入って東京に来てるんだけど、予定より早く仕事が片付いたんだ。今はまだ残務処理があるので、明日の夕方までには、家に帰るからね。よろしく。」と俊介から連絡が入った。沙也加の挙式以来で最近タイで会ってはいるのだがやはり嬉しい。実家に帰れるという連絡で、修一は、さっそく極上の国産ウイスキーを買いに行った。沙也加の結婚式でタイに行ったときには、俊介の取引先の日本食レストランで日本酒の銘酒をご馳走になった。今回は、タイでは飲めないだろう日本産の洋酒を飲ませてあげようと思ったからだ。恵美にも伝えて、「俊介が帰って来るから、何か日本のご馳走を食べさせてあげようか。」と言うと、恵美も「何にしようかな。」と嬉しそうに頷いた。


 次の日の夕方、玄関から「こ ん に ち は。」と聞慣れない女性の声がする。次に、「ただいま。」と俊介の声がした。玄関に行ってみると俊介と一人の女性が玄関に入ってきた。スリムで綺麗な顔立ちの理知的な印象の女性だ。今回のビジネスで同行してきた秘書か社員かと思ったが、取り敢えず中に入ってもらい食事と会話を楽しんだ。話を進めていくと。彼女はタイの女性で『マライ』さんと言う名前だとわかった。


 彼女は、日本に興味があって簡単な日本語は話せるようだ。俊介は、英語もタイ語も話せるようになったが、日頃の仕事が忙しく、彼女は現地で仕事を束ねるリーダーにもなっているとの事だった。いわば現地社員達の管理職だった。話が進むと俊介と彼女は、バンコク市内のマンションで一緒に住んでいることが分かった。彼女は、タイでも中流以上の裕福な家庭に育ったらしい。タイの大学を卒業し日本語も勉強し、日本に行きたいと思っているとの話をした。聡明で美しさと気品を感じる女性、今までの修一ならば東南アジアの女性という偏見を持ったように思うが、彼女を見て俊介と一緒になってくれるならと嬉しく思っていた。どんな子が生れるのかなと、まだまだ気の早い彼らの生活を空想していた。


 彼女は、上手に日本語で「私、シュンスケさんと結婚したいです。今の仕事がうまくいったら、日本でも仕事ができます。日本でも生活してみたいです。その時は、…

タ ダ イ マ …ってこの家に帰ってきたいです。」と私達を真っ直ぐ見つめて言葉にした。修一は、「マライさん、ありがとう。日本は寒いから、その時は気を付けて来てくださいね。」と言うと彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。『そう言えば、いつか見たテレビ番組でタイの人は、父母や祖父母など目上の家族を大切にするって言ってたっけ……。』と嬉しく思い出した。今は、俊介が『微笑みの国タイ』から女神を連れてきたように思えた。

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