星の煌めき〜美しい人〜
ないとあ
星の煌めき〜美しい人〜
〜星野Lounge〜
「美味しい!この桃甘ーい」
ガラスの皿の上で輝きを放った果実。
まるで砂糖でも入ったような糖度、溢れ出る果汁はかつて食べた桃の想像を超えていた…なんと言うー衝撃ー
言葉にならない感動。
こんな、こんなに甘くて美味しい桃、単体だけで立派な一皿なのに、コレをビールに合わせようなんていう発想は私は持ち合わせていなかった。
「逆にこの甘さがビールの苦味に
マッチするって訳ね」
「その通りです!」
バイトの梨沙ちゃんの目元が一段と光っていた。パール系メイクを更にキラキラさせながら、その声も梨沙ちゃんの存在もフロア中に響き渡った。
「やっぱり山梨とかそっち産なのかしらね?」
聞き返すや否や、梨沙ちゃんは
「ちょっとお待ちくださいね」
踵を返して奥へとバタバタ駆け込んでいった。
しばらくして、
奥から
「栞さーん、神戸の棚上農園さんの桃らしいですよ」
という声が返って来た。
「棚上農園…」
棚上、
その名前は聞き覚えのある苗字。
聞いただけで、心の奥底がジリッとする
聞き覚えのある名前だった。
シーンと静まり返った店の奥から
今度は闇夜に響くあの声が聞こえてくる。
「・・・にゃおーん」
「しお・・・にゃおーん」
「しおりにゃおーん・・・」
私の推しの
甘く、深く、ビターな声色
「このビールに合うと思ったんですが…」
マスター!
声もビジュアルも完璧。
くそ美しすぎる!
黒い耳
黒い瞳
黒い爪先
黒毛の艶艶した尻尾。
(ほーぅ)
ここは、
神戸の街中…
星空を眺めながらビールを楽しむことができるカフェテラス
「星野Lounge」
黒猫のマスターが営んでいる不思議なお店。
日々の喧騒から離れたこの場所は、
特別な夜を過ごしたい人々の隠れ家だった。
ここは、私にとって
心のホーム。
それがここ「星野Lounge」
「はい、ご褒美の新作だよ」
マスターはコトリとコースターの上に
チューリップ型のグラスを差し出した。
ビールは透明に近い黄色の輝きを放っている。
今日はマスターが、私の為に、
新しいクラフトビールを振舞ってくれる日だった。
がんばって成功したプロジェクト、
そのお祝い。
「桃は食べましたか?」
私が頷くとマスターはニッコリして
「今日の為に取り寄せたんですよ、栞さん、つまみながら飲んでみて下さい」
アペタイザーズとして出されたフルーツが
まさかの桃だった。
「おいしい桃ですね、とっても甘いです」
「その前に、まず一口こいつを飲んでみて下さい」
「星の煌めき、Stellar Sparkって言うんです。
このビールは、夜空に浮かぶ星々をイメージして作られたものなんですよ」
私はそのビールを一口飲むと、瞬間的に無の世界に引きずり込まれた。
真っ暗な脳内にキラキラと星が煌めき、心は無重力の……まるで宇宙に放り出されたように軽くなる。
私はベガ、はるか彼方に光るわし座。あれは愛しのアルタイル、
星々の水流にのって
早くあの人の元へたどり着きたい。
でも、待って……
何か川上から流れてくるわ。
ピンク色の果実、どんぶらこどんぶらこ……
あれは何かしら
なんと立派な、大きな桃じゃのう……
「だめー!」
「ど、どうしたんですか?」
「栞さん!大丈夫ですかー」
マスターの黒いビー玉のような瞳が私をのぞき込む。
「なんか大きな桃が……ちが、そうじゃなくてとっても不思議なんです。
自分が宇宙空間にいるような錯覚がしてびっくりして……」
「栞さんもですか?飲むたびに星座だった頃の自分を
思い出すような感覚……ですよね」
「そう、私はこと座の1等星、ベガ」
「じゃあ、良かったです。このビールのコンセプトですからね!」
マスターはアペタイザーの皿から、大きそうな桃を一欠、
片金色のピックに刺して私に差し出した。
そのまま口へと運ばれ、天空の天の川から流れてきた果実は
私の想像を超えた。
果汁を舌や歯間、口腔内に残したまま、ビールを喉に流し込んだ。
「う!」
フルーティと言い切ってしまうのは当たり前すぎる。
「こんな美味しい桃にこんな素敵なビールを合わせちゃうんなんてマスターって本当に凄いですよね」
「栞さんもそう思いますか?」
マスターはふふんと長い尻尾をクルンと一回転させて
「美味しいものと美味しいもののmariageは誰からも祝福されるんですよ」
「確かに!それでは栞さんのプロジェクトの成功に乾杯しましょう」
「かんぱーい!」
周りにいたカップルも会社員のグループもみんな寄ってきて乾杯をした。
自分たちの事のように喜んで祝ってくれた。
とても楽しい夜で
今日の私は終始口元が緩みっぱなしだった。
そんな……星野loungeは
私の秘密基地。
訪れる人はみんな素敵な人たちばかり、
もちろん!私も含めて。
〜願い〜
「早瀬さん」
ふと我に返ってパソコンの画面を見つめると
ちょうど20:00を指していた。
と、同時に近すぎる佐藤部長の顔に
「わ、わ」
椅子から転げ落ちそうになった。
慌てて掴んだ机から資料がバサバサ落ちる音がした。
「あー、もう!」
落ちた資料をかき集めた。
すると、部長も一緒にしゃがんで、
「大丈夫?早瀬さん、さっきから身動きしないから石になっちゃったのかと思ったよ」
「あ、いえボーッとしてました。もう、こんな時間!」
「なんか、プロジェクト行き詰ってるって聞いたよ」
「はあ」
行き詰ってるの100パー承知の助なんだけど、そんなに嬉しそうに言わなくてもよくない?
「知り合いがやってる良いお店あるんだけど、ご飯でも食べながら?行ってみない?」
そう言って、拾い集めた資料を机に置くと
右手が私の肩に伸びてきた。
何?
そのじっとりした手は?
驚きで声も出なかった。
佐藤部長はキモイ男で有名だった。
女性にだらしない男……。
それなのに、
できちゃった婚で先月結婚が決まったばかりだった。
派遣で入ったばかりの子に手を出しちゃったみたいな。
どんな男であっても
もうすぐ子供が産まれるっていう幸せな時に
こんな…。
「仕事の話なら遅くなっても平気なんだ。
奥さん実家で留守だから、なんならうちでコーヒーご馳走しようか?」
私もそんな歳になったのか?
会社の上司に簡単に着いてくる女?
とは
随分とみくびられたものだ。
「ありがとうございます!この後、約束があるので失礼します」
さっとバックにスマホをかき入れると
素早く頭を下げてその場を立ち去った。
相手の反応を気にする暇なんてない。
何かあっては遅いのだから!
自分の身を守るのが先!
お手軽女と思われた自分が腹立たしかった。
こんなの、ハラスメントでもなんでも無い。
佐藤部長によりも、
少しでも隙を見せた自分にイラついた。
そもそもプロジェクトに少しのすれ違いが出来たのが原因だった。私の企画書とクライアントの持つイメージがチームのみんなと共有出来ていなかったから、もう一度方向性の見直しを図る必要があっただけ。
いい歳の女が暗ーい顔して悩んでます顔してたから、
そ・れ・だ・け
会社の自動ドアが開き、外の空気を吸うと
「あー今日はもうやめ!」
大きな声で吐き捨てるように言った。
すれ違った人が驚いた顔で振り返った。
約束があるとは言ったもののなんの約束もなかった。
それでも私は、星野loungeへと小走りをしていた。
20階のエレベーターが開くと
入り口からはカウンター越しにグラスを拭くマスターの姿と接客中の梨沙ちゃんの姿が見えた。
私に気付いたマスターの目元が綻んだ。
私もつられて笑顔になる。
「いい夜空ですね」
「ああ、栞さん、いい夜空ですね」
ここでは「こんばんは」も「いらっしゃいませ」も「いい夜空ですね」が挨拶替わりになっていた。
「栞さん!ちょっと萎れちゃってますね、
なにかあったんですか?」
マスターのヒゲがピンとアンテナのように伸びた。黒々とした横顔は更に漆黒に、
眼は黄色い光を放って黒猫さが増していた。
「分かりますか?マスターはなんでもお見通しみたいね、人の心が読めちゃうのかしら?」
マスターはふふッと笑って
「何年、猫やってると思ってるんですか?
もうかれこれ黒猫暦200年経つんですよ」
「200年て…」
「栞さん、マスターの話は程々に聞いといてくださいね!そーやって女心をくすぐるんですから」
「梨沙さん、コレは本当のことですよ。
黒猫の感は当たるんです。
伊達に黒猫やってるわけじゃないんですから
今、梨沙さんが考えてる事も承知してますよ」
自慢げにマスターは髭をピンとさせて梨沙を見つめた。
梨沙ちゃんは鼻の頭がうっすらピンクになりながら「嫌だ、マスター」
と、言うとそそくさと奥へ引っ込んでしまった。
私の方へ向き直るとマスターはこう言った。
「ある程度のことは分かりますよ。黒猫如きがここでこんな風に栞さんのような聡明な女性とお話をすることなんて普通じゃ出来ないんですから、人生相談から占いまで何でもこなせますよ」
そして温かいおしぼりを渡してくれた。
「栞さんは、いつも笑ってないとね」
マスターは言った。
「光を照らしてないと
まわりが真っ暗になっちゃうんだよ。太陽だから天体の動きにも作用してくる」
「ありがとうございます」
私のエールが目の前に運ばれて来た。
ゴクゴクと半分は飲み干したろうか?
美味しい。苦味があって、フルーティなのに深いコクがある。
暫く、夜景を見ながらボーッとビールを飲んでいた。
手の空いた梨沙ちゃんが寄ってきて
今夜は特別な星座が見えると日だと教えてくれた。
それは「ペルセウス座流星群」で、一年に一度しか見られない貴重な現象だ。
梨沙ちゃんのアドバイスで、流星群に願いをかけることにしよう。
願いは、二つあった。
今、抱えているプロジェクトが成功すること。そして、もう一つは自分の時間を持てるようになることだった。
広告代理店のクリエイティブディレクターとして張り詰めた日々の連続だった、仕事以外はここでひと時の間のんびりする以外、休みも返上して働いていたので自分を見つめる時間を持ちたかったのだ。
仕事の忙しさで気まずくなり別れた、純太の事がまだ忘れられないでいた。
〜思い出と〜
その日は、星野loungeの入りが静かだった。
商談を終えたマスターがカウンターに戻ってきたところで
マスターは私の問いにゆっくりと口を開き始めた。
大きな真っ黒なビー玉の目で遠くの空を見上げるかのように……。
「私がまだ、100歳ちょっと過ぎた頃でした…
夏休みに仲間とキャンプ場でアルバイトを始めたんです。
そこで、彼女と出会いました。
一瞬で、彼女を好きになったんです。
ほんとに…
一目惚れってあるんだなって思いました。
初恋だったんです。
よく、幼稚園の先生が初恋だったとか、近所の幼馴染が初恋だったとか聞くでしょ?私にはそんな事は無かったんですよ、彼女が本当に最初で最後でした」
彼女は、猫の中でも身体が大きくて、
1メートルは超えていた。
体重も有るし、力持ちで、華奢なマスターとは正反対、賢くて仕事の飲み込みが早かった。マスターより後から入ったのに、すぐバイトのリーダーになった。
沢山の人から好かれる、美人でチャーミングな人(猫)だったと、
マスターは夜景に目を落としながら、
宝物を話す時のように穏やかな表情で語った。
「彼女になんて打ち明けたらいいか、
ひと月は考えていました。
でもそこはバシッと決めてオーケーもらえたんですよ」
「わーすごい!ひと月も考えたなんて」
「ね」
「なんて言って彼女をうんて言わせたんですか?」
「それは……」
「それは?」
「……」
ためらいながらマスターは
「勘弁してください!100年前なんですっかり忘れてしまいましたよ」
「えー!」
残念がる私には目もくれずマスターは夢見るような瞳で言った。
「私が星空に魅了されたのは……恋人に告白した時です。
キャンプ場に広がるあの満天の星たちでした」
今でもその思い出は彼の心に深く刻まれて、だからこそ二人で開いた「星野Lounge」をこの先も、続けていけるのだと言う。
彼女は重い病に蝕まれ、亡くなった。
彼女に告白した時も
彼女が亡くなった時も
自分を支えてくれたのは満点の星たちだったと……。
マスターは彼女の意思を引き継いで心の中の彼女と店はこれからも続いていく…。
~はじまり~
マスターの話を聞きながら、
純太と別れた日の事を思い出していた。
そして季節が変わり、秋の夜長が訪れる。
ようやく自分のペースで仕事をこなすことを覚えた私は
「星のLounge」でのひとときを楽しんでいる。
「あれ、早瀬じゃない?」
マスターが怪訝そうに見つめる先に、スーツ姿の男が立っていた。
まさに椅子に手をかけ、私の隣に座ろうとしていた。
「ちょっ、お客様! そちらにはご予約の方が……」
心配そうな梨沙ちゃんの目をよそに、
「やだ、尾崎君」
マスターの声は全く届いてないらしく、二人は懐かしそうに肩を並べて盛り上がっていた。
梨沙ちゃんがボソッと、
「マスター……早とちり……」
グラスを拭きつつマスターは
「梨沙さん、ちょっと様子見てきてください」
「ちょっと、過保護すぎですよ! そーっとしておきましょう」
マスターがナンパと勘違いした客は大学時代の同級生、尾崎だった。
同じサークルの二人は再会を喜び、星空の下でビールを片手に昔話に花を咲かせ始めた。
「栞は彼氏できたの?」
大袈裟に首を横に振ると、
「こんな素敵なお店だから、てっきり彼氏と来てるのかと思った。まさかの常連さんとはね。しかもマスター黒猫だし、すげー 」
マスターはチラ見する尾崎に黒い毛を逆立てて威嚇した。
「ミヤーーーオゥ」
尾崎は目を輝かせて
「かっけーな!一緒に撮ってもらおうかな」
スマホを取り出す尾崎を静止した。
これ以上人気が出てSNSに拡散でもされたら、私の秘密基地がなくなってしまう。それでなくても黒猫のマスターは目立ちすぎる。
様子を見に来た梨沙ちゃんに
「Stellar Spark」を2つ頼むと
二人は近況報告をし合った。
尾崎は会社の同期と結婚が決まったらしい。
学生時代のチャラい尾崎からは全く想像もつかないが、
「俺さ、一生彼女を好きでいる自信があるんだよね」
梨沙ちゃんは星野loungeのコースター、「Stellar Spark」を順番に1つずつコトリと置いて行った。
「何かおつまみを頼もうか」
メニューを見る尾崎に桃の話をすると、
「もうシーズンじゃないからね、缶詰なんだろうな……」
「桃? ビールに桃かー想像つかないなー」
「あのね……初めてここでStellar Sparkを飲んだ時に、一番のアペタイザーって桃が出されたの。美味しくて本当になんて言っていいか分からない気持ちになった。その桃の作ってるところが……まさかの元カレの農園だったの」
「すげー桃繋がり…」
本当に嘘のような本当の話だった。
眉間にシワを寄せた尾崎はぴーんと何か閃いたように立ち上がった。
「そーなんだよ!
どっかで聞いたような話だなって思ってたんだけどさ、会社で送別会があった時、栞とおんなじこと言ってた人がいた。大好きなんだけど別れた彼女が忘れられないんだって!そう、『たなっち』カッコいいんだよ。性格も良いんだ…オレとは大違い」
「尾崎くん、下の名前ってもしかして」
「純太!」二人の声が重なった。
えー?
何か新しい物語の始まりになる予感。
グラスを拭きつつ
「梨沙さん、瑠璃も玻璃も照らせば光るってことわざ知ってますか?」
「マスターは黒光りってことですかー?」
マスターは尻尾をだらりと下げて溜息をついた。
「星野Lounge」の夜はいつもと変わらず、
星空とビールに包まれている。
栞は新しい日々を前向きに歩んでいる。
そして、マスターと梨沙もそれぞれの夢に向かって進んでいく。
星空の下で交わる人々の物語は、これからも続いていく。
終わり
星の煌めき〜美しい人〜 ないとあ @nightoa
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