車椅子生活

クライングフリーマン

来るかも知れない未来

 ==== この物語はあくまでもフィクションです =========

 私の名前は野本由起夫。姪の名前は如月来夢(らむ)。

 私は、脊柱管狭窄症が進み、車椅子生活になった。

 というか、診療所から紹介されて、一時入院していた病院に来たケアマネージャーが申請してくれ、『認定審査』の結果、『要介護1』の人間になった。車椅子に乗るのは外出時だ。

 要介護認定が『要支援』内や『要介護1』の場合、介護保険を利用して車いすのレンタルは原則対象外だ。しかし、『軽度者に対する例外給付制度』を利用すれば、介護保険を使ってレンタルできる可能性があるそうだ。

 車椅子に関しては、以下の条件のいずれかに該当する必要がある。

 ・日常的に歩行が困難な者

 ・日常生活範囲における移動の支援が特に必要と認められる者。

 ケアマネージャーと、母の相続の際にお世話になった弁護士のプッシュがあったのか、車椅子とベッドをレンタルすることになった。

 入院前は、何とか電動アシスト自転車で診療所に通っていたが、シンドイ毎日だった。

 同じ場所で5分も立っていると、足が震え、ふくらはぎが張ってくる。

 診療所のリハビリも、鍼灸院も『焼け石に水』の感があった。

 時折、腰の痛みで眠れない夜もあった。

 ある日、あまりに痛みが酷く救急車を呼び、救急病院に入院、診療所の先生に紹介して貰った『リハビリ病院』で入院していた。

『リハビリ病院』も永久入院させて貰える訳ではない。母が脳梗塞で倒れた時、私は学習していた。

 永続的に入院出来るのは、母が最後に入院した『療養型入院が出来る病院』だった。

 昔、よく聞いた『ホスピス』とも違うようだ。

 ともあれ、その病院には『期限』があり、ケアマネジャーと弁護士は、懸命に『次の手立て』を考えた。そして、私の親族に相談した。

 妹の俊美は、少しだが介護士の経験がある。そして、妹の姪も少し介護士の経験があった。

 大姪(おおめい)とは、兄弟姉妹の孫娘(まごむすめ)を指し、親の子の子の子であるため4親等の傍系親族である。『姪孫(てっそん)』という言い方もあるようだが、この方が分かりやすい。今は死語になった『核家族化』によって、近親者の関係用語も知らない人が多いから『大姪』と聞いて造語だと勘違いする人も居る。

 私は、長生き出来る体ではないと思って居るが、費用のことが心配でならない。

 北欧の国と違い、国や厚労省は『無駄使い』は得意だが、『憂慮使い』が不得意なのだ。

 12年前に亡くなった父は交通事故に遭った際、いきなり『要介護5』だった。

 例え要介護5でも、父は(戦争の時に覚えた)匍匐前進をする羽目になった。

 なかなかトイレに行けなかったのだ。母はもっと、トイレで苦労した。

 看護師や介護士は『おむつ替え』作業を好む傾向があった。

 トイレに連れて行ける『順番』を待たせなければならなかったから。

 父は、コールボタンを押しても、なかなか来ないので、自力で行こうとしたのだ。

 例え自力で辿り着いても、自分の力だけで立つことも出来ないのに。

 父は廊下で倒れた。

 私は、匍匐前進をしないよう説諭することを指示された。

 母は、最後まで、寝たきりのベッドの中で「トイレ、トイレ」と叫んだ。

 高齢者に優しいのは、僅かな期間しかいない『外国人介護研修生』くらいだ。

 私は、子供の頃から尿意・便意の回数が多い。

 従って、トイレの回数が多い。

 高校の時も、出席簿順に『出欠』を教師が取る時、不在の時があり、よく同級生が「今、トイレです」と弁護してくれた。

『おまる』の案も出たが、排泄物を誰が処理するのかが問題になった。

『訪問介護』は予定されたが、業者が決まる迄、『介護勉強中』の大姪が私の面倒を見ることになった。

 介護士になっても、『夜勤』を嫌がる若い介護士が多い。

 それで、介護施設でも夜勤の介護士が少ない。大姪は「儲かるし」とドライに考えて『夜勤専門介護士』を目指すようだ。

 病院の場合は、3交替の看護師がいたりするが、施設は慢性的に足りない。

 無論、夜勤手当は多い。

 だが、『福祉精神』が看護師や助産師と違い、低いのだ。

 若くて未熟で一般常識のない介護士達の犠牲になる『被介護者』も多い。

 そんな状態を見てきているから、私も『匍匐前進』しかないかな?とぼんやり言っていたが、大姪の一言で大きな変化が訪れた。

 トイレを改造すべきだ、と大姪は主張したのだ。大姪は『福祉精神』が大きかった。

 当家のトイレは『半水洗』だ。

 排泄物を水で流しはするが、し尿層に貯まったものを業者がくみ取りに来るのだ。

「私も使うしー。」介護保険で一部負担して貰い、トイレは水洗トイレになった。

 無論、温水便座だ。

 こうして、大姪との同居生活が始まった。

 母が亡くなった後、私は徹底して『終活片づけ』をしていたので、大姪(妹の孫)は2階に居住した。

 私が母と同居していた時の名残の『ナースコール』を復活して、私は必要時に大姪を呼ぶことになった。

 このナースコールは、親機側からは、常時音が聞こえる。

 異常があれば、すぐに行けるのである。

 私の居住空間も変わった。車椅子は、コンパクトでも大きい。そこで、歩行器の登場。

 居間兼応接間でもあった寝室だが、押し入れを『物置化』した上で、テレビや本棚(本はあまり入っていない雑用棚)を撤去、車椅子は玄関に置いた。

 トイレは水洗にはなったけれども、車椅子を入れるとなると門扉側に『増築』するか、浴室・洗面所を潰して『改築』するしかない。

 介護する者がいるなら、車椅子空間まで考える必要はない、ということになった。

 私が『書斎』代わりに使っていた空間も片づけて整理した。

 PCは、私の仕事(執筆)用のみ台所テーブルに置かれてはいるが、テーブルは食事用でもある。

 私は食事の時のみ、スペースを移動する。

「なあ、来夢。後悔してないか?」

「勘違いするなよな、オッサン。あんたは、私の実験台、練習台なんだよ。夫婦じゃないんだからね。催しても『夜這い』すんなよな。私はまだ嫁入り前なんだからな・・・そう言って欲しい?」「欲しくない。」

「だよね。お母さんもお婆ちゃんも、益美おばちゃんも本気で心配している。ひいおばあちゃんが死んでから、人が変わりすぎたって言ってる。だから、先のことは皆に任せて。私に任せて。」

「うん。」

 3ヶ月後。来夢は、約束通り、この家を離れた。

 そして、訪問介護が入った。もう24時間体制じゃない。ケータイの電源は、母の時のように入れっぱなしだ。

 数日後。姉から電話があった。来夢が言っていた益美おばちゃんとは、私の姉のことだ。

 義兄が亡くなった。やはり、がんが転移していたのだ。

 姉は、葬儀の直前に言った。

「今は、がん保険もあるからね。」

 そうだったのか。私も入っておくべきかな?

 ―完―

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