■より他に這うものもなし

目々

純情可憐の鱗が光る

 ああ、俺は実家帰れないんです。

 だからこうやって年末年始も出てるっていうか、どうせ家居てもすることなくって食っちゃ寝して適当につまんない動画眺めてるくらいなんで、だったら働いてた方が給料がもらえるだけマシじゃないですか。俺は暇が潰れるし、休みたい人は休めるし、誰も損してない。だからいいかなって。


 何すか先輩、その目。俺なんか妙なこと言いましたか。

 は。

 帰れない理由、聞くんですか。


 先輩の悪口言いたいわけじゃないですけど、大概の人は──なんだ、察して話逸らしますよ。やっぱ躊躇するんでしょうね、そこで突っ込むの。こっちとしては事実を喋ってるだけなんで、別にそこまで気遣ってくれなくてもいいんですけど、皆さん真っ当だからちょっとだけ変な空気になりつつ聞かなかったふりしてくれる。所詮会社の同僚ってだけの相手に、たかが雑談で変なとこまで踏み込みたくないってのは普通の感覚でしょう。藪蛇やらかしてぎくしゃくすんのも馬鹿らしいですし。先輩はまあ、その辺気にしないんだろうなってのも分かります。あれですよね、仕事ちゃんとしてれば経歴とか人間性とかどうでもいいやつ。そうじゃなかったら志原さんとシフト組めないでしょうし。ああ、これは七割ぐらい褒めてます。仕事場で仕事ができるのって、当たり前にえらいことじゃないですか。


 まあ、まだ休憩時間ありますしね。喫煙所ここで駄弁るくらいなら全然大丈夫でしょうし。それに今回は俺が迂闊なことを喋ったってのもありますし。落ち度があるなら、責任を取るのは当然でしょうし。

 いいですよ、先輩が聞きたいっていうなら、別に。言ったでしょう、俺は何とも思ってないんだって。


 ──ああ、そうですね、話半分に聞いてくださいってのだけお願いしときます。何ならあれです、これはフィクションなんですけどって前置きするんで。いや、そんな身構えるようなもんじゃないですよ。だって大した話じゃない、一服ついでに話せるような代物ですから。ね?


 大学二年の春でしたね。実家の階段に、鱗が落ちてたんです。

 鱗、想像してくれたやつで多分大丈夫です。ほら、魚とか料理するときに、下拵えで包丁の背なんかでばりばり剥がすでしょう? 鯛とか鯵とかそういうやつ。きらきら光って透けて、桜の花びらとか剥がした爪みたいな、そんな具合の綺麗なもんでした。


 ただまあ、綺麗ではあってもちょっとおかしいじゃないですか。台所ならともかく、二階に上がる階段なんかに鱗が落ちる理由って普通ないでしょう。二階に台所があるような奇特なつくりの家ならともかく、あるのって俺と兄さんの部屋に、あと両親の寝室くらいでしたし。物置代わりに箪笥とか古雑誌とか詰めてるような部屋もありましたけど、普段は俺も両親も出入りしませんでしたし。勿論誰も釣りとかしない家だったんで、大体思いつかないんですよ、理屈が。

 だから、兄さんに相談したんです。何かこんなもん落ちてたって。そしたら兄さん普通にゴミだろって言ってくれたんで、俺もそうかなって思って、そこで一旦全部おしまいになりました。ただゴミだとしても捨てるのはもったいなかったんで、机の引き出しにしまっといたんですよね。そのくらいには綺麗だったから。

 そうなんですよ俺兄さんいたんです。七つ上で、地元の大学行って普通に就職してみたいな、こう……なんだろう、良くも悪くも何にもない感じの、順風満帆な生活してる人。一人暮らしはしてなかったんですよ。別に不便もないし引越しとか面倒だしみたいな理由で実家暮らし。ちゃんと家に金入れてたし、土曜の昼なんかは暇だからってパスタとかそばとか作ってくれたんですよね、麺類ばっかりなのはまあ、いいじゃないですか。

 俺としては全然兄さんが居てくれるのは良かったんですけどね。だっていなくなったら寂しいじゃないですか、兄弟ですし。親だって頼りにしてたと思うんですよ、俺の方がちょっとぱっとしなかったのもあるから……そこでだよなあって頷くの、やめてくださいよ。否定できないから困っちゃうじゃないですか。実際ね、そんとき俺大学生だったんですけど、まあ出来が悪かったんですよね。全然兄さんより程度の? 偏差の? そういうのが低いとこに行ってたんですけど、それでもちょっとこう……留年の危機がぼんやりあるみたいな感じで。いや無遅刻無欠席なんですよね、だから本当に俺の頭が悪いだけって話です。そんな具合だったから、余計に親も兄さんの方に期待してたっていうか。ほら、親だって歳取りますから。そういう老後のあれこれとかあるでしょうよ多分。


 一応はね、上手くやってたんですよ。もしかしたら上手くっていうか、悪くはなってない、ぐらいだったかもしれませんけど。でも、何も起きてなかったんです。俺があの鱗を見つけるまでは。


 廊下で鱗を見つけてから、何だか家が変になったんです。

 何て言えばいいんですかね、落ち着かなくなったっていうか、雰囲気が変わったっていうか。またちょこちょこ妙なことも起きるようになったんですよね。俺が一人で部屋に居たら床に何か本でも落ちたような音がして、振り返ると何にもないのに強烈に見られてる感があるとか、玄関が開いてごめんくださいって呼ばれたから見に行ったら誰も来てないしドアにも鍵かかってたとか、そういうやつ。

 当たり前ですけど、俺の気のせいだと思ってたんですよ。俺が気にし過ぎ、みたいな。両親とかに聞いても全然心当たりとかないみたいで、勿論兄さんも見てないし聞いてないっていうし、全部俺だけそういう変な目に遭うっていうか。お前だけなんだろ、って言われたらその通りだし、それじゃあ証明ができないっていうか、多数決だと負けるのは分かるんですよ。だから、居心地は悪かったですけど、見ないふりしてました。それ以外にどうしようもなかったから。


 でも、駄目だったんですよね。

 うっすら変なことが起こるようになって、しかもそれに俺しか気づいてなくってみたいな状況だけでも辛かったのに、兄さんもおかしくなり始めたんです。

 それもほら、少しずつだったんですよ。いきなりバットを振り回すようになったとか奇声を上げるようになったとか、そういう分かりやすいおかしさじゃないやつ。前より休みの日に出かける頻度が増えたとか、家に居てもどこか上の空で俺とか両親の話も聞いてないことが多くなったとか、夜中に誰かとぼそぼそ電話してからそのまま出かけたりするようになったとか。

 大人ならまああるだろ、って言われたらそうですけど、兄さんそういうこと今までなかったんですよ。だから何か、余計怖かったっていうか。普段からそういうことしてたんならともかく、タイミングがちょっと、って感じだったんですよ。

 煙草もいつの間にか吸わなくなってました。けどそれはですね、聞いたら教えてくれました。彼女ができたんだってことで。今年の春から付き合い始めたんだって……俺全然知らなかったんですけど、聞くようなことでもないし、そういや台所で吸ってても全然鉢合わなくなってたなってそんときようやく気づいたりしましたし。

 それはまあ別にいいことだと思うんですよ、彼女とかそういうのはほら、兄さんもいい年でしたし。結婚とかそういうのは分かんなかったですけど、でも嬉しそうでしたよ。

 あとは俺に説教みたいなことするようになったんですよね。お前も年相応にしっかりした方がいいんじゃないかとか大学出たらどうするんだとか、顔合わせるたびにそういう話をしてくる……確かにね、俺の成績が酷かったのは事実なんですよ。一応俺なりに頑張ってはいたんですけど、普通に勉強ができなくって。もっとちゃんと生きろって言われても、そんなんちゃんとしてる兄さんに言われても、どうにもしようがないじゃないですか。


 そういう具合で家の中がどうしようもなくなっていくのを、一か月ぐらい我慢しました。でもどんどんひどくなっていく。

 梅雨になる頃でしたね。その頃はもう、どうにもならなくって。俺が部屋で寝ると、決まって夜中の二時に目が開くんですよ。暗い部屋の中で息を殺していると、雨音に混じってしゅるしゅる音がするし、天井だってぎしぎし軋むんです。ゆっくり重たいものが移動するみたいに、音が天井の隅からぐるっと回って遠ざかっていくのが、聞こえる。それまでそんなことなかったのに金縛りみたいなのにも遭うようになったし。あれ嫌なんですよね、体が柔らかいものでぎちぎちに巻かれてるみたいな感触があって、びたっと動けなくなるんです。息苦しいとかそういうのはなくて、ただただ体だけ動かせなくなる。誰かしらに抱き留められているような、縄で括られているような、気色の悪い感覚がずっと続くんです。

 極めつけはあれでしたね、廊下が汚れるようになったんです。こう、かたつむりとかなめくじとか、そういう湿ったものが這い回ったような跡がつく。二階の廊下から階段を下って、仏間に行ったり居間に行ったりみたいな軌跡が朝の日にてらてら光ってる。玄関には続かないんですよね、だから出ていかないんだなってぼんやり思った。


 何が困ったって、寝れないんですよね、やっぱり。

 生活の方はもう言うまでもなく駄目でしたよ。大学の方は当たり前にぼろぼろだったし、両親なんかもう怒りもしなかったし、兄さんもたまに道端に落ちてる鳥の死骸にでも向けるような目で俺を見るくらいで、誰も俺の話なんか聞いてくれなかった。それはね、仕方がないとは思うんですよ。変なことが起きるのと俺のできの悪いの、別にそこに相関ってないじゃないですか。別件ですよ完全に。ね?


 それでも変なことはずっと起きるんです。正体の分からない音も、廊下の這い痕も、兄さんが俺に向ける冷やかな目も、ずっと。痕に関してはですね、俺は見つけるたびに拭いてたんですよ。だって嫌じゃないですか、汚いし。でも俺以外は誰も気にしない、っていうか見えないって言うから、じゃあ俺がやるしかなかったっていうか。

 で、そうやって毎回濡れた痕を拭ってるうちに、気づいたんですよ。跡があるの、いつも同じ場所、兄の部屋の前からだなって。

 どこを通るかはばらつくのに、必ず端は同じ場所からだって。兄の部屋から廊下を通って階段下ってずるずると──。


 だから、あれ兄なんだと思いました。兄が蛇になったんだと、思いました……ああ、違うな、気づきました、ですね。

 そうしたら理屈が通ったんですよね。まず春の鱗だってだって分かるじゃないですか、あれ蛇の、兄の鱗だったんですよ。それを見つけた俺は間抜けにも本人に見せに行ったから、あんなゴミだって言って誤魔化されたんですよ。べとべとつく這い痕を兄も両親も見えないっていうのも、そりゃあバレたら困るからですよ。多分ね、両親は本当に見えてなかったんだと思いますよ、兄がそういう仕掛けをしたんですよ。


 だって蛇、化け蛇ですよねバケモノです、そういうやつならそういう芸ぐらいできるでしょう。

 俺だけ見えてたのは、──ほら、舐められてたんじゃないですかね、きっと。こいつなら正体がバレてもどうってことないだろ、みたいな。実際誰も、っていうか両親は俺の言うことなんか聞いてくれないわけですから。


 勿論人ですよ、人でしたよ。人のふりをしてたんです、あれは。

 最初っからじゃなくて、途中からすり替わったんだと思います。言ったじゃないですか、兄さん、彼女と付き合うようになってから禁煙したって。あの辺りで取り替わったって考えると自然じゃないですか? だって嫌いだっていうじゃないですか蛇、ヤニとか、煙とか、そういうの。調べたんですよ俺ちゃんと図書館とか行って、だってしっかりしないと駄目じゃないですか、俺の兄さんが入れ替わったかもしれないんですから。そういうお守りみたいなやつを彼女のためなんかで止めちゃったから、隙を見て蛇が、きっと、だから俺の家に我が物顔で蛇が這い回るようになってその痕を俺ばっかりが拭って、でも俺以外気づかなくって、そういう──。


 多分ね、もう痕はついてないとは思うんですよね、廊下。だってちゃんと殺しましたから。誰をってそりゃあ、をですよ。


 久々に飲もう俺心入れ替えて大学も頑張るし進路も真面目に考えるから、みたいなことを話して、二人で部屋飲みしたんです。お酒とか食い物とか俺の部屋に持ち込んで、兄さんと二人で話をしながら、今までの自分が駄目だったことを謝りながら飲んだんです。兄さん、久しぶりに笑ってくれました。お前もやればできるよ昔あんなにいい子だったもんな、とか褒めてもくれて。その度に注いで、飲んで、また注いでって繰り返して。


 そうやって酔わせてから階段から落として、それきりでした。


 救急車も呼びましたし事情も話しましたし両親にも殴られたし泣かれて、俺もちゃんと泣きました。だってそうでしょう、仕方ないとはいえよくないことですから。人を殺すのって、駄目ですよ、やっぱり。

 事故ってことにはね、なったんですけど。俺としては自首する予定だったんですけど、もう……やっぱり殴られて、もう怒鳴られはしなかったし泣いてももらえなかったんですけど、止められて。そもそも親がかわいそうなのは分かるんですよ、息子が一人蛇になって、もう一人が犯罪者になったとか、そんなの。──ああ、まあ、実際殺してはいるんですけど、仕方ないじゃないですかもう蛇になっちゃったから戻せませんし。お祓いなんて効くわけないじゃないですか、大体ああいうやつらって嘘っぱちだって聞きますし。もしかしたら万に一つくらいでちゃんとした人がいるかもしれませんけど、そこに辿り着けるまでに時間も金もどのくらい掛かるかって考えたら現実的じゃないし。本物だったとしても、成功する保証なんかどうせないでしょうし。

 それなら、俺がやるしかないじゃないですか。俺の兄さんだったんだから、尚更。


 とりあえずまあ、それはそれで終わったんですよ。だってほら、俺今こうして真っ当に社会人してますし。泥酔しての事故ってことで普通に葬式出して、彼女さんに形見とか言って適当な遺品っぽいものを渡してお別れして、それきり会ってないです。墓参りとかには来てるかもしれないけど、その辺全然知らないです。知りたくもないですし。

 俺は真面目に学生をやって、どうにか留年もせずに大学を卒業して、ここに就職したわけです。地元には、っていうか家には居るなって言われたんで、就職先を県外で探したんですよ。それくらいですかね、家族に指図されたのって。以降は音信不通、っていうか電話掛けると切られるんで何にもないです。電話ね、かけると一応繋がるんですよ。だから番号も変わってないし、何より俺着信拒否されてないんです。そのへんちょっと面白いですよね、半端で。


 うまくやった、っていうか俺なりに頑張ったとは思うんですよ。大袈裟な言い方をすると、家族に害なす蛇を退治したわけですから。けど、確認できないんですよね。だって帰れませんもん、家。兄を殺したんだから、どの面下げて帰れます。まさか聞けないでしょう、廊下に蛇の痕はあるかって。

 ああ、まあ、そうですね。たまに鱗だけは持ってくればよかったなって思うことはあります。あれもこう、兄さんの形見みたいなものですから。蛇になっても、元は兄ですし。あとはですね、本当に綺麗だったんですよ。──勿体ない真似、したなって、たまに思い出すくらいには。

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