幽霊の足
敷知遠江守
赤いハイヒール
「実はさ、このアパート出るんだよ」
友人Aが、どうしても今日うちに来て欲しいというから、来てみたら突然そんな事を言い出しやがった。
泣き出しそうな顔の友人A、青ざめる俺、喜色満面の友人B。
「ちょっと家賃が安いの、気にはなってたんだよね。まさか『おまけ付き』だとは……」
友人Aはずんと沈んだ顔で言うと額に手を置いた。
築何十年というそれなりに古いアパートであった。だが、リフォーム済みで思った以上に内装は綺麗。これでこの家賃なら優良物件だと感じたものだった。
ただ引っ越した時に何か変な感じはしたのだ。これだけ良い物件のはずなのに、住んでいる住人が少なすぎる。三階建ての建物なのだが、そのうちの二階の壁だけが綺麗に塗り直されている。
引っ越した翌日、一人が引っ越して行った。その人が去り際に謎めいた事を言っていた。
『雨の日、夜十一時以降、絶対に玄関のドアを開けてはいけない』
その数日後、その人物の言っていた事がどういう意味なのかわかった。夜十一時になった瞬間に、玄関の外から音が聞こえてきたのだ。
コツコツコツコツ……
一階を歩いた音がした後で、階段を上り、二階をくまなく歩き、さらに階段を上って三階へ行く。そんな音がざあざあという雨音に紛れて聞こえてきたのだ。
知らなければ、気のせいで済ませられたのに。知ってしまったがばかりに、雨音が怖くなってしまって。
友人Aは涙目になり、ぷるぷると震え出した。
そんな話を聞いたせいで、外の雨音が何とも不気味に聞こえて来る。
「マジかよ! 会わせてくれよ! 俺、一度幽霊ってのに会ってみたかったんだよ!」
友人Bが一人明らかにおかしいテンションで友人Aに迫った。
目をぱちくり瞬かせる友人A。わかるわ、その反応。
「外雨降ってるけど、今日来るの? 絶対来るの? 見ても良い?」
友人Aはチラチラとこちらを見て、お前から何か言ってくれという顔をする。
仕方なく、幽霊が怖くないのかとたずねた。
「そもそも一回も見た事無いからなあ、怖いかどうかすらわかんねえんだよな。それよりさ、さっきの話面白くねえ? 幽霊なのにさ、足音するんだぜ」
俺と友人Aは、それの何が面白いんだと、若干憤りながらたずねた。
「いや、だって幽霊に足音だぜ? 幽霊って足無いんじゃねえの? なんで足音がするんだよ! それとも最近の幽霊は足があるとか?」
どうなんだと逆に聞いて来る友人B。どうなんだと言われても、俺だって幽霊何て実際には見た事無い。友人Aも足音は聞いたが、怖くて姿は見ていないらしい。
「十一時なんだろ。うわあ、あと三十分か。待ち遠しいなあ」
変にわくわくしている友人B。そんな友人Bに友人Aは嫌な予感を覚えていた。
「おい、まさかと思うけど、ドア開けて姿を見ようととかしてるんじゃねえだろうな」
友人Bに詰め寄る友人A。何か問題があるのかとたずねる友人B。
「ふざけんな! この部屋に居つかれたらどうしてくれんだよ! 俺がその幽霊に憑りつかれたらどうしてくれるんだよ!」
絶対にドアを開けるなと念を押す友人A。つまらなそうな顔をする友人B。
そこからも、どうにも好奇心が押えられないらしく、友人Bは俺に、幽霊ってどんな感じだと思うとしつこく聞いてきた。
「俺はさ、膝から下だけがこっちに歩いて来るのを想像するんだけどさ、お前はどんなのを想像するの?」
知るかよ。なんでこいつはそんなに嬉しそうにできるんだろう。どうなってるんだ、こいつの神経は。
「そうだ! 十一時からはドア開けたら駄目なんだろ? 俺その前に外に出て幽霊の姿を見て来るよ。それなら良いだろ?」
まるで楽しそうな玩具でも見つけたかのように目を輝かす友人Bに、友人Aはだんだん馬鹿馬鹿しくなってしまったようで、勝手にしろと言って部屋から追い出してしまった。
「でも言われてみれば、どんな感じでやってくるのかは気になるよな。だって足音しか聞いてないんだろ?」
お前までそんな事を言い出すのかと友人Aは呆れ果てた顔をした。他人事だと思いやがってと機嫌の悪そうな声で言った。
友人Bが外で待っていたせいだろうか。十一時を過ぎても、いつもの足音はしなかった。
友人Bが残念そうな顔で部屋に戻って来た。ずっと外で観察していたが、おかしなことは何も無かったらしい。
その後、念のため一時くらいまで三人で起きていたが、やはり何も起きなかった。
友人Bはどうにも興味が抑えきれなかったらしい。それから雨が降るたびに友人Aの家に押しかけ、十一時近くになると外に出て幽霊が来るのを待っていたらしい。
そんな日々が続いたせいか、友人Aも徐々に本当に幽霊が来るのか不安になってきてしまったらしい。
今度三人でドアの前で待機してみようという話になった。
……出ないなら出ないで、それに越した事は無いのでは?と思わなくもないが、どうやら友人Aも徐々に幽霊の事が気になり始めてしまったらしい。
十一時が近づくと、友人Bは目を輝かせ始めた。友人Aまで、今日は来るかななどと言い始めた。あれほど怖がっていた友人Aが柿の種をポリポリ食べながら玄関前で待機している。
ピピピッピピピッ
友人Bの携帯電話からアラームが鳴る。わざわざアラームをセットしておく必要がどこにあったのだろう?
すると外の雨音に紛れて何やら足音が聞こえた気がした。
コツコツコツコツ……
少し遠くで音が聞こえる。
「お、来たぞ! この音はハイヒールの音だな」
友人Bは耳をそばだてている。友人Aが柿の種をポリポリ食べると、音を立てるなと注意した。
コンコンコンコン……
「階段上がって来たな。もうすぐ来るぞ」
友人Bはドアの郵便受けから外をうかがっている。
コツコツコツコツ……
徐々に足音が近づいて来る。
「見えた。赤い靴のつま先が見えた。女性っぽいな」
実に冷静に友人Bは実況している。
そんな風に言われると、何となくこちらも見てみたくなってしまう。友人Aもそう感じたようで、ちょっと見せてくれと友人Bに言い出した。
コツコツコツコツ……
おい俺に変われ、ふざけんなもう少しで色々と見えるんだ、友人Aと友人Bが言い合っている。そんな二人をよそに俺はドアのレンズから外を観察している。
見えた!
赤い靴のつま先が。
コツ……
足音が止まる。
おい、俺にも見せろと友人Aが友人Bにせがんでいる。
不意に友人Bがドアの鍵に手をかけてしまったらしい。
バタンとドアが開く。
ドアが開いた勢いで、赤い靴が勢いよく外に吹っ飛んで行った。
「「「あ……」」」
三人同時に声が漏れた。
外を見ると、ボロボロになった赤いハイヒールが、雨に濡れてびちゃびちゃになって転がっている。
さすがにまずいと思った俺たちは、その赤いハイヒールをゴミ袋に入れて、ごみ収集場所に捨てに行った。
友人Aの話によると、それ以来、雨の日の夜になってもアパートに足音が聞こえる事は無くなったのだそうだ。
友人Bは余程その日の事が嬉しかったらしく、それから酒が入ると必ずその話をしているらしい。
幽霊の足 敷知遠江守 @Fuchi_Ensyu
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