おじさんの家

暇崎ルア

おじさんの家

 実家から修二おじさんの家までは、車で五分の距離だ。大したことはない。

 だけど、その日はどうしてだか、そこに行くのに気が進まなかった。

 出かける前、由紀から変な動画を見せられたからかもしれない。

「これさ、直人くんの家の田んぼなんだって!」

 直人くんというのは、由紀のクラスメイトであり、母親の友人である田無さんのとこの息子だ。狭い田舎だから、家族ぐるみで知り合いになれる。

 映っているのは、水が張られず、短い草だけが生え仕切っている冬の田んぼだった。春に向けての準備とはいえ、どこか寂しいものを思い起こさせる。

 撮影者だろうか、しきりに「やばい、やばい」「絶対UFOだって、あれ」という若い男たちの興奮した声とともに、映像は田んぼの中へと入っていく。

 やがてカメラが止まった田んぼの中央には、楕円形のカプセルみたいなものが落ちていた。

 横幅二メートルぐらいはあるだろうか。上部にストローのような細長い突起がついている。

 なんだこれえ。撮影者の友人と思わしき若い男がカプセルの脇を指さす。

 カプセルの脇から車道に続く草地まで、草が寝ていた。大きくて太い縄のようなものを移動させたように。

「さっき直人くんからクラスのグループLINEに送られてきたんだ。やばくない?」

「めっちゃUFOだよね」と由紀がはしゃぐ。

「どうせ、作りものだろ。ていうかお前、勉強しないの? しないなら、一緒に修二おじさんのとこ来てくれよ」

「え~、無理。来年受験生だよ、あたし」

「じゃあ、数学でも英語でもやれよ」

 由紀からは全く受験生という気概が感じられない。

「わかってるよお。今のは、休憩」

 シャープペンを手にして、机の上に置かれた過去問とノートに向き合うが、十分ぐらい経ったらまた携帯をいじり始める未来は目に見える。


 おじさんの家から一番近いコンビニのコインパーキングに軽自動車を止める。餅や母が作ったおせちが詰め込まれたパックなんかが入った重い袋を手に、車から降りた。

 少し歩けば、周囲の民家と大差ない小ぶりな一軒家が見えてくる。中年男性の一人暮らしなら、十分な大きさだ。

「やあ、ありがとな」

 あけましておめでとう。

 おじさんがにっかり笑う。

「兄貴と和美さんは元気か?」

「元気、と言いたいとこだけど、二人とも寝てる」

 昨日の元旦、初詣の長蛇の列に並んで冷えたのか、二人とも体調を崩した。だから、僕一人でおじさんの家に行かなければならなかったのだ。本来だったら、うちの一家全員で行くべきなのに。

 修二おじさんは室内だというのにダウンにマフラーと、しっかり着こんでいた。

「エアコンないの?」

「あるよ。だけど、今日特別寒いだろ?」

 室内に一歩入れば、確かにむわっと暖かい空気が出迎える。うちより温度設定が高いような気がするのだが、よっぽど寒いのだろうか。

「甘酒でも飲んでくか」

「ありがとう」

 廊下の奥のリビングに通される。

「おじさん、もしかして痩せた?」

 出された甘酒を飲みながら、テーブルの真向かいに座るおじさんのスタイルがいつもよりスマートになっている気がした。

 ぽっちゃり体型で、健康診断で毎回血糖値が高めと言われることをネタにするような人だったのに。

「ああ、わかるか? ちょっとダイエットしたんだ。まあ、これから元に戻るんだけどな」

「正月だからね」

「そうそう。今夜は特別なごちそうを食べるつもりだからさ」

 修二おじさんは機嫌よく甘酒をすすった。

「そういえばさ」

「うん?」

「この間、蛇が出たって言ってたじゃん。あれ、大丈夫だったの?」

 昨年のクリスマスの夜のことである。父の携帯に、修二おじさんから電話が入った。

「家の中にすんごいでけえ蛇がいる! アナコンダぐらいあるんだけど、どうすればいいんだ?」

 電話口で助けを求められた父も大いに困っていた。東南アジアなんかじゃ三メートル越えの巨大な蛇がたまに出ると聞いたことがあるけど、ここは日本だ。九州じゃないからハブとかマムシの目撃情報も聞いたことがない。

 とりあえず父は「警察を呼んだ方がいい」と一番無難なことを伝えると、おじさんは「そうする」と言って電話を切ったという。

「ああ、何とか大丈夫だったよ」

 喉元過ぎれば何とやらなのか、おじさんはあっけらかんとしていた。

「あの後一応警察呼んでさ、来てもらったんだ。えーっと、何だっけ、不審者捕まえる長い武器あるだろ?」

「さすまた?」

「そうそれ。ああいうのを持ってきた警察官が何人か来て、捕獲してくれたよ。捕まえたのは、保健所とかに連れていくとか言ってたな」

「へえ、すごいな」

 父も心配して電話をしようと思っていたみたいだけど、年末年始の慌ただしさですっかり忘れていた、と今朝も微熱のある身体で後悔していた。帰ったら伝えたほうがいいだろう。

「だけど、蛇って間近に見ると化け物みたいだと思ったよ」

 おじさんがしみじみといったように呟く。

「キリスト教の神話でアダムとイブをそそのかしたのも蛇だもんなあ。悪い奴ばっかりにされてかわいそうだなとか思ってたけど、間近で見たら怖いし、仕方ないのかもなあ」

 蛇に同情するようなおじさんが何だかおかしくて、噴き出しそうになる。気持ちはわからないでもないけど。

 手足がないせいか、蛇っていうのは気味の悪い生き物として映画とか小説に登場する。大概の役回りは悪役だ。

「まあ、神様にもなってるけどね」

「そうなのか?」

「中国で人類の始祖とされてるのが、伏羲と女媧っていう兄妹って言われててさ」

 その兄弟は上半身は人間、下半身は蛇の姿という異様な出で立ちをしている。神や英雄としてあがめられてるけど、下半身だけ足のないアンバランスな姿にぎょっとさせられる人も少なくないだろう。

 大学で受けた「神話学入門」の講義での受け売りを話してみせると、おじさんは「へええ」と面白そうにうなずく。

「言われてみれば、日本でも蛇は神様の使いってこともあるぞ」

「そうだね、ネズミを食べるから穀物の神にもされてる。同じ蛇でも、西洋と東洋だと扱いがかなり違ってきて面白いよね」

「いやー、きょうくんは物知りだなあ。……くそ、かゆいな」

 おじさんは僕を褒めながら、首と背中をぼりぼりとかいた。

「大丈夫?」

「あったかくしすぎてて汗かくのかな、最近背中がかゆいくて仕方ないんだよ」

 かゆいかゆい、とひとしきり背中をかいたおじさんは「かゆみ止め買ってくる」と立ち上がった。

「せっかく来てくれてるのに悪いけど」

「いいよ、別に。でも三が日だし店開いてるの?」

「ここから歩いて五分ぐらいのドラッグストアなら開いてたはずだ」

 新年開けて二日目からも営業とは便利だが、考えようによってはブラックだ。

「台所に甘酒のおかわりあるし、自由に飲んでくれていいからな。トイレとかも好きに行っていいぞ」

 早口でそう告げたおじさんは、すぐに家を出ていった。

 トイレに行った僕は、便器のそばに変なものが落ちているのを見つけた。

「……なんだこれ」

 みかんの薄皮を乾燥させたような、白くて薄い皮のようなぱりぱりした何か。指でつまむと、あっという間に粉々になってしまった。薄気味悪くなったので、手を洗う時に洗面所の排水口に流した。

 トイレを出ると二階からどんっ、と重い音が聞こえた。大きい身体を壁にぶつけたようなシーンを思い起こさせる。

 修二おじさんは独身だ。正確にいえば一度結婚はしたけど、五年ぐらいで離婚して、バツイチの今はこの家に一人暮らし。誰か二階にいるのだろうか?

 おじさんが帰ってくるまであと数分しかないとしても、少し覗くぐらいなら大丈夫だろう。鍵がかかってて中に入れないかもしれないし。

 必要はないけど、足音を立てないように二階に上がる。階段を上がりきった目の前に、部屋が一つ。ここがおじさんの部屋なんだろう。

 ドアの前に立ったとき、またどん、と音がした。少しだけど、くぐもったうなり声のようなものが聞こえたような気もする。

 鍵はかかっていなかった。ドアノブを回し、ひと思いに押す。

 僕がよく知るぽっちゃりとした体型の修二おじさんがいた。

「やっぱりきょうくんかあ。来てくれたんだなあ、ありがとな」

 おじさんは恰幅の良い身体を震わせ、泣き笑いしていた。食べ終わったカップ麺の容器とか、有名なフライドチキンチェーンの紙箱とかが散乱していた。

「会えて嬉しいけど、逃げた方が良い。頼む」

 俺はもうだめだけどさ。

 おじさんが悲しそうに吐き捨てたとき、外から誰かが近づいてくる気配がした。


「すぐ見つかると思ったんだけど、手間取っちゃってさ。結局店員さんに探してもらっちゃった。……あー、さむさむ」

 玄関に入ってきた細身の修二おじさんは、靴箱の一番上にかゆみ止めクリームの匣を置いた。どこかわざとらしい仕草に見えた。

 彼が気づいていたかどうかはわからないが、僕は見てしまった。

 ブーツを脱ごうと玄関の上がり框に背を向けたおじさんのうなじに、みかんの薄皮のようなものがついているのを。

 薄皮は蛇の鱗のようなものが集まっているようにも見えた。

「ごめん、今日はもう帰る」

「おお、そうか。今日はありがとな。兄貴たちにもよろしく言っておいてくれ」

 僕の正面に立ったおじさんの等身は、さっき家を出るときよりも伸びているような気がした。僕の気のせいであってほしいけど。

「ちなみになんだけどさ、ごちそうって何食べるの?」

 僕が持ってきたおせちのことであってほしい。ウーバーイーツとかで頼んだピザとかケーキとかでもいい。どれも十分ごちそうだ。

 おじさんはにやりと笑って答えた。

「肉だよ、肉。それも大きくて食べ応えがある肉だ」

 嬉しそうに笑ったおじさんの口から見えた舌は、細くて長かった。

 何とか家を出た僕は走り出す。後ろからは誰も追いかけてきていない。僕は修二おじさんと比べるとやせ型だから、見逃してもらえたのかもしれない。

 頭の中を雑多な考えがよぎっては消えていく。

 中学の理科第二分野で習ったこと。蛇は変温動物であり、自分の身体で体温調節ができない。だから、暑さ寒さに弱い。

 そして、蛇は脱皮をして大きくなる。脱いだ皮は白いという。

 こういうときどこに助けを求めればいいんだろう? 猟友会だとかだろうか?

 とにかくこのままではいけない。修二おじさんが蛇に、そんなのあまりにも不憫だ。

 せっかくのおめでたい正月だっていうのに。

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おじさんの家 暇崎ルア @kashiwagi612

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