帰省虫

林涼穂

第1話

車内に入ると既にほとんど満席であった。発車ギリギリに駅弁を購入しようとしたことを後悔したが、駅弁無しで電車旅は始まらないのだから仕方がない。いくつか空いている席も見受けられるが妻と一緒に座れるような席はなさそうだ。


「幸子さん申し訳ない。僕が駅弁を買ったばっかりに」


席を探しながら後ろの号車へ進んで行くなか背後の妻に謝罪する。


「あら、あなた何言ってるの。指定席を購入したじゃない。どこへ向かっているつもりだったの?」

「おお…そうだった。そうだった。すっかり忘れていたよ。最近1週間前の記憶も抜けることが多くてねぇ…何号車か分かるかい?」

「八号車よ。あと2つ後ろの号車ね。」


長期休みの期間に入るからか車内はかなり混雑していた。私と妻は揺れる車内の中を進み、時折よろけて座席の背もたれを掴みながらも目的の号車に着いた。手元のチケットとにらめっこしながら座席を探すと、そこには既に先客が居た。猪と豚を掛け合わせた様な見た目と、ふてぶてしい雰囲気を持つ彼は窓側の座席に座り、通路側の席には手荷物が置かれていた。いかにも、という雰囲気だ。


「すみせまん…この席を予約しているものです。席を変わっていただけますか?」


一見すると人の席に勝手に座る無礼な客に思えた。だが、そう判断するのはまだ早い。指定席というのは購入者が来るまでは誰でも座っていて良いのだ。この方もそれを知っているのではないかと思い失礼のないように話しかける。


だが不満そうな顔で唸り声を発した彼を見て考えを改めた。イノシシの様に濃い体毛に豚のような大きい鼻、赤らんだ顔と手元にはアルコール飲料。警戒するに余りある。私の何かが気に障ったらしく、何フガフガと憤っているがよく聞き取れない。「おれが先に座ってただろうが!後から来たお前らに座る権利があると思うなよ!」と言っているように感じた。


「我々はチケットを購入していましてその料金も払って居るんです。ですからその席は先に座ったあなたのものでは無く私達のものになります。」


理解できているのか分からないが一応返答してみる。眉がピクッと上がり更に怒りのボルテージが上がる。見た目から察するに僕たちと言語が違いそうなのもあいまって埒が明かなそうだ。


「幸子、車掌さんを呼んできてくれるかい?」


幸子は何も言わずその場を離れた。何か言葉を発することで刺激してしまうかもしれない。そんなことを悟ったのだろう。しばらく男のフガフガを聞いていると車掌が2名ほど到着し、男は何か叫びながら連行されて行った。恐らく次の停車駅で警察に引き渡されるはずだ。


「ありがとう。また君に助けられてしまったね。」

ホッとしながら席に着く。

「いいのよ。あなたこそ怪我は無い?」

「無いよ。ありがとう。きっと彼は他の惑星から来たんだろう。何と言っているか全然分からなかったよ。」

「私も耳は良いほうだけど彼が何を言っているか分からなかったわ。不思議なものね。」


妻はガサゴソと袋からお弁当を出して続けた。


「さあお弁当でも食べましょ。ここのお弁当有名なのよ」

そうしようか。と僕は言った。お弁当を食べ、乗車前に買っておいた水を半分ほど飲み干す。いつの間にか喉が渇いていたようだ。腹を満たしたことでようやく一息つくことが出来た。


「ああ、この席からの眺めがすごくいいんだった。それでこの席を取ったんだよ。」


窓の外は真っ暗ではあるが、遠くにかつて地球から見た星々が光っていた。夫婦で地球へ行くのはかなり久しぶりであった。かつて地球に居たときとは望遠鏡を使っても観れなかった天体が直ぐ側(と言っても何百万キロ先なのだが)を通過していた。


「前に行った時にもこの席だったわねぇ。何年前かしら」

「そうだな…僕も君もまだ若かった頃だな。懐かしいよ。」

「もう100年くらい経っているんじゃないかしら?」

「そうかも知れない。そういえばなんで僕たちは地球を出たんだっただろうか。たった100年なのに遠い昔のようでもう忘れてしまったよ。」


妻も忘れていたようでしばらく思案し、思い出せなかったのかペラペラと地球行きのパンフレットをめくっている。だが自分で思い出すことが出来た。


「そうだ。思い出した。気候変動があったんだ。僕たちはそれに耐えられず地球を出たんだよ。」

「ここにも書いてあったわ。色々大変だったそうよ。人口も6割まで減ったりしてしまったこともあるみたい」

「6割か…ほんの数百年前は高度経済成長期で人口も多かったのだが…それくらいひどい気候変動だった。彼らの頑張りには畏敬の念を抱くよ。我々に出来ることではない。」


電車に揺られしばらく窓の外の景色を眺めていた。目の前をいくつもの光が通り過ぎ、時たま岩石の破片がパラパラと窓に当たった。旧型の電車に比べ振動や音が全くしない。話し声がしなくなるとやけに静かでなかなか落ち着かない。いつの間にか妻は隣で船を漕いでいる。車内の照明が暗くなり休息時間であることを暗に示していた。私は妻のライトグリーンの肌を撫でた。僕と同じ三角形瞳を見つめ、キスをした。

「少し眠ろうか。次の寄生先まで」

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帰省虫 林涼穂 @koyoi_0318

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