灯台下暗し

久火天十真

灯台下暗し

 初日の出を見に来た。

 車で飛ばして三時間。車内はカセットテープの音楽で満ちている。

 俺の好きなアーティストだ。生涯を尽くすと決めていた人でもあった。

 ボリュームを上げて、俺は海岸線をただひたすらに走る。

 暗い、暗い、街路灯なんてものはない、海沿いの道。

 それが心地よくて、更にボリュームとスピードを上げる。

 年末、いやもう年は越しているけれど、これくらいのはめの外しはきっと天も許してくれるさ。

 遠くに灯台が見える。クルクルと光が回って、時折こちらを淡く照らす。

 そうだな、あそこにしよう。

 あそこからならきっと、美しい朝日が見えるだろう。

 どうせなら写真も撮って。それくらいしか、俺にはできない。

 俺は車を飛ばして、灯台を目指した。


 灯台に人はいなかった。それも当然だった。まだ初日の出まで三十分ほどある。場所もすごく田舎の方で、寒さをしのげる場所もない。こんな寒空の下で待つより、こたつの中でぬくんでいたいというのが人間の幸せというものだ。

 コートを着て、中にはセーターを着て、かなり着込んできたつもりだったが、それでも寒い。透き通るような寒さだった。

 俺は灯台の下の暗い、錆びれた壁に寄りかかって、水平線を正面に座り込む。

 潮風が身体に流れ込む。今のうちにこの感覚を慣らしておきたい気持ちがある。ただ、何度もこの感覚を味わっている気もした。

 そして、目を薄くして、水平線をじっと眺める。

 黒い海と黒い空。その境目はいやに曖昧で、ただひたすらに一つだった。

 いつか、この景色を俺は見たことがある気がする。

「あぁ、いいな」

 口からそんな言葉が漏れた。

 実際は分かれていて、交わることのない二つが、今は自然に混ざり、大きな一つの何かを成している。

 あぁなりたい、と思った。

 ふと気が付けば、少し離れた右手に一人の女性が立っていた。

 真っ黒な服に身を包み、夜の闇に同化していた。手元には何か持っている。背中にも何かを背負っている。そんな姿がうっすらと見えはしたが、それが何かまでは俺には見えなかった。俺がそちらを見ているのに気が付いたのか、その女性は俺の方へと歩いてきた。

 そして一言、俺に声を掛けてくる。

「あなたは、一人ですか?」

 女性にしては低い声で、落ち着いた声色だった。どこかで俺はその声を聞いたことがあった気がした。とても心が落ち着く声だった。

「えぇ。恥ずかしながら一人です。……初日の出を見に来たんです。彼女は忙しくて、後から来ると思うんですけど。来れるかな。それでも最悪代わりに写真でもと思って」

 俺はカメラを片手に彼女の方へと向ける。しかしそれが彼女から見えていたかはわからない。

「そう、なんですね。私も、一人で初日の出を見に来たんです。よろしかったら一緒に見ませんか?」

 寒さに震えているんだろうか、彼女は途切れ途切れになりながら、俺にそんな魅力的な誘いをする。

「どうぞ」

 俺はいつも彼女にする癖みたいなものが出て、立ち上がって、エスコートするように手を彼女に差し伸ばす。俺の手に彼女の手が触れようとしたところで、一迅の風が吹く。

 潮の匂いがする。強い、強い潮の匂いがする。前にも嗅いだことがある気がした。

 彼女は俺の手に触れることなく、俺の横に座り込む。

 この夜の闇の中、彼女の顔は一切見えない。

 きっと彼女からも俺の顔は見えないだろう。

 俺たちは他愛ない話をした。年末にやり残したこと、来年にはやりたいこと、身の上話を色々と。

 顔の見えない男女二人が、こんな風に隣に座り合って、他愛ない話をして、共に初日の出を見ようとしている。

 それがこんなにも心地よいものだなんて、思いもしなかった。

 俺たちはあえて、互いに名前を聞こうとはしなかった。

俺たちはただ顔の無い二人として話していなければいけなかったから。

「毎年、ここには来てるんですか?」

 俺は彼女に尋ねた。

「いえ、今年、ようやく来れたんです。ずっと、ずっと、来れて、なくて」

「そうなんですか。俺はなんだか、毎年見ているような気がします。この景色を毎年見ているような気が」

「初めてかも知れません。誰かと初日の出を見るのは」

 俺にはずっと変な感覚がある。

「あ」

 彼女が声を上げる。

 水平線の輪郭がぼやけて、はっきりとしたものへと少しずつ変わっていく。

 海と空とが分かれていく。

「綺麗だ」

「えぇ」

「あぁ。ようやく見えた。ようやく、ちゃんとこの目で見れた」

 彼女は泣いているようだった。その顔を、俺は見てはいけないと思った。

「また来年も、きっと、私はこの日の出を見に来る」

「うん」

「そしたら」

「そしたら、その時に、また会えますか」

 俺は答えられなかった。

 体の輪郭が、感覚が凛とぼやける。

 もう、彼女とは永遠に会えないことを、会わないことを。

俺はただただ心から、切に願った。

 彼女の手から離れた花束が、立てかけられていたギターケースに音もなく、静かにもたれかかった。

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