私とネコ
RAN
私とネコ
「ねぇ、そこのお姉さん」
声が背後から聞こえて、光(ひかり)は背後を振り返る。
しかし、そこには誰もいない。ただ、今歩いてきた道路がずっと続いているばかりだ。ひたすら周りは木ばかりで、一本山の中にしてはやけにきれいに整えられている国道だ。
気のせいかと思い、また陽炎で歪む先の道を歩き始める。
「ちょっと! 下だってば!」
また声が聞こえて、言われた通りに振り返って下の方に目を向けた。するとそこには
「そうそう。やっと見てくれた。こんにちは」
見ようによっては、笑顔のように見える顔の三毛猫がいた。
「………………」
光はしばらくそこに固まって、猫を凝視していた。猫は光が動かないので、少し近づいてきた。
「もしもーし、お姉さん? 大丈夫?」
猫が近づくと同時に、光は猫のわき腹を捕まえて持ち上げた。そして、凝視し続ける。
「なに、なんですか」
喋る猫も、少々うろたえ始めた。
すると、光は口を開いた。
「それはこっちの台詞よ。こっちがまず何って感じよ。喋る猫って何よ」
「まぁ、そこら辺は気にしないで……」
「気にしないわけないでしょ」
「話すと長いから簡潔にまとめると、お星様にお願いしてたら喋れるようになったんだよ」
「………………」
光はいかにも疑わしげな目で猫を見る。
猫も、それを感じ取った。
「うわぁ、全然信じてないね」
「信じろって言うの?」
「ってか、僕にもよくわかんないし」
「まぁ、それはいいことにした。で、あんたはあたしに何の用なの?」
そして、光は猫を地面に下ろした。
やっと本題に入れてホッとした猫は、また先ほどのように明るい調子で話しだす。
「僕が喋れるように願ってたことは本当なんだよ。僕は人間と話してみたかったんだ」
今度は光がしゃがみこみ、猫と目線を合わせて話を聞く。
「なんでまたそんなことを」
猫の顔が真剣なものに変わった。
猫に表情を感じている自分に違和感を光は感じていたが、そのまま話を聞くことにした。
「欲することに理由はいるの?」
「猫のくせにいいこと言うじゃない」
光は軽く口端を持ち上げて笑い、猫の頭をなでた。
「伊達に喋れるわけじゃないんだよ」
猫は嬉しそうに光の手にまとわりつきながら言う。こういうところは猫らしいと光は感じた。
「で、あんたはあたしに何をしてほしいの?」
光が聞くと、猫はまとわりつくのをやめ、光の目をまっすぐに見た。
光は、その強い目を受け、心臓が強く鼓動した。
「僕のお友達になってよ」
強い目は一瞬のことで、また次の瞬間には、猫の顔には笑顔のような歪みがあった。
光は、この猫に強い興味を抱いた。
「いいよ」
光も、猫に笑い返していた。
「ただいま」
光は家の扉を開け、誰もいない空間に向かって、つい癖となってしまった言葉を言う。そして、そのまま黙って家にあがる。
「すぐ外に出るから、あんたはそこで待ってるのよ」
「りょーかーい」
玄関には猫がいる。その猫は笑顔のように顔をゆがめて、尻尾を振って答えた。
この猫は、先ほど光に声をかけてきて、そのままついてきた。
人語を解するのは伊達ではないようで、なぜ光があがらないで欲しいかもしっかりわかっているようである。
光の家は酪農家で、彼女が街の学校から帰ってくると、すぐに家を手伝うようになっていた。
光は鞄を置いて、セーラー服から長袖Tシャツとジャージに着替え、すぐに玄関へと向かう。
「あんた、仕事場までついてくるの?」
そこでハタと気付き、猫に光が問う。
「うん、どんなことしてるのか見てるよ」
「あんまり相手してやれないわよ」
「全然構わないよ」
「じゃあ、ついておいで。邪魔しなければ父さんも母さんも何も言わないでしょう。猫なんていっぱいいるし」
光の家には、すでに猫も犬もいた。猫三匹に犬一匹がいる。彼らとこの猫がケンカしないことを願うのみだ。
光はそうして靴を履き、外へと出て行った。
牛舎があるのは、家のから向かって左側にある。
「うーん、やっぱり牛小屋って臭いね」
「牛小屋って言うな。牛舎と言え」
猫が牛舎に入った途端に言った一言で、光は急に現実に引き戻された。そう、いくら牛がかわいくても、この現実は消せない。中学校の頃はとても嫌だったが、今では開き直っている。
気持ちを切り替えて、光は父や母を探した。
「そういえば、あんた父さんや母さんいる所で喋ったりしたらダメだからね」
「わかってるよ」
そうしてるうちに、牛のフンをかきだしている父を光は発見した。
「お父さん、ただいまー!」
大声を出さないと、搾乳などの機械の音に消されてしまう。
光の声に気付いた父は、手を止め、光の方を向いて、奥の方へと手を指し示した。奥から道具を持ってきて手伝え、ということのようだ。
「じゃあ、あたしは手伝いに行くから、あんたは適当にブラブラしてなさい」
光はしゃがみこんで、猫に小声でそう伝える。猫はニャーと鳴いて、了解の意を伝えた。
逆に猫らしくされると気持ち悪いな、と光は思ってしまった。
そうして手伝いをして、そろそろ空が赤くなってくる頃、母が光の近くに来た。
「そろそろ夕食の準備するから、一緒に帰るかい?」
「うん、そうね」
光は一応学生である。宿題などもあるから、手伝いをずっとしているわけにもいかない。軽くではあるが、一日の予習復習もしているぐらいだ。
ただ、好きな科目に重点を置いている、というのが難点ではあるが。
そして牛舎から出ると、あの猫が光の所に寄ってきた。
「あら、その猫どうしたの? うちの猫じゃないね?」
母が猫に気付いて、立ち止まる。
「うん、なんか道歩いてたらついてきたの」
光も立ち止まり、母はしゃがみこんで猫をなでた。猫はゴロゴロとのどを鳴らし、母にじゃれついた。もう猫のフリをしているのか、ただ甘えているのかわからない。
「あんたっていっつもそうね。なんか知らないけど動物ついてくるのよね~。でも、もうそんなに猫も飼えないよ?」
「大丈夫でしょう。その猫はその猫でなんとかやるわよ」
「うん、まぁ、そういうことにしとくか」
この母にこの娘あり。豪快というか何というか、物事をあまり気にしない親子である。
「でも、名前ぐらいつけてもいいんじゃない?」
「名前?」
飼えない、という割には、かわいがる気満々な母である。
でも、今いる猫三匹もそのようにしてここにいついているのだから、光はいつものことだと思っていた。
「じゃあ………………アルにしようか」
光は猫を見下ろして、確認するように言う。
アルと呼ばれた猫はニャーと鳴いた。声の調子から、嫌ではないことがわかった。
「アルね。何か意味でもあるの?」
「……別に」
光は、なんだか煮え切らない調子で答えた。顔に浮かぶ笑みは、どことなく引きつっていた。
母は、あえて深く追及しなかった。
そして、二人と一匹は家へと向かっていった。
もちろん、この後一匹は家の前で止められるのだが。
◆ ◆ ◆
すっかりアルが家にいることになじんできたある日のこと。
光はものすごい形相と、ドスドスという形容がまさにぴったりな足取りで家に入っていった。
光についてきている三毛猫のアルは恐ろしかったので、それを黙って木陰から見ていた。
少しすると、光はTシャツとジャージといういつもの服装で出てきた。
また手伝いをするのだろうと思ったので、アルは黙ってその場にいた。
すると、光はアルに近づいてきた。
「ちょっと一緒に来なさい」
そう言うと、光はアルを片手で抱え込んだ。
そして、母専用の紺の軽自動車に乗り込んで、エンジンをかける。
「ちょ、ちょっと光! 免許なんて持ってないでしょ?!」
アルは慌てて光に問いかける。
「無免許運転なんて、田舎じゃ常識よ」
そう言うと、光は車を発進させた。
えーーーーーーー?
アルは、心の中で嘆いていた。が、表情には嘆いていることがありありと見てとれた。人語を解するだけに、感情の動きなども人のようになっているのだ。
光はどこへ向かうのかと思ったが、家から出ると、そのまま国道を横断する。そして、向かいの山への道を走り出した。少し公道に出たものの、向かいの山は光の家の土地なので、一応私用地内の運転となる。
無免許運転なんて~と言ってはいたが、やはり少しは気にしていたようだ。
アルはホっと一安心した。
運転も、砂利道で道路状況は悪いのに、なかなかうまくこなしている。
しかも、周りは草木が生い茂り、フロントガラスにかかってくるほどだ。
オートマであるから運転しやすいのかもしれないが、一回や二回運転したことがある程度ではないだろう。
そうして石とタイヤがぶつかる音をさせ、揺れて走っていると、開けた所に出た。
そこだけ、緑が広がる牧草畑だった。
光は、畑に入る手前で車を止めた。そして扉を開けて、畑の中央へと進んでいく。
そこからは、木々の間から下にある光の家が見えていた。その向こうには、また木々が伸び伸びと生い茂る豊かな山が立っている。
左を見ても右を見ても、ただ国道が向こうへ続いているだけだった。たまに、そこを車が通る音が山々に響く。左側には、少し家が見えるが、そこもまた同じ酪農家。もう少し向こうに行けば、店などがある街が見える。
光は、それらの景色をゆっくりと首を回して、しばらく眺めていた。
アルも光の後についていたが、背が低いため、光が見ているほどの景色は見れなかった。黙って前を見据えていた。
が、しばらくして、飽きてきたのか、アルが口を開いた。
「なんか学校であったの?」
光はその場に座った。目線はまだ前を見ている。もう景色を見ている訳ではないようだが。
「うん、まぁね」
そこで声は途切れる。しばらくの沈黙。光とアルは、ただ前を見ている。
空はだんだんと赤く染まり始めていた。夕空の赤い太陽は、強く一人と一匹を照らす。
目の前にある眩しい太陽に、一人と一匹は少し目を細める。
「明日、ちゃんと謝るんだよ」
アルは、なんとなく何があったのかを悟って、そう言う。
光は少しその顔に笑みを浮かべた。目線はただ前を見ている。
「うん」
「ねぇ、光」
そして次の日。早い時間にも関わらず、すでに太陽の光が強さを増してきている朝のこと。
バス停に立つ光の横に、背筋を伸ばして座るアルが呼びかけた。
「何?」
光はアルの方を見ないで、前を向いたまま応える。
「僕も学校に連れてってよ」
アルの一言の後、しばらくの沈黙。アルは焦らされる思いで黙って返答を待っていた。
「……おとなしくしてるのよ?」
それは是の答え。
「うん」
アルは、嬉しそうに光を見上げた。光の顔にも、柔らかな笑みが浮かんでいた。
アルが、このようなことを頼むのは珍しい。いつも澄ました顔をしているアルの、たまに見せる無邪気な仕草が、光はかわいいと思っていた。
光は手持ちのスポーツバッグを道路に置き、チャックを開く。
「ここに入りなさい」
アルがバッグにスルリと入り込むと、バスが道路の向こうからやってくるのが見えてきた。
「行くわよ」
光はそう言って、止まったバスに乗り込んだ。
◆ ◆ ◆
学校に着いた光は、裏に行ってスポーツバッグを地面に置き、その口を開けた。中からアルが飛び出し、キョロキョロと辺りを見回す。
「適当にウロウロしてなさい。でも、みんなに迷惑かけるようなことしたらダメだからね」
「わかってるって~」
アルは嬉しそうに言うと、軽やかに向こうへ歩いていった。
光は少しの間、アルを見送ると、自分の教室へと向かった。
教室に入ると、そこはいつもと同じように、生徒たちがそれぞれ雑談をしながら過ごしていた。この教室は、いつも賑やかだ。
「あ、光、おはよう」
光が教室に入ってくるのを見つけて、友人の藍(あい)が声をかけた。
光も、藍に向かって笑顔で応える。
「おはよう」
光は、藍のいた人の輪に入り込んだ。
光は、学校では特に目立つこともない生徒である。
今日も、何事もなく授業をこなし、一日が終わった。
放課後になり、帰宅するために、光は学校の玄関まで藍と一緒に出てきた。
「あ、ちょっと裏に行かないと行けないんだった」
光は、思い出したように言った。
藍はそれを聞き、訝しげな顔で光に尋ねる。
「ん? なんで?」
「え、えーと、なんて言うかさ……その……」
光は、少し言いづらそうに歪んだ笑顔で言葉を濁す。
藍はますます訝しげな表情を濃くし、光のその表情で、何かあることを鋭く嗅ぎつけた。
「あたしも一緒に行くわ」
光は、渋々ながらもそれに頷くしかなかった。
そして、校舎の正門とは反対の裏側に来ると、アルがすでに待ち構えていた。
光の隣に見知らぬ人の姿を見て、アルは猫のフリをするのを忘れなかった。ニャーとかわいらしく鳴き、光の側に寄ってくる。
いつものアルを知っているだけに、光は複雑な気持ちで近づいてくるアルに向けてスポーツバッグを開け、中に入れる。
その様子を黙って眺めていた藍は、口を開いた。
「何? 光の猫なの?」
光は、目線は下に向けたまま立ち上がる。
「……うん」
そして、そのまま後ろを振り返って歩き出した。藍もそれについて歩き出す。
「また猫についてこられたの?」
「う、うん、まぁね」
いつも、光のバス停までの短い間二人は一緒に歩いて帰るのだが、今日は少し違った。
「なんで学校にいるの?」
「……連れてきたの」
「なんで?」
「………………」
今日だけで何回藍の「なんで」を聞いただろうか。
光は居たたまれない思いを感じていた。まさに針のむしろである。刺されている針は一つだけのはずなのに、何千もあるように感じた。
さて、連れてきた理由をどう説明すればいいのか。光は返答に困った。
バス停に着いてしまったが、そのまま藍もまだ一緒にいる。今のこの状態、逃げることもできない。
早くバスが来ないかと、光は祈った。
その様子に、藍は少し悲しげな色をその顔に浮かべる。
「あんた、あの時のこと忘れた訳じゃないわよね?」
藍の、重い声で紡いだその言葉に、光は思わず体を大きく震わせた。
アルもバッグの中で会話を聞いていたが、なんとなく気になり、注意を向ける。
藍はそのまま言葉を続ける。だが、先ほどとは話題を変えるように、言葉の調子を元に戻した。
「その猫の名前は何?」
「………………」
まだ光は黙っている。目線は下を向いたままだ。スポーツバッグを握る手に力がこもる。日が照りつける中、手だけ余計に熱がこもっている気が、光はした。
「何?……言いなさい」
藍の言葉が冷たく響いた。コンクリートの熱に包まれる中で、その言葉だけが氷のように光に刺さる。
光は、唇を恐る恐る開いた。どこかぎこちなく、まるで自分のものではないように動かしづらい。
「…………アル」
藍は表情を変えずに、バス停の前、向こうにある山の上を見つめて、その言葉を聞いていた。
「あんた、まだ忘れてないのね」
藍の言葉の調子が、また悲しげに揺れる。
光はきつく目を閉じ、吐き出すように小さく言葉を出す。
「……忘れられるわけ、ないじゃん」
その言葉をかき消すように、バスが光達の前に止まった。
光は、そのまま何も言わずにバスに乗り込む。藍から隠れるように、前の席の奥に入り込む。
そして、バスは発車した。
藍は、黙って去っていくバスを眺めていた。悲しげに目を細めて。
◆ ◆ ◆
光は黙って自分の部屋に入ると、大きな音をたてて扉を閉め切った。そして、ベッドに倒れこむ。
しばらくそのままでいたが、後方でゴソゴソと何かが動く音がしている。
光は、アルをスポーツバッグに入れたままであったことを思い出した。
無言でゆっくりと起き上がり、スポーツバッグをノロノロと開ける。
アルは、バッグの口から顔を出す。
「もー、暑くて死ぬかと思ったよ。さっさと出してよね」
アルは顔を出すと同時に、そう文句をたれた。飛び出ないのは、光がアルの汚れた足をふくのを待っているのだ。
「……うん」
光は、ただアルを視線の定まらぬ目で見ていた。
アルは、困惑に顔を歪めた。実際、なぜ光の様子がおかしいのかわからないので、対処のしようがないのだ。
「光、足ふいてくれないと僕外に出れないんだけど」
とりあえず、普通に振る舞うことが最良かとアルは考え、光にそう言う。
「あぁ」
光は顔の表情を変えず、感情のこもっていない言葉だけのものを出して、部屋から出る。そして、足ふき用の布巾を持ってきた。
アルはやっと足をふいてもらえたので、バッグからヒョイと出た。
「僕は外に出た方がいいかい?」
アルは、光を見上げて尋ねた。
「……………ううん、ここにいて」
光はアルをそっと抱き上げて、その胸に抱え込み、床に横になった。
アルはされるがままでいたが、不可解な光の行動に戸惑っていた。
このままでいるのもどうかと考えたアルが、疑問を言葉に出す。
「どうしたの、光?」
「……………………」
光は、しばらくそのまま黙っていた。が、ポツリポツリと話し出した。
「アルって名前ね、昔、私が好きだった人の名前なの」
その口調は、昔のことを思い出すように、自分に聞かせているようにも聞こえた。
アルは、神妙な面持ちでそのまま光の言葉を待った。
「ネットで知り合ったの。近くに住んでるってことがわかって、会うことになって……。アルって名前は、ネット上での名前だったの。本名は有田(ありた)優(まさる)っていって、最初と最後の文字ととってアルにしたんだって」
「その人と光は、恋人だったの?」
アルは目線を下に向けたまま、やや重い声で光に聞いた。
「お互いにそういうことは言わなかったけど、そう思ってはいたと思う」
「何で、その人とは今会っていないの?」
藍との会話で、なんとなく二人の関係は良くないことになったのだな、ということをアルは察していた。
光は大きく鼻から息を吸い、鼻から吐いて、ため息をついた。
「親にそれがバレて、反対されて、会えなくなったの。でも、それだけじゃなかった」
光は、一呼吸置いてから言った。
「彼は、人間でさえなかった」
「え……?」
アルは大きく目を見開いて、少し身じろぎをして光の方に首を向けた。そんなアルを押さえるように、光はますますアルをきつく抱きしめた。
アルは首を戻し、また黙って聞くことにした。
「会えなくなってからしばらくして、彼が私の部屋に現れたの。ここ二階なのに、窓の所に来たのよ。窓をコンコンって叩いて。彼、窓の外に浮いてたのよ。しかもその時は夜中だったんだけど、なんか白い……着物みたいの着てて、ぼんやり光ってた」
過去の断片が言葉として、光の口からこぼれる。アルは、動かなかった。
「それで、彼が言ったのよ。『今までありがとう。こんな形で会えなくなったのは残念だけど、どうせ僕たちは別れなければならなかったんだ』って。どうしてって聞くと『だって僕はもうすぐ死ぬから』って言うの。実は彼は不治の病に侵されていたの。魂だけが抜け出て、私と会ってたって。そして、私が最後に会った夜に、彼は死んだらしい。『最後の挨拶に来たんだ』って、彼は言った。それだけ言って、彼は私に何も言わせないでその場から消えたの」
そこで光の言葉が途切れた。
アルは黙ったままで、一つも動かない。
光は、静かに涙を流していた。
しばらくして、光がアルを抱えたまま起き上がる。光に、晩御飯のお声がかかったからだ。
そういえば、今日は手伝いをしなかったのに、何も言われていない。これから言われるのだろうか。
光は、素早く制服から普段着に着替えて下に降りていった。
アルは入り口とは逆の方向を向いて、自分はもしかしてご飯がもらえないのではないかと密かに心配していた。
その後、光はご飯やその他もろもろを終えて部屋に戻ってきた。アルのご飯はちゃんと持ってきたので、ひとまずアルは安心した。
「ねぇ、アル、今日は一緒に寝ようか」
アルは、その言葉に動揺した。
「え、な、い、いきなり、ど、どうしたの?」
しかも、その動揺を隠しきれていない。
光は、そんなアルを訝しげに眉をひそめて見た。
「なんでそんなに驚いてるの」
「え、いや、別に。光がそんなこと言うとは珍しいな~と」
アルは光に向けて、顔を笑顔のようにゆがめた。
しかし、その笑顔はいつものそれより、かなり不自然に見えた。人間で言うなら、苦笑いにも見える。
「何をもって珍しいのかわからないけど……まぁ、私だってそういう時もあるのよ」
口調は、いつもの光に戻っていた。
「そ、そうか……」
アルは、目を横にそらして受け答えする。
光は釈然としないものの、あまり気にしないことにして、話を進めた。
「さて、寝るわよ」
「もう?」
いつもの光なら、ここで授業の準備をしたりするところだ。
「うん、なんか眠たいから」
そう言って光は明かりを消し、アルを抱き上げてベッドに向かった。
「僕を押しつぶさないでね」
ベッドに入り込んだ時に、アルが言う。
「たぶん大丈夫だと思うけど、まぁ、その時はそっちで対処してよ」
光はそうして、アルの隣で眠りこんでしまった。
「…………」
アルは少し不安を残しながらも、おとなしく眠りにつくことにした。
ふと、窓の外を見ると星が輝いていた。ここは山の中だから、周りに星の光を遮るものがない。星の美しい輝きが窓いっぱいに見えた。
アルは、常々猫としての自分の無力さを感じていた。
「もし、僕が人間だったら……」
アルは知らず知らずのうちに、口に出していた。だが、それを聞くものは部屋の中にはいなかった。
アルは、強く星に願った。願わずにはいられなかった。
どうしたら光を幸せにできるのか。
アルが考えることは、それだけであった。
◆ ◆ ◆
熱い眩しさを感じて、光は目が覚めた。
目覚めて、自分の目の前にあるものを疑った。
同じベッドに、同じ年ぐらいの少年が気持ち良さそうに眠っているのだ。
しかも、その顔は見たことあるものだった。見たことがあるどころの騒ぎではなかった。
それはまさに、アル、有田優その人だった。
だが、彼がここにいるはずがない。
昨日一緒に寝たのは、三毛猫のアルのはずだ。
「ちょっとすいません……」
光は動揺しながらも、少年の肩を揺さ振って起こす。
少年は身じろぎをして、目を開けた。その顔はまだぼんやりしている。
「あの……あなた、一体誰ですか?」
光は、少年の顔を覗き込んで問う。
少年は光に目線を合わせて、聞かれたことを考えているようだ。だが、その顔は何を言っているんだ、と訝しげな顔をしていた。
「誰って、なんでそんな……」
少年は起き上がりながら答えようとして、起き上がろうとした時に言葉を詰まらせた。
声まで、彼に似ている。光は、それにますます混乱をつのらせた。
とりあえず少年は起き上がり、自分の顔、体を触る。何かを確認するように。
少年は信じられないことが起きたような顔つきで、光の方を見る。
「…………僕って、人間……?」
今度は光が訝しげな表情をしながらも、コクリとうなずいた。
少年は、光のその反応にさらにショックを受けたようで、少しの間その場に固まっていたが、光が少年を引き戻した。
「……で、結局あなた誰ですか?」
光の言葉に、少年の目線は光に定まる。
「……えーと、とりあえず簡単に言うと……僕は、猫のアルだよ」
光は、二度目の衝撃を味わうことになった。
だが固まっていては話は進まないので、光は冷静になろうと努め、今ある事実を確認していくことにした。
さっきから気になっていたことだが、よく見れば少年の髪の毛は、三毛猫の模様のように、ところどころに毛色の違う髪がある。
なぜか服はきちんと着ているのが気になるところではあるが、それはあまり気にしないでおくことにした。
光は、片手で少年の顔をなぞるように触れる。
「……本当に、アルなの……?」
「………じゃあ、この状況をどう説明すればいい?」
なんとなくぎこちない笑顔、口調はアルのように思えたから、光は信じることにした。
光は、今日は学校が休みで良かったと思った。この状態のアルを置いて、学校には行けない。
だが、今は根本的な問題があった。
「それにしても、これからどうしようか?」
腹が減っては戦はできぬと、光とアルの二人は食卓についていた。
光の両親は、すでに働きに出ている。アルを見られることは非常にまずいので、これは都合が良かった。
「なんでアルは人間になっちゃったのかな?」
根本的な謎は、まったく解決の糸口が見えない。
ずっとアルが人間のままでいると、めんどうなことになる。そして、猫の生活をしてきたアルに、いきなり人の生活をすることもできないだろう。
「「……ずっと戻らないのかな……」」
その二人の疑問に、返る答えはない。
食卓についてから、光は気づいていたが、アルは明らかに不安そうな顔をしていた。ただ、不安だけがでているような顔ではなかったが、その表情の中に不安を読み取れた。
食事を終えた光は、口を開いた。
「ここでウダウダ考えててもしょうがないから、外に出てみようか。今日は手伝いできないって言ってくるから。まぁ、せっかく人間になったから、人間の生活も少し体験してみればいいんじゃない?」
光のその言葉に、アルは笑顔で答えた。ぎこちない笑顔ではなく、優しげに顔をほころばせる。
「ありがとう」
光は、アルは元から人間だったのではないかという錯覚を覚えた。そして、今自分が有田優と一緒にいるような錯覚にも、同時に陥っていた。
不謹慎とは思いつつも、光は嬉しかった。
そして、両親に出掛ける旨を言い、光とアルはバスに乗って隣町に向かった。
家の周りはいつも見ているから、光の学校がある街を見せることにした。
そうして街に着き、光とアルは街を見て回った。
ただ店をぶらついたり、喫茶店に入ったりしたぐらいだが、アルは始終笑顔で、嬉しそうだった。
光も、アルのその様子に満足した。そして自分も、久しぶりに味わう幸せな気分に浸っていた。
空が薄暗くなる頃に、光とアルは、家に戻り、周りを見渡せる山に上った。また車を走らせて。
牧草畑に寝転がって、二人は少しずつ星が瞬き始めた空を眺めていた。
「光、僕は君に言ってなかったことがあるんだ」
ふと、アルが空を見上げたまま口を開いた。
「何?」
光も、同じように空を見上げたまま聞く。
アルは目を強くつむり、何かを決心したように目を開き、言葉を発した。
「僕が光に話しかけたのは、人間の友達が欲しいからじゃなくて、光と話がしたかったからなんだ」
「…………そう」
光がつぶやくように言った言葉に、アルは苦笑をうかべる。
「もうちょっとなんか言ってもいいんじゃないの?」
「言われればそうかな~とは思った。だって、人間と友達になりたかったら、あたしの他の人間にもどんどん話しかけようとして、人に溶け込もうとするんじゃないかと思うのよ。アルは、あたしがめんどうなことになるとはいえ、なんだか避けてるみたいだった」
アルは一つため息をつくと、また口を開く。
「じゃあ……僕が君を好きだっていうのには気づいてた?」
その場の空気が、一瞬緊張する。
光は、黙っていた。いや、言葉を紡ぐことができなかったのだ。
有田優の声でそのようなことを言われれば、また妙な錯覚に落ちてしまう。
光は、自分の気持ちに整理がつけられないまま、アルの次の言葉を待った。
アルは、空を見たまま言葉を続ける。その声は冗談を言っているように明るかった。
「まぁ、気づいてたかどうかはどうでもいいんだ。ただ言いたいのは、僕が光に初めて会ったのはあの時じゃなくて、もっと前だったってこと。きっと覚えてないだろうけど、光はなんだか元気がなかった時だった。雨が降ってた日で、雨に濡れてた僕に光は傘を差し出して、ずっと僕に話しかけてた。僕は返事をすることができなかったから、光の言うことをずっと聞いてた。始めは、今日はどんなことがあったとか他愛のないことを話して、だんだん難しい話になっていった。人と人が出会うのに理由はあるのだろうか、とか、体の弱い人と強い人っていう人の差はなんであるんだろう、とか。結局答えをださないまま、光は帰った。その時には雨があがっていて、僕はなんとなく気になって光を追いかけたんだ」
アルは、ここで一つ間を置いた。その視線は、光の方を向いていた。
「だから、それからずっと光を見てた。光が頭から離れなかったんだ。光と一緒に話したい、一緒にいたいと日増しに思うことは増えていった。……僕は、その願いを星が叶えてくれたんだと信じてるよ。僕は毎晩星空を見つめて、光のことを思っていたんだ」
少しの間、沈黙が流れた。
「アル……」
光は起き上がって、アルの方を向いて何か言おうとした。気持ちの整理はつけられないままだったが、何か言わなければという衝動にかられていた。
だが、目の前にいたのは、三毛猫だった。
光は何か言おうとしたが、何も言えなくなってしまった。
「……戻っちゃったみたい」
どことなく悲しげに、猫のぎこちない笑顔を浮かべて、アルはそう言った。
光はアルに近寄り、アルと目線を合わせた。
「なんだかよくわかんないわね。……まぁ、戻って、良かったのかな」
光は、複雑な心境でそう言う。その微笑のような泣きそうなような表情にも、それは表れていた。
アルは、目線を山の下に移す。
「結局、猫は猫ってことなんだろうね」
なんだかいじけているように見えて、光はアルをかわいらしく思い、顔をほころばせる。
「でも、アルが私と話せるってことは変わらないよ。私はそれで十分」
そして、光はアルの背中を優しくなでた。その言葉に嘘はなかった。
なぜアルの人間の姿が有田優に似ていたかはわからないが、その姿に一緒にいれたのは確かに楽しかった。
だが、アルと有田優は違う存在だから、それは一時しのぎの実のないことだ。
光は、前を向いて歩いていきたいという気持ちはあった。
だから、今はこれでいい。
自分の気持ちに整理がついたら、またその時には、アルにきちんと答えを返せるようになりたいと思った。
人と猫だとかは関係ない。アルは、こうして自分を追いかけてきてくれたのだから。
アルは表情を変えず、ため息を一つ吐いた。
「……そうだね。僕も、光の側にいられればそれでいい」
二人はただ黙って、星空を見つめた。
この無数にある星の中のどれかのいたずらに翻弄されていたとしても、それはそれで良い。
むしろ二人は、一瞬の幸福な時間をくれてありがとうと言いたいと、思っていた。
私とネコ RAN @ran0101
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