赤ちゃんメテオ

川詩夕

「先輩、あの女をバチボコにぶん殴りたいっす」

 保育園に預けられていた生後数ヶ月の赤ちゃん十二名が行方不明となった。

 赤ちゃんが行方不明となった当日は五名の保育士が勤務に当たっており、最初の異変に気付いたのは正午過ぎの事だった。

 五名の保育士が休憩中うつらうつらと眠りに落ちてしまい、目が覚めると室内に居るはずの赤ちゃん十二名が忽然こつぜんと姿を消していた。

 目が覚めた保育士は嫌な予感を感じ、眠っている四人の同僚を慌てて叩き起こした。

 預かっている赤ちゃんの姿が全く見えない不安に駆られた保育士たちは、血相を変えて姿の見えぬ十二名の赤ちゃんを探し始めた。

 机の下や荷物箱の裏に至るまで、園内全ての場所を探したけれど赤ちゃんは誰一人として見つからなかった。

 首筋に嫌な汗が伝い発狂寸前の中、人攫ひとさらいかもしれない、誰かがヒステリックにそう叫んだ。

 *

「大臣ってのはね、どれだけ優れた政策を訴えてもね、実行に移して成果を上げたとしてもね、国民から袋叩きにされるものなんだよね」

「仰る通りです」

「そんなものだからめ、私はもう諦めちゃったね、馬鹿な国民に対して呆れちゃったね、色々と疲れちゃったよね、頭を使う分だけ無駄だね」

「お疲れ様です」

「国民は阿呆だからね、成果を出さずに人気取りだけしてれば良いんだよね、それで支持率上っちゃうからね」

「そうでしょうか……」

「政治を知らずとも愛嬌だけあれば良いんだよね、まじめそうな発言を繰り返して愛嬌さえあれば大臣は務まるんだよね、贅沢はできずとも生活に支障はない国民の人生と一緒だよね、大臣は腐るほど金を持ってるけどね」

「はぁ……」

「私は死ぬまで贅沢したいからね、国民から金をどんどん吸い上げちゃうよね、国民の大半は馬鹿だから消費税が上がった事にさえ気付いちゃいないんだよね」

「増税は国民にとって一種の死活問題に繋がるかと思いますが……」

「私の知った事じゃないよね、私と身内が贅沢して暮らせれば万万歳だね、この世に金で買えないものはないからね、はっはっは」

「はい……」

「脱ぎたまえ」

「こ……ここはお外ですよ……?」

「絶景だろう? このホテルの最上階は政界のVIPしか宿泊できない場所なんだよ、一泊三百六十万円する超高級ホテルだ」

「はい……ご招待していただき……ありがとうございます……」

「存分に楽しんでくれたまえ、金は捨てても捨てきれない余っているからね。私は君にわざわざ高い金を払っているんだ、私のコレが暴発する前に慰める事がコールガールにとっての最優先事項の仕事だろう?」

「仰る通りです……」

「君の魅力は若さと美貌だけで他には何も無い、その美しい儚さは年齢を重ねる毎に消え去ってしまう、言わば芽吹めぶいた花に対して私なりの投資だ、理解できるだろう?」

「はい……勿論です……」

「さぁ、ひざまずき私のコレを丹精込めて愛撫あいぶしたまえ」

 コールガールは衣服を脱ぎ捨て全裸になると、バルコニーの冷たい床に跪いた。

 大臣の短小でシミだらけのお下劣げれつ陰獣いんじゅうが月明かりに照らされている。

 粘着質を含んだ淫らな音に合わせてコールガールの頭が前後に動きだした。

 背を手すりへ預ける大臣は恍惚の表情を浮かべて身体を仰け反らせていた。

 大臣が満足気な臭い吐息を漏らしていると、突如上空から肉のかたまりが落下してきて顔面に激しく衝突した。

 肉が肉を強く打ち付ける打肉音が鳴り、大臣の身体が脈動する美しい海老の様にびくんと数回跳ね上がった。

 コールガールがよだれを垂らしながらくわえていた大臣の膨張したお下劣な陰獣が噛み千切れた。

「がぁごっ!」

 大臣は白目をいて痙攣けいれんし、コールガールの唇はけがれ、口周りは赤黒い血で汚れていた。

 上空から大臣を襲った肉の塊だった。

 大臣の顔面に勢いよく衝突した肉の塊は肉片となって周囲に散らばっていた。

 冷たい床に転がる大臣の千切れたお下劣な陰獣は絶命寸前のナメクジにしか見えず、ドス黒い肉片はナメクジの糞にしか見えなかった。

 *

 スーツに身を包む二名の女性刑事の姿があった。

「女の証言によると、大臣から指定された時刻にホテルの部屋へ来るよう指示があり、部屋へ入ると全裸の大臣が血みどろの状態で倒れていたそうです」

「……その女と話しできるか?」

「確認してきます」

 茶髪で小柄な後輩刑事が確認を取る為に別室へと移動した。

 部屋の至る所で鑑識が進む中、先輩刑事は検分を始めた。

「おい、この汚いゴミみたいな物はなんだ?」

「チンポです、大臣の千切れたチンポ」

 先輩刑事は露骨ろこつに顔をしかめた。

「切られたのか?」

「詳しく調べてみないと分かりませんが、刃物で切った訳じゃなさそうです」

 しばらくして、後輩刑事が事件現場の第一発見者の女を引き連れて戻ってきた。

「名前は?」

「甲斐雪奈です……」

「生年月日は?」

「2002年6月9日です……」

「大臣からホテルの部屋へ来るように呼び出されたそうだね、いったい何の為に?」

「その……私とお話しがしたいと仰っていました……」

「お話しね……部屋へ入ると全裸の大臣が倒れていた?」

「その通りです……」

「本当にそれだけ?」

「はい……」

「そうか」

「あまり見ないようにしてたので……血が苦手なんです……」

「誰だって血は苦手さ、何か思い出した事があればいつでも私に連絡してきて欲しい、ご苦労さま今日の所は帰っていいよ」

「すみません……失礼します……」

 女は慎ましく部屋を後にした。

「先輩、こんなに早く帰してちゃって大丈夫なんすか?」

 後輩刑事が気怠そうに先輩の元へ歩み寄ってきた。

「何も喋りそうにない者を拘束する意味はない」

「脅して吐かしゃいいんすよ」

「お前、事件だけは起こすなよ」

「起こしませんよ、バレない程度にやってるんで」

 呆れた表情をする先輩刑事の携帯電話に着信が入り、会話は三分程度で終了した。

「分かった……引き続き頼む……」

 先輩刑事は陰鬱いんうつな表情を浮かべてスーツの胸ポケットに携帯電話を仕舞った。

「どうかしたんすか? 死人みたいに顔が真っ青すよ?」

「たった今、大臣が亡くなったそうだ」

「死因は?」

「下腹部からの出血多量だ」

「嫌な死因すね」

「死因に良いも悪いもない」

「言えてる」

「大臣の顔に直撃した肉の塊の正体が判明した……」

「なんすか?」

「生後数ヶ月の赤ちゃんだ……」

「赤ちゃんて……飛ぶんすね……」

「飛ぶ訳ないだろ、都市伝説でもあるまいし」

 隣接するバルコニーの方から肉が破裂するような大きな音が聞こえてきた。

「なんの音だ!?」

「銃声!?」

 女刑事二人はすぐさまバルコニーへと駆け寄った。

 バルコニーの床には肉片が散らばり、その周囲には鮮血の血溜まりが出来ていた。

 数秒起きに肉が破裂する大きな音が鳴り響いた。

 女刑事二人がバルコニーから夜空を見上げると、赤ちゃんが落下してくるのが見えた。

「何だこれは……ありえない……」

「先輩! 空から赤ちゃんが降ってくるっすよ!」

 次から次へと泣き叫ぶ赤ちゃんが降り注ぎ、赤ちゃんが破裂する音が女刑事二人の耳を劈いた。

「先輩! 赤ちゃんをキャッチしてください!」

「やろうとしてる! 落ちてくる速度が早すぎて落下地点の予測ができない!」

 空から落下する赤ちゃんに指先が触れた次の瞬間、先輩刑事の目の前で破裂音と共に赤ちゃんの身体が飛散した。

「お前も手伝え!」

「やってますよ! 暗くてよく見えないんすよ!」

 駆ける先輩刑事が両腕を伸ばしながら勢いよく前方へと飛び込んだ。

「まずい!」

 先輩刑事は勢いのあまりにバルコニーの柵を飛び越えて建物から全身を投げ出す形となった。

 咄嗟とっさに左腕を伸ばし柵の支柱を掴んで宙ぶらりんの状態におちいる。

 右腕を精一杯に伸ばし、落下途中の赤ちゃんの足を掴んだ。

すくい上げろ!」

 先輩刑事は渾身の力で赤ちゃんを抱えている腕を突き上げた。

 後輩刑事は慌てて駆け寄り床を這いつくばって先輩刑事から赤ちゃんを掬い上げた。

「頼んだぞ!」

 後輩刑事は一度頷き全力で駆け出し部屋から出て行った。

 先輩刑事が両手で柵の支柱を掴んだその時、上空から落下してきた別の赤ちゃんが柵の天面に衝突した。

 先輩刑事は頭上の上から破裂音と共に肉が裂ける音を聞いた。

 それは赤ちゃんの上半身と下半身が真っ二つに切断される刹那せつなの死の音だった。

 上半身はバルコニーの床へ衝突し瞬時に肉片と化し、下半身はあらぬ方向へとひん曲がり、先輩刑事の右目に赤ちゃんのがぶっ刺さった。

 痛みを伴う過度な衝撃により先輩刑事が掴んでいた柵の支柱から手が離れ、下階へと転落してゆく。

 先輩刑事は最上階から二つ下の階に設置されているバルコニーの柵を掴み、間一髪のところで転落の果てに生じる死から免れた。

 *

「先輩……間に合わなかった……」

 後輩刑事に抱かれた赤ちゃんの身体は氷のように冷たく、息をしていない状態だった。

 自力で柵を攀じ登った傷だらけの先輩刑事はその場で項垂れる。

「右目が……視えない……」

 先輩刑事は前のめりに倒れ込んだ。

 顔面は血塗れとなり、右目は眼球破裂していた。

 後輩刑事は救急隊の待機所前で微かに肩を震わせながら立ち尽くしている。

 抱き抱えられた赤ちゃんは既に息絶えていたが、心做しか穏やかな表情を浮かべているようだった。

 *

 後日、十二名の赤ちゃんが行方不明となった保育園に勤めている保育士の一人である女が逮捕された。

 逮捕された女は事件の当日、休憩時間に睡眠薬入りのお茶を同僚に振る舞った。

 無論、逮捕された女は同僚たちがお茶を口にするのを横目に、自らはお茶を飲むふりをして自分だけは睡眠薬入りのお茶を飲んでいなかった。

 同僚の四名が眠りに落ちた事を確認した後、女は荷物置き場として使用していた一部屋の扉を開けた。

 その部屋の中には、ヘリウムガスの入った大量の風船が宙に浮いている状態でまとめて置かれていた。

 風船は全て、数日後に開催される保育園のインナーイベントで使用する為、予め保育士たちが準備したものだった。

 女は大量の風船を部屋から持ち出すと、廊下を挟んだ別の部屋へと気配を殺しそっと足を踏み入れる。

 静かな部屋だった。

 敷かれた布団に生後数ヶ月の赤ちゃんが横並びの状態で寝かされている。

 赤ちゃんたちは無邪気にすやすやと気持ち良さそうに眠っている。

 女は風船の下部からぶら下がる紐を次から次へと眠っている赤ちゃんの身体に巻き付けていった。

 次第に風船の浮力によって赤ちゃんの身体は宙へと浮き始める。

 女は部屋の窓を全開に開け放ち、宙に浮いた赤ちゃんを一名ずつ青空へ向けて放った。

 やがて十二名の赤ちゃんは眠りながら空へと飛んでいった。

 その夜、女は保育士の仕事を終えるとホストに貢いでいた五百万円以上のツケを返済しなければならない為コールガールとなり、偶然にも件の大臣に指名されて職務遂行に当たる。

 奇しくも、昼間に大量の風船を使用して空へ放った赤ちゃんに巻き付けていた風船が全て割れ、赤ちゃん達は地上へ落下する運命を辿る。

 空から落下してきた赤ちゃんの一名が大臣の顔面に衝突し、その衝撃により女が口に含んでいた性器は嚙み千切られ、結果的に大臣を死へと追いやった。

 女は同日に十二名の赤ちゃんと大臣を殺害したという事になる。

 女が赤ちゃんを空へ放った理由は次のような内容だった。

 普段から預かっている赤ちゃんの保護者達から理不尽なクレームを日常的に浴びせられ、徐々に精神崩壊が始まった。やがて女の精神は異常を来し内に秘められていた残虐的思考ざんぎゃくてきしこうが膨張の果てに破裂し、狂い切った理性は破滅はめつの行動を辿る。

 結果的に、女は自分が殺した十二名の赤ちゃん達に罰を与えられ、二名の女刑事の手によって逮捕された。

 *

「先輩、あの女をバチボコにぶん殴りたいっす」

「殴る価値もない」

 先輩刑事は怒りに震える後輩を片目で数秒見つめ、内ポケットから取り出した煙草に火を点けその場から去っていった。

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