呵責
青山海里
呵責
正月。初詣に行って巫女を見ると、私はある一人の女の子のことを思い出す。巫女のように気品があって、優しく微笑んでいた、かわいらしい女の子。私の言動で、追い詰められてしまったかもしれない女の子。
彼女は今、どうしているだろうか。そんなことを、毎年ふと考える。最後に彼女のことを見てから、6年目の正月が来た。
廊下側から2列目、前から4列目。いつのまにかその席は、空席であることがあたり前になっていた。
机の上に花瓶などなければ、落書き一つもなかった。机の横のフックには何もかかっておらず、引き出しも空だった。彼女の分の配布物は、放課後いつも彼女の母親が学校まで取りに来ていたから。
乾燥注意報が出るような2月の半ば、通っていた中学校ではインフルエンザが猛威を振るっていた。
うちのクラスで最初に感染したのは合唱部の女子で、そこから後ろの席の野球部、その隣のサッカー部と、どんどん感染は拡大していった。学級閉鎖になるかならないかの寸前で、感染のピークは終わった。最後の一人になったのは、最初にかかった女子の隣の席に座っていた彼女だった。
彼女はソフトテニス部だった。私が私がと自己主張の強い部員が多い中、彼女はその中では珍しく、落ち着いていて穏やかだった。話す側というよりかは聞く側、注目されることはあまり好きではなさそうだった。誰かが楽しそうに笑っていたら、自分もニコニコと笑いつつ、話についていけていない子はいないか気にかける、そんな優しい子だった。
定期テストが近づくと、彼女はいつも一生懸命勉強をしていた。ときどき私のもとへやってきては解法を訊き、もっと頑張らねばと繰り返していた。それほど仲がよかったわけではないが、彼女が2つ上の姉に憧れを抱いていたこと、姉と同じ高校に入りたくて熱心に勉強をしていることは知っていた。
そんな彼女が学校に来なくなってから、2週間以上経った。ただのインフルエンザではないことは、クラスメイトたちもうすうす勘付き始めていた。そんなある日、休み時間にソフトテニス部の軍団が、私の席を取り囲んだ。
「書いて」
そう言って、差し出されたのは小さなメモ帳だった。
「私たちも書いたの。これ、あの子に届けたくて。私たちが学校に戻ってきてほしいって思ってること知ってくれたら、また学校に来られるんじゃないかって思って」
その行動は、友人を心配する優しさからきたものなのか、特異な状況を堪能しようとする一種の好奇心によるものなのか。今の私には判断がつかない。でも、当時の私はそんなこと考えもしなかった。
彼女は素敵な友達をもっていると思った。インフルエンザで休んだだけで、学校に戻ってきてほしいと思ってもらえること、メッセージを書いてそれを伝えてくれる人たちがいること。羨ましいと思った。
だから私は渡された紙を受け取り、ペンを取った。
『早く戻ってきてね。待ってるよ!』
確か、そんなことを書いた。その言葉の意味を、当時の私は深く考えなかった。
それから2カ月後、私たちは3年生になった。クラス替えを経て、私は新しいクラスメイトと仲を深め、志望校に合格するため受験勉強に励んだ。
あっという間に冬が来て、卒業アルバムの写真を撮影した。一列に並んで理科室で個人の写真を撮られた。写真は嫌いだったが、前後の仲間と身だしなみを確認し、椅子に座ってカメラを見つめたときは、もう二度と訪れない、特別で尊い時間だと思った。
それからまたさらに数か月後、私たちは中学校を卒業した。
卒業式の翌日は高校入試だった。全部が終わり、やっと解放されたと思った日、私は卒業アルバムを開いた。
〇組の〇〇くんがかっこいい、〇〇さんは写真よりずっとかわいい。そんな話を家族としていたとき、私のアルバムをめくる手はあるクラスのページで止まった。
40人弱のあどけない顔が並ぶページ。でも、他のクラスとは違った。
―彼女の写真がなかった。
本来彼女のかわいらしい笑顔が収められるはずだった枠の中には、彼女の名前が無機質な字体で記されているだけだった。
数日後、私は友人から彼女がその後一度も学校に来ることがないまま卒業したこと、志望校とは別の高校に入学したらしいことを聞いた。私は卒業するまでその事実を全く知らなかった。
『同じ班に入ってくれて嬉しいよ、ありがとう』
そう言って、修学旅行の宿泊班で一人あぶれてしまった私を快く迎え入れてくれた彼女の顔が頭に浮かんだ。笑うと少し見える八重歯を思い出し、胸が苦しくなった。
あのときの私たちのメッセージを、彼女はどう受け取っただろう。そもそも届いていたんだろうか。その真相を知ることはないまま、去年の正月に中学校の同窓会が開かれた。
私は行かなかった。
ごめんね、というのとは少し違う。どうすればよかったのか、そもそも私がなにかできたことだったのか。それすらもわからない。悶々と頭をめぐるこの感情の名前を、私はまだ知らない。
きっとこの先も、彼女のことをときどき思い出すだろう。そして願うだろう。私は知らなくても、あの子がこの世界でまた笑っていますように、と。
〈終〉
呵責 青山海里 @Kairi_18
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