ep.015 血染めの牙、精霊の巫女(2)

「おーい、おひいさん。そろそろ休憩は終わりだ」


「ん~~、もうちょっと……」


俺の尻尾を抱きかかえながら寝返りを打つ。

ふさふさに仕上がった尻尾に、彼女はうっとりとした表情だ。



腰ほどの高さの倒木に背を預け、少々の休憩を取っている。

とはいえ、辺りに目を配ることは忘れない。


無防備に向けられる頭を、軽く撫でてやる。

透き通るような白緑に輝く、美しい髪だ。


白衣の装束と相まって、一層神秘的な雰囲気をまとう。



その白衣が少しめくれ、彼女の白く華奢な腕が見えていた。


右の前腕の、ひどい火傷の痕。

――俺を助けてくれた時のものだ。


この痕を見るたび、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。


俺はそっと着衣を戻してやり、どうにか怒りを抑え込む。



「もうちょっと休ませてやれねぇか?」


「そうですね……」と、ドウゲンは地図を懐から取り出す。

切れ長で涼しげな目を地図に走らせる。


「稜線まであと一刻ほど、といった所ですが……」



俺はこの男のことをよく分かっていない。


後ろ髪をゆるく結い上げた黒髪に、紫と黒を基調とした旅用の官吏服――

いかにも中央の権力者が派遣した「監視役」といった風体だ。



どんな思惑でおひいさんの旅に同行しているのか。


もっとも、おひいさん自身はそれをあまり気にしていない。

だから俺も、深く追求はしていない。



「日暮れまでまだ少しあります。あと半刻は良いでしょう」


彼の返事にうなづく。


朝から移動しっぱなしだ。

追っ手がいた場合に備えてではあるが、これだけ離れれば。



俺は天を仰ぎ見る。


木々の間から覗く太陽が、優しく暖かさを届けてくれていた。





俺たちは森の中を進む。

といっても、霊領連合はどこに行っても森ばかりだ。


山も谷も多い。


今は、その山の尾根に向かっている。


こういった地理だからこそ、数多の精霊が生まれ――

そして、その精霊を中心とした霊領が作られていった。


と、聞いている。

正直、俺もその辺のことはあまり詳しくない。



「シュエルン様、あともう少しです」


ドウゲンがおひいさんの背中に声をかける。


「うん、大丈夫……」


尾根に近づくにつれ、岩石が主体の足場になる。

木々も少しずつ減ってきた。


なるべく歩きやすい道順を取って進む。



「わぁ――」



尾根の上に出た。

おひいさんが軽く感嘆の声をあげる。



視界一面に広がる空に、うっすらと細切れの雲が漂い――

その隙間から漏れだす夕陽が、雲と空を橙色に染めていた。


空が近くに感じる。



下からゆるやかに登ってきた風が、甘い草の香りを運ぶ。

つられて顔を下ろすと、稜線に囲まれた豊かな盆地が目に入る。


夕陽に照らされた山の稜線が、黄金色に輝いている。

さらに、ぼんやりと紫色の陰影を盆地に落としていた。


夕暮れ時の、幻想的な光景だ。


「きれいだね」


おひいさんのつぶやきに、頷きで返す。


この一瞬だけは、穏やかで得がたい時間だ。



「あそこに見えるのがフォンオン公国です」


その盆地の斜面に小さく、白い建物群が見える。

霊領の街とはかなり異なる雰囲気を感じる。


ふと気になったことをドウゲンに向ける。


「あそこに見える道が、例の?」


「ええ、アインタインと霊領、王国側を結ぶ街道です」

「いくつかの峠や渓谷を利用して、元霊領時代に通したものですね」


あれを通れたら楽でしたけど、と付け足すドウゲン。



美しい景観とは裏腹に、ここは少々曰くのある国だと聞いた。


もとは霊領のひとつとして、霊領連合の傘下にあったようだが。

元老院の決議を不服として独立したとか。


今はグラステル王国、帝国との緩衝地帯のような位置づけらしい。


過去の大戦時にも、色々とあったそうだが……



おひいさんが目を凝らすように眺めている。


「その割には、人通りが少なく見えない?」


「ええ、王国との往来が減っているようですね」


ふぅん……?

何かあったのか。


「その辺りの情報も、街で得られるかと」



ドウゲンは辺りを軽く見回す。


「今日はもう少し進んで、森の中で野営としましょう」


そうだな。

日が落ちる前に、野営地を確保したいところだ。


「明日は街での情報収集。明後日に精霊と会う、だな?」


「その予定です」



確認をしようと、おひいさんの方を見ると。

彼女は目をつぶり、何かを感じ取ろうとしていた。


「精霊の息づかいが弱い……」

「早く会いに行ってあげないと、手遅れになるかも」


……そうか。


この国の背景を見るに、精霊への信仰はほぼ途絶えているのだろう。

致し方ない事なんだろうが……


なるほど、とドウゲンが思案する。


「一応、他国にあたりますから」

「大公にお目通りをすべきかと思っていましたが」


連合としての公的な訪問でないとはいえ。

領土内で勝手に動かれては、公国としてはいい気はしないだろう。



――だが。



「要はバレなきゃいいんだろ?」


ドウゲンとおひいさんは呆気に取られた顔だ。


「街を迂回して精霊の元へいこうぜ」

「じゅうぶん、明日中には着くだろ?」


おひいさんがドウゲンを期待の眼差しで見る。


彼は困った顔で髪の毛を撫で付けると。


「全くおすすめはできませんが……」

「分かりました、先に精霊の元へ向かいましょう」


「ドウゲン、ありがとう! 恩に着ます!」


おひいさんの顔が明るく綻ぶ。



……話はまとまったな。

俺は二人を見回す。


「とはいえ、今日の目的地は変わらない」

「日が落ちる前に出発するぞ」




そうして俺たちは、尾根の上を歩き始めた。

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終わりに響くRe:sonance アカネイロ @KYOSIN

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