シンデレラシスターズ

神在月ユウ

ペインなチキンレース

 藁にも縋る思い、という言葉があるが、果たして人は窮地に立たされた時に、どこまでの行動を取ることができるのか。

 なんでもする、なんて日常でよく聞くが、本当に『なんでも』できるのか。

 今、その答えの一片でも、見えるかもしれない催しが行われようとしている。



 都内の某所、ビルの地下にある、歌劇場のボックスシートのような客席に囲まれている五十メートル四方の広場。

 仮面をつけた、金や地位を持つ、いわゆる権力者たちが、興奮を隠しきれずに眼下の様子を見やる。

 広場では、体をがっしりと、マッサージチェアのようなものに寝そべって固定されている女が六人。

 客席内にはその様子を六分割画面で映すディスプレイが備え付けられている。

 『Ms.ホワイト』プロデュースという言葉に沸き立つ権力者たちの期待の眼差しを受けながら、六人の女は息を呑む。


 ルールは簡単だ。

 

 一ミリ単位で長さを宣言し、一番長く宣言した者が賞金をもらう。


 全く同じ長さを宣言した者が複数いた場合は、賞金は山分け。


 賞金は五億円。

 

 そして、宣言した長さの分だけ、直径一メートルの回転ノコギリでつま先から削られる。


 談合は自由。


 全員で〇ミリと答えれば、それだけで五億円を六人で山分けだ。



 こんなふざけた見世物に登壇する女はどんな人間なのかといえば、そのほとんどが四十代半ばから五十代後半の、結婚歴のない独身女性だ。


 職業、家事手伝い。

 専業主婦希望。

 夫とは家事を折半。

 相手の年齢は二十代後半から三十代後半まで。

 年収は(妥協して)七〇〇万以上。

 一緒に実家に住んでくれる人。

 年齢よりも若く見られる。

 見た目は二十代。

 女性は歳を取るほどに大人の魅力が増す。


 ディスプレイに、彼女たちのプロフィールや相手に求めていた条件などがスクロールされる。

 観客はみな、くすくすと、時に抱腹する。

 これがネタではなく、本気で思っているというのだから、笑わずにはいられない。


 そんな人間が、これからどんな光景を見せてくれるのかと、観客は期待の視線を向けていた。



「わかってるでしょうね?ゼロよ、ゼロ!」

 恰幅のいい、自称の女が叫ぶ。

「体を切り刻まれるなんてゴメンなんだから、当然よ!」

 首元の皺が目立つ、と言われるらしい女が応じる。

「抜け駆けはなしだからね!」

 年老いた年金暮らしの両親と同居している、の女が声を張る。

「おばさんたち、あんまり叫ばないでよ、耳タコなんだから」

 唯一の三十代――三十六歳の女がうんざり声を出す。

 他にも似たり寄ったりの経歴の女たちが、口々に声を張り上げている。


『それでは、六十秒後に、削る長さを宣言してください』


 会場アナウンスの、落ち着き払った男の声が、幕開けを告げた。


 六人の女の隣に、黒服にサングラスの男がひとりずつ付き、女の宣言をタブレット端末に打ち込む流れになっている。


 あっという間に一分が経過し、女たちは隣に立つ男に耳打ちする。


『ベットする数字が一度で決まってしまうのも、面白みに欠けるでしょう』


 男のアナウンスが、ルールを追加で説明する。


『二度、ベットした結果を公表しましょう。一度提示した数字を下げるのは禁止ですので、ご注意ください』


「ふん、無駄な時間だよ」

 わがままボディが鼻で笑う。

 こんなふざけた会場での狂気の沙汰だが、自分たちが一発逆転するにはこのまま婚活したり宝くじを買うよりも、よほど現実的だ。

 それでも、自分の身を削ってしまっては元も子もない。

 だからこその『協力体制』なのだ。


『では、一時提示は以上の通りです』


 ディスプレイに表示された、身を削る長さ。


『0』


『0』


『0』


『0』


『1』


『0』


 会場全体が笑った。

 当然とばかりに。


「どういうことよ!」

 とても五十代には見えない女が叫んだ。

 表示された数字には、誰が、という情報がない。

 つまり、誰が裏切ったのかがわからない。


 当然といえば当然だ。

 五億を六人で割れば、一人当たり約八千三百万。

 大金には違いないが、一生遊んで暮らすには足りない。

 それが、たった一ミリ、指の皮一枚我慢すれば、五億を独り占めだ。

 裏切らない方がおかしい。


『では、続いて六十秒後に、再度ベットしてください』


 淡々と、アナウンスが告げる。


 もう無傷ではいられない。

 一ミリ以上の宣言をしないと、金は一銭も入らない。


 だが、ここで女たちは考える。


 ここで一ミリを選択しても、誰かが二ミリと宣言しないか?


 つま先を二ミリ削られるのは如何ほどか?

 肉を抉られるか?それともまだ皮がめくれるだけか?

 知識がないので、よくわからない。


 それでも、もしこのまま帰ったら、何も得られないリスクを考える。

 マッチングアプリでは誰ともマッチせず、年齢をごまかして、マッチして男と会ったら「ふざけるな」「詐欺だ」と怒って帰ってしまう。

 結婚相談所もろくな男を紹介しない。

 お前に似合うのは同年代の年収二〇〇万の男だと、冗談のようなことを真顔で言ってくる。

 無駄に時間だけが過ぎ、もう老後というものを意識する歳になってしまった。


 傷を負うのがリスクではない。

 金を持ち帰れないことがリスクなのだ。


『では、時間になりました。ベットを』


 アナウンスに従い、再度隣に立つ男に数字を告げる。


『では、二度目のベットの結果です』


 ディスプレイに表示された、身を削る長さは――。


『1』


『1』


『1』


『1』


『3』


『2』


「~~~っ⁉」


 女たちが、大なり小なり反応する。

 忌々し気に喚く者。

 金切り声を上げる者。

 ヒステリーに騒ぐ者。

 黙って唇を噛む者。

 反応は様々だ。


 どうせ小刻みに増えていくだろうとは思っていたが、予想外だったのは一ミリ刻みではなく、一気に三ミリを宣言した者がいたことだ。


 三ミリも削ったら、絶対に出血する。

 とんでもなく痛いに違いない。

 耐えられるはずだない。


 女たちの多くはそう思った。


 一方で、これは一部の女からのメッセージでもあった。

 どんなことをしてでも金は持ち帰る。

 半端な覚悟のババアはぎゃーぎゃー騒いで帰れ。

 そんな類のメッセージだ。


『なかなかに消極的なようですね。では、皆様、再度ベットを』


 女たちの動揺を無視し、アナウンスの声は進行を続ける。


 意を決し、女たちは声を震わせながら、数字を口にする。


『2』


『3』


『3』


『5』


『6』


『6』


 会場全体が、にやにやと笑った。


 小刻みではあるが、いいペースで吊り上がっていく。

 金を貰えないリスクを取り、談合を忘れ、もう多少の指の欠損すら気にしない者まで出ている。

 一生働かなくていい金額を手にできるのならば、多少の体の障害くらい許容すべきという壊れた感覚が、女たちの中で数人が思い始めていた。

 ずっと否定し続けてきた、自分が底辺であるという自覚。

 それを意識して、感覚が狂い始めているのかもしれなかった。


「も、もう一回やらせてよ!」

 

 年収六十五万円の女が、叫んだ。

 彼女のベットは『5』。

 親指の爪が半ば消えるくらいの長さを意識して、それを失っても何も得られないという事実に、耐えられなかった。

 同様の訴えが他からも上がる。

 主に『3』を宣言した女たちだ。

 まだ引き返せるラインのはずだが、視界に入っている回転ノコギリが、たった数ミリの指先の欠損を大事に思わせた。

 そこまでの恐怖を、犠牲を払うのならば、せめて半分の二億以上は持って帰らないと割に合わないと、そう思わせた。

 同時に、『6』を宣言した女たちは反対する。

 二億五千万を手にできるのに、それを手放すなどありえないと。


『会場の皆様、いかがでしょうか?』


 アナウンスの声が、白々しくも尋ねる。

 このを楽しむ者たちが、どんな展開を望むのか、わかっているはずなのに。

「もう一度!」「続けさせろ!」「終わらせるな!」

 これで終わらせるなと、会場全体が同じように声を上げる。

 決して大声ではないが、同調する声が、昏く大きな圧力を生んでいた。


『では、次を最後のベットとしましょう』


 アナウンスの声に、会場が沸く。


 対して、女二人だけが、忌々し気に表情を歪める。


 いくら騒いでもどうにもならないことは薄々気付いている。

 テレビのバラエティでもなければ、ドッキリでもない。

 横になっているマッサージチェアのような椅子、その拘束は本物だ。

 周囲の観客たちの視線は、明らかに嗜虐を象っている。

 そして何より――


 ギィィィィィィ――――‼‼


 試運転なのか、回転ノコギリが甲高い唸りを上げた。


 拘束されたままの女たちが、口々に悲鳴を上げる。


 もう、足を切り刻まれることは確定で、未来の差分は金が手に入るのか否かしかないのだと、思い知る。


『さぁ、最終ベットです』


 そんな女たちの動揺を無視して、アナウンスの声が告げる。


 女たちは、最後の宣言をする。


『2』


『8』


『8』


『10』


『10』


『12』


「は、はは……」


 決着がついた。


 一人は踏み切れず、現状を維持し。


 四人は中途半端な覚悟で、中途半端な数字を選び、苦痛しか得ることができず。


 一人は五億の権利を勝ち取ったが、もっとも凄惨な目に遭うことになった。


 そう、最も凄惨だ。


『では、お待ちかねの、お時間です』


 ギィィィィィィ――――‼‼


 六つの回転ノコギリが、起動する。


「いやぁぁぁぁぁっ‼」


 ノコギリのアームが動き、ぴったりと足先を捉えるように位置を整える。

 

 そして、六つのノコギリが、甲高い音と共に、女たちの悲鳴と重なり、切り進める。


「あ、あ、ぁぁぁぁぁ―――――――――――っ‼」


 きっちりと、つま先が、切り落とされた。


 きれいに、の先一ミリずつが、弧を描くような軌道で。


 実際の痛み以上に、回転ノコギリの存在が、恐怖を増幅させる。


 しかも、全員が一律で、一ミリずつだ。


 が始まる。


 「あ、あ、ぁぁぁぁぁ―――――――――――っ‼」


 血が出始める。


 痛みが強くなる。


 だが、一番の問題は、こんな風に一ミリずつ刻まれることだ。

 そう、一度に切り落とされるのではない。

 これでは、『12』を選んだ、五億を貰う女はあと十回これに耐えねばならないということに気づいた。


 こんなもの――こんな痛みと恐怖、耐えられるはずもない。


 一方で、『2』を選んだ女は終わったと、ほっとした。

 金は得られなかったが、これで恐怖と苦痛は終わるのだと、ヒリヒリする足先を意識しながら安堵していた。


 しかし、それを無視して、三往復目が奔る。


「は、ちょ、なんで――――あ、あぁぁぁぁぁっ‼‼」


 抗議の声を上げながら、『2』を選んだ女が他の女と共に悲鳴を上げた。


 自分の分はもう終わったはずなのに、なぜだ。


『さぁ、一番短い人でも、あと十七回残っております』


 アナウンスの男が、告げた。


 あと十七回。

 つまり、合計二十回。二回じゃない。

 十倍。

 じゃあ、『2』とは?


 二ミリじゃなくて、二十ミリ。

 二センチ。


 つまり、足の指ならば第一関節まで、一ミリずつ刻まれるということだ。


 その事実を理解して、絶望したのは『2』の女だけではない。


 『12』なら、どうなる?


 十二センチ。


 つま先からなら、足の甲どころか、ほとんど足首まで刻まれることになる。


 あと、百回以上も。


「いやぁぁぁぁ、はなじでぇぇぇぇぇぇぇ‼‼」

「そんなの、聞いてないよぉぉぉ‼‼」

「やぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼‼」


 回転ノコギリに負けないほどの声量で『12』の女は叫び、他の女たちも同様に叫ぶ。

 観客は面白がるのみで、当然のように同情などひとかけらもない。


『おやおや、学校で教わりはしませんでしたか?算数では、ちゃんと単位までしっかり答えましょうって』


 観客が、アナウンスの男の発言に、声を出して笑い出す。


 皮を削り、肉を裂き、骨を削り、回転ノコギリは一定のペースで女たちの足を何度も何度も往復する。


 悲鳴は止まない。

 苦痛の声が弱まるのは、ノコギリが足を切り抜けて戻るまでの数秒だけ。


 ギュリギュリギュリリギュリ――――

 ガリゴリガリゴリガリゴリ――――


 無慈悲に、正確に、肉と骨を削り落とす機械の動作に、女たちの悲鳴は徐々に弱まっていく。


 息絶えた者もいる。

 出血量ではなく、あまりの痛みと恐怖によるショック死だ。


 そんな様を見ながら、ワイン片手に優雅にテイスティングをする観客もいる。

 彼女たちは、観客たちにとっては娯楽であり、さかなであった。




 回転ノコギリが止まったのは、二十分ほどが経過した後だった。

 六人の女たちは、ぐったりと倒れているか、ビクビクと痙攣している。


 生きているのか、それとも死んでいて筋肉が痙攣しているだけなのか。


 そんなこと、観客たちは気にしない。


 ただ、口々に言う。


「いやぁ、今日もなかなかでしたな」

「でも、もう少し、底辺同士の罵倒が見たかったわ」

「まぁまぁ、また次回を楽しみにしましょう」


 都内の某所。


 今日もまた、狂演が権力者たちの娯楽として消費された。

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