夜明けの君に。

こよい はるか

夜明けが来なかった君へ。

 突然だけど、最高に良い年なんてないよね。


 どの年にだって、嬉しいこともあれば、悲しいこともある。


 その中でも、全力で走り抜けた人って最強だ。


 君もその中の一人だよ。


 忘れないで。


 君は、最強だ。


 明けまして、おめでとう。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


陽葵ひまりさん」

「はい」

「入院してください」


 その唐突な言葉に、息が詰まった。

 私が……入院?


「二週間後の大会は、出場しないでください」


 医者の無情な言葉に、私の頭は真っ白になった。

 今までずっと、練習してきたのに……。


 でも、この骨折が一人の命を救ったのなら。

 君の命を救ったのなら。


 骨折してよかったって、思えてしまう。


 ねぇ。

 君のおかげで、私も変われたよ。


 君の存在に改めて、


 ありがとう。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 今でも夢であって欲しいと思ってしまう、医者のあの言葉。

 私は二週間後に控えていたバスケ部の大会に出られなくなってしまった。


 入部した頃からずっとそのために練習してきた。一年生部員はちょうど五人で、私が居なかったら人が足りなくなってしまう。

 でも——しょうがないんだよね。


 この事実は、何をしても変えられないものだから。


 四人部屋の病室に入れ込まれ、早六時間。いつの間にか夜になっていた。

 ベッドの上でスマホをいじったり、テレビを見たり、時々寝たり。

 楽ではあったけれど、何の刺激もなくて面白くなかった。


 そろそろ寝ようかなぁ……と考えていた時。


「君……骨折?」


 右隣のベッドから、小さな掠れ声が聴こえた。


「え?」


 反射的に振り向く。

 そこには……完全に弱った状態でベッドに横たわっている男の子がいた。


「うん……膝の骨折で」


 見覚えはない。初めて話しかけられたはずなのに、懐かしい気がした。


「……そっか」


 君はそれだけ言って、布団に顔をうずめた。それだけで終わってしまった会話が寂しくなった自分がいた。


 見ていてもしょうがないし、ベッドに戻って布団に潜る。隣にお母さんがいないベッドは、なんだか暖かみがない。


 その中でもなんとか顔を布団の中に入れて、できるだけ寂しさを消そうとした。


 でも、何時間経っても眠りにつくことはできなかった。中学生にもなってこのザマ。これからどうやって入院生活を過ごしていけばいいのだろうか。


 布団から目を出して、隣のベッドで眠っている君を見つめる。改めて見ると、整った顔だった。

 少し切れ長の瞳に、薄い唇。その作りが繊細で、今にも消えてなくなっちゃいそうなくらい儚くて、嫌になった。


 ずっとその顔を見つめていたら、君が目を開いた。その瞳はゆっくりと焦点を定めて、私を捉えた。


「ねぇ、名前なんていうの?」


 また掠れた声で問いかけてくる君。話しかけてくれたことが嬉しかった。

 君と話せることだけでこんなにも感情を動かされているだなんて、よく分からない。


「……太陽に葵って書いて、陽葵。星野ほしの陽葵ひまりっていうの。中学一年生」


 ゆっくりと言葉を紡いで、そう言った。


 すると、君は一瞬顔を歪めて——。


「……良い名前だね」


 そう言って笑顔になった。

 少し、作っている笑顔のように見えた。


 だから、話を逸らしたくて聞いた。


「君は?」


 たった三文字の言葉。言うことだけに、多くの精神力が削られた。


「……一之瀬いちのせ朝陽あさひ。朝の太陽って書いて朝陽だよ。僕も中一」

「朝陽くん……良い名前だね!」


 素直にそう思った。だからそう言った。


 でも……君の口から返ってきた言葉は、予想外の言葉だった。


「——そう思えてるなら、陽葵は幸せだね」


 そう言って朝陽くんは向こうに寝返りを打って、こっちを見なくなった。


 私……なんか悪いことした?


 その後話しかける勇気もなくて、結局一晩眠ることはできなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 何も話すこともなく、朝を迎えた。一睡もできなかったから眠たい。目を開けると、朝陽くんはいなかった。

 とぼとぼと食堂に向かう。松葉杖をつくのも慣れてきてしまった。


 入院初日は病院食じゃなくて、食堂で食べると決めていた。一人で食べるよりも、周りに人がいた方が寂しさが紛れそうだったから。

 朝陽くんがいないなら病室にいる意味なんてないし、なおさら食堂で食べたかった。


 片手でお盆を受け取って、なんとか松葉杖をついていく。やっぱり片手が塞がっていると動きづらい。

 思ったより食堂は混んでいて、人目につきづらい二人席は遠くの方にあった。だからって人がいっぱいいるところにも座りたくなくて、頑張って歩く。


 まともに松葉杖がつけず足の痛みが増してきた、その時。


「……持つよ」


 聴きたかったその掠れ声が、聞こえた。


「朝陽くん……?」


 私の左手からお盆を取って、自分のものも持っている朝陽くんが、そこにいた。


「昨日は急に口を利かなくなってごめんね。今はもう大丈夫だから」


 私の目を見て静かにそう言って、歩き出した朝陽くん。お盆を持って行かれるということは、同じ席で食べよう、ということなのだろうか。だとしたら、少し嬉しい。

 浮足立った気持ちが出てしまったのだろうか。いつの間にか私は彼の前を歩いていた。


 席について、向かい合う。「いただきます」と手を合わせて、朝ご飯を食べ始めた。


 思ったより美味しかった。寂しさはどこにもなくて、朝陽くんがいるから安心感があった。


「陽葵はさ、なんで骨折したの?」


 その繊細そうな顔に似合わない、と言ったら失礼だけどそう思ってしまうカツを頬張りながら、朝陽くんが聞いた。


「バスケ部の一年生大会に出るはずだったんだけど、練習試合で敵にあり得ないほどファウルされたの。あちこち痛くて動きづらい状態で下校してたら、挙句の果てに事故に遭って」


 そう。本当にあの相手のチームは精神がなってない。バスケであれほどファウル、どころか暴力ともいえるまでぶつかってきたりあからさまに殴ってきたり。

 頑張ってプレーは続けたけれど、うちのチームの一人が身体じゅう痛くて動けなくなり、人数が足りなくなって負けたのである。


「それは災難だったね……」


 朝陽くんがもう一回、カツをかじる。食べている姿がとても幸せそうで、カツが好きなんだろうなぁと思った。

 あと一口しかない。残りの分を勝手にドキドキしながら見つめていると……。


「……ぷっ」


 急に朝陽くんが吹き出した。心からの笑顔は、初めて見た。


「ふふっ、あははっ。陽葵って面白いね」

「え? どこが……?」


 今まで特に面白いと言われたことは無かった。とりあえず嫌らしく思われなくてほっとする。


「陽葵、今なら僕に何でも聞いていいよ」


 朝陽くんは笑いが収まらないまま、そう言った。

 その瞳に嘘は見えなくて、むしろ意志を持っていて——。


「朝陽くんは、なんで入院してるの?」


 そう聞いた。


 朝陽くんは特に苦しそうな表情は見せず、


「原因不明の病気なんだよね」


 と、窓から曇った空を見上げて答えた。


「原因、不明……?」

「そう。日に日に声が掠れて小さくなっていく病気なんだって。もしかしたら治るかもしれないし、明日死ぬかもしれないし」


“死ぬ”。

 その言葉に息ができなくなった。

 朝陽くんが……死ぬ?


「今のところ、せいりょうびょうって名前らしいんだ。声が出なくなった時に、死ぬんだって。普通に声が出るようになったら、治ったってことらしいけど。どっちもなったことがないから、よく分からない」


 そう言って、朝陽くんは眉を下げて笑った。


 その笑顔があまりにも悲しそうで、苦しそうで、言った。


「二週間後、年が明けるね」


 今日は十二月十八日。年越しを家族と過ごせないのは大きな心残りだけど、しょうがない。次の年明けに持ち越しだ。


「……それが、どうしたの?」


 顔を持ち上げて、私を見て聞いた朝陽くん。


「とりあえず……新年を迎えよう?」


 まず、最初の目標だ。絶対に朝陽くんには死んで欲しくない。ずっと生きていて欲しい。だから、その目標を掲げた。


「——そうだね。まずはそれが目標かな」


 彼はまだ苦しそうだったけど、さっきより苦しさが紛れたようで、ふわっと笑った。最後の一口のカツを口に入れたのを見て、


「あっ……」


 と声を出してしまった。


 私がずっと朝陽くんの口元を見つめていたのに気づいたようで、


「……そんな見ないでよ」


 お箸を持っていない右手で口を隠してむすっとして、そのあと私の顔を見てまた彼は笑っていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 それから毎日、病院食を病室で食べるようになった。二人で話す時間は楽しくて、入院中の他の何よりも楽しかった。


 でも一番気になったのは、日に日に声が小さくなっていくことだった。


「……明日、かぁ」


 相変わらず掠れた声で、朝陽くんは病室のカレンダーを見てそう言った。


 そう、今日は大晦日。明日はお正月だ。


「僕ね、そろそろ死ぬんじゃないかと思ってたんだ」


 唐突に、彼がそう言った。


「何の刺激もなくて、誰とも話さなくて、ただ一人でご飯を食べてテレビを見て、本を読むだけの毎日だった」


 窓の外の曇った空を見て、彼はゆっくりと言葉を紡いでいく。


「でもね、陽葵が来て変わったんだ」


 視線を動かして、朝陽くんのベッドに座っていた私と目が合う。


「話すことが楽しくて、やっと生きる意味を見つけられた気がして——嬉しかった」


 そう思ってくれてることが何よりの幸せだった。

 楽しかったのは私だけじゃなかったんだ、私だけの想いじゃなかったんだ。

 それが分かっただけでも本当に安心した。


「僕、自分の名前が嫌いだったんだ」


 彼は視線を落として、そう言った。


「僕に朝なんて来るわけないよなって。幼稚園に上がる頃から病気でずっと入院して、特に誰と仲良くなるでもなくて。その名前を付けたばあちゃんは僕が入院する時に死んじゃったし、両親はほぼ育児放棄。一年に一回お見舞いにきたらいい方だったんだよ」


 そんな生活だったんだ……。今まで九年間、ずっとたった一人で、この病院で過ごしてきたんだ。


「たとえ朝が来たとしたって、太陽は僕を見ない。決して僕を照らさない。僕はそういう運命だと思ってた。別に生きててもなんのメリットも無かったし、太陽に照らされたいわけでもなかったから」


 そんなことを考えていたんだ。だから初めて会った時、私の名前に入ってる『陽』の字を聞いて、苦しそうな表情になったんだ。パズルのピースがはまった気がした。


「でも陽葵を見て、そうじゃないんだって思ったんだ。陽葵は名前の通り明るくて、優しくて、太陽みたいに僕を照らしてくれた。大会だってずっと出たかっただろうに、それを悔やむより前を向いて、僕のことさえも照らしてくれた。それを見て、僕は何をしているんだって思ったんだ」


 キッと前を向いた朝陽くん。その瞳の奥には揺るぎない意志が、がある気がした。


「陽葵は僕のことを照らしてくれるけど、陽葵のことは誰が照らすの?」


 私と視線を合わせて、一息にそう言った彼。

 鍋で頭を殴られたような感覚に襲われる。


 朝陽くんは、そんなことを考えてくれていたんだ。


「……僕が照らす」


 彼はベッドの上に置いていた私の手を両手で包み込んだ。その手は、まるで陽だまりのように暖かった。それだけで、私は優しい太陽に照らされているような気分だった。


「陽葵からは数えきれない光をもらった。だから僕は、負けないくらいいっぱい光をあげる」


 握った手を額に当てて、こてんと頭をそれに預ける。その姿が堪らなく可愛くて、いとおしかった。


 私たちは、そのまましばらく動けなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その日の夜はあり得ないくらいぐっすり眠れた。いつの間にか外は白々しく輝いている。もう、日の出だ。


 自分のベッドから出る。大丈夫、朝陽くんは息をしている。新年を迎えられたんだ。


「……朝陽くん」


 周りの人たちを起こさないように、小さくそう言った。


「……んん、あと五分……」


 ゆっくりと目を開けて、手で目を擦る朝陽くん。まだ眠そうだ。とろんとした目はもう一度閉じられてしまう。


「ええ……」


 戸惑いながらもまだ日の出の時間ではないことを確認して、彼のベッドに座る。

 右手をついてその寝顔を見つめていたら——。


「ひまり……」


 ぎゅっと、私の右手が握られた。その握り方がとても可愛くて一度言葉が出なくなったけど、


「……なぁに?」


 できる限り動揺を隠して、そう返す。


「ありがとう……」


 彼はそう言って、もう一度目を閉じる。

 もう少しだけこうしていたいと思ってしまった。




 ——五分が、経った。やっぱり初日の出は見たかったから、とんとんと肩を叩いて朝陽くんを起こす。


「……ん。我儘言ってごめんね、行こっか」


 布団から出て、朝陽くんが先を行く。その姿を見て、なんだか変わったなぁと思った。やっぱり、昨日のあの言葉は嘘じゃなかったんだ。そう思うと口元が綻んでしまう。


 病院の屋上へ上がるのは、私を気遣ってエレベーターを使ってくれた。私がボタンを押そうとしても、チラッと私を見て全部朝陽くんがやってしまう。いつも私を先導してくれた。


 ピーンポーン……


 エレベーターの音が鳴り、ドアが開く。ガラスの扉の向こうには何が待っているんだろう。

 建物の自動ドアが開き、冷たい風が吹きつける。最近はずっと病室で過ごしていたから気づかなかったけれど、年末年始は本当に寒い。体の芯から冷えていくような感じだった。


 屋上は見晴らしが良かった。もとから病院自体が山のふもとにあることもあり、空気は澄んでいて気持ちが良い。


「——そろそろ日の出だね」


 近場のベンチに座りながら朝陽くんがそう言った。その笑顔は何か吹っ切れたようで、私も『新年を迎える』目標を達成できたことを実感した。


 そこから二人でじっと東の空を見つめた。周りを見渡すと、どこまでも山。山の向こうは、どんな世界が待っているんだろう。

“向こう”を見てみたくなった。


 すると、


 キラッ——!


 山の上からチラッと顔を出した太陽が、目を焼くほどに輝いていた。

 やっぱり、私は自分の名前が好きだ。もし私が朝陽くんを照らすことができたなら、他の人だって照らすことができるかもしれない。


 でも……一生、照らすなら朝陽くんがいい。


 そう思って彼を見ると、予想外の顔をしていた。


 瞳に明るい太陽が輝いている。その目には涙がたまって、次の瞬間につーっと頬をつたった。


 その一滴さえも輝いていて、儚くて、私はいつの間にか朝陽くんを抱きしめていた。


「っ、え……?」


 生きている。朝陽くんが、生きている。

 その事実だけで、私は本当に嬉しかった。

 戸惑いながらも抱きしめ返してくる彼が、こらえきれないほど愛おしい。


「——明けましておめでとう」


 彼の耳元で囁く。

 この朝陽が君に幸せをもたらしたのならば、私はいつだって君を朝に連れて行く。


 無理してリードしなくていいんだよ。君は、そのままでいるだけで私を照らしているんだから。


「……明けまして、おめでとう」


 その声を出して、朝陽くんはばっと体を離した。

 なん、で……⁉


 彼が言ったその言葉は全く掠れていなくて、小さくなくて、意志があって低くて、それでいて優しかった。

 それって……治った、ってことなの?


「治った……!!」


 彼は私を見て喜んで、苦しいくらいに私を抱きしめた。

 本当に嬉しかった。これで、朝陽くんは病気に悩まされて名前が嫌いになったりしない。


 君に、朝は来たんだよ。


 夜明けだ。


「朝陽くん、初日の出! 綺麗だよ!」


 もっとこの光景を目に焼き付けて欲しくて、背中を軽く叩いて太陽を指さした。

 眩しくて眩しくて、本当に嬉しかった。太陽と同じくらい、いや、負けないくらい朝陽くんは輝いていた。


 そのままでいいんだよ。君は存在するだけで周りを照らせるから。


「……綺麗だね」


 眩しそうに目を細めて“朝”を見つめる朝陽くん。


 朝の太陽で、朝陽。

 本当に、君のためにつけられた名前のよう。


 朝の太陽のように、優しく、おおらかに包み込まれるような安心感を、君はもたらしてくれる。

 君といればどうにかなるって、そう思える。


 情けない姿だって見せていいんだよ。

 泣いて泣いてたくさん悔やんで、そのあとに笑えればそれでいいんだよ。


 そんな想いを込めて、もうこれ以上力を入れられないほど朝陽くんの手を握った。


 朝陽くんは私を見る。


「陽葵」

「はあい?」

「ありがとう!」


 朝陽くんは、何筋もの涙を流しながら全開の笑顔になった。




 今まで君は何度も何度もつまずいて、生きる意味を探して藻掻いて、たくさん苦しんだ。

 嫌な年ばかりで、生きていることに意味なんて無かったんだよね。


 でもそんな君を救えたんでしょ?

 私は君を救えたんだよね……?


 良い年なんてない。


 いま朝を見つけたって、きっとまた太陽は沈み、夜が来る。


 悪いことだっていくらでも起こる。


 その中で私が君を照らせるなら、君が私を照らしてくれるなら、それって最高だ。


 今年も全力で走り抜けて、最強になろう?


 そんなことを思いながら言った。


 噛みしめるように、忘れないように。


 これからも苦しんで悩んで、朝を見つけよう?


 今まで明けなかった君の夜へ。


「明けましておめでとう!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜明けの君に。 こよい はるか @attihotti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画