(後編)

 ふらふらと帰宅して家の鍵を開けますと、玄関には旦那の靴が二足並んでいました。ひとつは仕事用のぴかぴかに磨かれた革靴と、もうひとつは側面に青いラインが一筋入った普段使いのスニーカーです。時計を確認すると、二十五時四十分。この時間に旦那が二身とも自宅にいるのは珍しいので少しびっくりしました。我が家は共働きで、私も旦那も基本的に半身は職場で寝泊まりしていますので、この空間に四つの肉体が集合するのは半年振りではないでしょうか。我が家は二人で半身ずつ置いておくには申し分ない広さですが、合計で四身ともなりますと流石に窮屈さを感じます。

「ノギちゃんお帰りなさい。あれ、今日は二身で帰ってきたの。僕も偶然そうしてしまったから、今夜のうちは大混雑だね。」

 旦那はいつも、黒縁眼鏡をかけたβ体で私に声を掛けます。彼と同棲を始めて二年が経ちますが、逞しい肉体を持つα体には未だに慣れず、対面すると顔が強張ってしまう私を気遣って、話しかけるときは絶対にβ体から接すると決めているようです。それについて以前、私が下手に怯える所為でコミュニケーションに不便を掛けているみたいで申し訳ないと謝ったことがあるのですが、「実はね、相手とより落ち着いて話せるようにこちらで調節をするために、敢えてα体とβ体で両極端に違う格好をしているの。ちょっとだけ賢いでしょう?」と胸を張って答える旦那に、嗚呼やはり私は彼のこういうところを好きになったのだなと、染み染み思いました。

「β体も仕事ばかりだと疲れてしまうから、少し休ませようと思ったの。明日はα体で仕事に行く積り。」と返しながら所々に雪の付着したロングブーツを脱ぎ去り、身軽になった足取りで廊下を歩きます。家に着いて直ぐに、靴を脱いで、羽織っていた上着を下ろしてと遣っていくように、纏っていたものを順々に取り払う行程は、余所行きに塗り固めた偽の自分から本来の姿へ更新されるみたいで、それが蛹から羽化して伸び伸びと翅を羽ばたかせる蝶々の如く思われて無性に清々しい気分になるのです。靴下越しに、ひんやりと冷たいフローリング材の床の感触が伝わります。やはり自宅という場所はこうでなければなりません。

「今夜は一段と冷え込むから、病院までさぞ寒かったでしょう?いまノギちゃんの分の珈琲を淹れるから先に着替えておいで。」

 そう言って彼はよいしょ、と立ち上がり、台所へと姿を消します。私は言われた通りにダウンコートを洋服箪笥に仕舞い込んで、淡い牡丹色とコバルトブルーの毛糸で編まれたセーターを脱ぎ、代わりに動きやすいスウェットに身を包みました。

 私と古くから付き合いがある人たちは皆、私のことをノギという渾名で呼びます。ノギとは丁度今頃の季節、十三月から十六月にかけて街中でよく見かける小型の留鳥で、特徴的な抑揚のある囀り方で知られています。渾名の発端に付きましては、ノギの全身が鮮やかな青紫の羽毛で覆われており、それが私のヴァイオレットの頭髪と非常に似た色合いをしているところに由来します。実は中学生の頃に、麗人の670bが付けてくれた渾名で、こちらが無邪気に「私と貴方は友達だから、これからトモちゃんって呼ぶね。」と愚直なネーミングをしますと、彼女は「じゃあ私は貴方の綺麗な髪の毛が好きだから、ノギちゃんと呼ぼうかしら。」と微笑み、そのときに初めて野鳥の名称を知ったのです。親しい人同士、識別番号で呼び合うのは何だか余所余所しい節がありますし、私自身がノギという愛くるしい見た目をした鳥を好んでいますので、菫色の頭髪をすっかり失ってしまった今でも、この名前で呼ばれることを気に入っています。

 二身とも部屋着に着替えた私は、両方が同じ空間にいると、脳が会話を二重に処理して混乱しますので、β体を早々に寝室へ追い遣って休ませます。翻ってα体の私はスーパーのレジ袋を台所まで運んでどさりと下ろし、やっと苦労から開放された自分の手のひらには五本の指にくっきりと持ち手の痕が付いており、それが主婦の勲章みたいに感じられて私はこれを眺めるのが好きなので、じっと見つめて力仕事を遣り切った達成感に浸っていました。夕食の準備を始めるのは後回しにして、少しだけ休憩を取ることにします。

 リビングに入ると空調が効いており快適な温風が髪を微力に撫で付け、私は旦那が寛いでいる二人掛けソファに腰を下ろして漸く一息つきます。目の前にある木製のテーブルの上には彼が淹れてくれた珈琲が用意されており、マグカップからは白い湯気が細く立ち上って、空中で暖房に吹かれて雲散していました。人肌の体温が、こつりと触れ合った私と旦那の二枚分の洋服を隔てて僅かに交換されます。そのまま彼の肩に頭を軽く乗せて寄り添いますと、幸福感に胸の奥がぽつりと暖かく感じられました。続けて彼のすらりと細く伸びた、まるで彫刻の作品のような、それでいて頼りがいのある男性らしい線形をした二の腕辺りを頓と擦ってみますと、彼はこちらを向いて穏やかな笑顔をひとつ実らせ、又もや胸がじんわりとするので、それが愛しくて、嬉しくなって堪らないのです。俗に言う人並みの幸せとは、このことを指すのでしょうか。パートナーと長年を共に過ごしていると、いつか必ず倦怠期が遣って来るものよ、と先人は口を酸っぱくして忠告しますが、それと呼べる感情を未だ一度も経験することがなく円満な関係が続いています。


 旦那との出会いは、高校三年生の夏休みに突入して間もなくの頃でした。或る日にクラスメイトの女子から一通のメールが来て、普段から頻繁にやり取りを行う関係性の子ではないので何事かと確認しますと、どうしてもノギちゃんに会わせたい人がいるから明日の都合が付かないか、という内容で、翌日は偶々予定もなかったものですから、暇だから構わないよと返事をしました。最初は何故そこまで私とその人を引き合わせたかったのか不審を抱きましたが、その理由は彼と会って直ぐに分かりました。

 待ち合わせのカフェに向かいますと、昨日に連絡をくれたクラスメイトと、他校の制服を着た、平均よりも少し背が高い位の細身の男子がいました。クラスメイトは、彼とは通っている塾の夏期講習で同じクラスになって授業終わりに時々会話をする仲なのだ、と私に説明をしました。濃藍色の爽やかな短髪を七三分けにして、最近人気のアイドルを真似たようなおちゃらけた格好ではなく純然とした様子で、彼が着ている制服は私の通う学校よりも数段学力の高い高校のものだと判断が付きまして、成程道理で、と腑に落ちました。私の身の回りにいる、変に不良ぶって馬鹿みたいに燥ぎ回る輩とは違い、落ち着いて大人びた性格のようでほっと安心します。私はこれまで、ひとりだと大して偉くもないのに、数人で群を成すことで己が強くなったと錯覚して威張り散らす同級生を散々相手にしてきて、うんざりしていたのです。

「初めまして識別番号:78c1です、宜しく。」

 彼の挨拶を聞いた瞬間、私は息を呑みました。まさか聞き間違いではないかと自分の耳を疑うこともしました。彼が口にしたナンバーは、信じられないことに私の識別番号:79c1とたったのひとつしか違わないのです。目を丸くして唖然とする私の隣でクラスメイトが、どうです驚いたでしょう、としたり顔を満面にしてこちらを伺いますが、その時点で既に私の頭からクラスメイトのことは完全に意識の外へ放り出されていました。

 若者の間では、識別番号が近い人同士はやがて結ばれるというジンクスが流行していました。教室の数名は根も葉もない風説に取り憑かれてゴシップに夢中になり、あの女子は何番と付き合っているらしい、その男子は何番に想いを寄せているらしいなんて情報を何処からか目敏く仕入れてきまして、好き放題に人の恋愛を嗅ぎ回って、その人の秘め事をエンタメかのように消費する癖に更々悪怯れずにいるのです。何でも兎角理由を並べて恋愛沙汰と結びつけたがる同年代たちは、夢見る乙女の皮を被った貪欲な肉食獣みたいで、日常に刺激を求める習性を備えており、連日似たような話題を持ってきては黄色い声を上げて盛んになる彼女等を、私は何処か冷笑的な態度で眺めていました。但し、そうして斜に構えている私自身、三桁も番号が一致する人とは未だ嘗て遭遇したことがないというのも事実でした。

 そのような恋占だとか俗信めいた噂話だとかに一切の興味がなかった私でさえも、彼との出会いは運命の巡り合わせのように感じました。これまでの私とは対極に位置していた恋愛体質的思考に、たったの一日で翻意してしまった自分が情けなく、今まで十七年間の月日を掛けて築き上げた自我を跡形なく喪失した気分になり、然しそれは彼もどうやら同じ感覚だったようで、二人の間には単に互いの番号が近いから、だけでは言い表せない共鳴があったように思います。私たちは初めて会話をしたその日のうちにすっかり打ち解けて、連絡先を交換し、今度は二人で遊びに行こうね、と言ってどちらからともなく約束を交わしたのも、それから数日も経たない頃でした。私と彼は会う度に驚くべき速度で親密になり、最近はやけに機嫌が良いじゃない何かあったのでしょう?と邪推をしてくる母を然り気無く躱しながら年頃にお洒落を覚えて、一夏の間に私の人生が一変したようでした。

 私は人から、当たりが強い性格と度々評されることがあり、それについては私も早急に正さねばならぬことを承知しています。然し頭では分かっていても直ぐには治らないもので、ふとした瞬間に毒気が顔を覗かせて、相手につい攻撃的な言葉遣いをしてしまったあとに自己嫌悪に陥るのです。ところが彼の側にいるとどうしてか心の棘をすんなりと納めることができて、平穏な心持ちを保てる訳で、それからというもの私はぐんと社交性のある人柄に様変わりしました。又、彼にもその話をして、最近気持ちが滅法穏やかになって交友関係が好転しましたのは偏に貴方のお陰よどうも有難うとお礼を述べますと、実は君と出会ってから僕の内面にも変化が訪れたのだと言います。元々引っ込み思案で行動力の伴わなかった僕が、君の活力に影響を受けて生活が見違えて良くなった、これ程に喜ばしいことは他にない、なんて嬉しげで、続けて、僕等がこうして睦まじく遣れているのも地球の引力による仕合せな気がするのだ、と真面目な顔をして話しました。彼の超自然主義らしい発言は私にも何となく理解が及んで、磁石の異なる磁極同士が引き寄せられるように、私たちは成る可くして惹かれ合ったのです。

 夏が終わる前には私たちは既に恋仲となり、それをクラスメイトが、さも一大事かのように話して回るものですから、例のジンクスがより信憑性を帯びて学校中に広まったことは言うまでもない話です。


 買ってきた餃子の皮に、挽き肉と白菜とニラを混ぜ合わせた具を適量乗せて、丁寧に包んでいきます。軽く濡らした指先で皮の縁をなぞって湿らせ、半月状に折り畳んでから襞を作って閉じ込み、調理中に中身が飛び出さないようにします。旦那はこういったときに決まって手際が悪くて、不器用で細かい作業を苦手としており、私が二つ三つと次々に餃子を包むまでに歪な形の一個と格闘していました。特に襞を幾重に付ける段階で苦戦しているようで、ひとつの餃子に長時間掛けて遣るものですから端が破けてしまっています。私が「タネは沢山乗せ過ぎずに、あまり力を込めないで大きく襞を作るのがこつよ。」と助言しますと、成程有難う遣ってみるよ、と気合十分に答えて、然し相も変わらずに不細工な餃子を製造し続けていました。

「ジジったら全く、パソコンやお勉強は得意なのに、手先を使うお仕事はからきし駄目ね。」

 私は呆れて、手元をべとべとに汚して餃子を包む旦那に向かって言います。旦那は同じ年代の人等と比べたときにファッションがやけに古臭くて、仲間内から「ジジ」と揶揄われており、私もふざけてそれを真似ているうちにすっかり馴染んで、今ではそう呼ぶのが当然になりました。彼は潰れた餃子を手のひらで隠しながら、不貞腐れた表情を見せて反論します。

「それはそうだけれども、形が多少崩れていても餃子は美味しく食べられるのだから問題はないでしょう?」

 確かに御尤もな言い分で、私はひとつ頷いて同意を示し、自分の作った餃子の形を整えます。二人でこれは綺麗にできた、それは失敗だ等と言い合いながら、やがて一枚の大皿に収まり切らない程の餃子が完成しました。一目見ただけでどちらのお手製のものか丸分かりで、私がふふと笑いますと、彼は又不貞腐れた顔でそっぽを向きました。私はそれが楽しくて、旦那も表ではふんと鼻を鳴らしますがやはり心の内で楽しんでいるようで、彼はいつも苦手だと言いながら腕を捲って料理を手伝ってくれるのです。

 時刻はもう二十七時になります。お腹もだいぶ空いてきました。早く餃子を焼いて、寝室で休ませている一身もこちらに連れてきて、もう直ぐ夕食にしましょう。窓の外を見やると雪の勢いは帰宅時よりも更に激しさを増して、強風に煽られて横殴りに乱吹いており、いつも見える景色はホワイトアウトして、隣のアパートの輪郭がぼんやりと分かるだけになっていました。私はカーテンを締めて、部屋着の上からもう一枚羽織ります。

「もうこんな時間。一日は短いね。」彼がぽつりと言いました。

 私は油を引いたフライパンに餃子を整列させながら、そうね、とだけ呟きます。意図せず、変にしんみりとした口調になってしまいました。コンロを点火して強火に調節し、ちろちろと揺らめく蒼炎をじっと見つめます。

 私は毎日、その日の終わりが近づくと、急激に寂しさが込み上げてきます。どうして一日は三十二時間しかないのでしょうか。どうして一年は十六ヶ月しかないのでしょうか。幸せで充実した日々がこんなにも早く過ぎ去ってしまう。何もかもが昔の出来事となって色褪せていき、気が付けば全て終わっていく。今の満ち足りた一幕をどうか永遠のものにしたいと無闇に藻掻いてみましても、甲斐も虚しく時間は止まることなく進み続け、私は遂にどうすることも叶わず、無力感に打ち拉がれるのです。まるで何度掻き集めて掬い上げようとしても指の隙間から擦り抜けてしまう浜辺の砂粒みたいに、最期には何も残らないのです。私も旦那も、私がこれまで紡いできた物語も詩も、何ひとつして残らないのです。私の元に幸せが訪れる度に、それが跳ね返って、これからお前は今までに手に入れた幸せをひとつ、またひとつと失っていく絶望が待っているのだと宣告されているように感じて、全身が哀切に支配されて苦しくなり、息ができなくなります。

 もしも人生が今よりもっと長ければ、私がこのような感情に囚われることもなかったのでしょうか。少し考えて、きっとそんなことはないのだと否定します。欲望なんてものはどれだけ満たされたとしても忽ちに次弾が装填されて、それが満たされても更により大きな欲求が立ちはだかり、己の人生との鼬ごっこが繰り返されていくだけなのです。寿命が増えたところで、問題をぐずぐずと先延ばしにするだけ。物心が付いたときからそうして理解している積りでいましたのに、それでも尚あれも欲しいこれも欲しい、一秒でも長く生に縋り付いていたいと渇望する私は、恐らく生き方を何処かで間違えてしまったのだと思います。

 そのとき旦那が「ノギちゃん!」と大きな声を出して、我に返りますと、台所一帯に白い煙が充満しており、嫌な臭いがしました。あっ、と咄嗟に火を止めたのですが既に手遅れで、折角二人で作った餃子が、フライパンの上で黒焦げになっています。私が綺麗に見た目を整えた餃子も、彼が一生懸命包んでくれた不思議な格好をした餃子も全部、たったの一瞬で台無しになってしまったのです。嗚呼、私はなんて馬鹿なのだろう、こんなことをしては、もう餃子たちは焼く前の姿には戻れないのだ、一度起こってしまった失敗は決して払拭されないのだ、と考えますと私は堪えきれなくなって、次々と涙が溢れ出てきました。こちらを見て心配そうにしていた旦那がぎょっとして駆け寄り、私の背中を優しく擦ってくれます。

「大丈夫だよ、ちょっと焦げてしまった位だから。ほら、これ見て僕の作ったやつだよ、これなんて美味しそうに焼けているじゃないか。」

 そう言って真っ黒になった餃子をひとつ摘み上げて口に放り込み、旨い、と顔を綻ばせます。君も食べてごらん、と比較的綺麗なものを見つけて私に寄越し、一口だけ食べて、本当だ美味しい、とだけ辛うじて言葉にして、すると涙が止まらなくなったので、わんわんと声を上げて泣きました。彼は私に対する無償の情愛を惜しむことなく注ぎますので、それが余計に悲しくなって、彼の体を強く抱きしめます。そうして胸元に顔を埋めてずっと泣いていました。私は泣きながら、昔の記憶を思い返していました。

 母親は自分の料理上手なところを誇っており、私が母を手放しで褒められる数少ない長所のひとつで、鍋ごと料理をひっくり返した母の失態を目にしたのは、後にも先にもその一度だけでした。がしゃん、と台所で大きな音がして、「どうしたの?」と訊ねて見に行きますと、夕飯になる予定だったシチューが床に撒き散らされており、母自身が一番驚いている様子で、呆然としてその場に立ち竦んでいました。

 私もそうでしたが、母も内実は父親に怯えていたのではないか、と今でも思っています。それについて何か確証がある訳ではなく、母は普段から神経の図太い性格で、他人の言うことを気にするタイプではありませんでした。然し、長年二人の関係性を一番近くで見てきた私は、夫婦間にある絶妙な距離感を何となく察知していました。いつも無表情で一言も発さずに何を考えているのか読めなくて、時折私たち家族にぞっとする程の冷徹な眼差しを向ける父の真意を汲み取れた試しなど一瞬たりともありません。共通の趣味も、気が合う部分もなく、互いに尊敬の念を持ち合わせているのかさえ定かでない両親が、一体どのような経緯で知り合って、相手を生涯の伴侶と決め、結婚をするに至ったのか私には終ぞ明かされぬ儘、それを知る手段は失われてしまいました。

 ですからシチューを盛大に溢してしまったその日の母親は、父に自分の失敗を何と思われるのか気が気でならなかった筈です。父親が帰宅して直ぐに、御免なさい今日は疲れていて失敗しちゃったの、急いで作り直しますから、と必死に弁明する母の背中はいつもより一回り小さく見えて、不憫な人だ、と憐れに思いました。父はそれを見て何も言わずに又出掛けていき、母は愈々蒼白な顔で嗚咽を漏らしてその場に崩れ落ち、母が余りにも緊迫した様子で狼狽えるものですから、もしかすると父は二度と帰ってこないのではないか、なんて考えが過りました。然し数分もしないうちに再び戻ってきた父は、その手に三人分のお弁当を提げて、気にするな、とだけ短く答えたのです。

 母は、その後三十九歳で亡くなりました。大往生でした。私が成人を迎えた年に、病院の一室で私と先生の二人に看取られながら、安らかな顔をして死にました。先生が無機質な表情で「識別番号:6148さん、御臨終です。」とだけ言って、私も現実を粛に受け入れます。母の生前は喧しい部分ばかりが目について嫌で嫌で仕方がなかったのに、しんと静まり返った家に帰ってお風呂に入っているとき、母親との毎日が一斉に思い返されて、母が死んでからやっと私は母の愛を一身に受けていたことに気付き、激しく慟哭しました。湯船に顔まで浸かって、遣り切れない気持ちを一晩掛けて溶かしました。父は、母の葬式の翌日に忽然と行方を晦まして以来会っていません。警察に届を出して、街中に張り紙を出して捜索しましたが、全て無駄でした。


 彼の腕の中で落ち着きを取り戻して涙が止みますと、今度は入れ替わりで羞恥が押し寄せてきました。この歳にもなって、料理を失敗しただけで旦那に泣きつくなんて、本当に情けない話です。私はいつも旦那の優しさに甘えてばかりで、それでも許してくれる彼に依存してしまうのです。

「急に泣き出して御免なさい。もう大丈夫よ、有難う。」

 そう言いますと、彼は私だけに見せる笑顔を見せて、頭をゆっくりと撫でてくれました。彼の手には、出会ったときよりも遥かに多くの皺が刻まれていて、手だけでなく顔も背中も年相応になって、私たちにも徐々に終わりが迫ってきていることを予感させます。彼は一頻り私の白髪だらけになった頭をくしゃくしゃに掻き回したあと、皺だらけの人差し指で私の目元を拭って涙の跡を拭き取りました。彼のことをジジ、なんて冗談めかして呼んでいたのはもう昔の話で、今となっては二人とも、お爺さんお婆さんという言葉がすっかり似合う容姿になっていました。

「ノギちゃんったら、君はとても素敵な文章を書くのに、涙脆いところはからきし駄目だね。」

 彼はさっきの仕返しだと言わんばかりに、にやりとして私を小突きます。私は少し笑って体を密着させて、彼の温もりを確かめました。その姿勢でじっとしていると、二人の鼓動が規則正しく脈を打ち、それよりも速い速度で時計の針がかちこちと音を鳴らすのが聞こえます。今にも止まってしまいそうな弱々しい脈拍だ、と思いました。

 旦那と二人で暮らせる時間はあとどれ位あるのだろうか、と時々指折り数えることがあります。ひとりで過ごす長い夜が心細くて、カレンダーを見ながら私たちに残された時間を計算して不安を解消しようと試みて、数えている途中でそれ程多くないことを知り、総毛立つまでに怖くなって慌てて中断するのです。膝を抱えて布団に包まり、気を紛らわせるために意味もなく明るい歌を無理に歌ってみようとしましても、声が震えて上手くいかず、然し睡眠薬の効果で昏々とすることもなく、その儘布団の中で体を丸めて朝を迎えます。暫く前までは、敢えて睡眠薬を飲まずに眠りに就くようにしていた時期もありましたが、それも又貴重な時間を無駄にしているように思えてしまって、また直ぐに服用し始めました。

 私たちの平均寿命は、凡そ三十歳から三十五歳前後だとされています。或いは、十代までに片方の身体を特殊な方法を用いて殺せば五十近くまで生きられるようになります。その方法とは、分身の頭部を生きた儘切開して脳の一部を摘出し、自分の頭蓋を抉ってそちらに移植するのだそうです。私たちは成人する直前に寿命を伸ばす手術を受けるかどうか問われますが、最終的に半身を生贄に失う決断をする人は殆どいません。それもその筈、単純計算でα体とβ体とを足し合わせて二倍の活動時間が確保できる訳で、尚且つ学生の間に二つの肉体を持つ利便性を存分に堪能しているのですから、大事な体をひとつ捨ててまで長命の恩恵を受けたいと願う人は極稀です。私も多数派の考えで、元より自分の人生を長く生きたいとも思っていなかったものですから、婚約中であった彼とも相談して、三十歳になったら二人で仲良く天国へ行こうねと約束をしたのです。私と同年代の人で自分を亡くす決意をしたのはトモちゃんひとりだけで、不思議に思って、折角二身とも綺麗なのにどうしてなのか聞きますと、彼女は「同じものは二つも要りませんから。」とだけ言い、少し俯いて寂し気に笑っていました。間もなくトモちゃんは、人類が突然変異を起こす前の、一身だけの状態になりました。

 二十歳を超えてから、急速に老化が進みました。仕事が軌道に乗ってきて都会の外れに小さな家を購入し、今こそが人生の最盛期だと高揚していた矢先のことです。筋力が低下して学生のうちは平気だった運動が少しずつできなくなっていき、目が霞んで体の不調が増え、更には母の死という出来事が重なって、自らの終焉が身近にある気配を嫌でも意識させられるようになりました。そうして今になって死ぬ覚悟が決まらずに、毎晩悲しみに暮れて夜を明かすのです。


 台所で二人抱きしめ合った儘、私はお料理も途中で投げ出して何をしているのだろう、と考えますと、今の状況が可笑しく思えてきて吹き出しました。そして彼の背中に回している腕を解くふりをして、無防備に気を緩めている彼の脇腹をくすぐります。

 不意打ちを喰らった彼は、ぐははと奇声を上げながら身を悶えました。弱る相手に対して私は追撃の手を休めることなく執拗に側腹部を狙い、笑い転げる彼を壁際まで追い詰めて、袋の鼠となった彼が「あははは、もう降参。やめてやめて。」とお手上げのポーズをします。私は彼よりも強くなった気がして、「やっぱり貴方の方が、からきし駄目よ。」と勝ち誇って言います。ひいひいと肩で息をする彼が上目遣いでこちらを見つめて、この人はお爺さんの見た目になったのにいつまでも魅力的で、私は最期の最期までジジに恋をした儘死ぬのだと思い、ぐっと顔を近づけて唇を合わせました。二人とも老いで皺苦茶になった唇は張りがなく乾燥して、仄かに餃子の香りがしました。私はいつまでもこの儘でいたいと密かに祈りを捧げましたが、そう希求するも束の間、彼はそっと口を離してしまいました。「お腹空いたね。一緒にお弁当でも買いに行こうか。」彼は笑います。釣られて私も笑顔になりました。

 先程仕舞ったコートをもう一度羽織って、付着していた雪が溶けて少し湿っているブーツに足を入れます。彼もスニーカーを履いて財布をポケットに突っ込み、さっきよりも雪が収まっていたらいいね、と言って玄関の戸を開けますと、そこは十畳程の広さをした待合室の空間でした。




「上原かず子さん、6番ルームまでお越しください。」

 そこで、私ははっとして顔を上げます。周りを見渡すと何人かは、ぼうっと宙に目線を彷徨わせる私を心配の眼差しで見つめていました。何故でしょうか、頭が朦朧として意識がはっきりとしません。

「お母さん。ほら、診察室行くよ。」

 眼前に座っていた女性が鞄を掴んで立ち上がり、私へ一言呼び掛けて腕を引き、先を行きます。私は彼女に連れられる儘に後ろに付いて、白一色の廊下を歩いて進みました。

 6番ルームは、待合室を出て一番遠くにある診察室でした。私を先導していた女性が扉をこつこつと二回ノックをすると内から「どうぞ、お入りください。」と声がします。私は失礼致しますと返答しながら入室します。そこには白衣を着て、聡明な顔立ちをした先生がいらっしゃいました。真剣にこちらの様子を確認しますと、手元のカルテに何やら書き込んでいます。

「お母様、ご自身のお名前と娘さんのお名前は分かりますか。」

「ええ、勿論です。私は識別番号:u+79c1で間違いありません。

 娘の方は、ええと、慥か5a18かしら?それとも5b50?どちらだったでしょう。御免なさい、少々待ってくださいね、いま思い出しますから。」

 すると、女性は途端に青褪めた顔をしてわなわなと震え出し、頭を抱えました。先生は一際深刻な表情を見せて、女性に話します。

「お母様の認知症は、かなり危険な状態まで進行しています。きっと何かの小説か、若しくは空想の世界に入り込んでしまって抜け出せずに、我を忘れてしまっているのでしょう。」

 我を忘れるですって、とんでもない。私はどんな世界線に於いても自分を見失ったことは一度もないのです。



(上原かず子 著作『空想物語』より)

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ノギ @Hitonosu

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