ノギ

@Hitonosu

(前編)

『ノギ』


(前編)

 病院の待合室は、日頃の例に漏れず大変な混雑具合で辟易とします。十畳程の広さを持つ長方形の空間に並べられた二列の長椅子には、人と人とが互いの肩が触れ合う距離でぎゅうぎゅうに詰めて座っており、着座の権利を勝ち取り損ねた数名が、脇の壁沿いに並んで凭れ掛かっています。その内の更に若干名は、立たされるなんて慣れていますので全然平気ですよと言わんばかりに平静を装いつつも時折ちらちらと腰掛けに視線を遣り、隙あらばいつでも長椅子を我が物と占領して足を休める目論見でいる様子で、私の目にはその仕草が嫌に下卑た所作に映りましたので、私は彼等のようには決して成るまいと腹に決め、然りとて心の中でけちを付けたところで何も変わることはありませんから、そこで退屈そうにしている人達に倣い、壁際にそっと寄り添うようにして大人しく自らの名が呼ばれるのを待つのです。

 入口から直ぐ近くの空間を自身の定位置と決めて陣取り、少々身を捩って安定した姿勢を模索します。厚手のダウンコートが摩擦する衣擦れの音に、隣にいる長身の男性が僅かにこちらへ首を巡らせましたが、直ぐに興味を失ったらしく手元の携帯端末に目線を戻します。私に他人のプライベートを覗き見て愉悦を覚える趣味は毛頭ありませんが、彼が携帯機器を操作する指先が丁度私の顔の高さで、意識せずとも液晶画面が視界に入ってくるので参りました。私は何だかばつが悪くなって、自分の端末を取り出してこれでお相子様とでも言ってやろうかと逡巡し、然しそれも取り止めて俯き加減で静かに黙っていることにしました。ついでに音の流れていないイヤフォンを耳栓代わりに装着して、私の精神を煩雑とした密室空間から隔離し、これでやっと一人の世界に集中できます。

 私は毎週この待合室に訪れる度に、狭苦しいのは詮方のないことと割り切れましても、もう少し内装に気を遣うことは出来ないものかとてんで嫌になります。真っ白な石膏の壁というのは安っぽいウォールペーパー等に比べるとそれなりの気品を備えていますが、一面中がそればかりでは飾り気がなく単調で遊びが足りません。天井に剥き出しで吊り下げられている昼白色の蛍光灯が下品な眩さを煌々と瞬かせているところも、私の気を大いに滅入らせる要因として挙げられます。先日までは入口扉のすぐ隣に、申し訳程度に小振りな花瓶がひとつ置かれていて、白色ばかりの室内に極僅かな彩りが添えられていたのですが、どうも入口付近にこんなものがあっては邪魔になると苦言を呈した人がいたようで、いつの間にか撤去されていました。そうしていよいよ完全なる白一色で埋め尽くされてしまった部屋はまるで詰まらなくて、頬が痩せぎすにこけて血色も悪くなった患者の顔色のようで、病院の癖に病的さを助長しているみたいでほとほと呆れます。同じ白でも、どうして外にしんしんと降りしきる細雪の方がよっぽど綺麗で、切なげで、何と愛しく思えるのでしょう。適度に暖房の効いた病院の一室よりも柔らかな雪のひと掬いの方が遥かに潜在的な温もりを宿しているのは、自然の神秘ともいえるのです。

 ただ、このような無味乾燥とした待合室に放り込まれて我慢比べを強いられたところで、私はさして苦でもありません。何せ、待つのは幾分か得意な方ですから。そこには暇を弄するための話し相手も長編の文庫本も要りません。仮に砂漠の中心地点に私を突き落として、ちょっとここで一日ばかり時間を潰していろと言われましても、はいそうですかと澄まし切った顔で一言返して、仰せの儘にしてやります。これに関して私が誇張をしているだとか強がりを言っているのだとか思われる方もいらっしゃるかもしれませんが決してそうではなく、私が確信を持って言い切れるのは、自身が人一倍に考え事をするのが好きな性分であるところに所以します。

 私が一度思考の国へ意識を委ねると、それは永く果てのない旅路になります。脳内で繰り広げられる空想上の冒険は誰に妨げられることもなく、私は気の赴くまま目一杯に想像の翼を広げて脳内を縦横無尽に飛び回るのです。職業病とも言えるかもしれません。内容に至ってはその都度によってまちまちで、私たちの住む世界とは道理の異なるファンタジックな妄想に駆り立てられる場合もありますし、或いは現代の哲学思想に一石を投じるべく徐ろに息巻いている日もあります。一時間や半日を当たり前に思考の国で過ごして、現世に持ち帰った旅の断片を愛用の万年筆でメモ帳に書き留めて、清書があって、推敲を経て、やがて一編の詩や叙情小説やエッセイという形式を採って世間に公開されるのです。つまり私が考え事に耽るには確固とした動機があり、それは新たな表現の探求であり、自分を自分たらしめる根幹部分であり、ライフワークであるということです。

 空想は最も手近で、かつ際限のない変幻を展開する娯楽です。自らが織り成す頭の中に広がる世界は、私の指先ひとつで、いや何なら小指さえ使わずとも容易く操ることができます。折角自在に思考できる能力を生まれながらに具有し、これに没頭せずして何と致しましょう。私は暇さえあれば、他の誰であっても介入することのできない私だけの世界に浸っていたいと願うのです。そうして半永久的な宇宙空間をふわふわと漂って、気の済むまでそうしていたいと思うのです。然し実際はそうも言っていられぬもので、日常生活はあの手この手を使って私を現実世界に連れ戻し、仕事や、家事を使役して私を拘束してきます。私は苦心してそれらを熟すのですが、何遍片付けても翌日、また翌日には徒党を組んで襲い来るため、何時になっても安息が得られることはありません。全く、日々の多忙さとは自分の体が二つあったとしても足りないと感じられる位です。




「識別番号:79c1さん、6番ルームまでお越しください。」

 上部に備え付けられたスピーカーから、マイクの電源を入れるザザッという雑音と同時に館内放送が流れて私の名前が呼ばれ、はっとして顔を上げます。周りを見渡すといつの間にか待合室で待機している人数は随分と減り、長椅子はまばらに空きがある状態になっていました。時計を確認すると、待合室に入ってから既に三十分が経過していて驚きます。何人かは、座席が空いているにも関わらず一向に座ろうとしないで、ぼうっと宙に目線を彷徨わせている私を奇異の眼差しで見つめており、私は少し恥ずかしくなって、半ば逃げるような形で退室しました。

 6番ルームは、待合室を出て一番遠くにある診察室です。これ又白一色の詰まらない廊下をぐんぐんと突き当りまで進んでいきます。途中ですれ違った看護師の女性はちらと見ただけで分かる程に疲弊し切った顔色をしており、可哀想に首を垂れて萎れていました。私は心の中で労いの言葉を掛けて、お大事になさい、と小さく呟き、ふとこれでは一体どちらの立場か分からぬと独りごちました。

 目的の部屋の前まで到達し、こつこつと二回ノックをすると内から「どうぞ、お入りください。」と声がします。失礼致しますと返答しながら入室しますと、カルテを片手にどっかりと腰を下ろした先生の後ろで数名の看護婦が慌ただしく往来して、あれやこれやと動き回っています。皆一様に生気の失ったような顔をしていました。

「先週から、お変わりはありませんか。」

 看護師たちがすぐ後ろで忙しくしているのを一切気にも留めない様子で、丸顔にたっぷりと顎髭を蓄えた少々小太り気味の先生が、くるくると所在無くボールペンを回しながら私に質問をします。いつもと同じ先生ではないのかしらと訝しみ、胸元のプレートを確認すると「識別番号:533b.β」とありますので、同一人物であることが分かります。α体の方が整った顔立ちをしていて私の好みだな、なんて下世話な考えが一瞬過りました。

「はい、問題ありません。」

 私は、少しばかりの気丈を混じえて答えます。本当は以前にも増して日常的に眠気が酷くなりつつあるのですが、下手に正直なことを言ってしまうと薬を処方してもらえない可能性があると友人が話していたからです。仕事が多忙な今の時期に薬が貰えないと死活問題に繋がりますので、ここで嘘を付くより他に方法がありませんでした。

「分かりました。では今回もα体とβ体の睡眠薬を一週間分お出しします。もし身体に異常がありましたら、ご不便かも知れませんが直ちに服用を止めるようお願いします。」

 先生は額の汗を拭って、もう結構ですと言わんばかりの素っ気無い態度で扉を指差し、退室を促します。私も有難うございました、と形式だけのお礼を済ませてから立ち上がり、そそくさと診察室を後にしました。

 毎度毎度、簡単な問診をするだけで一体何が分かるのだろうかと少しばかり心配になります。今しがたも私の不調を見抜けずに安安と睡眠薬を処方している訳ですから、そのようではいけない、貴方の判断には人命が懸かっているのですよと無闇に説法をしてみたくなります。尤も、今日に至っては私が嘘を付くのが悪いので彼に非はありませんが、それにしてもあの先生はいつだって仕事が少し粗雑な気がします。

 睡眠薬というと、つい十数年前までは一般に不眠症の患者が服用するための、睡眠を誘発して寝付きを良くする働きを持つ睡眠導入剤を指したそうです。ですが現在では専ら、一日に一錠飲むだけで七時間相当の睡眠を取るのと同様の効果が得られて、その日を寝ずに活動できるようになる睡眠補完剤のことをいう場合が殆どでしょう。

 睡眠補完剤が開発されたという旨のニュースが大々的に報道された当時、私はまだ十代も前半幾許の年齢でしたが、世界中が衝撃を受けていたことを朧気に覚えています。私は元来、他の何事を差し置いても寝るのが大好きという健やかな子どもで、それ故に睡眠時間を削ってまで大人たちは何がしたいのやら達観した気でいました。今だからこそ過去の自分を評価しますと、私は何処までも見通しの甘い、文字通りに夢見がちな少女だったのです。時間というものは有限で、命のあるうちに後悔の残らぬよう過ごさねばならないということを、何も理解していませんでした。

 その頃の薬剤は今よりもずっと貴重で高価なものでしたから、世間では富裕層にのみ服用が許された幻の秘薬という扱いを受けていた印象があります。我が家はさして裕福な家庭とも言えぬ境遇でしたので秘薬の恩恵に与ることもなく、「あの薬さえあれば私たちだって品位のある暮らしができますのに、資本主義はこうですから全く善くないのよ。」と譫言のように頻りに愚痴を零す母に、私は冷ややかな感情を抱きました。今まではそれが存在せぬものとして粛々と暮らしてきた癖に、眼前に餌をぶら下げられて、又それに喰らいつけぬと悟った途端に、賤しくも欣羨と嫉妬を露わにする業の深さに酷く失望したのです。何と醜いことでしょうと軽蔑さえしたのです。然しそれから暫く経った或る日に、私が信奉していた中学の教諭が教壇に立ち、言葉遣いこそ上品なものの、結局は身分が物言う訳ですから諸君らも何としましても安定した職に就いて云々…等と続けて、母がよく口にするような文言を使って講釈を垂れるのを聞いて、人間とは存外その程度の生物かも知れぬと思い至りました。

 睡眠薬が中流階級にまで広く普及し始めたのは、それから暫く経って五年近くが過ぎた頃でしょうか。医療技術の進歩とは素晴らしいもので、より安価に量産する手段が発見されて以降は市場への供給が格段に上がり、我々一般市民にも手が届く値段で提供されるようになりました。副作用の懸念から二十歳未満は服用を禁止されており、又成人であっても処方には医師の判断が必要とされるため、子どもは今までと変わらず夜に寝て朝に起きる習慣を守り、大半の大人たちは週毎に睡眠薬を貰うべく病院へ足繁く通うこととなったのです。私の両親も当然が如く睡眠薬の使用者となり、決まって月曜日には、ちょっとお薬を買ってきますから、と言いつけ、刻み足で出掛けていくのでした。然し、それも最初の内こそは「お薬を一欠片飲んだだけなのに、その瞬間に眠気がふっと消えてしまって、気分が底から溌剌とし始めて、これを革新的って言うのかしら。貴方も成人を迎えたら、是非にこれを飲むと良いわ。」なんて上機嫌で語っていたのですが、一ヶ月もしない間に「あの病院は混み過ぎるから駄目。電話で予約をしたときはそんなに時間も掛かりませんと言うから私はすっぴんで行ったのに、私よりも後から後から人が来て、一時間も待たされるなんてちっとも思わなかったから、とんだ大恥よ。先生だってお愛想がなくて、つんとしていて、何だか変に取り澄ましているみたいで嫌な人よ。」と散々なのです。これを聞いて私は、つくづく救いようのない母だと閉口しました。

 斯くして、私たちの生活に甚大な影響を与えることとなった睡眠薬の存在は社会へ浸透して直ぐに日常へ溶け込み、次第に有り難いものからなくてはならないものへと変遷したのです。睡眠時間こそが至福のひとときと重宝していた私自身も、成人を迎えて、薬剤を初めて服用したその日から薬が手放せなくなり、お恥ずかしながらも今に至っては健康状態を誤魔化してまで頼り切りの調子となりました。


 睡眠薬を処方してもらって帰路に着く頃には、時計の針が二十四時を少し過ぎた辺りの時刻を示していました。今日はいつもより早くに病院を出られたので、これならば多少の寄り道をしても日付が回るまでには余裕を持って自宅へ辿り着けるだろうと見通しを立て、薬の入った鞄をがさごそと揺らしながら鼻歌交じりに雪道を歩きます。つい先程、今月中に終わらせたかった書き物の仕事も丁度一区切り着いたところで、正確には私というよりも主にβ体の方が済ませた業務ですが、夕飯は少し奮発して好きな料理でも買って帰ろうかと思案して、それだけで私は胸を躍らせる心地になるのです。

 私と旦那の共通の好物となれば先ずは厚切りの牛ステーキが思い浮かびますが、肉を購入する心積りならば帰り道に背を向けて、自宅とは逆方向に向かわねばなりません。私が贔屓にしている精肉店は現在地から若干の距離がありますから、車も無しに肉を担いで寒空の下を歩くのは少々気が引けます。牛肉を買っていくのは辞めにして、他の候補を考えますと、私としましては魚介の刺身もステーキに負けず劣らずの好物です。然しながらこれに至っては旦那がどうしても食べたくないと駄々をこねます。如何せん火の通っていないナマモノが苦手なのだそうで、何処へ外食に行っても頑としてこれを口に入れようとしません。では、この季節ですので、鍋にしてしまうのも良いかとも考えましたが、家の冷蔵庫を思い返してみると鍋の具材に足るものはあまり残っていなかった気がします。野菜に鶏にしらたきにと次々買ってしまうと嵩張りますので、それも大荷物になって厳しいかしらと中々献立が決められずにいました。

 やはりここは一身で調達するのを諦めて、一旦職場へ向かってから仕事終わりのβ体と合流し、手分けして食材を運ぶのが最善でしょうか。労働後のβ体に荷物を持たせるのは気の毒に思いますが、明日は代わりにα体で出勤することにしましょう。私はくるりと方向転換をして、出版社が事務所を構えるオフィスビルへと足を向けます。

 二日ぶりに顔を合わせる私の分身は連日の執筆作業を経て大分窶れた顔付きで、我ながら痛ましい見附に惻隠の情を覚えました。身体同士で疲労感の伝達はできませんから、まさかここまで困憊しているとは思いませんので、この状態で更にβ体を酷使するのは躊躇われましたが、もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせてへとへとの体に鞭を打ちます。そのまま最寄りのスーパーマーケットに寄って、悩みに悩んだ挙げ句に精肉コーナーにて挽き肉が割引されているのを発見してやはり中華にしようと決断し、餃子の皮と一緒に籠の中へ放り込みました。この時間帯は就業後のサラリーマンで混み合いますので、私は皆様方より一段と疲れていますのでどうか先を譲ってくださいませんかと独善的な言い分を心内で呟き、私のこういう側面はどうして母に似てしまったのでしょうかと悲嘆し、二つの肉体で持てるだけの食材を購入してやっと家路に着きます。地面を突き刺すような街灯の白い明かりが堆積した雪に反射されて、巻雲の懸かった夜空を薄ぼんやりと照らします。物を詰め込みすぎて今にも千切れそうになっているレジ袋の持ち手を、私ともう一人の私とで片方ずつ分担して掴んで持ち上げ、えっちらおっちらと雪道を歩く様は、傍から見ると滑稽に映ったかもしれませんが、この期に及んでそんなことは言ってられません。私はα体とβ体を上手く連携させて、今日最後の一仕事を遂行します。


 人は通常、一人に付き凡そ二つの肉体を生まれ持ちます。胎児が母体から出産されるときに、一本の臍の緒から桜桃のように分岐して繋がった一対の赤子は、それぞれが独立した感覚器官や神経系を持ちながらも、思考回路や記憶を共有します。そのため、見かけ上では二人いても戸籍上は同様の人物という扱いを受け、役所へ出生届を提出した際に、一対の新生児に英数混合四桁から六桁までの識別番号が発行されます。両親はそれを受けて赤子を片方ずつα体、β体と呼んで区別するのです。

 α体とβ体は基本的に、体格や容姿ですとか運動能力といった類の後天的な影響を受ける箇所には成長の過程で差異が生じる場合が殆どです。ですから我が身と同一の分身と言いましてもドッペルゲンガー宜しく、写し鏡のようになる訳ではありません。私も二身同士で身長に十センチ以上の違いがありますし、うちの旦那に至ってはα体だけをジムで鍛えているものですから、方や筋骨隆々な強面の男、方や神経質そうな黒縁眼鏡といったアンバランス具合で、それが大層面白くて仕方がありません。α体とβ体で得意とするものも変わってきますので、故に皆は小さいうちから体育の試験は運動が上手な方で受ける、気になる異性へ想いを伝えるときは顔立ちに自信のある身体を使う等といった処世術を学んで育ちます。

 但し、先に述べた摂理に沿わない人というのも幾つか存在します。例えば私の数少ない友人の一人に670bというものがいますが、これが外見の似通った儘に成長をした珍しい女性で、而もそれが相当な美貌を兼ね備えた佳人ときました。同性の私でさえ思わず見惚れる程に端整な造形をしていて、或る男が一対の彼女を「貴方の美しさはまるで、夜空に一際明るい輝きを齎す皓月と湖畔に揺れる空明のようで心を奪われました。」と表現したときは、嫌に気障ったらしくて鼻に付く言い回しですが、言い得て妙であると深く納得したものです。それでいて謙虚で慎ましい性格をしているものですから彼女の人気は留まるところを知らず、学生時代は彼女に猛烈なアプローチを仕掛ける男子が後を絶ちませんでした。私は彼女が隣で告白を受ける様子を黙って見守る役回りで、男子共は私の方を一瞥もせずに玉砕して去りますので、私だって別段醜い容姿をしている訳ではないと自負していますのに、少しはこちらを意識してくれても構わないでしょうと惨めな思いを抱えていました。ついでにもう一人、私の身の回りにいる非常に変わった方を紹介しますと、5b32というまだ幼い小児がおりまして、実は私の遠い親戚に当るのですが、その子どもは母の腹から出てくるときに肉体を三つも授かって誕生したのです。それだけならば他に思いつくものもちらほらといる筈ですけれども、5b32の何よりも特異な点は、三つの肉体の性別が一致しないというところでしょう。助産師の方は産まれたばかりの赤子を取り上げて「おめでとうございます、元気な男の子ですよ。いえ、どちらでしょうか分かりません。」なんて素頓狂な話し振りで、又それを叔母が実に軽妙な語り草で披露するものですから、聞いたときはもう可笑しくて抱腹絶倒の勢いでした。

 因みに三つ以上の肉体を持つ場合はギリシア文字に準えて順当にγ体、δ体と名付けられますが、私の知る限りで最も多くの肉体を持つ人として記憶があるのは3106cという有名な方でして、ご存命の頃はテレビ等でも「タイト様」の愛称でよく出演されているのを見かけました。タイト様は記者からの「五つものお体を器用にお使いになられて、こんがらがらないものですか。」との質問に「何がこんがらがるものですか、私は三十年間これで遣ってきたのですから。」と仰っており甚く感心しました。私が聞き及びました話ですと、肉体を幾つも抱えて生まれてくるのも決して良いことばかりではなく、共有する体がひとつ増える毎に脳のリソースがそちらに割かれますので、多数の身を不自由なく操れるようになるのは困難を極めるそうです。私なんて今年で二十六歳を迎えて尚、たった二つの肉体でさえ上手く使い熟せないというのに、タイト様は当時も全く衰えた様子を見せずに常時精気に満ちた方で、私は強い尊敬の念を抱きました。タイト様はそのインタビューの翌年、享年三十二歳で亡くなりました。

 大人に成ってからのα体、β体の使い分けは、各人に依ってより個性が出るものだと私は常々感じます。一例として今から仕事に就くとなったときに、業務を全て片方に押し付けて、もう片割れは自由を謳歌してみたり、肉体疲労等は別々に蓄積しますので、それを考慮して一日毎に交互に出勤したりと、仕事のあり方ひとつを抜き出しても三者三様です。私の場合は普段書き物をして、メディアに露出する機会が往々にしてありますので、世間からの印象を評判良く保つためにも容姿の比較的整ったβ体を仕事場に向かわせることが必然的に多くなります。その分α体の方を使って病院へ睡眠薬の受け取りに行ったり、生活用品の買い出しに出掛けたり等の雑務らしい用事を済ませるといったサイクルが構築されているのです。両方に掛かる負担をなるべく均等に分散することが理想的な生活とされていますが、α体とβ体に身体能力の差がある以上難しい話だということを、大人になって働き始めてから漸く痛感しました。α体は普段自宅で過ごすことが多いのでつい間食が増えますし、β体は職場に軟禁状態の日々ですからこの頃は運動不足が目立ち、どちらも違った方向に不摂生な日々を過ごしています。また今の時期は病気にも見舞われやすいですから、αかβか片方でも風邪を引くとそれだけで生活が儘ならないので大変です。昨年末は、そろそろ年の暮れる慌ただしい時節に、何処からか感染症をもらってきたようで夫婦揃って倒れてしまい、それはもう悲惨な年明けを迎える羽目になりました。この時代、何とも生き辛い世の中になってしまったものです。

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