第10話
夏休みが始まってから、何日が過ぎただろう。暑さは日に日に増し、真昼の陽射しは容赦なく大地を焼きつけている。窓の外からは蝉の鳴き声が波のように押し寄せ、熱を含んだ空気が網戸越しに部屋に流れ込んでくる。扇風機の風は気休め程度で、冷房をつける手も止めてしまうほど、怠惰な時間が流れていた。
机の上には散らかった教科書とノートが置かれ、夏休みの宿題が積み上げられているが、やる気は起きない。スマホを弄りながら、惰性で過ごす時間だけが進んでいく。
「夏休みは、こんなもんだよな……。」
誰に言うでもなく呟く。特に予定もなく、友達からの誘いも断り、ただただ無為に過ごす日々。このままでは夏が終わってしまうんじゃないかと漠然とした焦りを感じながら、手元のスマホを眺めていた。そんな時、不意に通知が震えた。
「ん……?」
画面を確認すると、そこに表示された名前に思わず目を見張る。
光凛:『米内くん、ちょっといいかな?』
▽
「南雲……?」
彼女の名前を口にすると同時に、心臓がわずかに跳ねるのを感じた。学校中で注目を集める彼女が、なぜ俺に連絡を? 何か急用でもあるのだろうか。
俺の中で南雲光凛といえば、明るく、頼もしく、そして何より圧倒的な容姿を誇る存在だ。男女問わず憧れられる彼女から連絡が来ることなど、普通ならあり得ない。
少し警戒しながらも、すぐに返信を打ち込む。
米内:『どうした?』
送信してから数秒後、彼女からの返事が届いた。
光凛:『ちょっと聞きたいことがあって、その……夏休み中さ忙しくない?』
文字越しにも、どこか慎重さが感じられる。普段の彼女とは違う、その遠慮がちな態度に少し違和感を覚える。
米内:『暇だよ。何でも聞け。』
俺がそう送ると、少し間を置いて再び通知が鳴った。
光凛:『来週の土曜日に、花火大会があるんだけど……もしよかったら、一緒に行かない?』
▽
「花火大会……?」
俺は呟きながらスマホの画面を見つめる。夏休みの定番行事であることはわかるが、南雲から誘われるなんて、全く想像もしていなかった。
思わず彼女のメッセージを見返し、何度もその文面を確認する。
米内:『連絡先間違ってるんじゃないか?』
そう返信すると、少し間が空いた後、彼女からの返事が届いた。
光凛:『えっと……その……他に誘う人がいないわけじゃないけどさ……。』
彼女にしては珍しい、歯切れの悪い言葉。それが妙におかしくて、笑いをこらえながら続ける。
米内:『じゃあ、他の奴を誘えばいいじゃん。』
光凛:『米内くんとだったら、気を遣わなくて済むかなって思ってね。』
俺はその返信に、少し眉をひそめた。気を遣わない――つまり、俺は特別な存在ではなく、ただの「楽な相手」ということなのだろうか。しかし、その理由に対して反論する気にもなれない。
▽
窓の外では、蝉が一斉に鳴き始める。蜃気楼が揺れる遠い景色と、じりじりとした陽射しの中で、俺は彼女の言葉を反芻する。
「気を遣わない相手、ねぇ……。」
特別ではないと言われたことに少しばかり落胆しつつも、南雲が俺を頼りにしているという事実は、どこか誇らしく感じる。
米内:『嫌とかじゃないけど、俺でいいのか?』
そう返すと、すぐに彼女から返信が来た。
光凛:『うん。それでいい。』
その短い返事が、妙に真剣で、胸の奥がくすぐったい気持ちになった。
▽
米内:『わかった、行くよ。』
そう返すと、彼女からスタンプが送られてきた。飛び跳ねる笑顔のキャラクターに、「ありがとう!」の文字が添えられている。その素直な反応に、思わず笑みがこぼれる。
同時に、彼女の部屋では、南雲がスマホを手に胸を押さえていた。
「……よかった……!」
彼女の声は、小さな安堵とともに部屋の中に溶け込んでいく。
窓の外には、夏の空が広がっている。流れる雲の隙間から覗く青空と、夕焼けに染まる空気が、これからの期待を物語っているようだった。
▽
こうして、彼女の一言から始まったやり取りが、俺たちの夏を新たな方向へと動かした。花火大会というイベントが、ただのクラスメイトだった俺たちに、どんな特別な瞬間をもたらすのか――その答えは、まだ知らない。
南雲の誘いに応じたことで、この夏が少しだけ輝きを帯びたような気がした。
校内一の王子様女子を助けたら懐かれた件。 犬介 @inukai88
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