第9話
七月も後半に差し掛かり、蝉の声がさらに大きくなる中、俺たちの高校では夏休み前最後のホームルームが行われていた。窓の外に広がる鮮やかな青空は、夏そのものを象徴しているかのようだ。だが、そんな情景に浸る間もなく、俺の目は、前方の席で一際目立つ存在に引き寄せられていた。
「それじゃあ、夏休み中の課題の話なんだけど……」
先生が真面目に説明している中、クラスメイトたちの多くは上の空だった。誰もがすでに夏休み気分になりかけている。ただ、その中でも例外的に集中力を欠いていないのが、南雲だ。
教室の窓から差し込む光が、彼女の端正な横顔を際立たせている。その真剣なまなざしは、まるでどこかの舞台で演技をしている俳優のようだった。さわやかな微笑みを浮かべながらも、どこか凛とした雰囲気を纏う彼女の姿に、男子も女子もつい見とれてしまう。
「……南雲って、やっぱすげえよな。」
後ろの席からひそひそ声が聞こえてきた。聞かなくてもわかる。クラスの男子たちが彼女について話しているのだ。
正直なところ、俺も少し同意してしまう部分がある。彼女は美人で、誰にでも優しく、男女問わず人気者だ。そして、その完璧すぎる見た目と振る舞いが、俺にとっては少し近寄りがたく感じられる理由の一つだった。
だが、そんな彼女がどうしてか、最近やたらと俺に絡んでくるようになったのだ。
▽
放課後、教室の片付けを終えた俺は、校舎裏の自転車置き場に向かっていた。すると、前方で誰かが声をかけられているのが見えた。
「ねえねえ、ちょっといい?」
その声の主は南雲だった。彼女はクラスメイトの女子たちに囲まれている。何やら相談事を持ちかけられているらしい。
「……それなら、こうしてみたらどうかな?」
南雲は落ち着いた声でアドバイスを送っている。その様子は、ただの高校生とは思えないほど堂々としていた。まるでリーダーシップのある大人のように、相手の目をまっすぐ見つめ、的確に言葉を選んでいる。
「さすが南雲さん! ありがとう!」
「ううん、大したことじゃないよ。それじゃ、またね。」
笑顔で手を振る南雲に、女子たちは感激したように去っていく。その姿を見ていた俺は、改めて思った。
――本当にイケメンだな、南雲って。
▽
自転車置き場で鍵を取り出していると、背後から「お疲れさま、米内くん」という声が聞こえた。振り返ると、そこには南雲が立っていた。彼女は日差しを浴びて少し眩しそうにしているが、相変わらずその表情には余裕が感じられる。
「お疲れ、南雲。さっきの相談事、何だったんだ?」
「ちょっとした友人関係の悩みかな。そんなに難しい話じゃなかったけどね。」
そう言いながら彼女は微笑んだ。暑い中でもその笑顔は涼しげで、まるで清流のように心地よい。
「米内くんは? これから帰るの?」
「ああ、そうだけど……。」
「じゃあ、少しだけ付き合ってくれる? 今日、どうしても行きたいところがあるんだ。」
彼女に言われると、なぜか断りづらい。不思議な力を持ったやつだと、改めて思った。
▽
連れてこられたのは、商店街の小さな雑貨屋だった。店内は冷房が効いていて、外の暑さを忘れさせてくれる。
「ここ、最近お気に入りのお店なんだ。プレゼントを探しててね。」
「プレゼント?」
「うん。お世話になった人に、ちょっとしたお礼を渡したくて。」
彼女は店内の商品をじっと見つめている。並んでいる小物の中から何かを選び出すその姿は、まるでドラマのワンシーンのようだった。
「これなんかどう思う?」
南雲が手に取ったのは、シンプルなデザインのキーホルダーだった。その目は真剣そのもので、まるで大切な決断を下そうとしているかのようだ。
「悪くないんじゃないか? 相手が誰かによるけどさ。」
「ふふ、そうだね。米内くん意外とセンスいいね。」
「誰が意外じゃ。」
そんな軽口を叩き合いながら、結局彼女はそのキーホルダーを買うことにした。レジでお会計を済ませる南雲の横顔を見ながら、俺はまた思う。
――やっぱり、ただ者じゃないよな、こいつ。
▽
帰り道、俺たちは並んで歩いていた。西日が強く、周囲を金色に染め上げている。南雲の髪が光を受けて輝き、その整った顔立ちがさらに引き立っているのがわかった。
「今日はありがとうね。付き合ってくれて。」
「別に。暇だったしな。」
「そう言いながらも、ちゃんと楽しんでくれたんでしょ?」
彼女はいたずらっぽく笑う。その笑顔がまた眩しい。
「……まあ、悪くはなかった。」
「ふふ、素直じゃないなあ、米内くんは。」
そう言いながら、彼女は歩幅を合わせてきた。その自然な動きが、また一段と彼女を魅力的に見せる。
「それにしても、米内くんって本当に不思議だね。」
「何がだよ。」
「こんなに近くで話してるのに、全然意識してないでしょ?」
彼女の言葉に、俺は少しだけドキッとした。
「……そりゃあ、お前がそういうタイプじゃないからだろ。」
「そういうタイプ?」
「なんていうか、その……まるで王子様みたいな感じだからさ。」
「王子様?」
南雲は目を丸くして、やがてクスクスと笑い始めた。
「それって褒め言葉だよね? ありがとう、米内くん。苦しゅうない!」
「……違う、そういう意味じゃなくて!」
「もう遅いよ。ちゃんと受け取ったから。」
彼女の笑顔に、俺は何も言い返せなかった。
▽
夕陽が沈みかけた頃、俺たちはようやく家の近くにたどり着いた。風が少し涼しくなり、昼間の暑さが和らいでいる。
「それじゃあ、またね。」
彼女は軽く手を振りながら歩き出す。その後ろ姿がどこか遠く感じられた。
――王子様、か。
自分で言った言葉を反芻しながら、俺は胸の奥にわずかな違和感を覚えた。この夏、南雲と過ごす時間が増えるにつれて、何かが変わり始めている気がする。
その正体が何なのか、まだ俺にはわからない。だけど、この感覚はきっと、これからの夏休みで明らかになるのだろう。そんな予感を抱えながら、俺は自分の家の扉を開けた。
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