万里が果てで見し夢は(下)
◆◇◆◇
式場は酷い有様だった。
床には宴のための食物が散らばり、純白のテーブルクロスも毛足の長い絨毯も、葡萄酒と血の混合物で赤く染め上げられている。
屍の山の中に見知った背格好のものがあり、千夜は目を止めた。
だらしなく突き出た腹、太短い手足。締まりのない体つきとは対照的な、
間違いない。城を落とされたあの夜、隠し部屋で壱と共に目に焼き付けた西国王の身体である。
その胴体から首がもがれているのを確認し、千夜は思わず天を仰いだ。
「お見事でございます、壱様」
誓い通り、彼女はやり遂げたのだ。
あとはまだ本人が生きているかどうかだが、無用の心配だったようである。
かつては色とりどりの花で飾られていたであろう祭壇。その前に、鎧兜をつけた騎士達が集っていた。半数ほどは死体になっているが、まだ数十人は残っているようだ。
鎧の拵えからして、ここに来るまでに千夜が切り捨てたのと同様、王室を守護する役を持つ者達らしかった。
無防備なその背中から、戸惑ったような声が囁き交わされる。
「どうする? 陛下の仇とはいえ女だ」
「王弟殿下も欲しがっていたんだぞ」
直接的すぎる相談に、千夜は無表情のままで肩をすくめた。彼の主人が、この会話を聞いて命惜しさに体を売って投降するなどと、そんな戯れを彼らは本気で信じているのだろうか。
「ふざけるなっ!」
予想通りに響いた怒号が、並んだ鎧兜をびりびりと震わせた。
「私は戦士の子だ! 貴様ら蛮族に慰めものにされるくらいならば、ここで殺せえっ!」
騎士達が慄く。
(まぁ、壱様ならそう言うだろうな)
彼らの背後に忍び寄っていた千夜だけは、うんうんと頷いた。
なお、誰一人としてそんな千夜に注意を向ける者はいない。
と、一際体格の良い騎士の一人が「仕方ない」と呟いた。壱の狂いっぷりから、解放しても同じ惨劇が起こることくらいは予想がついたらしい。
彼の意見に反対する者はいないようだ。
口火を切った騎士が、取り押さえられている壱の前に進み出る。
携えられた刃が、割れた窓から差し込む陽光にぎらりと輝いた。彼は神への祈りの言葉を呟いた後に
「許せよ、娘」
言って、剣を大上段に振り上げる。
悔しそうに騎士を見上げた壱の目が大きく見開かれた。恐れからではなく、その瞳に千夜をとらえたからだ。
信じられないものでも見たような驚愕の表情から一転、彼女は唇を吊り上げる。
「お主らの国には、懐刀という言葉はあるか?」
「なに?」
男が訝しげに問うた時には、すでに千夜は斬り終えている。
ズ、と二つに割れた男の頭から血が吹き上がった。
「私の刀は一本ではない」
告げる壱の口調がどこか自慢げに聞こえたのは、千夜の自惚れではないだろう。
血を払って刀を納めたところで、ようやく騎士達は千夜の存在に気がついたようだった。剣呑などよめきの中、壱の目が楽しそうに
「千夜。お前、なんで戻って来た?」
「いえ、やはり姫様の教育係として嘘は良くないと反省しまして」
「嘘?」
「ええ、まあ。――亡き主がお褒めになるかという、あれです」
小さく首を傾げ、千夜は膝を落とす。話すにしても、彼女を自由にするのが先だと気がついたのだ。
刃が鞘の中を
その首を見下ろし、千夜は用意していた答えを返す。
「多分、めちゃくちゃ怒られます、はい。しかも私は姫の傍仕えだった分も八つ当たられて、末代まで祟られるに決まってます」
嘘。彼ならきっと、「お前も大概アホだな。壱が俺の機嫌を気にして止まるわけねーだろ。誰の娘だと思ってんだ」と、千夜の頭を雑に撫でて豪快に笑っただろう。
だから、これは表情を持たぬ千夜なりの照れ隠しだ。
彼女に深く突っ込まれる前に、千夜は持っていた大刀を差し出した。意匠は椿と同じだが、鍔にあしらわれているのは牡丹の花である。
「よくもまあ、牡丹まで持ち出したなお前」
呆れたような壱に、千夜は小さく顎を引いた。
「椿の片割れですから。とはいえ、もう姫様の二刀流は拝めそうにありませんね」
二人の足元に落ちているのは、刃部分が無惨に砕けた小太刀だった。その柄を拾いあげ、千夜は懐から出した布に包む。
「その代わり、今はお前という刀がいる」
頭上からの声は相変わらず力強い。式の前に僅かに見えていた自嘲や自暴自棄の色も、すでに払拭されていた。
耳に馴染んだ、刃が鞘から抜かれる音が響く。
「背中は任せるぞ。お前と私で二刀だ。蹴散らせるはずだな?」
「貴女の命とあれば」
「よし」
愛刀を右に、倒れている兵の傍に転がっていた異国の剣を左に構え、壱は距離を取る騎士達に鮮やかに笑った。
「これよりお見せするは我が国に伝わる二刀流。――指南代は、諸君らの命で結構だ」
言うが早いか駆け出す彼女に、千夜はやれやれと息を吐く。
ああは言ったが、実のところ壱一人で片がつくだろう。慣れぬ異国の婚姻衣装を纏っていようが、二刀の一つが形を変えていようが、彼女にはそれだけの力がある。剣を教えた自分が言うのだから間違いはない。
「待てい!」
後を追おうとした千夜に、右側から鋭い叫びと共に槍が突き出された。体を傾けて避けながら、千夜は声の方に顔を向ける。
銀の兜に青い外套を纏った壮年の男が一人、千夜の方を睨みつけていた。
「名乗りをご所望ですか?」
問うた千夜に、男の目がカッと見開かれる。
「東国の将よ! 我が名はイヴァン・ゴドノフ。貴殿の名を聞かせよ!」
「千夜。姓はありません」
イヴァンに向きあった千夜は「それと」と続けた。
「私は名のある将ではありません。ただの付き人です。それで良ければ、お付き合い致しましょう」
答えは槍の一閃だった。
突き出された一撃を、千夜は半歩下がって避ける。
「あの小剣は貴殿の手引きか?」
「ええ」
イヴァンの手の中でぐるりと回った槍が、今度は石突部分を下にして千夜の頭部を狙う。今度は横に避けるが、すかさず薙がれた刃部分が胴を掠った。
「なぜ彼女の元に戻った? そこまで忠義に厚いようには見えぬぞ」
「それは大変な誤解です。私ほど忠義に厚い臣下はおらぬと自負しておりますが」
「主君の危機にも眉一つ動かしていなかったくせに、よく言う。よもや、惚れておるのか?」
空いた左脇に千夜も打ち込むが、身体の芯をずらして鎧で受けられる。
「その言い方は些か無礼では? 彼女は東国一と名高い美姫。そう、貴方の主が命と引き換えに欲するほどにはね」
「戯言を」
「こんな時に戯言を言わずして
千夜を打ち払わんと、イヴァンが槍を手の中で滑らせて胴体に向けて石突を突き出す。膝を地面に付けるほどに屈んだ千夜は、立ち上がる勢いを載せて刃を切り上げた。
イヴァンの喉を銀光が貫く。
「彼女が私の生きる意味だからです」
しぶいた血が雨のように降り注ぎ、千夜の身体を赤く染め上げた。
◆◇◆◇
「ほら、見てみい千夜。
でれでれと笑み崩れた万里が差し出してきたのは、紅色の布の塊だった。包まれているのは、まだ生まれて間もない赤ん坊だ。
「…………しわくちゃの猿にしか見えませんが?」
「相変わらず無礼なガキじゃのう」
「今さらでしょう。で、この赤子はもしや……」
小鼻を膨らませた万里が大きく頷く。
「うむ。儂の子である」
「はぁ……奥方様に似れば良いですね」
「どういうことじゃ。っと、まあ良い。もそっと近う寄れ。そこでは壱がお前を見れぬじゃろ」
「壱?」
「この子の名じゃ。良かろう」
己が名は万里で、拾ってきた子供には千夜。生まれた子には壱。何というか、適当すぎやしないだろうか。
呆れつつ、千夜は万里を見上げる。
「私を見て怖がりませんか?」
万里の顔が大きく顰められた。
「うつけが。つまらんことを気にするな。誰の子だと思うとる、儂の子じゃぞ。喜ぶに決まっておる」
「はぁ……」
半信半疑で覗き込むと、まともに目があった。しまった、と思うが遅い。黒曜石のように輝く大きな瞳がきょとん、と千夜を見つめ――ひどく嬉しそうに細められた。きゃっきゃと笑いながら伸ばされる小さな手をどうしたら良いか分からず、千夜は「お館様」と主人を呼んだ。表情がなくとも、困っていることは分かったのだろう。にやにやと笑った万里が「どうだ」と言わんばかりに歯を剥いた。
「何をしておる。お前も手を出せ」
「手を……こう、ですか?」
おずおずと伸ばした指先を、紅葉のような小さな手が掴んだ。
「どうじゃ」
「……可愛いです」
「うむ」
満足げに頷いた万里が、ふと目を伏せた。
「どうだ、千夜。お前は自分の生に意味を見出せぬと言っておったが、こうして会ったばかりの命を笑わせることができた。それでも、お前は自分の生に意味などなかったと言うか?」
いつものような押しの強さはなく、ただひたすらに穏やかな口調だった。
「………………わかりません」
長い沈黙の末にそう返し、千夜は自分の指を握って眠ろうとする赤子を見つめた。
「けれど、今はこの子に会えて良かったと思っています」
「そうか」と頷いた万里は目を細めて遠い山の稜線を見つめた。
「千夜。お前の
言葉を切った万里が、千夜に顔を向ける。
「いつかでよい。お前が出会った者に、景色に、お前自身が意味を見つけ出せる。そうなることを、儂は夢見ておるよ」
彼の言葉に、千夜は深く頭を下げた。
◆◇◆◇
「千夜」
呼ばれ、顔を上げる。あの時と同じ強い黒曜石の瞳が自分を見つめていた。
「終わったぞ」
「さすがでございます。私の出る幕はありませんでしたね」
「よく言う。どう考えてもお前とやったのが隊長格だ。それにお前、ここに来るまでに随分と数を減らしただろう。駆けつける数が少なすぎる」
「邪魔だったので」
答えた千夜に、壱は「ふん」とそっぽを向いて鼻を鳴らした。顔は母親似だが、そういう所作は父親にそっくりである。
「しかし、これからどうしましょうね。ブリランテ王崩御の報せがあれば、周辺諸侯は黙っていませんよ」
壱の目が、どこか遠くを見るように僅かに細められる。その横顔は、ありし日の彼女の父によく似ていた。
「この地は火の海となる、か」
「間違いなく」
「そうか。であれば、私にはその引き金を引いた責任があるな」
振り返った壱が、ひたと千夜を見据える。
「私はこの大陸を――いや、世界を統一する」
一拍おいて、彼女は右手を差し出した。
「着いてきてくれるか、千夜?」
答えなど、とうの昔に決まっていた。
彼女が自分の指を掴んで笑ってくれた、あの日から。
表情は変えぬまま、千夜は頭を下げる。
「喜んで。地獄の果てまでもお供いたしましょう」
◆◇◆◇
そうして、時は流れ。
五年の歳月の後、一人の女性が大陸の国という国を飲み込み、不可能と言われた
彼女の傍には常に、その代名詞とも言える牡丹の大刀があったという。
だが、人々はこうも
――彼女の懐にはもう一本、とっておきの刀があるのだ、と。
万里が果てで見し夢は 透峰 零 @rei_T
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます