万里が果てで見し夢は

透峰 零

万里が果てで見し夢は(上)

 純白のベールに、真っ白いドレス。

 薄く化粧を施された顔は美しく、窓から差し込む陽光に照らされる様は彫像のようですらあった。

 花嫁衣裳。


 ――世界でもっとも幸せな娘が着る衣装だと、この国では言われているらしい。


 だとすれば、何とも皮肉なことである。

「お似合いですよ、いち様」

 千夜の言葉に、主が顔を上げた。その唇がわずかに持ち上がる。わずかに自嘲の色が滲む笑みだった。

「戯言を」

「本心でございます」

 壱はフンと息を吐いて己の着る純白の服を摘まみ上げた。

「冗談が上手くなったな」

 千夜は何も言わなかった。

 言う必要がないからだ。壱には、確かにそれだけの美しさがあるのだから。

 頭上で結われた髪は射干玉ぬばたまの黒。切れ長の瞳もまた同じく。素地となる肌は雪のように白く、朱をかれた唇は美しい弧を描いている。

千夜せんや

 名を呼ばれ、目を伏せていた千夜は顔を上げる。彼女の背後に広がる大きな鏡の中には、無表情に佇む己の姿があった。

 黒髪を頭上で束ねた東国風の白装束を身につけた男。身の丈は六尺弱、年の頃は二十代前半。武装はなし。

 もしも千夜が自分の容姿を第三者に伝える必要があれば、このように言うだろう。

 だが、大抵の人間はもっと端的に千夜の容姿を言い表す。

 曰く――妖怪変化へんげのごとく美しい。

「美しい」だけならば褒め言葉と受け取れようが、千夜の場合は「恐ろしい」やら「化生けしょうのごとく」と言う枕詞が必ずついてくる。造作は元より、表情を変えることのできない顔貌が主な原因なのだろう。半分ほどは間違っていないが、正確性に欠けるこの言い回しが、千夜自身はいまいち好きになれない。

 もっとも、千夜と三拍以上目を合わせ続けられる人間は稀なため、正確な表現を求めても無駄なのだろう。

 その稀有な人間の一人である主が、千夜を見据えて口を開いた。

「父上は私を褒めると思うか?」

 強い口調だった。

 自身で答えを知っている者の声だった。

 きっと、彼女は千夜がどう答えても己の信念のままに突き進むのだろう。

 無理ではあるが、と胸中で前置きして千夜はしばし夢想を試みる。

 自分が涙の一つでも零して引き留めれば、彼女は思いとどまってくれるのだろうか、と。

 答えは否だ。

 きっと彼女は、いつものように力強く笑んで「お前には苦労をかけるな」とでも言うのだろう。

 だから、千夜は彼女の問いに是と答えた。彼女に後顧の憂いなど残したくはなかったのだ。返答に、彼女の中にあった僅かな硬さが一気に解けるのがわかった。開き直った、と言った方が良いかもしれない。

 真冬の紅椿にも似た艶やかな唇が、この地に来て初めて、小さくほころんだ。

「そうか。ここまで大義であったな」

「いえ」

「お前には最後まで手間をかけた。椿のこと、礼を言おう――後は好きに生きよ。お前は自由じゃ」

 彼女の命に答える代わりに、千夜は再び深く頭を下げる。元より、自分のやることは決めていた。


「――ご武運を、姫」


 頷いた壱がドレスの裾を捲り上げる。何枚、何十枚と重ねられた白いレースに埋もれた太腿に固定されているのは、一本の小太刀だ。

 椿の透かし彫りを鍔に戴いたそれは、彼女が幼少の頃より最も手に馴染んだ武器である。

 その表面を白い指で撫で上げ、彼女は静かに告げた。


「――みなごろしだ」



 ◆◇◆◇


 かつて、この地より東へ向かった先には一つの島国があった。名はカマル。

 国内で大小のいさかいこそあったが、勇敢な武将であった王をいただきとし、国民は朴訥とした人柄であり、国土は豊か。周辺からも孤立していたため、独自の進化を遂げていた。

 その国が滅ぼされたのは、まだ月齢が一周もせぬほどわずかな前である。

 滅ぼされた理由は単純で、かの国で黄金が出たから。

 敗けた理由はもっと単純で、物量が違い過ぎたから。

 勝利した西国ブリランテの王は、傾国と讃えられし東国の姫をめとるためにさらった。彼女に許されたのは、傍仕えとされていた千夜一人のみである。



(思えば奇妙なものだ)

 宮殿の内側をぐるりと巡る明るい屋外回廊を歩きながら、千夜はふと視線を宙にやった。

 白色を基調とした太い石の円柱は上部をアーチ状に変化させながら屋根と繋がっており、そこには細かな装飾と共に色とりどりの鉱石や貴石が砕かれて散りばめられている。

 素材の美しさを最大限に引き出すことを美徳と考えていた東国の屋敷では考えられない華美さである。

 本来ならば壱の付き人である千夜は控室で彼女の帰りを待つのが正しい。だが、そのことを指摘する者はこの場にいなかった。

 控室の外にはいたが、すでに彼らは千夜の手によって物言わぬ骸と化している。

 たまに回廊で行き交う者が疑念の声を発することはあるが、騒ぎになる前に片付けているので問題はない。

(ここまで穏やかな気持ちで出歩けるのが異国。それもかつての敵国の地だとは)

 なにせ、ここ数ヶ月は他でもないこの西国との戦で息をつく暇もなかった。

 しみじみと見上げた空はどこまでも高く澄み渡り、中庭に目を転じれば季節の花々が美しく咲き乱れている。

(しかし、少々わざとらしい配置だ。まぁ、これも文化の違いなのだろうが)

「と、止まれ! 貴様、何者だ!」

「その姿! さては貴様、東国の――」

 鋭い声が回廊の先から響く。数は七。彼らの足音は、この整えられすぎた庭園と違い騒がしい。

「失礼、急ぎますので。死にたくなければ逃げて下さい」

 一言断りを入れ、千夜は剣を振るった。つい先ほど、同じように自分を止めた騎士が持っていたものだ。

 しかし、西国の剣はどうもあまり強度がないらしい。あるいは自分の扱いが悪いのか。向かってきた七人を斬り捨てたところで折れてしまった。

西国こちらの剣は手に馴染みませんね」

 折れた剣を捨て、千夜は目の前に並ぶ死体が持つ剣を見比べる。やはりというべきか、立派な鎧を着た者の持つ剣は比較的折れにくそうである。もしや名のある将だったのかもしれぬが、戦場ではないため名乗りを聞く義理はなかった。

 それに、一々覚えていてはキリがない。

 なにしろ、千夜が歩いてきた道のりには同じような格好をした者がと転がっているのだから。

「はぁ、二度手間。やはり、椿と一緒に牡丹も持ってきておけば……。いやでも、バレて姫様の計画が失敗したら意味ないですし」

 無表情のままぼやき、千夜はさらに回廊を進む。目当てとする部屋はこの先にある離宮だ。そこには、壱の半身とも言える刀が眠っている。

 彼女が得意とするのは、小刀である椿、そして大刀である牡丹からなる二刀流。二刀一対の刀は、壱が「父の形見でございます」と涙ながらに訴えて東国から共に持ち出すことに成功していた。芸術品としての価値も高く、西国の王は折らずに姫ともども手元に置くことにしたようだ。

 見張りの目をかすめて夜な夜な出歩いていた千夜にとって、その保管場所を知ることは容易なことであった。


 かくして、本日執り行われる婚姻の儀の前夜に千夜は保管場所に侵入し、隠し持てる椿のみを彼女に託したのだ。


 晴天に鳴り響いた鐘の音が、千夜を回想から引き戻した。甲高く澄んだ音は、斎場からのものである。

 式が始まるのだ。

 もう少しすれば、壱はブリランテ王の首級を挙げるだろう。かの王は前線には赴かぬ、武勲とは無縁の人物だ。東国の戦場で名を馳せた壱の敵ではない。

 だが、数が違う。壱が仇と定めるのはかの王一人ではなかった。

 ブリランテという国そのものであり、この城に集った敵対者全てだ。

 その数は内輪だけとはいえ何十、いや何百といるかもしれぬ。刃を手にしたこともない文官も多いだろうが、警護の武官や戦場を駆ける諸侯らもいるだろう。その全てを、小太刀しか持たぬ彼女一人で相手取るには、些か無茶に過ぎる。

 あるいは、と離宮の前で槍を構えた兵士共を切り伏せた千夜は胸の内で独りごちる。

 あるいは、彼女は「その後」を考えていないのかもしれぬ、と。

 カマルとブリランテの戦いは一方的なものであった。虐殺、と呼んでもいい。兵糧や水攻などの策を弄さずとも、正面から叩き潰せるだけの戦力差が二国にはあったのだ。

 塵も灰も残らぬほど完璧に、カマルは蹂躙され尽くした。

 西国の王は自ら手を汚す必要もなく、配下の騎士が屍山血河を清めた後の屋敷に悠々と足を運び、捕らえた東国の王を嬲り殺し、その妻を犯したのだ。

 他でもない、壱の前でその蛮行は行われた。

 あの時。

 隠し部屋で彼女の目と耳を塞ぎ、「殺してやる」「止めるな」という呪詛の声を押し潰したのは自分だ。

 勝敗は決し、わずかにあった機も全て砕かれた後だった。

 あの場で出て行ってもブリランテ王の首を獲ることは叶わなかっただろう。だから千夜に後悔はない。

 けれど彼女の胸に悔いは残っただろう。己の無力さに嘆き狂い、石壁を引っ掻いて剥がれた彼女の爪の血の跡は、まだあの部屋に残っているはずだ。

 だからこそ、千夜には急ぐ必要があった。

 彼女を同じ道で死なさぬように。


「化け物が……」

 呻き声と共に微かな抵抗を感じ、千夜は足元に目をやった。

 いつの間にか、目当ての部屋の前まで来ていたようだ。着物の裾を掴んで地に伏しているのは、見張りの兵士だろう。ぴしゃり、と水音が響く。力を失った兵士の手が血溜まりに落ちた音だ。

 白目を剥いて絶命した彼の最期の言葉を思い返し、千夜は「ふむ」と頷く。

「まぁ、間違ってはいませんね」

 答える声はない。

 辺りが静かになったのを確認し、千夜は扉に手をかけた。

 滑らかに開いた部屋の中にこごる闇が、否応なく記憶を刺激する。


 それは暗い闇と、白い月光、そして雷光のような男の眼光で構成されていた。


 ◆◇◆◇


 千夜が魔物へと売られたのは、まだ母の胎内にいた時分だ。

 生まれ故郷では何十年かに一度、山に棲まう魔物に幼な子を差し出す決まりがあった。魔物が生まれる前の赤子を指名し、五つになった頃に山へと捧げるのだ。代わりに村は繁栄を約束される。

 その売買契約の品物に選ばれたのが、今回はたまたま千夜だった。

 ただ、それだけのことだ。


 約定通り、千夜は五つになって最初に迎えた新月の夜に魔物に喰われた。気が付けば魔物の暗い腹に中にいたのだ。

 御伽話と違い、魔物の腹におさめられても千夜はすぐには死ななかった。魔物は、ゆっくり、じわじわと千夜を食していった。

 まずは記憶が喰われた。だから千夜は母の顔も父の声も覚えていない。村の決まりも、後から人伝に聞いたものばかりだ。

 次は名前だった。だから千夜は自分の本当の名を知らない。

 他にも色々と喰われた。生きる気力も意味も、何もかも。ごっそりと喰われ、だから魔物の腹から引きずり出された時の千夜は本当に空っぽだった。

 まるで朽ちた人形のようだったと、万里ばんりは――壱の父親はよく千夜に語ったものだ。儂の顔を見ても、泣き声一つあげなかったのだ、と。

 その時の千夜は、痛いも苦しいも怖いも何もかもを失っていた。

 だから、表情かおも喰われていたと気がついたのは随分と後になってからだ。自分の意思では戸惑った際の瞬き一つできず、口角を上げることも出来なくなっていた。

 言葉も喰われていなかったのは不幸中の幸いだったのだろう。おかげで、どうにか今も生きていられる。

 けれど先も述べたように、助けられた時の千夜には魔物の食べ滓程度の人間性しか残ってはいなかった。

 記憶も感覚も感情も。全てが欠けた千夜があの夜のことでただ一つ覚えているのは、狂おしいほどに輝く望月と、その月光がっこうを背負った男の言葉だ。


 ――小僧。儂について来い。さすれば、生きる意味くらいはくれてやる


 どうしてそういう話の流れになったのか。もしかしたら、千夜は彼に生きることの意味でも問うたのかもしれない。

 親子揃ってというべきか、万里も壱と同じく感情で生きている人間だったから、何もかもを失った子供を哀れに思ったのだろう。


 かくして魔物の残り滓は千夜という名を貰い、彼女に出会った。





 

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