大魔導士ディックと悪魔のつま先

異端者

『大魔導士ディックと悪魔のつま先』本文

「遠い所までよくぞ参った、ディックよ」

 王は玉座の上から、その老人を見下しながら言った。

 剣と魔法の世界、ゼン・ラ。

 老人は、そこで絶対的な力を持つといわれる大魔導士ディックだった。

 もっとも、今は後継となる弟子たちを育て終え、余命幾ばくもない。近いうちに大魔導士の称号もその誰かが継ぐことになるのは明白だった。

 王は正直、ディックを見くびっていた。

 かつてはその名を馳せた大魔導士も、粗末な杖にすがって立つ姿はまるで枯れ木のようではないか。これでは、大した力も残っていないだろう、と。

 王が王なら家臣たちも同様だった。ディックを見てはひそひそと話している。

「して、どのような御用でございますか?」

「うむ」

 王は一息つくと言った。

「そなたは、魔法で未来は見えるか?」

「はい、ほんの数年先程度なら……」

 おいおい。その程度か。大魔導士なのに……。

 家臣たちの声が聞こえる。彼らは、それがどれだけすごいことか理解していなかった。

「ならば、余の未来を見てみせよ」

 王は相変わらず横柄な態度で命じた。たとえ王とはいえ、あまり礼儀の良いとは言えなかった。

「はい、承知いたしました」

 しかし、ディックは不平不満を顔には出さなかった。

 彼は呪文を唱えた。それは異国の詩のような、歌のような不思議な響きを持っていた。

 彼と王の間に細い糸のような青い光が走った。その様子に皆が魅入った。

 それは、ほんの数秒続いた後に消えた。

「さて、結果ですが……その前にお誓いいただきたいことがございます」

「何なりと申してみせよ」

「どのような結果でも、決して後悔なさらぬようにお誓いいただけますか?」

「よかろう」

 家臣たちがざわめいた。良くない結果だったのではないかと、誰もが思ったのだ。

「結果は……見えませんでした」

 家臣たちが再びざわめく。今度はディックの力を疑ってだが。

「見えぬ……とは、どういうことだ?」

「おそらく、私が見た未来では王はご存命ではない、かと」

「どういう意味だ!? それは!?」

 王は思わず玉座から立ち上がった。彼は健康なら、まだ三十年以上は生きられるだろうと思っていた。

「余が近い将来、死ぬというのか!?」

「はい、今のままでは間違いなくそうなりましょう」

 ディックは動じることなく言った。

「貴様、無礼な!」

 兵士たちが取り囲む。

 それでも、ディックは気にしている様子もない。

「待て、それならもう一つ聞くことがある」

 王はディックを睨みつけて言った。

「余は、どうやって死ぬ? ……それも、見えぬか?」

 ディックは、今度は呪文を唱えなかった。

「何も見えぬ闇が訪れる前に、一瞬ですが血に染まり倒れる王の姿が見えました。おそらくは、何者かに殺されるのだろうと……」

 それを聞くと王は笑った。家臣たちは気が触れたのではないかと疑った。

「馬鹿を言うでない! 余はいくさに出ては負け知らず! この国の中でも余に逆らえる者などおらん! この国の土地も、金も、人も……全部余の物だ! 恐れるものなど何もないわ!」

「それは、本当でしょうか?」

「なんだと?」

「本当に、恐れるものなどないと?」

「ああ、もちろんだとも」

 ディックはそれを聞くと、少し考えるような仕草をした。

「ならば、地獄の悪魔であっても恐ろしくない、と?」

「もちろんだ」

「それなら、少しお見せしましょう」

 ディックがわずかに呪文を唱えると、周囲を闇が包み込んだ……が、それも一瞬で消えた。家臣たちは何が起こったのか分からなかった。

 後には、玉座の陰に隠れて失禁している王の姿があった。

「あ、あれは……あれは、何なのだ!?」

「王よ、あれは地獄の悪魔……いや、そのほんの一部だから、悪魔のつま先とでも言うべきでしょうか?」

 この時ようやく、家臣たちは王がディックに地獄の悪魔を見せられたのだと知った。

「今のまま、好き放題に振る舞えばやがて私の見た未来の通りとなり、地獄であの者たちの餌食えじきとなりましょう」

 ディックは静かに言った。穏やかだがその声は説得力があった。

「分かった! 分かった! 済まなかった!」

 王はまだ怯えた声でそう答えた。


 この日を境に、王はかつての傲慢さを捨て、謙虚な態度となった。その余命は予言をはるかに超え、その治世は四十年近く続き名君とうたわれた。

 しかし、あの時見たものについては決して語らなかったと言われている。

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大魔導士ディックと悪魔のつま先 異端者 @itansya

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